第3章 高校美術部にようこそ
自分は美術部というところに所属した経験がないので細かい不明点が多いです。
公立の高校の美術部って、画材は自由に使えるって聞いたことあるけどどうやら学校によるみたいだし。自由ってどのくらいのレベルまでかな、絵の具とか画用紙はいけそうだけど。キャンバスとかはどうなんだろ?とかいろいろ曖昧なのでその辺は適当に処理しました。自分とこの高校はこうじゃなかったよー、と思う箇所があってもこの学校ではそうらしい。と脳内で変換してスルーお願いします。てか美術部に限らずそんなんばっかりですけど、細かい部分については…。
「…いや、美術部に所属してないことはもちろん知ってるし。そっちはもしかしたらなんか理由あるのかなと考えないこともないよ、例えば学校終わったあと家の用事があって忙しいとか、隠れて何かバイトしてるとかさ。でもさ選択授業でまで美術取らなかったのは何で?実は、何があっても絶対に絵描いてるとこ他人に見せたくないとか?」
まるで鶴の恩返しだね。せっせと描いてるとこ誰かに見られたら、鳥の姿に戻って飛んでっちゃうんかな。などと阿呆なことを言って笑ってる。もちろん同じ教室で制作活動に無言で励んでる美術部員の二人の方を慮ってか、辺りに響かない程度に声を落としてはいるけど。
「いえあの。…あなたもあの場に居合わせてたらですけど、まあいたんでしょうけど入学前説明会でのことだったから。今年は美術選択希望者が多すぎてこの場で抽選にさせていただきますと言われて、会場に残されたじゃないですか…」
もしも美術部員なら自分も当時者だっただろうに、覚えてないのかよ。と内心呆れて突っ込んだら、彼は悪びれずけろっとした顔つきでそれを軽く受け流した。
「あ、そうだっけ?俺芸術科目は音楽だから。それは全然覚えてないや。アナウンスはあったと思うけど、そんときは正直他人事だからな…」
そうなんだ。
「ピアノ得意なんですもんね。そういえば」
「うん、それに美術はどうせ部活でやるつもりだったし。それなら違うものの方がいいかなって。そしたら、笹谷さん抽選漏れしたってこと?けど、俺と同じ音楽のクラスにいたっけ?」
2組と3組って選択授業合同だよね?と首を傾げながら隣の扉の方へとすたすたと長い脚をためらいなく運ぶ。ここに連れて来られた理由が未だにはっきりしないまま、仕方なくそのあとを追いながらわたしはぼそぼそと答えた。
「音楽コースもちょうどいっぱいだったんですよ…。だから選ぶ余地なく有無を言わさず書道一択です。まあ、意外に面白さはありますけどね。自分からはまずやってみようってならない分野だし…」
「ああ、気持ちわかる。高校の書道ってなんかデザイン的でかっこいいよね。子どもの頃やらされる習字と全然違う」
その口振りから、何となくこの人、実際に過去お稽古事でお習字習わされていたんだろうなぁってのが伝わってきた。まあ、ありがちかも。特にいいお家のお坊ちゃんなら、字もきれいじゃなきゃとか厳しく躾けられそう。
「じゃあ、人前で絵を描くのに極端な忌避感があるとかではないんだね。少なくとも最初は美術を選択しようとしてたわけだから」
「それは。まあ」
愛想のない、何も書かれてないくすんだ色合いの白いドアに手をかける彼。振り向いて投げかけられた深い意図のなさそうな問いに対して曖昧な返答をするわたし。
てか、絵を描いてるとこ見られるのがどうしても駄目とかいうアレルギーの持ち主って実際に存在するか?だとしたらかなり生きにくそうだ。そもそも小中学校のときは全員例外なく図工と美術の授業あるじゃん。
まあ、人前で歌うとか楽器演奏するのが無理な人とかは現実に結構いそうだし。そのバリエーションと考えたら絶対にないことはないのかもしれないが…。
「美術部に入らなくて選択授業もとらないからアレルギーかもって考えるのは発想がぶっ飛んでますね。普通そんな深刻なことだろうとは思わないんじゃないですか」
「そう?でも、プライベートで町内会のポスター描いたり親しい相手にスケッチブック見せたりするのは大丈夫なんでしょ」
がちゃり、とやけに大仰な音を立てて彼の掴んでるドアノブが回った。
その口調からして、わたしが初めてこの人の存在を認識した海辺の公園でのあのとき、吉村にスケッチブックを見せてたのを遠くから見てたのは多分確定だ。やっぱり、なんか遠くからの視線を感じるなと思ったのは気のせいじゃなかったんだな。
「だったら、少なくとも仲のいい人に自分の描いたものを見られるのは大丈夫なんだなと思ったから。描くときは誰にも見られずに一人で集中して描きたいと考えるのはわかるよ。じゃあそれが、笹谷さんが美術部に入らない理由?」
えーと。
「どうなんだろう…。そこまで深く考えたことはないかも」
美術部に絶対に入りたくない理由ってのは多分特にない。考え方としてはむしろ逆か。
「入りたくない、入るのが嫌だってんじゃなくて。どっちかと言えば特に入る理由がない、かな…。だって絵って、どのみちふつう一人で描くじゃないですか。他人と一緒じゃないとできない部分が見つからない…」
こういう言い方だと実際にあえて部活でやってる人たちに失礼に聞こえるかな。と思い直し、慌ててもっと穏当な表現に言い換える。
「同じ趣味を持つ人と繋がりたいとか、みんなで楽しく切磋琢磨してもっと上手くなりたいとかメリットはいっぱいあると思います。けどわたしには、そういう前向きな向上心とかもない。ただの不真面目で気分任せの自己流お絵描き好きでしかないので」
「そう?ちょっと行き詰まってマンネリ化したときに新しい表現方法見つけたいとか、頭の中にある描きたいものに技術が追いつかなくて諦めたりとか。そういうのもないの?」
彼が開いた扉の向こうは、予測した通り美術準備室だった。誰かの描きかけの絵や石膏像、ダンボール箱や美術本が所狭しと棚に詰め込まれてごった返してる。
彼は天井まで届くスチール製の棚につかつかと近寄り、一番下の段の前に屈んでそこにずらりと立てかけられてしまわれてるキャンバスを貼ったままの木枠の縁に手をかけたかと思うと、ひとつひとつを順繰りに確認しながら独り言のように呟いた。
「今のあの画風に満足してるってことなのかな。まあそれは、気持ちわからなくもないよ。なんか独特の雰囲気あって個性が感じられるし。描きたいものをのびのび好きなように描いてて自己完結してるって感じの絵だしね」
…なんか。褒められてる感じしないなぁ。
「あのポスターの絵だけでそう判断したんですか?あなた、…えーと。なご…」
何だっけ、名古屋さん?ちょっと違ったような。
彼はキャンバスの状態をひとつずつ見て確かめつつ、こっちに背中を向けたままあっさりとこだわりなく名乗ってくれた。
「…ナゴシ。名越匡親っていうんだ、以後よろしく。そっちは笹谷直織さんだよね。君の絵はいくつか見てるよ、あの紅葉のポスターだけじゃない。あ、あとさ。一年同士なんだから敬語要らないよ。いつもそんな風に話すんだ、他の同級生にも?」
「いえ。…そういうわけでもない、んですけど」
ていうか、普段の関係性による。
仲良いわけじゃないしほとんど話したこともなく、しかも得体が知れなくて警戒心が拭えない相手ならそりゃ、なるべく距離を詰められたくなくてこういう口の利き方になるだろ。とははっきり言えないので適当に濁してごまかした。
「だったら、まだるっこしいから普通に話して。同じ歳なのに変だろ、過剰に丁寧なの。…あ、これはどうかな。描きかけで放ってあるけど。いつの代のやつだろ…」
小型の木枠のひとつに指をかけて引っ張り出し、ひっくり返して転がすように縁を試しすがめつしてる。見たところざっと下塗りがしてあって、中途半端で完成には程遠い状態のようだ。
どうやら描いた人の記名がないか探していたらしい。縁に目立たない色で書かれた名前を見つけて記憶をさらうように目を細めてる。
「…知らない名前だなぁ。もう何年も前に卒業した生徒のじゃないか。一応誰かに確認するか。幽霊部員でもまだ在籍してる人のだと、勝手に使ってあとで揉めると嫌だしな」
ポケットからスマホを取り出して裏の縁に書かれた名前を写真に撮り、それからおもむろに誰かにLINEしてる。わたしは肩をすくめ、遠慮がちに隣の美術室の方を指して小声で尋ねてみた。
「あの、他の美術部員に尋ねてみるなら。そっちの部屋にさっき二人ほど…。あの人たち、美術部の人じゃないんですか」
ぴこん、と送信を済ませてから彼はスマホの画面から目を離さずにあっさり片付けた。
「確かそうだったと思う。けど、俺はよく知らない人だから。多分二年生だったかな、二人とも。けど、名前も知らないし。喋ったこともないからさ…」
「美術部って。実はかなり人多いんですか?」
学年違うと名前も知らないとか、一体何十人いるんだ。まあ、共同で作業する必要もないしコンパやら行事やらないと、案外そんなものなのかも。とちょっと納得しないでもないが。
「どうかな。全員揃うこと、まず滅多にないからなぁ。とにかくめちゃめちゃ幽霊多いし。兼部のやつもよくいるから、全体がどのくらいか俺にはわかってないかも。それに俺自身も、よそでふらふらしてること多くて。そんなに真面目に毎日ここに通ってきてるわけでもないからね」
そんな活動状況の人でも、でかい顔してずかずかと部外者連れて出入りできるんだ。と考えたら、わたしが勝手に思い込んでたよりも案外気楽でいい加減な集まりなのかもしれないなとちょっとだけ思えてきた。
「真面目に出てないと注意されたり、他の部員とちゃんと交流しないと浮いて居心地悪くなったりするのかと思ってた。実は結構自由なんですね」
「まあね。笹谷さんもさっき言ってたけど美術なんて所詮個人プレイって考え方もあるから…。でも、顧問の先生に教えて欲しいことがあれば火曜と金曜に来れば会えるよ。嘱託だから毎日はいないけど。そういう意味ではお金払って絵画教室通うよりお得じゃないかな。確かO芸大出てる人だったし、知識はちゃんとある人だと思う。…ふん、なるほどね」
ずっとLINEの画面を睨んで半分上の空で会話してる様子だったのが、不意に独り言のように呟いて頷く。
「このキャンバス、やっぱりもう卒業した人の描きかけみたいだ。だったら剥がして新しいの貼って、この木枠使わせてもらっても構わないよな。…手持ちのキャンバスないだろうからとりあえず今回は俺の貸すよ。多分油絵の具もないよね?それとももしかして、家にはある?」
「ないです。…てか、何。今やってるその作業、なんかわたしと関係あるんですか?」
よっと、と呟いてその中途半端な描きかけのキャンバスごと、小型の木枠をこっちに寄越そうとする。成り行き上うっかり受け取ってしまって、それをどうすればいいのかわからず途方にくれて思わず問いかけた。
彼はけろりとした無邪気な顔でこっちをまっすぐ見て、なんてことないみたいにさらっと言ってのける。
「え、もちろん。てか君、油彩画挑戦したことないでしょ。もしかして中学のときはちゃんと美術部だった?でも、中学の部活って。案外油絵やる機会なくないか。少なくともうちの中学はそうだったな」
「ああ、はい。…うちもです」
ぐるりと目を回して上目遣いに思い返す。確かに、それはそうだけど。
「普通に紙に、水彩かアクリル絵の具でしたね。…うーん、でも。油画じゃないと表現できないことってそんなにあります?」
木枠組み立ててそこにぴんと布貼って、特別な油で絵の具溶いて描くのってそりゃかっこいいなぁと憧れがないこともないよ。けど、場所もとるし乾かす場所もないし、自宅じゃ。
多分油の匂いがすごくて家族にも文句言われそう。日本の一般家庭で油絵を趣味にするのって、案外簡単じゃないような気がするけど…。実際にやってみたこともなくて、ただの偏見かもだけど。
「やっぱり手軽さにおいては紙に勝るものないじゃないですか。別にコンクールに出すわけでも、美大に入るわけでもないし。好きで勝手に描く分にはそこまでしなくても…。だってそれ、今日一日で描き終えるとはいかないでしょう?」
「いやそりゃ無理だよ。てか、今日はこれに新しいキャンバス貼り直しするとこまででいっぱいじゃないかな。結構手間なんだよね、これ」
えぇ〜…。
「じゃあ、わたしここに通わなきゃいけないってこと?美術部員でもないのに?」
「まあ、そう深刻に考える必要ないって。ちゃんと手伝うし、俺も。てか笹谷さん、キャンバス剥がしたり貼ったりしたことないだろ。今回それは俺がやるからさ、さすがに」
一応お礼だもんね。そのくらいのお客様待遇はするって!と力強く請け負ってるけど。いやそう言えばこれ、お礼だったのか。あのときのポスターの。
そもそもお礼になってるのかなぁ。と複雑な気持ちになりながら、ちょっとここ押さえてて。と指示されてよいしょ、と釘抜きを使う彼に言われるままに木枠の端を押さえた。
「まあこれ、小さいから。タックスの数も少なくて済みそうだし下塗りくらいまではいけるかな。そしたら俺がキャンバス貼ってる間に君は下絵というか、ざっくり構図考えときなよ。さすがにいきなりイメージもなしにぶっつけ本番で絵の具載せるわけにいかないでしょ」
「うん…、でも。油絵の具の扱いにも慣れてないし」
多分、未知の表現方法を体験させてやろうって意図なんだから好意というか、悪気は全然ないんだろうなぁ。
真剣な顔で俯いて黙々と布を留めてる釘を外していく彼の態度にふざけたところは微塵もない。頼まれもしないのにわざわざ放課後の貴重な時間を使ってまでこんな手をかけてくれるくらいだから、軽い気持ちでからかってるとかとんでもない提案を吹っかけて反応を面白がってるだけってことはないだろうと思う。
おそらく、わたしの描いた自己流丸出しの素人っぽいポスターを目にしてもうちょっと真面目に基礎やればもっとよくなるのに。との考えでお節介を焼いてくれてるんだろう。
その気持ちはありがたくないこともないが。…現実にプライベートな時間と手間を費やすことになるわたしの意思とか立場は?
スケッチブック持ってる?何なら貸すよ、と言って肩から降ろしたリュック式の鞄から出したクロッキー用の小サイズのそれをわたしに渡す。
特に断りもなかったから開いて中身を見てもいいってことだよな、と判断してぱらりとページをめくったけど全部まっさらの新品だった。
当の本人はどういう絵を描く人なのか、さすがにちょっとは興味がないこともなかったのでそこは残念。
正直、この見た目とキャラで美術部っていうのが偏見かもしれないけど今いちぴんと来なくて。真面目に画風が想像つかない。
本人も言ってたけど、軽音でキーボード弾いてるかテニスやってる方がよほどしっくりくるキャラ設定だ。だけどさっきの会話の流れからすると、どうやら中学のときも美術部だった様子。
この手の男子が高校はまだともかく、中学で運動部じゃないのは珍しい気がする。そう考えるとおそらくこの人、意外にも筋金入りだ。
何となく消去法でとか友達に誘われてとか、何でもよかったけどとりあえず。ではそうはならないんじゃないか。かなりはっきりした意図を持って美術を選んでるはずだ。
そう考えると、改めてあのときポスターを剥がしてるわたしに声をかけたのが納得いくような、かえって不思議感が増すような。
他人の創作物に普段から目がいくような、そういう世界の見え方なんだろうなと思う。ちょっと気持ちはわからなくもない。人の描いたものを見てうわ、上手いなとか。ああいう風にどうやったら描けるんだろとか自然と考えるのはわたしもそうだから。
理解できないのはわたしの描いたあのポスター、そこまで人目を引くかな?ってとこ。ごく普通のお祭りの告知ポスターだったとしか…。あんまり尖ったデザインでも色遣いでもなく、目に優しく悪目立ちしない街角に馴染むデザインにしたつもりだ。
むしろ、立て看板の方で引っかかったならまだ納得かも。そっちは思いきり自分の趣味と独断で好きなように描き上げた出来になってるから。
それと較べると小綺麗に無難に仕上げたあの作品の何が、この人の心の琴線に触れたんだろう。
キャンバスを留めてた釘を全部抜き終えて用済みの布をくるくると巻いて横に置き、今度は自分の鞄から出してきた新しいまっさらな布をそれに替えて木枠に貼ろうとしてる。これにわたしが本当に油彩で描くのか?と未だぴんと来ないまま、それでも成り行き上気を遣って恐るおそる提案した。
「…貼るの、手伝った方がいい?さっきみたいにわたしが下の方を押さえて、その間にあなたが上から布を思いきりぴんと引っ張って被せた方が…」
「あーうん、ありがとう。でもこのサイズならまあ一人で貼れるよ。割とやり慣れてるし、道具もあるから」
そう言ってキャンバスと一緒に取り出した謎のペンチみたいな代物を見せてくれた。どうやらそれで、被せて仮の鋲を打ったあとの布をぐーっと下へ引っ張って、押さえて本式の鋲を打つらしい。
「100号とかになっちゃうともう人間の等身くらいだから、さすがに一人じゃ貼れないけどな。これくらいなら任せてもらって大丈夫。まあ、ゆくゆくは自分でやるようになるわけだから。やり方見とくといいかもしれない」
なんかこれっきりの体験で終わるとはまるで想定してない物言いなのは気になるが。彼はもの慣れた手つきでかんかん、と全体をくるくると回転させながら要領よく鋲を対角線を描くように順繰りに打っていく。
「でも、それよりも君が今優先した方がいいのはやっぱりここに何描くか題材と構図を考えることかな。もちろん何ヶ月もかけて丁寧にゆっくり仕上げても別に問題ないんだけど。せっかくだから失敗とか恐れずにがんがん描いていった方がいいよ。油彩のいいとこは何度でも塗り直せて修正が容易だってのもあるし。それに絵なんて数描けば描くだけ、比例して上達するからね」
そのスケッチブックあげるよ。思いついたアイデアをざっと形にしてみるくらいの感じでどんどん描きとめておくといいよ。とついでのように簡単に言われて思わず恐縮する。
「いえ、スケッチブックくらいは…。別に自分でも用意できますから。なんかよくわからないままに何から何まで。ここまでしてもらうのも申し訳ないから…」
彼は謎のペンチか万力みたいな道具でキャンバスを挟んでぐっぐっと下に引っ張り、それを押さえにしてとんてんかんてん鋲を木枠に打ち込み続けながらわたしの躊躇をさらりと受け流した。
「でも、今自前の持ち合わせてはいないでしょ。こういうのは勢いだから、後回しにしないでこの場で思いついたものどんどんスケッチし始めた方がいいよ。準備ができてないからと先送りにしてたら取り掛かるの億劫になって、タイミング逃すだろ。俺が作業してる横でそれにいくつか描き出してみなよ。どうせ暇でしょ、今俺がこれやってる間」
いや…ってか、そもそも油絵描いてみたいとか。こっちから全然頼んでもいないんですけど…。
慣れた手つきできっちり鋲を打ち込み終えてから、木机の隣の席を指してそこに座るよう促してくるその目は何故か案外と優しい色合いに満ちていた。
「どうしてもただもらうのは気が引けるってことなら、何なら全部それ最後まで使い切って必要なくなったら、捨てるんじゃなくてこっちに返してくれればいい。そしたらウィンウィンでしょ、あんたは要らないもんを処分できて。俺はそれを手に入れられる」
いや…、ごみでしょ。それって。
気になるなら覗かないから自由に描きなよ。と言って彼は再び手許に視線を落とし、真剣な顔つきでキャンバスを貼る作業に戻る。
わたしは圧に押されて観念し自分の鞄の中からごそごそと筆記用具を取り出し、シャーペンしかない。普段はスケッチ用の鉛筆持ち歩いてないもんな、まあアイデア用の下描きだから…と妥協してそれを手にしつつ、さっきからずっと疑問に思ってたことをそれとなく口にした。
「…そんなのがあなたにとって何かの得になるとも思えないし。いくらポスターのお礼とは言ってもここまでいろいろしてもらう謂れはないような気がするけど」
もちろん、全然こっちがして欲しかったお礼でも期待してたものでもないのは事実だが。少なくとも何かと小忙しいリア充で人気者の男子高校生が、貴重なプライベートな時間や労力をわざわざここに割いてくれてるのはわたしも理解はしてる。
「あんな処分するしかなかった紙切れの代償にしては大袈裟過ぎる気がするし。わたしが描き散らした使用済みのスケッチブックなんかおまけにつけてもまだ引き合わなくないですか。ほんとに、ちっちゃいチョコかグミでも購買で買ってくれば一瞬で済むのに。これってだって描く方も、絶対一日で終わんないですよね?」
「グミとか好きなんだ。じゃあ、明日はそれも用意しとくよ」
どんなのが好き?スーパースペシャルにサワーなタイプ?食感はハード系か柔らかいのか、味はフルーツ系かそれともコーラかソーダ?とどうでもいいとこにこだわってやけに詳細に確認してくる。いや何でグミのとこだけに反応するのか。本題はその前の方だよ。
木枠の天地をひっくり返し、最後の一辺に布を引っ掛けてせいの、と引っ張り伸ばす。こんこんと鋲を仮留めしてからまるで冗談みたいな至極軽い調子でさらりと言ってのけた。
「俺の負担のことなんかそっちは全然心配しなくていい。何にも気にならないよ。お礼ってのも実際にはまあ、半分くらい口実だから…。単に俺が君の絵を見たいだけだし。初めて油彩で描く絵も見てみたいし、アイデアを適当にさっと描き殴っただけの下描きも見たい。そのためにやってるだけだからさ」
何てこった。
それじゃもしかして、わたしは巻き込まれたというか。むしろとばっちりじゃないの?たまたま駅でポスターを剥がしてるところを押さえられたばっかりに。
それにしても。
「あのポスター、そんなにインパクトあったとも思えないんだけど…。普通にグラデーションで黄色から赤の紅葉を敷き詰めてその間にお祭りっぽいものを散らしただけですよ?丁寧には描いたつもりだけど、デザインは穏当というかよくある感じだと思うけどなぁ。わざわざ油画描かせてもなんだ、案外普通の出来だな。とか思うだけかも。…それどころかむしろ下手じゃん。とか」
がっかりされるだけだろうしそれも嫌だな。と開いた真っ白なスケッチブックを前にテンションが下がってついお行儀悪く頬杖をついた。まあ、あのごく普通の出来のポスターからどういう作品が出てくるのを期待されてるのか。その水準すらもよくわかってないんだけどさ…。
半分不貞腐れてそんな呟きを漏らすわたしを励ますように、彼は気さくに笑って仮留めを終えたキャンバスを抱えて柔らかい視線を向けてきた。
「別にがっかりとかしないから、俺がどう考えても構わないって気持ちで好きなもののびのび描いたらいいんじゃない?どんな絵でも見てみたいよ、俺からしたら。いつもみたいな独特の空気の絵でもいいし。もっとぐっとリアル寄りの絵とかいっそ抽象画でも面白いかも」
「…いつもの?」
その表現に引っかかり、くるくると手持ち無沙汰に回してたシャーペンが思わずはたと止まる。いや、思えばこの人。わたしの描いたもの、この間のあのポスター以外は一体どこでどうやって見たんだ?
高校に来てから学校で絵を描いた記憶は全然ない。中学にこの人が絶対いなかったことは多分間違いないし。さすがにこんな目立つ人、同学年にいても気づかないほど生徒数の多い中学じゃなかったので…。
明らかに不審げな目つきましましで身構えたわたしの態度の変化には頓着することなく、彼は仕上げの鋲を木枠にとんとんと打ち付けながら平然と答えた。
「さっきも言ったけど、俺が見たことある笹谷さんの絵はあのポスターだけじゃない。いくつかは見て知ってるよ。まあでも、充分に満足いくほどの数は見れてないからね。こうやって一枚でも作品を増やしていこうって腹なわけ」
そこまで?
口調は軽いけど言ってる内容は不穏と言えば不穏だ。存在してる現物が少ないから作者の尻を叩いて新作を制作させようって。…それじゃ『ミザリー』じゃん、考えようによっちゃ。
まあもちろんそこまで思い詰めてそうでもないし、重さのかけらもないから別に怖くはないが。でも、ほんの思いつきにしては実際に行動に出てるのにはこっちもちょっとだけたじろぐ。
「…やっぱり、よくわかんないな。他にもっとちゃんと絵の上手い人きっとこの学校にもいっぱいいるだろうし。そういう人の絵じゃ駄目なの?てか、ここ美術部だし。絶対わたしよか上手くて才能ある人、いくらでもいるはずなのに」
言ってるうちに気がついて、シャーペンを強く握ったまま隣の彼の方へと向き直る。
「そもそもあなたの描いた絵を見てないんだけど。絶対わたしなんかより上手いはずだと思うよ?中学のときから今でも美術部なんでしょ。そこまで真面目に積み重ねてるくらいだから、まともに絵の勉強もしてない自己流の趣味でしかないわたしの絵より…。そうだ、参考にしたいからさ。あなたの描いたやつ、まず一枚見せてくれない?その様子だと油彩で描いたこと、絶対あるでしょ?」
だんだん丁寧語で喋るのがまだるっこしくなってきた。
この人はどうやら、こっちがよそよそしく他人行儀に話しても逆に馴れ馴れしく接してもそれで動じたり態度変えたりしてこないみたいだし。距離感出そうと頑張って無理してもやり甲斐がない。好きなように適当に喋る方が楽だ。
案の定、彼はわたしの言葉遣いがなし崩しに変化したことなどまるで歯牙にも掛けない様子で軽く肩をすくめ、その提案をいなした。
「…まあ、俺の絵なんかどうでもいいじゃん。大したことない、つまんない普通の絵だよ…。あ、だったらこうしない?君が無事このキャンバスに絵を完成させたら俺も自分の描いた絵を見せる。そのスケッチブックを使い終えたら」
と、わたしが漫然と開いてる何も描かれてない借り物のそれを指差して、
「俺の使い古しのスケッチブックと交換する。っていうのはどう?今回のでポスターくれたお礼はとりあえず完遂してるし。今度はまた新しい契約ってことでひとつ。折り合わない?」
「えー…」
いいこと思いついた、みたいな顔つきでうきうきと申し出られても。
あなたの絵を見たこともないのにそれが欲しいと考えると思う?と突っ込もうとしたけどやめた。自分の描き散らした用済みのを惜しんでる、と思われてもそれは違うし。
それにまあ、きっとわたしのより上手い絵が見られるであろうことは多分確かだ。だったらまあ交換でも。すごく嫌ってこともないけど…。
その報酬でうきうきやる気が俄然出てくるかって言えばちょっと微妙。他人の描いた上手な絵を見るのは好きだけど、欲しいか?っていえば特にそういうわけでもないし。
「…まあ。それは全然、構わないですけど」
俯いて頭を抱え、さて何を描けばいいんだ。テーマ制限なしって実は結構やりにくいんだよなぁと白いスケッチブックのページを睨みつつぼそぼそと返す。
彼はそれをどう解釈したのか、あははと明るく声を出して笑った。
「まあ、見たこともない絵を描くやつのをもらえるって言われてもそりゃテンション上がらないよな。大丈夫、ちゃんとグミとチョコもつけるからさ。…完成した絵くれとは言わないけど、写真撮ってもいいよね?いや楽しみだなあ、笹谷さんが初めて描く油絵。絵の具の使い方や塗り方のコツは責任持って教えるよ。…早速だけどまず今週。次はいつにする?」
結局、何となくなし崩しにわたしが放課後美術部にしばらくの間通って絵を完成させることは確定してしまった。
もうここまで来たら入部するか!と彼に笑顔で言われたんだけど。それはとりあえず今はまだ…と濁して断っておく。
「だったらしょうがないから、俺も笹谷さんが描く日は付き合うしかないか…。予定をすり合わせてお互い都合のいい日に美術室に通おう。出来たら週二回くらい空けといてよ」
君が描く日には自分も立ち会うよ。と彼は提案してくれ、そこまでしてもらうのは…と恐縮しつつも最後には向こうの熱に折れた。
初めは油絵の具の扱い方を教えてもらう必要もあったし、道具もひと通り彼のを貸してもらうことになったので同行してもらうのは避けられないというか。致し方ないところではあった。
けど、何となく油彩のコツも掴めてきた今日この頃。隣で何ということもなくさらさらと自分のスケッチブック(わたしにくれた小型のとは別で、それなりの大きさのやつ)に生真面目な顔つきで何かを描いてる名越くんにちょっと申し訳ない思いを感じなくもない。
そもそもここまで来たら、絶対に美術部に入りたくない。と頑なに言い張らなきゃならないほど確固とした理由があるわけでもない。放課後の美術室の空間をこうして定期的に占拠してるわけだし(いつもぽつぽつとしか人いないし、がらがらだけど)、備品だってちょくちょく使わせてもらってる。
建前上美術部員である名越くんが使ってるものをわたしも間接的に拝借させてもらってる。という風なことにしてるけど。
別に彼は油絵をわたしの横で一緒に描くわけでもなく、ただスケッチとかしながら付き添ってるだけなんだよな…。さすがのわたしも、彼の時間を無駄にさせてる事実をひしひしと感じて実に居心地が悪い。
特に会話が弾むでもなく、ただ同じテーブルについて思い思いにそれぞれ筆と鉛筆を動かしてる。集中してる間は気にならないけど、ふと途中で我に返った瞬間には何だってわたし、この人とこうして一緒の時間を過ごしてるんだろ。一体どうしてこうなった、と何とも言えない気持ちになる。
わたしの視線に気づいた名越くんがふと顔を上げた。手許のスケッチブックは意識してなのかたまたまなのか、絶妙な角度に傾けられていてこちらからは描かれてるものが見えない。
「…どうした?なんかわからないことある?」
「いえ。…何でも」
首を小さく振って再び筆を動かし始めた。
そりゃ、今から部活に入るなんて面倒だし。別に全然したくはない。
こうして実際に出入りするようになったら美術部って本当にそれぞれ、我が道を行く人ばっかだし。変則的なやり方で部外者を引き込んで平然としてる名越くんに対して文句を言ったり突っ込んでくる部員もいない。
みんなてんでん勝手にやって来て自分の活動に自由に取り組んでは去っていく。あの人、いつも来てるなって先輩もいるし普段全然見ない生徒がふらっとやって来ることもある。そしてそれぞれ、ぺこりと頭を下げ合うこともあるがほとんど会話は交わさない。出入り自由で去るもの追わずだ。
他の学校の美術部がどうかは知らないが、うちの高校じゃ多分ここがどこよりも一番しがらみが少なくて人間関係がドライな部活だろうと思う。そう考えると、最初に勧誘された通りにわたしも素直にここに籍だけでも置いとけばよかったのかな。と今さらながら少し思わないでもないが。
でも、そもそもわたしが来たくて来たわけでもないし。お礼するよ、と何の説明もなく連れて来られてそのまま、断りきれない流れを作られて絵を描く羽目になっただけだし。
やってみて、確かに油絵って水彩と全然違うな。これでこそ合うような題材もありそうだし何と言っても重ね塗りと厚塗りが自在に出来るのがいいとか実際にやってみるまでわからなかったこと、得た知識や経験もたくさんあるけれど。
だからといって従順に向こうの思うままに動くのも癪ではある。油彩の面白さを体験したらやっぱ美術部入りたくなっちゃうでしょ?と訳知り顔で言われたらと思うと。やっぱ、納得いかないよなぁ。
名義だけでも入っておいてその後は幽霊部員にでもなればそれで済むことじゃん。と正直なところ思わないでもないが、何となく嵌められたみたいな気がして面白くない。ほぼそれだけの理由で流れに抵抗してるような気が我ながらしなくもない。
…まあ、そうは言っても。
自分の(というかもらった)スケッチブックの下絵に視線を走らせつつパレットの上で絵の具を混ぜながら心の中で黙って考える。
生真面目に週二回、美術室に通い続けた甲斐あってあともう少しでこの絵も完成しそうだ。小さなサイズのキャンバスだったのが幸いして、思ったよりも手間取らずに終わりそう。
あと一回か二回あれば大体完成しそうだし、だったらやっぱりいちいち入部手続きなんかしなくて結果的にはよかったのかな。と半ば後ろめたく感じてた気持ちを振り切って無心に絵の具を混ぜてはぺたぺたとキャンバスの上に丁寧に塗り重ねた。
「…ふむ」
ちょっと手を止めて、ややのけぞって目を細め少し遠ざかった状態での全体のバランスを確認する。
うん。…初めて手がける油彩画にしては案外悪くない。
何の心構えも前知識もなくいきなりだったから、正直思うように描ける自信なんかもとより全然なかった。
さすがに脳内で広げたイメージそのままをキャンバスの上に表現出来てるとまでは言いかねるけど。
もっと格好のつかない、ぐだぐだな代物が出来上がるだろうと考えてたからそこまで失敗作にはならなかったのはまあよかった。
ちょっと小じんまりとまとまってしまってる感はあるけど、これならうっかり他人に見られてもめちゃくちゃ恥ずかしくはないかな。もちろん美術部で本格的に描いてる人たちから見たら、全然大したことないよくある平凡な作品なんだろうけど…。
「…あ。いたいた、ナゴ。いや最近、美術部に入り浸りだって聞いてたからさ」
いるかな?と思って来ちゃった。といきなり大声で言いながら美術室の扉をがらりと開けて入って来た男の子。あまりに不意打ち過ぎて、脳が理解するより先に反射的に全身がびくんとなった。
こんな静かな場所で騒いだら他の部員にも迷惑が。…と考えてから、ああそういえば今日は珍しくわたしたち二人以外誰もいないんだっけ。と気づいてちょっとほっとする。名越くんまでこの非常識そうな友達の巻き添えで、美術部内で白い目を向けられるとこだったじゃん。
たまたま他の部員がいなかったからって命拾いしたな。と内心で毒づいたけど、声をかけられた当人の方はまるでその大声を咎める風もない。多分、類友でこの人も普段から同じような行動様式なんだろう。
「よ。…どしたん、わざわざ。こんなとこまで」
その男の子はよっと、と誰にも勧められもしてないのに木机の前の椅子をひとつ引っ張り出してそこにどかっと座り込んだ。いや、話し込むつもりなんかい。
ぱっと見は派手ななりでもなくごく普通の感じなんだけど、喋り方といい態度といいいかにもチャラい。うちの高校はそこそこな公立の進学校なので、髪や服装で極端な自己主張する生徒は基本的に少なめ。女子でイケイケなタイプでもメイクやカラーリングは一見じゃわからないくらい控えめだ。
だから、黙って静かにしてると誰が遊んでて誰が堅物か外見だけじゃ案外見分けがつかない。こうやって放課後や休み時間の言動を見れば一発だけど。
名越くんの友人はポケットからスマホを取り出してその表面に目線を落とし、何事か操作しながらやや上の空で答えた。
「時間びみょーに余った。だからちょっと冷やかしがてら時間潰しに来たわ。あとついでに訊くけど今週土曜日さあ。男連中何人になりそう?女の子ってどのくらい集めればいいかなあと…、あ。もしかして、やばい?」
急にはっとわたしの方を見て黙り込んでしまった。え、何で?と本気でその意味がわからず首を捻ってしまう。
「別に大丈夫ですよ、そこで喋ってても。今日は他に誰もいないし、わたしの方は。声とか特に気にならないので…」
むしろ、こっちのことは無視してくれた方がありがたいんですけど。そしたらどんなに目の前で騒いでても二人まとめて存在自体なかった感じでふるまえばいいので。
こっちはそう思ったけど、先方にはそのニュアンスは全く伝わらなかったようだ。わたしの方をつくづくと眺めてから改めて名越くんの方を向き、彼を会話に巻き込もうと話しかける。
「いやそうもいかんでしょ?彼女の目の前で他の女の子たちと遊ぶ話とかさぁ。てかナゴ、この子でしょ?最近みんなが噂してる隣のクラスの子って。大人しくてちっちゃくて目立た、…控えめな子だって。なるほどねぇ」
うっかり目立たないとか地味ってワードを完全に口にする前に踏みとどまれる、最低限そういう理性を持った人物であることは判明した。惜しむらくは理性の発動が今いち遅くて、何を言いかけたかは結局のところだだ漏れでこっちに伝わってしまっているという。
しかもその配慮も次のひと言で結果的に台無しに。
「思ってたより全然いいじゃん、今度の彼女。もっと地味でぱっとしない子かと思ってたよ、みんなそんな感じで言ってるからさぁ。…お前の今までの彼女たちと較べられちゃうからかもしんないな。結構派手めというか。いけてる目立つ子が多かったからさぁ…」
「あの、わたしはそういうんじゃ」
「この子はそういうんじゃないよ」
あまりのことに耐えかねて彼の放言を遮って口を挟むと、名越くんもほぼ同時にのんびりと彼の台詞を否定してくれた。
ありがたい、とほっと安心したのも束の間。名越くんが続けて継いだ言葉も、程度の差こそあれ結局ほぼほぼ放言では…という事実に気づく。
「そういう可能性が今後も絶対ない、とまでは別に断言しないけど。今はとにかくこの人に絵に専念してほしいからさ。俺はそのサポートをしてるだけ。だから、変な噂言いふらさないでよ。笹谷さんに余計な負担かかるから」
「あー笹谷さんね。ほいじゃこいつと共通の友人として俺のことも今後ともよろしく。長谷川っていうんだけどさ…、ん、あれ。そいえば俺たち前にも会ったことない?」
この人たちの会話の展開のスピードについていけそうもない。
そういう展開がないって断言しない意味ってなんだよ、そこは断言しとけよ。と名越くんにつっこむ暇もなく今度は間近に顔を覗き込まれて俺たち初対面じゃないよね?って。…そう言われてご友人の顔を見返してもまるで見覚えがない。
ていうか、わたしは他人の顔を認識するのと記憶することについてはなんか欠陥があるんじゃ、と内心本人が疑ってるレベルの相当なぽんこつなのだ。
だからこう尋ねられたからっていえ、会ったことないですね。ともああ、確かにそうですね。とも答えかねる。
少なくとも世間じゃナンパに使われるあれ、初めてじゃないよね?俺たちどっかで会ってる?っていうベタなフックではないと思う。大真面目にしげしげとこっちの顔を見ながら自身の記憶の中を探ってる様子だし。
どうやら本当に過去にどっかで出くわしてるのかな。同じ高校に通ってるわけだから全然可能性としてはありだし、と居心地悪くもぞもぞしてるとその友人はぽん。と軽く手を叩いて声を弾ませた。
「…そうだ。あのさ、俺フットサル同好会に入ってるんだけど。君、夏休みに観戦に来てたでしょ。ほら吉村の応援でさ、1年10組の。手作りの弁当持って来てたじゃん」
「へえ意外。この人、そういう女子っぽいしおらしいのやらないタイプと思ってた」
横から名越くんがぬけぬけとデリカシーゼロな余計な口を挟む。わたしは憮然としてパレットの上で絵の具を混ぜる動作に戻りながら短く言い返す。
「お弁当は家の人に頼まれて届けただけだから。わたしが作ったんでも何でもないです」
「ほら、やっぱ。笹谷さんが作ったんじゃないってさ」
ただ運んだだけだってよ。と鬼の首でも取ったように友達に向かって誇る名越。このやり取りであんたがこだわってるとこそこかよ。
友人の長谷川くんの方はというと、そんな意味不明な名越の反応には構わず眉根を寄せてそのときの記憶を手繰ろうと集中してる様子。
「…そうそう。家族や彼女が応援に来てるやつはもちろん他にもいたんだけど。吉村ってなんか浮ついた感じのないやつだから、高校入学して早々に彼女作って甲斐甲斐しく弁当まで持って来てもらってるから意外だなってみんなで驚いてた覚えあるよ。中学の同級生だよって言ってたから、何となく他校の子かと…。あれ、本当にあいつの彼女ってわけじゃなくてただの友達なのか。それともまだナゴに乗り換えて間もないってだけ?」
なんかいつの間にか尻の軽い女にされてるし。誤解だしさすがに不本意だ。
わたしはぺたぺたとキャンバスに絵の具を塗りたくりながらきっぱりした声で説明した。
「本当にただの友達です。保育園のときからの幼馴染みで向こうの家族とも知り合いだから、用事がないならお弁当届けてって頼まれただけ。あいつの家自営業だしきょうだい多いから。お母さんは忙しくて大変なんですよ」
ごめんね、直織ちゃんの分も一緒に作っておいたから。と平身低頭で手を合わされてしまったら断るわけにもいかない。実際、何の部活にも入ってない状況での夏休みは暇でしょうがなかったし。
せっかくだからフットサルしてる人たちをスケッチでもするか。とそれ以上は深く考えず会場に訪れたんだよな。まさかそれで、吉村の彼女か。とひそひそ陰で噂されてたとは思いも寄らなかった。
中学のときまではわたしとあいつの関係とか距離感は幼馴染みとして当たり前のこと。として周りから受け止められてたから、高校でも同じムーブでいると要らん注目を浴びるんだなんてことはすっかり頭から抜け落ちてた。
それでも普段は学校じゃ用もないのに話しかけんなよ、と牽制してるのに。夏休みだからって油断しきってまあいいか…とのこのこ現地に顔出して、自ら墓穴掘ったとしか。
我ながらこういうとこ、脇が甘い。
長谷川くんはつくづくと感じ入った声でやや大袈裟に嘆息してみせる。
「そうかぁ。二人何とも気心知れてんなって感じで、一緒にいるとこまるで長年連れ添った夫婦みたいに馴染んでたからさ…。でも、そんなに長い間そばにいた幼馴染み同士ってことなら納得。そしたら吉村の方はただの友達で、本命はこのナゴってこと?」
全然違います。いや、前半はそれでいいんだけど。台詞の一番最後のところでね…。
「吉村はそれでいいですけど、この人ともそういうのないです。本当にここで絵を描かせてもらってるだけの間柄なので…。お互い何も知らないし。それで好きになりようがないですよ」
愛想のない答えだとわかってはいるが、ここで曖昧にぼやかしておいていいことなんてひとつもない。可能性ゼロはゼロ、とはっきり言葉にしておいた方が、お互い後々のトラブルの芽を摘む最善の策だと思う。
長谷川くんはへえ、と呟いて軽く目を見張り、心底面白そうに名越くんの方に顔を向けてからかった。
「お前とは金輪際あり得ないって。ここまできっぱり否定されるの、ナゴにしちゃ珍しいな。何か嫌われるようなことした?」
「それは特に。ないと思うけど」
名越くんはまるで気に病む様子もなく、鉛筆を持った手を動かしながら平然と答えただけだったが。実際より悪い意味にとられたらそれも困るな、と慌てて彼の方を向いてフォローを入れる。
「嫌いとかも全然ないです。結局こっちがお世話になってばっかなのにそんな…。大体、ほとんど何も名越くんのこと知らないので。好きも嫌いも判断材料がない…」
「いや付き合いが浅いとか深く話してないとかあんま関係ないでしょ、あるなしには普通。俺の周りの女の子たちなんか。こいつとほとんど会話したことなくても、瞬殺であり。って判断してるよ?」
長谷川くんは椅子にどっかと座り込み、のけぞるように顎で彼を指し示した。
「そう考えると人によっては、好きになるのにあえて深く知る必要なんてないんじゃね?ぱっと見でいいな、この人ありだな。とかみんな無意識に判別してるわけだからさ…。そんな瞬速でもう絶対ないって切り捨てちゃっていいの?こいつマジで、半端なくモテるよ?」
せっかくのチャンスなのにさ。と実に腹立たしそうに付け加える。わたしに対していらいらしてるわけじゃなくて、本当にもう何でこいつだけやたらとモテるんだよ。っていう苛立ちみたいだ。
だったらここでないです。って言ってる子にわざわざ重ねてまで勧める必要ないのに。と思ったけど、この人にはこの人なりの思惑があるのかもしれない。例えば、名越くんに夢中な女の子の中に自分が狙ってる子がいるからその辺のぽっと出に押しつけてさっさとフリーじゃない状態にしてしまいたいとか。
「うーん。でもまあ、別に今彼氏欲しいとかもないし。この人に限らず」
名越くんを片付けたいならどっかよそを当たった方がいいよ。と匂わせてその話を終えようとする。話題に出されてる当の本人はどちらかというと他人事みたいな顔つきで時折ちらちらと目を上げてはまたスケッチブックに視線を落としつつ、鉛筆をさらさらと走らせて頷いた。
「…うん、まあ今はお互いそういう局面じゃないね。この先付き合いが長くなればそれも変わってくるかもしれないし…。とりわけ急ぐ話じゃないな、俺たちには。そっち方面は」
一応、『なし』とは断言しないんだな。
それは目の前の女の子に対して失礼になるっていう考えなのかもしれない。わたしなんかだとつい、先方も当然こっちにかけらも気があるわけないって前提で喋るけど、モテる男はそう簡単にいかないんだろうなぁ。それも経験からくる護身なんだろうと思うと、これまでの苦労が偲ばれる。
「ふぅん。…だったらさ、彼女。逆に吉村とのことも、今後ありになるかもしんないよね?てか、今の段階でどうしてもナゴの方がいいってんじゃなければさ。吉村とのこともちょっと前向きに考えてみればいいのに。絶対いいやつじゃん、あいつ」
普通に考えてもそっちのが幸せになれそう。と、長谷川くんは机の上に肘をついたかと思うとやけに前のめりに話しかけてきた。
どうやらこの人、名越くんをこっちに押しつけたいとかそういう動機から言ってるわけじゃなくてただの恋バナ好きDKなんじゃ…って気がしてきた。
いるんだよな、こういう子。自分がどうしたいというわけでもなくただ女の子と恋愛っぽい話で盛り上がるのが好きとか。身近な友達同士がくっつくところが見たいくらいのテンションで気軽に相手を勧めてくるやつ。てか男子に限らず女子でもいる。わたしの仲間内で言うと、つまりはクラ子の同類ってことか。
長谷川くんは腕を胸の前で組み、今度は天を仰いでしみじみと独りごちる。
「考えれば考えるほど向こうの方がいいと思うなぁ。絶対お似合いだと思うんだよね二人。えっと、ササタニさん、だっけ?…みたいな女の子には正直ナゴは手に負えないと思うし。吉村なら浮気とかもしないでずっと大事にしてくれそうじゃん。その点こいつはねぇ、まあ見栄えはいいけど。恋愛絡みになると人の心ってもんがないから…」
「まじですか」
そんなのを最初はこっちに押しつけようとしていたのか。無責任というか、最低だな。
わたしの短い言葉に込められた不信感を感じ取ったのか、いやまあ。と呟いて彼は頭を掻いてみせた。
「笹谷さんがあのときの吉村に会いに来た子だったとは初め気づかなかったからさ。そもそもナゴのファンガールならこっちが何言っても無駄だしね。けどこいつに対してその気がなくてもっと幸せにしてくれそうなやつといい雰囲気なら、絶対そっち行った方がいいって。こいつの付き合った最短記録、何日間だか知ってる?最長でもさぁ…」
「ちょっと。そこでわざわざ俺を落とす必要ってあるか?」
目と手は忙しく動いてるけど、しっかり友達のしょうもない雑談の内容にも反応してる。
特に何の感情も浮かんでるようにも思えないが。それでも目の前で自分について話されてたら何か合いの手を入れないと、と考えたのかおっとりとした調子で一応抗議してくる名越くん。
「その、幼馴染みを推したい気持ちはわかるけどさ。何もそこで俺の情報を引き合いに出さなくても…。なんかそいつと較べてこっちが特別に不誠実みたいに聞こえるじゃん」
「え、そういう意味で言ったんだけど。普通に」
けろっとして悪びれず言い切る長谷川くん。
こんなやり取りには慣れてるのか、名越くんも別に気を悪くした風もなく平気で言い返す。
「別に俺に限らず誰にだって、付き合い始めた相手と合わないとか思ってたんと違うってことあるだろ?そしたらそりゃ、それ以上深入りする前に早めに結論出した方がいいに決まってると思うけど。その方が傷も少なくて済むし」
「いやそれで傷が少なくて済むのはお前の方だけだろ…」
長谷川くんの的確な突っ込み。まさにそれ。
名越くんは全くそちらには目もくれず、時折顔を上げてはスケッチブックの上で忙しく手を動かしながら淡々と答えた。
「毎回毎回俺の方から振ってるわけじゃないよ。向こうから別れようって言われたこともあるし…、まあ、過去は関係ないから。常に未来に目を向けて、お互いこれからいつかはそうなるかも。と思ってる方が楽しいだろ?」
そんなことある?
「そうかなぁ…。うーん」
いい加減この話題に飽き始め、絵の方に意識が向いて相槌が適当になりかけるわたし。それぞればらばらな方向を向いて作業に没頭しているわたしたちの様子をしばし傍らで見守ってから、長谷川くんは肩をすくめてぽつりと短く突っ込んだ。
「いや、それで楽しくなれるのも。多分お前の方だけだと思うよ…。今こうしてる二人の感じ見てると、どうやら。さ」
途中でそんな横槍が入りつつも着々と、わたしが手がける3号サイズのキャンバスは順調に完成に近づきつつあった。
名越くんは律儀にわたしが美術室で作業するときは付き合ってくれるが、その間自分はスケッチに集中していてなるべくわたしの描きかけの絵には目を向けないよう気をつけている様子だった。
「別に、見てもいいよ。途中で見られるとやる気なくなるっていうほど繊細でもないから。それにどうせ見るじゃん、あと少しで完成なんだし」
取り掛かった最初の頃ならあんまりじろじろ見ないようにする配慮もわかるけど。もうここまで来たら目を逸らしてまで視界に入らないよう気を配る意味もわからん、と思って率直にそう言うと彼はにこやかに、だけど頑として首を横に振った。
「いや、あと少しだからこそ。それは楽しみに取っとく。ここまで我慢したんだから、新鮮な初見の感動を台無しにしたくないし」
えー…。
「そこまで期待されても…。特に斬新な絵を描こうと意図してたわけでもないから…」
いざ目にしたらなぁんだ普通じゃん。とか言ってがっかりされてもなぁ…とちょっと怯む。いくら何でも夢見すぎだろ。
わたしが引いたのを見ても彼は一向にへこたれない。
「大丈夫大丈夫、特別に新奇なものを求めてはいないよ。いつもの笹谷さんっぽい絵でいいんだ。けどキャンバスに描いたのは今回が初めてでしょ?それを自分が誰よりも先に最初に見られると思うとね、それだけでもう。わくわくしてくるよ…」
せっせとスケッチする手を動かしながらうきうきと声を弾まされても。やっぱり、期待過剰じゃないかなぁ。
そもそも、『いつもの』って言うほどわたしの絵を何処で見たんだか。同じ中学でもないので美術の時間や部活で描いたのを廊下に貼られたときに見たこともないだろうし。
以前からそんな仄めかしがちょいちょいあったから微妙に気にはなってて、何回かそれとなく機会を見つけて尋ねてみたけどそのたびはぐらかされるだけだった。
もちろんあのポスター一枚だけを見て、それを基にして全てを知ってるみたいに過大に言ってるだけかもしれないけど。そうだとしてもやっぱり薄気味悪い。
だけどまあ、そんなちぐはぐな付き合いもそろそろ終わりだ。
この絵が完成してしまえばもう放課後一緒に行動することもない。絵を描く、という趣味以外に二人に共通するものも何もないし。
最初は不意打ちで否応なくキャンバスを押し付けられて何だよ、と不服に思ってむくれたけど。こうして一カ月ほどの間完成するまで責任持って付き合ってくれたことはありがたいと思うし、結果的にこれまで経験がなかった油絵を手がけるきっかけを作ってくれたのには素直に感謝してる。
絶対に面倒だし上手く扱えないだろうからわたしはいいや。と頭から決めつけて固定観念で遠ざけてたけど、そこまで使いづらい画材じゃないことはわかった。
大きなキャンバスは無理かもだけど、小さいサイズならわたしも家で手がけられそう。思ってたよりこれ、いろんな表現できそうで汎用性あるな。と感じたから、もしかしたらこの先また油彩で描こうかなって気になることもあるかも。
結局あのあとやっぱり美術部に入らない?と重ねて誘われることもなかったから、部員にはならないまま終わりそうだけど。ちょっとした体験入部としては実りある有意義なものだったと思う。
あと一回か、仕上げを丁寧にすれば二回通えば終わるかな。というある日、放課後にうちの教室に顔を出した名越くんがわたしを呼んで告げた。
「悪い、ちょっと遅れそう。先に美術室行って進めてて」
「別に。少しなら待つけど」
深く考えもなくそう言ってから、背中にちらちらと当たるいくつかの視線を感じて肩をすくめた。
こんな言い方だと、絵を描くために美術室に通ってるんじゃなくてこの人と一緒にいることが目的だと誤解されるかも。単に自分のホームじゃない場所に一人で入ってくのが億劫なのと、そこまでめちゃくちゃ時間を惜しんで打ち込んではいない。ってだけの理由でしかないんだが。
多分うちのクラスの人たちはみんな、わたしがこのところずっと名越くんに誘われて美術部に通ってることは知ってると思うし。それが恋愛絡みの特別な関係じゃないことは承知してるはず。
それでも何となく納得しかねてるのか、未だに物言いたげにじっとこっちを伺ってる視線を感じることがなくもないので。余計な憶測を呼ぶような言動はなるべく控えるに越したことはない。
そう省みてるところに、何も考えてない様子の名越くんがけろっと笑って言った。
「大丈夫だよ、笹谷さん一人で先行ってても。うちの部のやつ絶対何も言わないから。もう君の存在にみんな、慣れてるっしょ?少なくとも普段顔出すやつらはさ…。軽音部のハロウィンライブあるんだけどやっぱり助っ人頼まれちゃって。選曲だけちょっと、相談があるんだよ。俺は別に何でもいいんだけど、すぐ決まるかどうかわかんないからさ…」
あんまり揉めて時間かかるようなら抜けてくるから。と軽い調子で付け足され、仕方なく頷いた。
「へえ、ハロウィンライブあるんだ。今度こそ聴きに行こうっと。笹谷、彼にこそっと確かめといてよ。日時とか場所とか、どうやってチケット手に入れたらいいのかとかさ。何なら伝手で押さえといてもらえない?」
彼が立ち去ったあと、後ろで聞き耳を立てていたクラ子にぐいぐいと食いつかれて閉口しながら教室をあとにした。
その日の美術室は案に反して結局誰もいなかった。
部外者が一人で勝手にやって来た、と他の部員に思われるかも…とか内心でちょっとびくついたりして損した。まあ、あとから誰か来るかもしれないけど。その頃には名越くんも合流してる可能性が高いし、そこまでびくびくするほどのことではない。
頑張ればもしかして今日中に終わるかも。と思ったら俄然やる気が湧いてきた。
イーゼルにキャンバスを載せて絵の具の支度に取り掛かる。あとここと、ここがもう少しだから。…使う絵の具はこれとこれ、と。
いざ筆をとって描き始めるとあっという間に没頭してしまう。
だから、背後の扉が開いて静かに人が近づいていることもまるで気がつかなかった。
「…ふーん。なるほど、ね」
大人の男性、だけどちょっと甲高く聴こえるタイプの声。うわ、誰⁈となり、筆を手にしたままばっ、と上体を捻って振り向いた。…変な風に首筋痛めた、かも…。
思わずいたた、と呟いて首を回すわたしに、背後からやってきたその人はつかつかと近づき遠慮ない評価の嵐を浴びせかけた。
「やりたいことはわかる。センスはいい。色合い、タッチ。何と言っても絵作りに独特の雰囲気がある。…そういう意味では見どころがあると言える。しかし我流にもほどがあるね。今のまま、この状態のままで将来的に絵の道に進めると考えてたらさすがに甘いよ、甘々だ」
「はあ」
そんなこと誰も。ひと言も言ってないんですけど…。
痛めかけた首筋を何とか宥めて顔をその人の方へと向ける。学校の中でこれだけ堂々としてられる大人って考えたらこの人は美術室の関係者。普通に考えたら美術部の顧問か指導者、あとはOBだ。
勝手にここに入り込んで部外者が部室を使ってると思われるかな。ちゃんと名越くんの名前を出して弁明しなきゃと急いで口を開きかけたけど、先方のきびきびとした問いかけに先を越されてタイミングを失ってしまった。
「…見たところ、君が1年の新入部員ってわけか。2組の笹谷さん、だっけ?それなりの才能はあると思うよ、見たところ。けど、それだけで本格的にやってけると考えてるなら。そう簡単じゃないってことは承知しておかないと…。どうやらこの分じゃ。きちんとしたデッサンの勉強したことないだろ、君って?」
《第4章に続く》
なんか嫌味そうな先生出てきましたね。まあでも、基本いじめとか深刻な対立みたいなフラストレーション溜まる展開は多分出てきません。普通に学校通ってるとこういうのあるよな、くらいのちょっとしたとげとげとか。なんか気の合わない人ってときどき遭遇するよねくらいの葛藤しか出てこないかも。現実基盤の話なので…。
ですから主人公が画力で世界中全ての人を魅了して制覇する、みたいな極端な超展開にもならないかな。それでもこんなこと実際にはあり得ねーよ!って人によっては憤慨する、そんなぎりぎりを狙っていこうと思います。よろしく。




