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第22章 たたかう絵描き、学祭に参加する。

東京に戻ってきて、名越のパート。大学の学祭、楽しいですよね。忙しくて大変だけど…。それにしてもこの人たち、いつもなんか作って食ってるな。書きながらあー鯵フライ揚げたて食べたい、となったわ。


夏休み明け、わたしの東京での学生生活は特にさほど変化なし…と言いたいところだけど。意外に細やかな動きがいくつかはあった。

もっとも初めはあえて言うほどでもない小さなことがきっかけになり、それが少しずつ次の展開を呼んでいく感じ。最初のきっかけは結局、例のコンクールに応募したことになるのかな。

それまでT美のミス研の方では、わたしは特に絵を描く人としては認識されていなかった。

名越とは高校の美術部からの付き合いで、地元では美術予備校にも一緒に通ってた。って話は特に隠してたわけじゃなく、どういう繋がりか訊かれれば普通に答えてはいたんだが。

それでも最終的に美大への進学を諦めたんだから腕前はそれほど大したものじゃないだろう。と思われていたみたいで(まあ、事実そうなんだけど)、笹谷ちゃんはどういう絵を描くの?とか他の部員から尋ねられることもなかった。

関心持たれないのは無理ない。受験前に離脱したってことは美術の分野じゃ戦えなかったからだろうと普通判断するだろうしね。それはそうかも…と本人としても内心思うし。

だから、美大に憧れててやや心残りはあるのでわざわざT美に通う同級生にねじ込んでそこのサークルに入れてもらった、ちょっと美大生気分を味わってる人。くらいの感覚でそれまで見られていたのかも。さすがにそんなこと直接わたしに言ってくるほど失礼な部員もいなかったから、割と平和に和気藹々と交流できてたけど。

腕に覚えがあるならもっと美術関係の話題を振ってくるだろうに、徹底してミステリ絡みの話しかしないのはもう描くのをやめたからのなんだろう。とうっすら思われてた節がある。それがコンクール会場の搬入でたまたま出会ったあの来栖先輩の証言で、ちょっと風向きが変わった感じ。

「笹谷ちゃん。夏にあの、◇◇展にエントリーしてたんだって?」

来栖さんから聞いたよ、結構本格的な作品だったらしいじゃん。とミス研の二年の男の先輩に声をかけられた。え、何なにそれ。何の話?と部室に居合わせた三年の女子の先輩も初耳!といった顔つきでテーブル越しに身を乗り出す。

今日は車で一緒にこっちのキャンパスにやって来たあと、ちょっと今から俺教授に用事あるから。ここで待ってて、終わったら合流するよと言い残して名越は部室の前でわたしと別れて去っていった。

一人でサークルに顔出すのに気後れするってことも今はほぼないので、とりあえず部室に入って既にそこにいた先輩方と雑談してたらふと思い出したようにそんな話に。

話を切り出した中丸さんという二年の先輩は、いかにも東京の美大生といった感じの、カジュアルシティーボーイ感すごい人。めっちゃお洒落してるっていうより、生まれたときから東京の水に馴染んでます。っていうナチュラルで気負わない感じが都会者…って印象(あとで知ったけど、彼は千葉の木更津出身で今どき風呂無しワンルームに住んでるサバイバル下宿生だった。東京の人、まじ見た目で判断できねぇ…)。

「俺もさ、指導教官にもしやる気があるならエントリーしてみれば?って言われてたんだけど。前期の課題提出に思ったより時間かかっちゃって結局間に合わなかったんだよね。ね、どんな作品で応募したの?くるせんはあれで〇〇大の子の作品なんて詐欺。って言ってたけど」

「どういう作品だよ!それにしても来栖らしいな言い方。まじであいつ口悪りぃ」

そう相槌を打つ三年の先輩、神部さん(女子)も。来栖さんに負けず劣らず言葉遣いが個性的…。

二人はその話題ですっかり盛り上がって、ねぇエントリーしたやつ写真に撮ってないの?見せて見せて、とわたしに迫ってきた。まあ…、別に隠すほどのものでもないので。来栖先輩にはもうどうせ見られてしまったし。

「…へぇ」

「ほぅ」

スマホの写真フォルダを繰って(ちょっと前なのでだいぶスクロールする必要があった)当該作品を見つけ、表示して差し出すと二人はそう短く呟くなり一瞬黙り込んでしまった。

「なんか。…へえぇ。ああ、来栖の言うことわかるな。どこの大学かとかあんまり関係ないもんだね。ちょっと、美大生として沽券に関わるな。わたしも頑張ろ」

「え、いいじゃないすか張り合わなくても。てか俺結構これ好きだな。雰囲気あるよね。朝から晩までひたすら描き込んで、美術のことばっか考えてるやつの絵とは。なんか、違うけど」

中丸先輩が付け足した言葉に思うところあり、わたしは思わず肩を縮めた。

「すいません、やっぱり。時間を見つけては合間にちょびちょびマイペースに描いてるだけの人間なので…」

そりゃ大学で受けてる授業や指導自体が全て美術関連の人たちと較べられたら。こっちは通常の学業もあるし…と思う反面、そんな身の上で一応同列に戦おうとするならいろいろ言われても仕方ないかな。という感想。

わたしがあまりに恐縮した様子に見えたのか、中丸先輩はやや焦って違う違う、そうじゃなくて。と手をばたばた振ってこちらの思い込みを否定してみせた。

「別に下手とか描き慣れないって意味で言ってないよ。そうじゃなくてさ…。俺たち、まじで朝から晩まで一日中美術のことばっかだから。作品のテーマ決めたり表現考えるとき、あんまり突き詰め過ぎて捻りすぎなのかなって」

しょうがないんだよねぇ、テーマをもっと深掘りしろ!表現方法や技法はそれでいいのか、それしかないのかって考え抜け!ってめちゃくちゃ詰められるもんな。だから考え過ぎるほど考える習慣ついてるけど…とやや上目遣いになり遠い目をする。

「こう…、頭の中のイメージをぱっと取り出してどんとお出しする。この作品を通して自分が本当に言いたいことは、なんていちいち考えずにただひたすら描きたいものを描く。っていう気持ちよさに溢れてるなぁ。って思って」

ただ心の赴くままに描いてる絵って、本来こういう感じだよなぁ。と感に堪えない、とばかりに呟いてわたしのスマホをつくづくと眺めている。

「…ありがとうございます」

そうか、一応褒めてくれてるのか。なんか微妙な気持ちだけど、まあお世辞とか悪気じゃないのはわかるのでとりあえずお礼は述べておく。てか、まだスマホの写真じっと見つめてるし。

「…今年の入選作どんなだっけ?検索すれば見れるかな」

「さあ。大賞はネットに挙げられるけど、毎年。てか来栖のも入賞したんだっけ。あれ、国立美術館で展示してもらえるんだよね。まじでうらやま」

わたしのスマホをこちらに戻して寄越し、二人とも気になったのか◇◇展の入選作を自分のスマホでそれぞれ検索して確かめてる。そういえばどんなだったっけな、大賞作品。

落選した身なんだからちゃんと来年以降の参考にするために確かめとけよ。とセルフ突っ込みを入れるわたし。いやそうなんだけどね、あー落ちた!ってなった途端気がすぽんと抜けちゃって…。

「あ。…ふぅん、こういう感じかあ。ま、わかるっちゃわかる」

「さすが、巧いよね。うんでも、やっぱめちゃくちゃ個性的かというと…。癖ある作品はこういうの不利なのかな。しょうがないけどね」

審査員が個別に選ぶ賞は割と自由な作風に見えるよ、などと言い合いつつさらに検索してる。先輩方はひとしきり盛り上がったあと、なるほどねぇ。と感に堪えないように口々に呟いた。

「…変な話だけど。笹谷ちゃんのこの絵、何かの拍子にここに載っててもレベル的にはそんなおかしくないよな。くるせんの言ってることわかるよ、俺」

「結局美大も芸大も受けはしなかったんだっけ?まあ、〇〇大って付け焼き刃で受かる大学ではないもんね…。勿体ないね、これで一般大学は。いや普通に考えたら。そっちの方が将来的には全然潰し利くか…」

そんなこともないですよ、このご時世だし。そもそもわたしなんか文学部だから…ともごもご遠慮がちに言い訳してその場の会話は終わった。

たったそれだけのことだったけど。いつの間にか自然とそんなやり取りが部内に伝わったのか、わたしは一応描き手側の人間としてサークルの人たちに受け入れられるようになっていったのだ。

「…笹谷さんさぁ。今度の学祭でうちのミス研でも機関誌を出すんだけど。その話は聞いてる?」

そのときはいなかった別の三年の女子の先輩に別の日、個別に話しかけられた。

「あ、はい。…書評のコーナーをもらいました。『わたしの選ぶオールタイムベスト3』っていう…」

一年の分際で(しかも外部の学生なのに)ちゃんと記事書かせてもらえると思わなかった。小さなコーナーだし、ほんの片隅に載るだけだけど。仲間に入れたみたいで結構嬉しい。

だけど、その先輩が次に口にした提案はそれどころじゃなかった。

「うん、原稿もよろしくだけど。笹谷さんって実は結構描ける人なんでしょ、神部から聞いたよ」

こないだ部室で◇◇展の話が出た、あのときに居合わせた三年の先輩か。それが何なんだろう、学祭と何か関係あるのかな?とちょっとだけ警戒しつつわたしは用心深く答えた。

「ええまあ、ほぼ趣味ですけど。今も画塾でバイトして、そこの先生に個人的に教わってはいます」

「全然現役じゃん。そしたらさぁ、全部とは言わないんだけど。冊子に載せるイラスト、いくつか描いてみない?白黒の線画でいいよ。印刷どうせ単色刷りだから」

お金ないんで、カラーは表紙だけね。と何でもないように平然と言われたけど。こっちはいきなり振られた仕事の意外さに一瞬頭がフリーズした。え、ちょっと待って。

ここはT美のサークルだよね?ミス研が〇〇大だったっけ。いやそんなはずない、落ち着け。猫が〇〇大だ。

「え、でも。…わたし以外全員美大生なんだし。他に描く人いるでしょ、いくらでも」

「いやそうなんだけどさ。みんなそれぞれ作品の展示もあるんだよね、うちの学祭ってさ」

聞けばサークルの展示や出店とは別に、彼ら学生の本業たる部門での発表が一大目玉であるらしい。考えてみればそりゃそうだよね、外部の人間からしたら。

わざわざ美大の学祭に足を運ぶんならそこの学生の作品を観たいもん。屋台の焼きそば食べたりミニゲームで遊んだりとかなら、普通の大学の学園祭と同じだもんね。

「うん、卒業生だけじゃなく有名なアーティストや美術評論家も観に来るから。学祭の展示ってみんな気合い入れるんだよね。で、正直この分じゃ機関誌の挿画まではなかなか手が回らないかなと」

機関誌制作の責任者であるその先輩はちょっとだるそうに首を傾けてこきこき、と鳴らした。

「文章は書きたいんだよね皆。エッセイとか書評とか、SSとか。だってミス研だからさ、それは学祭の醍醐味じゃん。でもただでさえ展示でいっぱいいっぱいなのに、この上絵描くのか…って反応が多くってさ」

「…なんか、好きなことを仕事にしたら。途端にオフにまでやりたくなくなっちゃう人みたいですね。音楽とか漫画とか」

趣味系の仕事あるあるかも。その点好きなミステリについて解説したりオマージュしたりは日頃のタスクと関係なくて義務感ゼロだし、ここでしか発表する機会もないから俄然やる気が出るわけだ。まあ、わからないこともない。

先輩も、自分も細々したもの今描く気になれなかったりするから。他人のこと言えないんだよねぇ…と肩をすくめてぶっちゃけ同意した。

「みんな気が進まないのに無理に描けとも言えないから仕方ない、表紙以外は文章だけで真っ黒な冊子でもいいやと思ってたんだけどね。笹谷ちゃん、今仕上げなきゃいけない切羽詰まった締め切りのある絵とかないでしょ。勉強の息抜きにさらさらっと、なんか適当に穴埋めで描かない?」

「それはまあ。全然大丈夫ですけど、出来のレベルをどうこう問わなければ」

絶対この人たちの方が巧いだろ。特にわたし、普段イラストとかあんまり描かないし…と考えてふと疑問を抱く。

「中村さん(今話してるこの先輩の名前)は人伝てで話聞いてだから、わたしの絵を見てないでしょうけど。あの、普通に油絵か水彩か鉛筆デッサンですよ?わたし。デジタルじゃなくて全部手描きだし。萌え絵的なイラストとか描いたことない…」

これまで必要になったことなかったから、全然手がけようと思いつきもしなかった。彼女はまあまあ。とそんなの問題とも思ってない様子であっさりわたしの懸念を流す。

「そういうのは求めてない。うちは漫研じゃないし、萌え系の絵はそもそもあんまり内容にそぐわないから。雰囲気出してくれてちょっと小洒落た感じなら尚いいかな。人物画じゃなくても大丈夫だし、好きなように描いてよ」

適当にいくつか描いてみて、今度持ってきて。デジタルならやり取り楽だけど慣れてないなら現物でいいよ、こっちでスキャナで取り込むから。と言われて尚さら退路を絶たれた。

まあ、いいんだけど。本当に駄目な仕上がりならちゃんと向こうで没にしてくれるだろう。そもそもイラスト無しの文章で真っ黒な冊子にするつもりだったみたいだし、絵がなきゃないで成立するはずだ。

「いいじゃん、機関誌のイラスト。あんたの絵柄なら雰囲気あるし、クールでミステリアスで。いい感じにミス研っぽくなると思うよ」

案の定あとでその話を聞いた名越にはしゃがれた。わたしは無表情に肩をすくめ、帰りに立ち寄った名越の部屋で一緒に夕飯の支度をしながら素っ気ない口調で受け応える。

「描くのは構わないんだ、クオリティを求められなければ。でもうちの大学もほぼ同時期に学祭なんだよね。そっちでも実は仕事があってさ」

「え、そうなんだ。てか猫又、学祭で何すんの。猫カフェ?」

だったらめちゃめちゃ人気出そう。保護猫カフェとか、とうきうき想像しつつチキンライスの具をじゃっじゃっと炒める名越。今日のメニューは卵をたっぷり使ったオムライスだ。

わたしはすっかり慣れた他人んちの冷蔵庫からなんのためらいもなく卵をごっそり出して、調理台の上に並べながら素っ気なく答えた。

「うちの子たちは地域猫だから。その手の接客は無理だってば。そもそも保護してないし、地域で生きるなら過剰な人馴れはNGでしょ。警戒して寄りつかないくらいが身を守るためにちょうどいいの」

「そうかな。いつ見てもあんた、猫に乗られてるけど。膝とか背中とか」

「う。…いつもではない。たまたまでしょ」

これまでに三回くらいだよ。ちょうどあんたが居合わせたときばっかりだから、印象に残ってるんだろうけど。

「もうわたしたち、餌くれる人として認識されちゃってるから。通りすがりの見知らぬ人とは対応が違っても仕方ない。あとは、まあちょうどいいんでしょサイズが。背中とか膝の高さが」

「ああ。…小柄だから、全体に」

そのときの情景を思い出してるのか、やけに目許を緩めて微笑ましげな表情になる名越。ふん、ほっとけ。

「猫とあんた、なかなか眼福な光景だったよ。写真撮っとけばよかったなぁ。…えーと、だとすると。結局猫又何すんの?譲渡会?」

「今保護猫いないから。でもうちの活動内容上、常にカンパは必要だからね。だからブースにきゃわいい猫写真いっぱい貼って、活動内容を広報して。スポンサーやシンパを集めるってわけ」

ついでに猫型クッキーを大量に焼いて売る。それも資金になるから馬鹿にならない。わたしに与えられた任務は少しでも多くの客を呼び込むためのポスターとフライヤーのデザインだ。

「へえ、いいじゃん。なんか懐かしいな。俺が初めて知ったあんたの作品って、そういえばポスターと立て看だったもんね。団地の夜祭りのやつ」

「ああ。そんなのあったな…」

ポスターは銀杏と紅葉のやつね。あれを駅前の掲示板から剥がして回収してるときにいきなり声かけられてねだられたのが最初だったような。

あのときはまじで見知らぬ男がわけわからないこと言ってきた、これ絶対やべーやつじゃんと心底どん引きしたけど。気づけばほんの三年後にはこうしてそいつの家に入り浸って一緒にご飯作って食べてるの、展開がおかしくないか?一体何がどうしてこうなったんだか、我ながら成り行きがよくわからない。

「俺もそっちの学祭手伝うよ。クッキーまとめて焼くんならここのキッチン使えばいいし。それにしても、これからその手のイラストの依頼増える可能性あるな。笹谷、やっぱりタブレット使ってデジタルで描くやり方一応覚えといた方がいいんじゃないの?」

金持ちは気軽に言うなぁ。

わたしはこんこん、と調理台の平らなところに卵を慎重に打ちつけ、ボウルにぱか。と中身を落としつつ淡々と言い返した。

「そんなお金ない。パソコンとスマホで何でも済ませてるけど、普通のノートパソコンで2in1じゃないやつだから…。そのために別に液タブ買うほど余裕ないよ。あんなちっさいスマホでちまちま描くのは性に合わないし」

名越は炊飯器から炊き立てのご飯を釜ごと取り出し、炒めた具の上にざん。と一気にぶちまけて火を止めてから、がしがしと力強く混ぜつつこともなげに笑った。

「何だそんなの。俺の貸してあげるよ、今度。使い慣れると便利な面もあるよやっぱ。スケッチブックや画材いつでも持ち歩く必要ないし。ぱぱっと描いてさっと他人に送るのも簡単だし、描いたもの溜まりすぎて処分する必要もないし…」

もっともあんたの要らなくなった使用済みスケッチブックは全部俺が引き取るから。最後のはあんま意味ないけどね、と付け加えるやつの謎論理には今更突っ込む気にもなれない。

「うーん…、わたしはやっぱり紙と鉛筆の方がしっくり来るかな。よほどこういう依頼が増えればだけど、まあ今回だけでしょ。冊子の挿画なんてさ」

じゃっじゃっ、と豪快にチキンライスを炒める名越を横目にボウルの中の卵にちょっと牛乳を足して、菜箸でかき回し白身を切るわたし。

「いや、ポスターだってデジタルなら絶対その方が便利だよ。彩色も慣れたら楽だし、修正も簡単だしね。単色イラストはともかく、ポスターは今後も絶対話来そうじゃない?来年も再来年も頼まれる可能性あるよ、猫又の方は描ける人必ずしもそんなにいないでしょ」

今すぐ使うかどうかじゃなく、必要になったときに慌てないように少しずつでも慣れておくべき。と断定してフライパンの中のご飯をちゃっちゃとまとめ、二つ並んだ皿に均等に盛る。

「ちょっと、あんたの方を多めにしてよ。身体の大きさ違うんだから。ちゃんと量に差をつけて」

「えーこのくらい食べれるでしょ。笹谷、ちっこくてほっそくて頼りないんだから。もうちょい福々しくなってもいいのに…」

でぶ専かよお前。絶対やだ、痩せたいとは言わないがせめて今くらいで維持したい。

渋々片方の皿からもう片方にチキンライスを余計に移動させ、量の差をつける名越。わたしはコンロの前に進み出てまだ真新しいテフロン製のフライパンを置き、かちかちと音を鳴らして火を点けた。

「まあ。…そうね、全くトライアルもなしで従来のやり方に頑として固執するんじゃまるで老害だな。試すだけなら試しておいた方がいいかも。そしたら、今度名越が使ってるやつちょっとだけ貸してみてよ」

わたしが前向きになったと見て取り、名越は実に嬉しそうにいとも簡単に請け負った。

「了解了解。大丈夫、何だってあんたの絵にとって利がありそうなものはどんどん取り込んでいこうよ。イラストだってポスターだって、人目につきやすいもの頑張って請け負ってればいずれ自分に還ってくるから…。まあでも、やっぱり本分は油画だなってなったら遠慮なくそっちを優先させればいい。選択肢は多ければ多いほどいいじゃん?」

そうすれば笹谷の絵が大勢の間に触れる機会がさらに増えるからね!と上機嫌で、チキンライス大盛りと中盛りの皿を並べる。わたしは肩をすくめて素っ気なくいつものその台詞をいなし、熱したフライパンの上にボウルを掲げた。

「まあ。やるだけやってはみるけど、それで仕事が増えるとか人気爆発するとか。そういう期待はしないでよ。上達難しいようならすぐ諦めるからさ」

名越は軽い調子で平気へいき。と受け流して笑う。

「俺も笹谷の良さはキャンバスとか画用紙でこそ映えるとは思ってるから。だけど慣れれば今回みたいな依頼をこなすのには役に立つと思うよ。あんたは意外と柔軟で応用が効くとこあるから、試してみて損はないんじゃない?」

まあ。言う方は気楽だよね。

と思いつつ、いきなりタプレット買ってやっぱり難しくて無理だった。となるよりは名越が貸してくれたので試せるならまあ、いいかな。とちょっと気が楽になる。

何だかんだ言ってこいつのおかげで助かってる部分が半端なくあるからな。ほとんど返せてるとは思えないから、せめてこの卵を精一杯ふわふわに焼くか。と慎重に目分量でちょっと多めの卵液をフライパンに流し込むと、一瞬じゅっと大きな音がして卵の焼けるいい匂いがふわりとキッチン中に広がった。


とはいえすぐにそんな道具が使いこなせると思うほど、自分の器用さを過信してはいない。わたしは部屋に戻るなり手早くさっさとペンでいくつかの『ミステリっぽい雰囲気』のイラストを仕上げ、写真に撮って大体こんな感じでどうですか?と試しに中村さん宛てにDMを送ってみた。

方向性がこれでいいかどうか、それを尋ねてみたかっただけなんだけど。思ったより素早く返信が返ってきて、OK。とあるその先に続いたメッセージに、わたしは自分の目を疑った。

『絵柄的に結構いい感じだから よかったら表紙もこの雰囲気でお願いしてもいい?カラーになるけど』

いいも悪いもなく、てきぱきと矢継ぎ早にメッセージが送られてくる。

『まだ日程的に間があるので締切はゆとりがあります 好きなように自由に描いてOK 参考までに去年とその前の年の表紙の写真送るね 全然参考にしなくても無問題』

このお礼は必ずするからさ!と明るい調子で付け足され、二学年も上の先輩に対して抗弁する術もなく…。

幸い締切までの日数は充分あったので、いい機会だからデジタル練習しよう。と一念発起して名越のところに機器を借りに行く。

やつはどうしてかわたしのその動きを予測していたみたいで全く慌てなかった。ちゃんと用意しといたよ、といそいそと取り出してきた小型のタブレットがどう見てもぴかぴかの新品。

「いやこれ。…まさか、このためにわざわざ買ったんじゃないよね?いつまでに返せばいい?」

確認のために尋ねてみると、やつは本気でごまかす気があるのかないのか。あっけらかんとして答える。

「全然いつでもいいよ。俺は今、使う予定ないから。気が済むまで使ってて。何なら減価償却するまでそっちで預かっててくれれば」

「いやいや、…そういうわけには。いかんでしょ…」

パスコードは自分で設定してね。と当たり前のように軽く言われたけど、それってやっぱりあんた使ってないってことじゃん、これまでに。

と思って急いで中身をすると、やはり危惧した通り何の履歴もないし使用された痕跡がない。ふと思い当たって設定を開いてみると。…う。

「ちょっと、何でここは早くも勝手に設定されてるの。デバイス名が『sasarleyのiPad』って…」

いやわたしのじゃん!このために買ったんじゃない、もともとあったものだって。…完全に嘘だろ。

動かぬ証拠を突きつけても、やつのしれっとした態度は微塵も揺らがない。

「書き換えたんだよ、あんたが使うと決まってから。デバイスの名前変えるなんていつでも出来るし簡単だよ?余計なデータも要らないだろうから俺のパソコンに移しただけ。真新しく見えるのはほとんど使ってないからね。ちょっといじってみたけど、あんまりこれじゃなきゃいけない用事なくてさ」

だから、買ってちょっとだけ触って放ってあったものだから。全然遠慮しないで好きなように使っていいよ、どうせ遊んでたやつだし。と平然と説明されると。

ある程度筋が成立してて目立つ矛盾点がないので、いや絶対嘘じゃん。適当に言い抜けてるだけじゃん…とそれ以上指摘し続けても。どうやらここから尻尾を出しそうな気配が感じられない。

わたしは結局根負けして、そこら辺で一旦追及を諦めることにした。

「…じゃあいいよ、わかった。とりあえず今、あんたがこれ使ってないならしばらく預からせてもらって試すよ。それでもし、ある程度使いこなすところまでいけたら。…頑張って少しずつお金貯めて、いつかこれ自分で買い取るわ。わたししか使ってないもんにあんたのお金使わせるわけには」

毎月数千円ずつでも貯めていけば何年かかかったとしても何とかなるでしょ。と目算を立てるわたしに横から無情な突っ込み。

「別にいいよそんなん。だって、笹谷がそれの代金払えるくらいお金貯めた頃には。絶対減価償却しきってデバイス本体は査定値ゼロになってると思う…」

ふん。悪かったね。

最近洋食が続いたから魚買ってきたよ!笹谷はカルシウムいっぱい摂らないと、細っこくてぽっきり折れちゃいそうだからね。とわけのわからない理屈でその日は鯵を仕入れてきた名越。いやまためんどくさいもんを。買ってきてもらっといて何だけど。

「東京は魚高いんだよね…。なかなか自分で買う気にはなれないからまあ、ありがたいか。でもあんた、魚下ろせる?」

何でも出来る男だからちょっと期待して尋ねたけど。さすがにやつはにべもなくあっさり首を横に振ってみせた。まあ、さほど本気で当てにしてはいなかったが。

「やったことない。ていうか、それって腹側開いて中身出して、塩振って焼けばいいもんじゃないの?何か問題ある?」

「まあそうなんだけど。鱗剥がしてぜいご取ったら…あれ、東京の鯵って鱗ないんだ。なんか不思議」

シンク中にきらきらの鱗が飛び散って大変なんだよね。だから、なきゃないで楽っちゃ楽でいいけど。

「せっかくだから鯵フライ食べたくない?ちょっと下ごしらえ面倒だけど…」

もうちょいよく切れる包丁が欲しかったな。と考えつつ四苦八苦して鯵を開くと名越のやつは失礼にもほどがある。というくらい大袈裟にびっくりしやがった。

「すごいね!笹谷魚捌けるんじゃん。また俺は、食べる方専門のどら娘かと」

「お前ほんとに失礼だな!普段からときどき作ってるだろ。まあ確かにオムレツは、達人まではまだだいぶ遠いかなとは。我ながら思わなくもない…」

正直魚の下ごしらえもやったことあるの、実家でせいぜい二回くらいなんだけどね。記憶を頼りに何とか頑張った。これも揚げたての鯵フライのため、日頃見せない根気を出していつもより頑張るわたし。

四尾あるうちの最初の二尾はちょい残念な出来。なけなしの学習能力を発揮して、後半の二尾は我ながらまあまあな完成度だ。

ペーパーで水気を取って塩胡椒を振り、名越がそれに衣をつける。その間にわたしが油を用意して加熱し、手分けして作った揚げたての鯵フライ、何とか完成。

豆腐とわかめで手早く味噌汁を作り、炊いてあったご飯をよそう。あとはわざわざサラダ作るの面倒だからキャベツをいっぱい刻んでプチトマト載せればいいよな、と言って冷蔵庫から野菜を取り出す名越。

適当に相槌を打ちながら揚がった鯵フライをそっと盛り付ける。名越の皿に我ながらよく出来た方を、自分の皿にはちょっと失敗気味で身が小さくなっちゃった方。

別に名越に気を遣ったわけじゃなく、料理をする人間として普通のことだと思う。出来のいい方を他人に、失敗作は自分に。そういうことしてるとこを他人にあんまり気づかれたくはないけど。

名越がざくざくと大胆に刻んだ粗めの刻みキャベツをフライの横に添え、ちょこんとプチトマトも載っけたら本日のメインディッシュの出来上がり。

「おお。…鯵フライまじ久しぶり。美味そう」

「ね。揚げたてって本当にいい匂い。じゃあ、さっさと食べよっか。遅くなっちゃうし」

今日は特に帰ってくるの遅くなっちゃったからね。と言いながらそれぞれの皿を手にしてダイニングテーブルへと移動する。

「ちゃんと寮の入り口まで送ってくから、時間遅くなっても大丈夫だよ。てか、何ならここに泊まってけばいいじゃん」

名越はことり、とテーブルに置いた皿を一瞥し、次いでわたしの前の皿と一瞬無言で見較べていたが何も言わなかった。席に着いておもむろに箸を手に取り、思い出したようにそう提案する。いやさすがにそれは。…なんか嫌、同棲みたいで。

「前に泊まり込んだことあったじゃん。今さらじゃない?」

「あれは仔猫の世話で交替で一晩中見守る必要あった頃だよ。わたしとあんただけじゃなく猫又の他の人たちもいたし、全然別の話でしょ。それに道一本挟んで向かいの建物なんだから。自分の部屋に帰った方が絶対気楽に眠れるわ」

そんなぁ今さら、俺たちの仲で。笹谷って水くさいというか、相変わらずつれないよね。などとふざけてるのか案外ちょっとは本気なのか、大真面目な表情でわざとがっかりしてみせる名越。

わたしはそれ以上やつには構わず、あーあ今からデジタル作画の練習か。ようやく油絵の具の扱いに慣れてきたと思ったタイミングでこれだよ、この世界ってなかなかもうこれで武器は充分揃った!あとはただひたすら同じものを極めるだけとはいかないんだよな。

次々と新しく習得しなきゃいけないものが湧いてきて、立ち止まってる暇なんかない。これじゃ時間がいくらあっても足りないなと、箸でぱりぱりの衣を割ってふわっと湯気が立つのを見つめながらちょっと気重な気分で明日からまた忙しくなるな。と密かに内心でため息をついた。


結構四苦八苦して時間もかかったが。ひと通りデジタルのやり方を最低限身につけて、ミス研の冊子の表紙のカラーは締切に間に合った。

それにかなりの時間を取られてしまったので、猫又の方の学祭ポスターとフライヤーは結局手作業でやっつけにぎりぎりの完成になってしまったけど。

短い時間で手早くぱっぱっと片付けたのに、やっぱり手描きでやった方が納得いく仕上がりになったのは悲しい。イラストはデジタルの方が断然楽だよねぇ、とか自信持って当たり前のように言えるような日がいつかは来るんだろうか…。

もうちょっと何とかなったんじゃないかなとやや悔いの残るミス研の表紙ではあったが。サークルの人たちは概ね好意的に評してくれた。

「え、これ笹谷ちゃんが描いたの?へぇー、そういえば美大受験途中まで考えてたって言ってたね。やっぱ素人の絵じゃないな。勿体ない、〇〇大って」

いや世間から見たら一般的に〇〇大は勿体なくないから!美大生の常識は日本の非常識!と周りから総突っ込みが入るまでがセット。

つまりはまあ、描けるやつだと思っていなかった割には案外やるね。というのと、自分たちが手が回らなかった部分を外部の人間が小器用にそれなりに請け負ってくれた。っていう事実に対する感謝で実際より良いめに見つもってくれたって感じの反応だ。

これがもし最初から美大の内側の人物のしたことだったら、まあまあ普通の仕事と思われたんじゃないかな。

子どもなのに予想よりいいもの作ってきた、とか初心者なのに初手から思った以上の結果出したとか。そもそも期待されてなかったからこその高評価、なんだと思う。

だけどその一方でちらほら、ちょっと予想外の反応もあった。

「ねぇ、もしかしてさ。…笹谷さんってこの、『sasarley』さん?」

T美のサークルの知り合い何人かにそうやってこそっと物陰で確認された。その手にしたスマホの画面には、今でも名越が勝手に運用してる例のアカウントのページが。

「あー…。まあ。それはそうとしてどうしてそんなの、一体どこから見つけてきたの?」

そうだよ。と即認めるよりも先にどうしてそこにわたしとの繋がりを見出したのか、そんなマイナーな描き手のアカウントに引っかかったきっかけは何だったのかが気になる。

質問に反問で答えるみたいな形になったが、わたしにそれを尋ねてきたミス研の一年生はけろっと悪びれず素直に答えてくれた。

「いや、俺じゃないんだけど。なんか前々からこの作者をフォローしてたってやつがクラスの知り合いにいて。ミス研の冊子学祭で見たけど、あれって自分の知ってる描き手だと思うんだけど。T美の人だったとは知らなかった。何科の何年生?ってめちゃくちゃ気にしててさあ」

それで見せられたアカウントがこれ。と言って、芯から見覚えのある絵を次々に開いて見せてくる。

思ってもみないタイミングで、出てくるはずのない自分の作品が眼前に突きつけられるこの感覚。…想像以上に何とも言えない、お尻がむずむずする感じだ。

「そいつ、かなりこの人の絵のファンみたいでついでにめっちゃ布教されてさ。でも確かになんか雰囲気似てるよね。結構題材もタッチも違うのに、なんかこれ、同一作者じゃん?って言われたら。確かにそう見えてくるから…」

実はこれ一回だけでなく、このあとも何人かにちらほら同じようなことを言われた。

sasarleyって、もしかしてササタニナオリで略してササリィ?何でだろ全然気づかなかったよー、本名ほとんど隠してないじゃんね?とか、この表紙の絵もせっかくだからアップしたら?もうT美の学生でわかる人にはわかっちゃったと思うし、大っぴらにしても大丈夫じゃない?とか。

そもそも特にめっちゃ目立つ活動したり派手に宣伝して回ってるわけでもないのに(多分。名越が普段どういう運営をしてるかは実は全くチェックしていないので、もしかしたら陰で度肝を抜くほど奇天烈な活動を繰り広げているのかもしれぬ)、まともな美大生の人たちがほんの数人とはいえ、あんな素人絵描きのマイナーアカウント知ってること自体が驚きだ。

「いや、普通にこれ美大の学生のアカウントだと思ってたよ。どこの大学かな?とは思ってたけど。なんか、見た感じ春頃にギャラリーで個展やったみたいじゃん。それがどうやら●●地方らしかったから、O芸大の子かね?ってみんなで言い合ってたんだけどね。そういえば、笹谷ちゃんって向こうの出身なんじゃなかったっけ。確かナゴと同郷なんだよね?」

「はあ。…まあ、高校一緒ですから」

ぼそぼそと気まずく答えながら、いかんこうやって否定しきれない情報が開示されていくうちに状況証拠が積み上げられていく。そもそも二人展のことまで既に知ってるのなら、その相方が名越だってこともちょっと調べればわかるはず。

だったらあいつといつもつるんでるわたしがsasarleyである、っていう動かぬ証拠まであと一歩だ。どんなにのらりくらりとやり過ごそうとしても、結局全て明らかになるまでは時間の問題だろう。

「えーいいじゃん。てかそもそも隠す必要とかなくない?何ではっきり言わないのさ、わたしがそのsasarley本人です!って」

派手派手リアル宇宙猫Tシャツを着用して、張り切って店頭に立ち猫型クッキーを売りながら呑気な声であっけらかんとわたしにそう言い放つ名越。

T美の学祭からほぼ間もなく、今日は〇〇大の学祭本番だ。ポスターとフライヤーだけでなく、結局クッキーのパッケージのラベルまでデザインする羽目になった。

一瞬もしかしてサークルTシャツとかもわたしがデザインしなきゃならんのか?と気が遠くなりかけたが。

下手にワンポイントと文字だけの小洒落たデザインにでもしようもんなら、このごった返すサークル蠱毒の中で目立つのは至難の業。という判断と、あとは世の中には実に多種多様、ありとあらゆる猫デザインの既製品が溢れてるという判断から。

皆それぞれが競ってなるべく奇抜な受け狙いの猫服を身につけて来る、というのが猫又の学祭での伝統らしい。むしろ市販のものの方がとんでもない、あり得ないデザインが存在する。っていうのは本当のことなんだとこのたび思い知った。

前も後ろも、全身べたべたとリアルな色とりどりの猫の顔がびっしり描き込まれたど派手なTシャツやピザに乗って宇宙遊泳する猫たちがカラフルにでかでかとに描かれたシャツ。被り物もなかなかのリアルさで正直ちょっと怖い。けど通りすがりの女子学生や高校生に大受けで、被り物や着ぐるみの人は頼まれて一緒に写真を撮ったりしてる。

もしもわたしがデザイン担当してたらさすがにあそこまでは振り切れないもんな。どうしてもちょっとお洒落に、クールでさり気なくしちゃうと思う。そう考えるとお祭りにはこれくらいで良かったのかも。

「はーい、どーぞどーぞ見てってくださーい。超可愛い猫写真に、猫型クッキーもあるよ!」

名越は他大学からのゲスト部員のくせに、堂々と前面に立って率先して呼び込みしながらクッキーを売り捌いてる。まあ考えてみればわたしも、T美でよそ者のくせに何故か冊子の表紙描いたんだから(しかも並いる本職を差し置いて)、どっちがより図々しいとも大胆とも言い切れないが。

やつの売り子の反応は上々で、女の子たちがやけにはにかみながら次々と入り口に吸い込まれていくのはそのど派手ネタ感丸出しの猫Tデザインが彼女らの警戒心を解いてくれるからなのか。それともただ単に本人の見た目と爽やかで羽のように軽いノリが若い女の子を惹きつけてるだけなのか。側で見てる感じとしてはどちらとも判断しかねる。

「笹谷、そのTシャツは『逃げ』だな。無難に可愛いデザインの選んじゃって…。そんなの普段も普通にどこにでも堂々と着て行けるだろ」

早速名越に目をつけられて突っ込まれた。そうは言うけどさ。

「いや、可愛すぎて普段は着れないでいたんだってばこれ。だってわたしのキャラ的に、こんなの似合うつもりでその辺歩いてたら。お寒くない?」

モ○サンドのめっちゃキュートな絵柄がばん!と胸の真ん中に描かれてる黒地のTシャツ。わあ、かっわいい!とテンション上がって後先考えず衝動買いしたはいいがはたと冷静になって、わたしこれどこに着て行けばいいの?部屋着?となって隠匿されていたものを。

これ以上ないどさくさ紛れにうってつけのチャンス!と嬉々として着用してきたのだが。他の猫又たちのノリノリの奇抜さに押されて、何だか落ち着いた地味目な人みたいになってる自分が悔しい。

名越はわたしの言い分が理解できない。とばかりにわざとらしくぐるんと目を回してみせた。

「え、普通にお洒落であんたに似合っちゃってるよそれ。可愛いもんが可愛いもの着てるだけの光景じゃん。色合いもシックでイラストも控えめだし、大人の女性が普通に街で着ること前提の商品じゃんそれ。てかそれが人前で着れないって。どんだけ自識過剰なんかって話」

よほど自分が大人っぽくクールで洗練されてると思ってるんだろうけど。普通にキュートなキャラデザ服着てて違和感ゼロな見た目だからな!ととどめを刺された。

そういう名越本人の今日のファッションは、巨大化したリアルタッチの縞猫が真顔で両手から発射したレーザービームを、逃げ惑うビーチの観光客にぴゅんぴゅんぴゅんと当ててる図柄のシャツだ。…まあ、正直全然似合ってないってこともない、なんたって何着てもそれなりに様になる程度には見栄えのする男だからね。

そう思うと一体こいつの見た目のどこを突っ込んでディスってやればいいんだ。何とか痛いところを突いて自分のポイントを取り返したい。と真剣に考え込んでいたわたしに、リアル猫そのものな(しかし巨大な)ふわふわの被り物を被った二年の先輩がつつと寄ってきて、横から声をかけてきた。

「ねえねえ、笹っちさぁ。まじで絵巧いんだね、びっくりしたよ今回のポスターで。藝大行けたのに家庭の事情で断念したんだってね?」

それは残念だったけど、まあ考えようによっちゃ絵は何処ででも描けるもんね?と話しかけてきたその人は一学年上の男子、とは思えないほど若見えする小柄で童顔の落合さんという人だ。もっとも今日はその小造りで若々しい顔立ちも、巨大な虎猫の被り物に覆われてて一瞥できない状態だが。

「いえそんな。藝大はさすがに。…絶対行けなかったですよ、普通に受けたとしても…」

そんな簡単な大学じゃないんです。と説明しかけたわたしに、そんなことお構いなしに全くこっちの話も聞かず矢継ぎ早にまくし立ててくる落合先輩。

「でも今でも描き続けてるのは本当なんでしょ?ね、やっぱり将来的に画家とか目指してるの?これだけ巧かったらそりゃ、目指したくなるよねぇ。Xのアカウントもフォロワー数すごいもんね!」

「え。…あの、それは」

唐突に出てきたXのアカウントとは。と話の転換についていけず周り白黒させるわたし。

てか、わたしは個人的にXのアカウントは持っていない。心当たりがあるとすればひとつ。…そもそも絵の話題から飛び出してきた件だし、これはどう考えても。

「え、何なに。笹谷ちゃんのフォロワーすごいの?もしかしてインフルエンサー?」

「そうなんだよ。俺もついフォローしちゃった。見てよ、この。『sasarley』ちゃんっていう…」

「…うわぁ」

わたしと先輩の会話を耳に挟んだ別の二年の先輩がひょいと首を突っ込んできた。今は顔の見えない落合さんがすかさず問題のそれを彼女に見せようとスマホをちょいちょいと操作して差し出す。案の定その口からsasarleyの名前が…。まあ、予想はついたことだけど。

「…そんなの。どこからどうして目に入ったんですか。本名は出してないし身元がわかるような情報は何も…、ない。はず」

喋ってるうちに自信がなくなり語尾が弱々に。そもそも運営を名越に任せっ放しで、中身はもう何ヶ月もチェックしてない。

あいつを信用してるからこそうるさいことは言わずに口を挟まずにきたけど。まさか名越のやつ、わたしの超個人的なことまでそこで開示してやしないだろうな?大学名とか年齢とか、どこに住んでるのかとか。

そんなわたしの危惧は、落合先輩の至極あっさりとした白状によりいとも簡単に凌駕された。

「え?…いや、さすがに。俺美大生とかじゃないから、画家のアカウントとか普段から見てないしそこまで詳しくないよ。これはね、君の相方から教えてもらったの。名越くんにね」

うげ。

「名越。…何てことを」

高校生らしき女の子たちの集団に囲まれ、わぁー見て見てこのシャツの絵、面白ぉい。こんなのどこで売ってんの?ときゃいきゃい持て囃されてるやつの方へと思わず首をぎゅいん。と回す。せっかく女の子たちに囲まれていい思いをしてるんだから邪魔しちゃ駄目、と知らないふりで距離を置いてあげてたけど。堪忍袋の緒が切れた。

「ちょっと。…T美の人たちが自分で気づくのはある意味仕方ない部分もあるけど、絵描きのアカウント芋蔓式に見ていくうちにあっ…ってなったのかもしれないから。でも何も、放っといたら気づかない人たちにまでわざわざ宣伝していくことないじゃん。てかこういうので身元バレ、あんた的にはいいの?」

いつも変なやつに目をつけられないよう身を守れ、誰かにしつこく絡まれたら迷わず俺を呼べって口を酸っぱくして言ってるくせに。と苛ついて文句を言うと、やつはまるで堪えない様子でそんな気にするようなこと?と軽く首を傾げてみせた。

「一般の人たちに広く身元を知らせる必要はそりゃないよ。でも別に、T美の学生や猫又の会やクラスの友達からもわざわざアカウントを隠すほどのことでもないんじゃない?直の知り合いに描いてる絵を見られてやばい理由なんて、なんかある?」

正面からそう問われ、一瞬沈黙する。

「まあ。…みんな、所属してる大学と本名と顔はそもそも知ってるし。それと作品が結びついても確かに、どうってことないって言われたら。…それはそうなのか…」

「な。だったらせっかくだから、少しでも多くの人にあんたの絵を見てもらえた方が。絶対いいだろと思ってさ、俺は俺なりにね」

そう言って自分のスマホを取り出して操作してる名越は、何故か得意げ。口調は控えめだが本心では俺がこれだけ力を入れて布教してるからこそあんたの絵の人気がじりじりと上がってるんだぜ、どうだすごいだろ。くらいのことは考えてるんじゃないかな。

周りを取り囲んでる女子高校生たちをよそにスマホを弄り始めた名越を気にして、彼女らが爪先立ちになりやつの手にしたスマホをてんでに覗き込もうと騒ぎ出した。

「え、何この絵?すっごい、きれい。見して見して〜」

「わぁあたし、このちょうちょと花の絵すき。こっちのジャングルみたいにわさわさした緑の絵もいいね!ねぇこれ、もしかしてちょー有名な人の絵?」

お兄さん、名前何てゆーの?と口々に尋ねる女子高生たち。おい名越、その子たちには絶対に手を出しちゃ駄目だから。あんたの場合は自分から積極的にいかなくても、隙見せたら向こうからがんがん来るんだぞ。ちゃんと早めにガードしとけって。

思ったけど口には出せない。ここで猫又メンバー勢揃いの状態でうっかり横槍を入れたら、嫉妬か。嫉妬だな彼女としての、と訳知り顔でひそひそされるのが目に見えてるし。

けどさすがはモテ慣れした男。こっちがあえて心配するまでもなく、自然なかわし方は熟知しているようで。にこやかに角を立てずに誰何だけをスルーして、さり気なくわたしの絵をさらに推すことに成功した。

「あ、これね。そこにいるあのおねーさんの描いた絵だよ。この人ね、すごいんだよ。ここの大学現役で受かったけど、芸大も行こうと思えば行けた人でね。高校のときに既に個展で絵が売れた実績もあるんだから…」

「へぇ、そうなの?すげー二刀流ー」

「わ。…道理でめちゃ巧いと思った。えぇもう絵を売った実績ありなの?まじでばりばりの新鋭若手アーティストじゃん!」

前の感嘆は高校生だが、後半のやや興奮気味の台詞は猫を被った落合さんのもの。その場に居合わせた高校生たちだけでなく、店番をしていた猫又メンバーたちもその騒ぎにつられて寄ってきてああだこうだ言い合ってる。

みんなに囲まれて、すごいねこれ、画集とか出さないの?とかせっかくだから猫の絵ももっと描いてよ!とか。初対面の高校生もそこに混ざって一緒になって、sasarleyさんの絵わたし好きだから、フォローしとくね!頑張ってプロになって、とか。

人の輪がほぐれて自由になるまでしばらくかかった。…まじで隙あらばいつでもどこでも即、わたしの絵を周囲に売り込む名越のこの癖。何とかならないもんなのか…。

「えーいいじゃん。だって今日のあれで、また結構フォロワー増えたよ。猫又の人たちほとんどフォローしてくれるようになったし、あの高校生たちだって」

そう言って数字を見せてくるけど、普段からチェックしてないので増えたのか減ったのかもわからん。あ、でも。コメント見れば確かに。

「今日はお疲れ様!とかこれからもイラストよろしく、みたいなこと描いてるのは多分猫又メンバーだな。一方この辺のメッセージはいかにもあの高校生たちっぽい…」

sasarleyちゃんめちゃ可愛かったー、とか個展やるときは知らせてね。受験と被らなければぜったい見にいくよ〜とか書いてるのは明らかに彼女たちのうちの誰か。こちらに向けてたスマホを元に戻して、自分も改めてざっと目を通してから名越は軽く舌打ちした。

「まあまあこのくらいなら大丈夫だとは思うけど。知り合いだからってあんまり油断して書き込まれると危ういなぁ。この文章じゃ、今日何かイベントがあったんだなってばればれじゃん。調べる人が調べたら。これ、〇〇大の学祭だなってわかっちゃうかも」

そしたらsasarleyがここの学生だって看破されかねないよな。個人的なメッセージはちゃんとDM使うよう注意しとかなきゃ、と眉をひそめて独りごちてる。そうか、一応わたしのプライベートを一般の目から守ろうという意識は変わらず継続してるんだ。

「わたしはまたてっきり…、わたし本人を餌にしてでも、少しでも多く絵のファンを獲得できればその方がいいと考えてるのかと。まあ自分が餌として効果あるとはさすがに思えないけどね。でもわらしべでも擬似餌でも、釣りに使えそうなら迷わず使っていく所存なのかと」

「え、まさか。そんなこと俺が考えるわけないじゃん、いくら何でも」

その日は学祭一日目なのでざっと片付けを終えたあとはまだ打ち上げとはいかず。

翌日にも余力を残しておかないといけないので、簡単に皆でご飯など食べてお疲れ様!また明日よろしくね〜と声をかけ合って解散した。そのままわたしもまっすぐ寮に帰ればいいんだけど、お茶飲んでく?何ならお風呂も入って汗流してけばと名越に誘われて、ついやつの部屋に立ち寄ってしまう悪い癖。

いやさすがに、入浴はお断りするよ?でも正直内心では別に風呂くらい平気なんじゃ…とじわじわ洗脳され始めてる自分が怖い。

どうせこいつがわたしに邪な目を向けてくることは絶対にないし。寮は大浴場あるけど個室にはシャワースペースしかないから、実は手脚伸ばせて一人でゆっくり入れる湯船は魅力。…うーん、でも。常識の力をフルに働かせてそれは断った。けどこんな状況がこの先も続けば。卒業までには平気で同学年男子の友達の部屋で、入浴したり寝起きしたりするわたしが見える見える。…気をつけよ。

呑気に名越が淹れてくれた美味しい紅茶を頂きながら、やつのスタンスをからかうようにまぜっ返したら。名越は急に真剣な表情を作り、俺を信じて。とでもいった勢いでひしとテーブル越しにわたしの手を取る(仕草だけを)してみせた。

「絵をアピールするためにあんたを売るなんて、絶対にこれからもしないよ。本末転倒だろそんなの。むしろ笹谷を世間の荒波から守るためなら何でもする。そこはちゃんと俺を信頼して」

「まあ。…本気でそれを疑ったことはないけどね」

わたしは半ば白けて、半ばは勢いに押されて引きながら毒気を抜かれた声でそう返した。

何たって金の鵞鳥だもんな。本体が死んでしまえば(少なくとも、まともに機能しなくなれば)やつが大好きな絵の新作が永遠に拝めなくなるんだから。何よりもまず守りたい、と断言するのはいい加減な嘘じゃないだろう。

わたしの返事に真意がこもってるのを感じ取って満足したのか、名越はにっこり笑って立ち上がりもう一杯紅茶飲む?と尋ねてきた。わたしの返答も待たずにさっさとキッチンのポットの方へと移動しながら、さらっと何でもないような声で唐突に話題を転換する。

「でも、あくまであんたの身の安全を最優先に考えた上でのことだけど。こうやってsasarleyの絵をどんどん世界に知らしめてファンを少しでも増やしていく活動を進めていくのは大事だろ?だから、今日みたいにチャンスがあればすかさずフォロワーを獲得していくのは計画通りなんだよ。そうやってあるべき将来に向けて、一歩一歩確実に前進していかなきゃならないんだから」

「あるべき未来。…って、何よ?」

またなんか変なこと言い始めた。と用心して身構える。こうやってわざと何でもありませんよ、って雰囲気出してくるときこそこいつ、大ごとかましてくる傾向があるからな。

案の定こぽこぽ、とポットにお湯を注ぐ音に紛らわすようにやつは平然と説明した。

「それはもちろん。あんたが世界から認知された、職業画家になることだよ。みんなが笹谷とその絵を知ってて、人気があって。いろんなところで使われてあーあのアーティストね。って絵柄で普通に見る人皆がぴんとくる、そういうプロの画家になってほしい。ていうか、俺がする」

「いやぁそりゃ…。無理でしょ…」

きりっとした顔つきで大真面目に言い張れば実現するような規模の夢じゃない。わたしは呆れ返りつつ小声でごもごもと呟いた。

「そのレベルに達してる画家、現代の日本でどれだけいるか。現実には美大の学生もそうじゃない普通の子も、プロ目指して絵を描いてる人が山ほどいる。ファインアートもイラストレーションも含めば尚更。そんなことあんただって骨身に沁みて知ってるはずなのに…」

わたしは身の程を知ってるから、その中で自分が同世代トップに並べる実力があるなんて天から思っていない。だからこそ普通の職業について、その傍らアマチュアとして細々と趣味で描き続けるつもりなんだ。そのことはこいつも最初から重々承知の上だと思ってた。

「そんな激戦の中で、どうしてわたしが突出して世に知られてる作家になれるかもって思ったの?その基準は単にあんたの好みというか、身贔屓でしかないでしょ。…てか名越的には。やっぱりわたしが有名な画家にならなきゃ駄目なの?人生失敗したやつだって思うの?」

一方的に言われ放題なのは納得いかない。ここぞとばかりにわたしの脳から口許へ、疑問が後からあとへと溢れ出た。

「大体、わたしの絵が本当にそんなに好きなんならさ。それが世間から認められてようがいまいがどっちでもいいはずじゃないの?わたしが卒業したあと社会人になっても、絵を描くのをやめないでコンスタントに新作を完成させ続けて。ちゃんとあんたにそれを見せてればそれで満足とはならないの?」

そこは本当に疑問。他のことは何でも、概ねわたしがやりたいことを希望通りにできるよう、後押しを惜しまないやつなのに。

わたしの投げかけたもっともな疑問に何か思うところがあったのか、やつは黙り込んで考えている様子だ。しばらくの間、ダイニングテーブルの上でカップにお茶が注ぎ足される音だけが微かに響いた。

「…例えばだけど。あんたと、そうだな米津○師あたりが個人的な知り合いだったとしよう」

「え。…しようと言われても」

しないよ。てか、いきなり米○玄師出してきた意図は一体何?

やつは落ち着き払って自分のカップにも紅茶を足し、わたしの正面の席に座ってこちらをひたと見据えて話を続ける。

「米○とあんたは単に知り合いってだけじゃなく、かなり親しい間柄だ。二人は特別な関係でお互いを深く理解し合っててこれまでも、これからもずっと一緒に生きようと誓ってる。けど現実と違うのは、彼は音楽の才能を表に出そうとはしない。絶対に人前で歌わないし、自作の曲を何らかの形で世に出す気もない」

いやそれ以外も。そのエピソードの何もかもが現実と違うよ…。

名越はカップの中の紅茶に視線を落とし、その表面をじっと眺めながらゆっくりと言葉を選んで吐き出した。

「その○津は一生あんたのためだけに歌うから、と言ってときどき新曲を作って聴かせてくれる。それは今、この現実の世界で彼が作って世に出してるのと全く同じ完成度だ。だけどどんなに勧めても米○は君だけが聴いてくれたら自分は満足だと言ってその才能を表に出そうとはしない。あんたは彼の歌を誰とも共有せず、一生ひとり聴かされ続けて自分の中にだけ抱えたまま死んでくんだ。…どう、そう考えてみたら。やっぱりあの歌を独り占めするんじゃなくて、世界のみんなと分け合いたい良さをめちゃくちゃ語り合いたい!皆が熱狂して夢中になって米○の前に平伏して跪くところ見たい!って。…ならない?」

「なる」

即答。

絶対我慢できない、そんなの。想像しただけでもう胸がぎゅうっと息苦しくなるよ。

「あの数々の名曲が世に出ないまま、個人的な関係の間に埋没してひっそりとどこにも残らず消えていくだけなんて。…人類の損失だよ。許されない暴挙だと思うわ、それは」

思わず感情移入してしまい、熱を込めてそう力説するとやつは我が意を得たり。とばかりに満足そうに顔いっぱいで微笑んだ。

「ね?わかるだろ。大好きな作品を、自分だけが独占して享受できればそれでいいとはいかないんだ。やっぱり自分の大好きなものを他のみんなも一緒に味わってる、これを好きなたくさんの人たちと同じ気持ちを共有して語りたい、良さを共有して盛り上がりたい。…どうしてもそう願っちゃうもんなんだよ、やっぱり」

「うーん…」

話が例えを離れて、自分の作品のことに戻った途端に納得がへなへなと崩れてまた冷静になってしまった。米津玄○の話ならそりゃそうだろ!と共感しかないけど。

名越が言ってるのはこのわたしの絵についてだしなぁ。…でもまあ、感情ではそれほどか?としか思わないけど。理屈の上ではそういう心の動きなんだ、って一応理解はできたよ。

「そういうわけでまあ。卒業までにある程度笹谷の実績を形にしておく必要があるわけだ」

急にすんとなり、てきぱきと事務的な口調に変わってテーブルの上に身を乗り出してくる名越。どうやら情を込めての説得は終わったから次は具体的な今後の計画を知らせる。という段階に入ったらしい。

「何故ならあんたの性格的に、見込みがなければ就職とかを機にすっぱりプロになるのを諦めちゃうだろうからね。仕事の片手間に、っていうほど本業が甘くない可能性もあるし。そもそも笹谷がアマチュアのまま自分のペースで細々と描き続けてくれればそれでいいっていう考え方はさっきの説明の通り却下。結果的にそうなったらそれはそれだけど、今現在の段階で目指すルートじゃない」

結果的にそうなったらそれはそれ、ではあるんだ。まあよかった、そんな結末受け入れられない、否定してやる!とか言って暴れ出したりはしないで済みそう。

ちょっと安心して気を抜いたわたしに、やつは矢継ぎ早に指令を出してくる。

「とりあえずまず、来年と再来年も◇◇展にエントリーは続けよう。入賞した作品のレベルを見たけど、あんたなら全然可能性あると思う。けど一年近く何もしないのは何だから、いくつかあれより小さめのコンクールを見繕っておいた。あとでプリントアウトして渡すから、近藤先生と相談してどれにチャレンジするか決めておいて」

実績はいくつあってもいいだろ。とこともなげに言うけど。◇◇展より小規模なら通る、なんてことは全然ないんだよ…。本当にわかってんのかな、この人。

「そんな簡単そうに言うなら名越も何かエントリーしなよ。わたしだけ大変な思いするのは納得いかないし」

大学の課題がきついとか言ってる場合じゃないよ。わたしだって普段レポートや語学の授業も大変だし、前期も後期も試験あるんだし。

それに、口にすると絶対反発されるから言わないけど。わたしは密かに心の中でだけそっと付け加える。

正直、こいつの力なら大学の外でも評価されておかしくないと思うんだよね。本人はなんか欲がないというか。もうわたしを推す方にばっかり気持ちが向いてて、自分自身をアピールする気持ちが前よりさらに薄くなってる気がするけど。

お前もわたしにちょっとは付き合えよ!っていう誘い方なら、もしかしたら仕方ないなあって渋々にでもコンクールに応募してくれるんじゃないかと思った。結果的にそれで名越のが入賞したらラッキーだし、そうじゃなくてもやつが自分の制作に前向きになってくれればいい。

思惑通り、名越はわたしにばかり負担をかけてたら申し訳ないと考えたのか。いかにも気の進まない様子ながらまあ…確かに。と渋い顔つきで頷いた。

「あんたが黙々と真剣に描いてる横で、俺がただ遊んでるのも邪魔くさいだろうからな。雰囲気作りのためにも、隣で一緒に何か描くことにするよ。まあそんなの必要ないとあんたが思うんなら。俺は食事作ったりクッキーやらケーキ焼いたりして、ひたすらあんたの胃袋の機嫌取ってても別に構わないんだけど…」

「いやそういうのは一緒に分担しようよ。てか描いてるとき、キッチンにときどき立つのって気分転換になるから」

放っとくと本当にずーっとわたしの胃袋の面倒見そう。と想像できて、わたしは慌ててそう口にした。

「まあそれはわかる。受験のとき俺、めちゃめちゃケーキ焼いたわ。ほとんど全部姉の胃の中へと消えたけど」

「いい思いしてるねぇ、お姉さん」

こいつのことだからケーキ焼くのも上手いんだろうな。この前の猫クッキー作るのも、やたらと手慣れていたし。まじで出来ないことは何なのこの男。

やつはそこで話し合いにひと息入れる、とでもいうようにぱん。と軽く両手を打ち合わせた。

「そしたら、今年と来年は各々コンクールに何度か挑戦する。その合間にこつこつ少しずつ作品を増やしていって、三年生の年度を目安に一度こっちでも個展をやろう。今のままだと作品が足りないからね。小さなのでもいいから、とにかく積極的に描いていかないと」

「え。…東京でもやるのか」

わたしはちょっと尻込みした。高校のときは地元だし、知り合いも来てくれたし。何より名越の人脈があったから…。

「こんなにギャラリー星の数ほどある土地で、完全に埋もれちゃうよね。どう考えても」

「だから、今のうちに少しでもsasarleyのフォロワーを増やしておくんだよ。SNSを積極的に活用していかないと人を呼び込むのは難しい。そっちの運用は任せて、あんたは自分の制作に集中して」

「…やっぱり二人展にしない?」

その方が心強いし。わたしも名越の作品が東京でどういう評価受けるか見てみたいし。

そう思って提案したけど、今ひとつやつの表情は乗り気ではない。

「まあ…、それでもいいけど。できたら笹谷の絵だけでやりたいなぁ。作品の数がもしどうしても足りなければ場所埋めに何枚か出してもいいかも。けど、なるべくあんたのメインでやりたいから。そこは手抜きしないで頑張ってよ?」

その代わり、絵描く以外のことはなんもしないでいいから。身の回りのこと全部俺がやっとくし、何なら就職活動も卒論も全部俺が代わりにやってもいいよ。とにこにこしながら提案されて思わず震え上がった。

何故ならこいつならやる、うっかりこっちが気を抜いたら。と間違いなく確信できたので。精神的にも実力的にも言行一致容易そう。美大生のくせに、文学部の学生の卒論くらい難なくこなしそうでまじ怖い…。

「それはいいよ。わたしちゃんと頑張るから。お願いだから、絵以外のとこには関与しないようにして。あんた本当にやりそうで、全然冗談になってないんだよ」

口を尖らせて文句を言いながら空になったカップを差し出すと、それについては何も言わずに当たり前のようにポットの中の残りの紅茶を全部注ぎ足してくれながら肩をすぼめてみせる。

「え、冗談じゃなくて真面目な話なんだけど。てか俺、本気であんたのことめちゃくちゃ甘やかしたいんだけどなぁ。絵を描く以外なんもしないでいいよ、とか言って全てやってあげてちやほやしたい…」

毒彼氏か、お前は。

「そういうのわたしにも、わたし以外の人にもやめなね。相手のためにならないよ過度の甘やかしは」

悠然と告げてから最後の紅茶を飲み干す。名越はそうかなぁ、女の子ならみんなこう言われたらちょっとは嬉しいもんかと思ったのに。とやや不満げな表情。ふん、そんなことあるか。

まあ、あんたがこれまで付き合ってきた女の子はたまたまそういう人が多かったんでしょうね、と頭に浮かんだけど口にするのは戒めた。そんな超個人的な部分に触れるのはお互いの関係上よろしくない。

そういえばこいつ、高校んときは絶えず誰かしら付き合ってる相手いたみたいだけど。…といそいそと新しい紅茶か今度はコーヒー?とか尋ねながら再びキッチンへと立つ名越を眺めながら考える。

こっちに来てからはあんまり女の影を感じない気がする。あの頃より一緒にいる時間は長くなったけど、それぞれ学校は別だしその行動の何もかもを知ってるとはいかないから。

今でもわたしの知らない人間関係もあるはずだし、またその方が健全だ。こうやって女子の友達が入り浸ってると不都合な面もあるだろうし。誰か決まった相手がいるんならいちいち隠さずに正直に教えてくれた方がこっちもありがたいのにな、などと呑気に構えてわたしはダイニングの椅子の上でふんぞり返っていた。


漠然と考えてたより早くその日はやってきた。

近藤先生とも相談して、年明けに締め切りのあるやや小規模なコンクールに応募することを決めたわたしは、せっせと名越の部屋のアトリエに通い詰めていた。

絵画教室でも週に一度時間をとって、先生に絵を見てもらうのは続けていたが。やはり寮の正面にあるアトリエの利便性には敵わない。時間の空いたときにいつでも自由に通うってわけにはいかないからな、教室は先生の自宅でもあるんだし。

いつの間にかすっかり部屋の主がいないときに勝手に合鍵を使って入るのにも抵抗がなくなってたし、アトリエとトイレやキッチンなどの生活空間を使わせてもらうのにも違和感を感じなくなっていた(さすがに入浴はずっと遠慮し続けていたし、寝室などのやつの個人的空間には絶対に足を踏み入れなかったけど)。

そんなある日。まだ大学にいるはずの名越とは別行動で、今日の講義が休講になったわたしはひとりアトリエでぺたぺた丁寧に描きかけの油画に手を入れていた、そのとき。

「…?」

ドアチャイムが鳴った、気がする。

普段滅多にチャイムが鳴らされることなんかないから、一瞬わからなかった。当然このマンションはオートロックだし。…てかこれ、下のマンション入り口じゃなくて部屋のチャイムだよね?うわ怖。

どうにかしてオートロックを突破して入ってきたってことか。なんかのセールスかな?

けど。どさ回りの体当たり営業にしては様子がおかしい。

ドアがこんこん、こんこんとずーっと小さく叩かれてるのが聞こえる。いないふりしてれば(てか、実際に部屋の主は不在なんだから。留守といえば留守)そのうち諦めて帰るだろう。と頑張って無視してたけど。

一向に帰る気配がない。そのうちドアの向こうで何か喋り出した。

『あの。…、…。ですから…』

女の声っぽい。しかも、若い。

わたしは諦めてため息をつき、そっと筆を置いて足音をひそめて玄関へと向かった。

なんか嫌な予感がする。通りすがりの迷惑な人とか、名越とろくに面識のないストーカーとか。そういうのなら遠慮なく無視すりゃいいんだけど。

もしかしたら、わたしなんかよりもっとずっとこの部屋に入る権利のある人なんじゃ…って疑いがむくむくと、この胸の内に不穏に湧いてくる。

足音や気配には気をつけたつもりだった。ここにわたしがいることは悟られないように、そっと外の様子を伺おうとだけ。

だから、ドアスコープを覗いたその瞬間。いかにも清楚そうな女の子が、あからさまに目線を合わせてひたとこちらを見据えていたのにぎょっとなる。

向こうからわたしのことは絶対に見えてないはず。それでもこのアングルは、正直怖い。

彼女が生真面目な思い詰めた表情で口を開くのが見えた。

『…あの。そこに、いますよね?わたし、名越くんと付き合ってる者です。彼の部屋に別の女の人がいるのはわかってるんです。…中に入れてもらえないでしょうか?せっかくだからいろいろ、直にあなたとお話ししてみたいと…』


《第23章に続く》

吉村とのパートはほっこりのんびり、焦ったいって感じだけど。相変わらず名越のパートは相方のムーブがいかれてる。

こいつは笹谷の前であんまりキャラとか本音を作ったり装ったりしてないから、かなり素なんだよな。そう考えると多分、本文で言ってる何もしないでいいから絵だけ描いてもらって、あとは全て世話してあげたいとかはただの本心な気がする。…キモいですね。

そこへ再び、いや三たびか。今の彼女の襲来が。修羅場かな。修羅場でしょうね、そりゃ。次回乞うご期待。

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