第21章 たたかう絵描き、故郷へ還る
幼馴染み同士の長い春。まあ、作中の時系列は夏ですが。
「…いやぁ〜、まじで天気いいなぁ。よかった、新幹線ってこの辺りの車窓の景色いいんだよね。運悪く雨だとほんとに勿体ないなあってなるよな」
俺、この辺通るときスマホとか見ないでずーっと阿呆みたいに外ばっか見てるよ。とお気楽に喋りまくる名越。わたしは半分不貞腐れて窓際にもたれながら、どうしてこうなった。とまた何度目かのため息をひっそりとついた。
結局ほとんど抗うこともせず、わたしは大人しく名越の隣の指定席へと移動した。
一瞬他人のふりを決め込んでやつが話しかけてくるのを悉く無視し続けようか、って誘惑に駆られた。けど、おそらくそれをやったらこいつはわたしが反応するまで延々とそこに立って一人話し続けそう。
どうせこっちが根負けする羽目になるのは目に見えてるし。それまでの間周りの乗客に迷惑かけることになるなと予測はついたので、もうそれ以上抵抗するのはやめた。
それに別に、こいつと並んで座って移動するのがめちゃくちゃ嫌だってわけじゃない。どう思われてもまあまあ平気だから気楽だし。付き合いも長くて一緒にいる時間も実質誰よりも多いから、もはや一番共通の話題が多くて話も合う。
だけど何より、あえてそこまでしてタイミングを素知らぬふりで合わせて一緒に帰ろうとするっていう。その事実がホラーな気がするんだが…。
帰省の話が出そうになるとその度さり気なく話題を逸らす。っていう不審ムーブを自分がしてた自覚はないではない。
それで結構ごまかせてるつもりだったけど、その態度でああこいつ、どうやら俺と一緒に帰省したくないんだな。と敏感に察したに違いない。
それで押しても無駄だときっぱり切り替え、警戒される前に戦略を変えた。
夏休みに入ってからは何かと顔を合わせることが多かったし、★★美術館やらお台場やらいろんな場所に一緒に行ったから日程も その都度具体的に擦り合わせてる。
そうなると帰省する日も東京に戻って来る日もまあ自然と大体わかるわけだ。現に出発日が近づいた頃には、もう名越は地元に帰る気があるとは全く表に出さなくなってたから。朝早めにこっちを発つつもりだとかお昼は地元に着いてから食べるんだとか、その程度のことは気にせずぽろりと口にしていたような。
つまり、あまりに世間話や雑談し過ぎてて何をどのくらい話したのか細かいところまでは覚えていないのだ。確かに、指定券はお金勿体ないから自由席で頑張って帰る、だから早朝の便で…みたいな話はしたかもしれない。
でもさすがに、何時の便に乗るかは教えてないよ?自由席だから決まってないし、朝起きて急いで出てきて、乗れるうちで一番早い便に行き当たりばったりで乗っただけだし。
だから名越がしれっと同じ列車に乗ってたのは。偶然じゃなければ最悪、朝にわたしよりも早く新幹線の駅に来て物陰とかから様子伺って、ああ笹谷来た来た。この便に乗ったなと離れたとこから確認してあとから自分も乗り込んだ。ってことかなと考えて、それもやだなぁと思ったけど…。考えてみたら名越、指定席券は買ってあったんだよね。
普段の空いてる時期なら、乗車してから空席の券を車掌から買う。って方法があるらしいけど。今日は八月の頭で、平日の朝とはいえ割と席が埋まってる。そんな中でたまたま二つ並んで空いてる席があったのか?
…あれこれ考えてたらだんだん面倒くさくなってきた。まさか、可能性のある便の指定席を全部各二席ずつ事前に押さえてたとか考えたくない。きっと前日とか直前に並びでキャンセルが出たんだろう。うん。
「…帰省する気あるんなら。最初からそう言えばいいのに。黙ってて急に現れたらそりゃ、びっくりするでしょ。普通」
こいつがやば目のストーカーだとか思いたくはないし、事実そういうわけでもないと思う。けど、この状況を作るためにそれなり以上の手をかけたであろうことは想像がつく。
だから引きつつも、本人に直に真意を問うことにした。何となく見てみぬふりで流すのはちょっと、後々怖いし(放っとくとエスカレートしそう)。
名越はわたしにくれたのとは別の種類の缶コーヒー(こいつは微糖が好き。わたしは無糖が好き)のプルタブに指をかけ、ふしゅ。と微かな音を立てて飲み口を開けた。
「別に驚かそうと思ったわけじゃないよ。でも二週間以上もあんたがいない東京にいても退屈かなとふっと思ってさ。新幹線のチケットは親が買って送ってきてたし、特に用意も必要なかったから。思い立ってじゃあ、自分も行こうかなって」
乗車券は既にあったってことか。そしたら指定席はやっぱり、乗車してから空いてたところを押さえたって成り行き?
「…別に帰るのは自由だけどさ。わたし、向こうでそんなにあんたと遊ぶ暇ないよ。割と予定ぎっちり入ってるから、わたしにしては珍しく」
実際にはそこまで毎日予定が入ってるわけじゃない。地元の友達と約束はしてるけど全部合わせてもほんの数日だ。
だけどそれ以外の日を全て名越のために空けられると思われたら困る、東京でほぼそうなっちゃってるみたいに。空いた日はわたしだってのんびりしたいし。何より吉村の都合の合う日は出来るだけそっちに行きたい。
だから今のうちに釘を刺しておく。大体、東京じゃほぼ毎日のように顔合わせてるんだから。何も地元に戻って来てまで一緒に行動することないだろうが。
ちょっと辛辣だったかな。と一瞬心配になったが、名越はそんなの先刻承知とばかりにあっさり平然と頷いた。
「それは別に。全然構わないよ、俺も俺で向こうに会わなきゃいけないやつ結構いるから。さっき長谷川とか、高校のときの連中にLINEしといた。美術予備校のときの友達もいるしね」
言ってるそばから名越がミニテーブルの上に置いたスマホが何度も、微かに振動してはちかちかと鳴る。こいつなら、どんなに急にでもそっち行くよ〜と一言言えば友達連中があっという間に集結するんだろう。やだね、コミュ強の陽キャグループは。
「ほーん。じゃ、遠慮なくこっちはこっちで適当に過ごすけどね。だったらわたしが東京にいようがいまいが関係ないじゃん。どうせ地元にいる間会わないんなら帰省の日程を合わせる意味も特にないと思うけど。何がしたかったの?」
別に地元でこいつと遊びたいわけじゃないけど、こうも簡単に別にいいよ。されると、じゃあここまでしてくっついて来た理由は何だよ?と言いたくはなる。
一瞬名越はわたしのその問いをスルーする気なのかと思った。話の流れを無視してあ、と顔を輝かせて窓の外に目をやったから。
「笹谷、ほら。…見て。富士山」
「わ、本当だ」
そのひと言で会話の流れも吹っ飛ぶ。わたしと名越はじり、と出来得る限り窓の方へと寄って、しばし無言で車窓の外に広がる雄壮な風景を眺めていた。
「…すごいよねぇ。子どもの頃は富士山なんてTVや写真で百回見てるし、実物見ても既視感満載で感動しないだろと思ってたのに。本物の迫力、何ものにも代え難いよね」
「写真じゃこの裾野の圧倒的な広さが伝わんないんだよ。あ、でも写真は撮っとこ。あとで描くときの参考にするから…」
「あ。わたしも」
慌ててスマホを目の前にかざす。ベストポジションは無理だったが、何とかフォルダの中に一枚収めるのには間に合った。
「よかったねぇ。天気良くて」
「ちゃんと山頂まで綺麗に見えたな。まああれはあれでいいもんだけどね、山の頂に傘雲がふわっとかかってるの」
「あ。わかる、わたしもあれ好きだ。あーでも、こっち側だから富士山見れて嬉しかったけど。海側の眺めも捨てがたいんだよねぇ。帰りはあっち側に指定席取ろうかな…」
目の当たりにした景色の素晴らしさにすっかりテンションが上がり、二人で弾んだ小声で口々に語り合う。
そこで名越がふっと口を一旦つぐみ、何とも言えない色合いを浮かべた眼差しをわたしに向けた。
「…ね。これがやりたかったんだよ」
「ん?」
首を傾げるわたしに、小さく挙げた手を窓の外の方へとひらひらさせて意識をそちらに向けさせる。
「新幹線の旅。好きな景色をあんたと一緒に眺めて、二人で感想を言い合ったり。他愛もないしょうもない話をしてはまた外を見て、ときどきうとうとしたりしてさ。話題がなくなったら所在なく黙ってぼんやりするのもいい。…そういうちょっとした時間をさ。笹谷と共有してみたかったんだよね」
「ああ。…なるほど」
何故か、すんなり腑に落ちてしまった。その気持ちはなんとなくわかると思ってしまったから。
お互いときめきも熱もないけど、だからこその心地よさや気楽な楽しさはある。
気遣いゼロで自然体で、しかも綺麗な眺めや美しいものを見るのが好き。異性同性に関わらず、こういう距離感の相手って確かに唯一無二なんだよな。
どうせ旅で道連れするならこういうやつと一緒がいい。って言われたらまあ理解できなくもないな。と共感して頷いてたら、コーヒーを飲み終えてことん。と缶をテーブルに置いた名越に当たり前みたいにさらっと言われた。
「じゃあさ、帰りも指定席取っとくよ。今度は海側の席にしよう。あとで時間と座席番号送っとくから、現地集合ね」
「え。…でも」
帰りも多分、吉村が見送りに来てくれるかも。そこにあんたがやあやあ、といかにも待ち合わせして二人で帰る。みたいに登場するわけ?
と内心で怯んでると。まるでわたしの考えなどお見通しとでも言うように、平気平気。と笑って安心させようとする。
「行きと同じで新幹線乗ってる間同行するだけだよ?指定席なら座席で待ち合わせでいいでしょ。そこで顔合わせるまでお互い地元では自由行動ってことで。俺も笹谷が向こうで何してようが干渉しない。そういう取り決めならどう?」
「う。…ん。なら、まあ。いっかぁ…」
渋々ながら、何となく説得される。
まあね、普段のこいつのパターンからすると約束なんかしてなくても隙見て唐突にやって来るからな。
こっちが暇してると察知するセンサーでもあるのか、絶妙に断りにくいタイミングを測るのが上手い。
そう考えると別々に行動しててもいつも気が抜けないんだが、こうやって帰途は同行すると決めた代わりにそれまでは完全に自由で。とはっきり約束してくれるならそれはその方が落ち着いて過ごせるし…とか考えちゃうの、やっぱりじわじわと名越のやり方に染まってるな。
自分のスマホがポケットの中で微かに振動してる。きっと吉村からだ。
あいつのことだから多分ホームまで出迎えてくれそう。だけど、そのときわたしの隣に名越がいたらどう思われるだろう。
さすがに付き合ってるとまでは考えないだろうが、ちょっとでもこいつら本当に仲良いなとか思われるのも嫌だなぁ。
けどある意味で実際に仲良いのは事実ではあるし、あえて隠すほどのことでもないじゃん。といかにも考えてそうな名越に対して有効な反証も思いつかず、何とかして吉村の視界に入る前にこいつを巻かなきゃ。…とあれこれと思考を巡らせるだけでもう、既に気が重くなり始めてるわたしなのだった…。
吉村からのLINEが来てることは重々承知なんだけど、何となく名越の前でいそいそとそれを確かめて返信するのが気が引けて。こいつがトイレ行ったりうとうとする時間があればそのタイミングで…と思っているうちに新幹線は一目散にひた走り、いつしかもうそろそろわたしたちの降りる駅に着く。
まあ、考えてみれば仕方ない。東京からの距離を考えたら、地元近くのターミナル駅までの区間は近くもないけどべらぼうに遠くもない。トイレに一度も立たないことも、一回も眠らないのも全然あり得る。
てか自分がトイレに立てばよかったんじゃん。スマホ持って席立っても自然だし、個室の中で何食わぬ顔でLINE確認して返信すればよかった。
どの辺で吉村はわたしを待ってるつもりだろう。それを確かめなきゃならない、とふわぁ〜と大欠伸をして背中を伸ばしてる名越の横で黙って頭を巡らせる。
やっぱり改札の外かな。あいつのことだからこっちから頼まなくても、気を回してホームまで来ている可能性はゼロじゃないけど。
そうだとしても乗ってる車両までは知らないはずだから(てか、わたしも事前には知らなかった)、降り口まで出迎えに来てるとは考えられない。
列車から降りて、その場でじゃあね。と言ってさっさとこいつと別れれば、吉村と名越が鉢合わせすることはないだろう。それからゆっくりLINEを確認して、吉村を一人で探せばいい。
そう考えて自分を落ち着かせていたのに。地元の駅に着くまでは。
注意を喚起する電子音が不意に流れたあと、英語と日本語で到着を知らせるゆったりとしたアナウンスが入った。
その頃には既に走行スピードが少しずつ落ちている。この瞬間がわくわくするような、旅の終わりを感じさせて何故かもの寂しくなるような。この独特な感覚がわたしは一番好きだ。
「この、すぅーっと減速が長ーい感じも好き」
「わかる。あー新幹線だってなるよね」
そんなことを口々に言いながら、わたしは名越より先にと人の流れに従ってようやく車両の外に出た。…と。
「う」
思わず足が停まって、降車する人の流れを乱してしまった。わたしの背中にぶつかった人がおっと、と小声で呟いて文句も言わずに止まる。振り向かなくても声と雰囲気でそれが名越だとわかった。よかった、いちいち謝らなくていい。
降りる客、乗る客でごった返すホームの上。慌ただしく動く人波の中、離れたところでぱっとこっちをら振り向いた人影がわたしを見つけて表情を綻ばせたのが何故かわかる。こんなに離れているのに。
吉村は周りの人の目を気にせず、上体を伸ばしてぶんぶんと大きく手を振って合図を寄越した。
「…直織!」
「吉村。…今行く」
ごめんね、LINE読む暇なくて。駅に着いたらすぐスマホ見ようと思ってたんだよとか。
あんたのことを考えてなかったわけじゃない。とちゃんと説明しないと、と急いでそっちへと足早に近づく。わざわざここまで迎えに来てくれてありがとう、忙しいのにごめんね。と伝えなきゃ。以前みたいにどうせあいつならわたしの気持ちはわかってるだろって考えで黙ってるのはよくないよな。
人混みをかき分けかき分け、何とかそっちへと移動する。吉村も何とか上手いことこちらへ近づけたから、思ったより早く正面から向かい合うことに。
「ただいま。…吉村」
「お帰り。直織」
わたしを見下ろすその顔。目に宿る光がやっぱり優しい。…ああ、この感じ。久しぶり。
ほんの少し前まで、会う気になればいつでも会えるとしか思ってなくて。全然特別扱いもせずにずっとほっぽり放しだったなぁ。何であんなに雑に扱えたのか、今となっては自分の気持ちが理解できない。
そばにいたときならいくらでも顔を見られたし、話だっていっぱいできた。そのありがたさや貴重さをろくに顧みもせず、ただの幼馴染みなのにわざわざ会いに行く理由もない…とか嘯いて自分をごまかして。
お互いの目を見合ってばかりで次の言葉が出てこない。と、わたしの背中側から。そこで超聞き慣れたいつもの声が頭越しに飛んできて、はっとめちゃくちゃ現実に還る。
「…よ。元気?」
「ああ…。久しぶり」
わたしの頭上を通り越した目線。名越の挨拶に応える吉村の声は普段と変わらず、平静で穏やかだ。
しまった。二人で連れ立って帰ってきたのが見え見えじゃん。
新幹線から降りたらさり気なく名越にじゃあ、またね。と別れを告げ、一人になってからおもむろに吉村を探す予定だったのにな。
吉村と名越はわたしの頭の上の空間を使って軽く挨拶を交わしたあと、特に近況報告をするでもなく逆に険悪とか気まずい空気を醸し出すでもなく。あっさりと、
「じゃ、またね笹谷。…連絡するわ」
よい夏休みを、とあっさり告げて片手を挙げて去っていった。何なんだまじであいつはもう。
吉村は去って行く名越を軽く見やってから、それでその件はおしまい。とばかりにわたしの方へと向き直り、いつもの穏やかな顔つきで片手を差し出した。
「持つよ。それ」
「あっはい、いやそんな。…大丈夫だよ、自分で持てる」
何も考えず返事をしてから、それがわたしの手荷物のことだと気づき。慌てて遠慮して断ってしまった。
以前だったら一片の疑問もなく手を出されたら、ん。と荷物やら鞄やらを押し付けて平然としていたものだが。
よりによってさっき、新幹線の中で自由席から指定席へと移動するときと車両から降りるときに。こっちが頼みもしないのに断りもなくあっさりとわたしの荷物を当たり前のように名越が運んでたのをここで瞬時に思い出してしまった。
荷物持つよ?と今の吉村みたいにこっちの意向を尋ねてくれればちゃんと断れたのに。いやしかし、いつも普段から何でもあいつにしてもらうことに慣れ過ぎてしまってるわたし自身にもかなり問題があるんじゃ?
名越が勝手に運んだんだからとか言わずにきちんと断るべきだったのでは?ただの友達なのに、何でもかんでもやらせ過ぎじゃね?と唐突に日頃は深く考えてこなかった反省が頭の中に猛然と湧き上がり、結果ここで反動としていきなり吉村の申し出を断る。という謎仕草になってしまった。
そんなわたしの以前とは違うぐらぐらな態度を特に不審に思う様子もなく、吉村はにこやかに辛抱強くさらに腕を差し伸べる。
「でもここまで来るだけでも疲れたでしょ。俺手ぶらだし、さっき家出てきたばっかだから。そっちは朝早くから移動してたんだし、ちょっとくらい楽すれば?気を遣う必要とかないよ、俺相手に」
「う。…ん、じゃあ。これ、お願い」
あんまり固辞するとそれはそれで不自然かな。何か疾しいことがあるのか、と痛くない腹を探られるのも不本意だと考え、あやふやな態度でバッグを手渡す。
それにしても。と、わたしを人波から庇うように寄り添って、ずんずんと頼もしく歩いていく吉村をこっそり隣から見上げつつさっきの情景を思い起こしていた。
相変わらず、吉村と名越って何とも言えない距離感だ。何となく二人を鉢合わせにさせたくない、名越と帰ってきたところを吉村に見られて誤解されたくない(逆は正直どうでもいい)。とついつい考えて余計な気を回しちゃうけど。
こうして稀に顔合わせるときでも、やっぱり昔の記憶通りで特に不自然にぎこちなかったり不穏な空気になることはない。まあ、名越の方は考えるまでもなく当たり前だとは思う。あいつが吉村に敵意を持つ理由なんてひとつも思い浮かばないもん。
別にわたしが絵を描くのを妨害してるってわけでもないし。むしろ理解ある幼馴染みとして、応援して背中押してくれてると思う。
だけど、吉村の方は別に何とも思わないのかな。
わたしは何故か気まずくて東京での名越との関わりについて、吉村に一切報告できていない。
疾しい部分は何一つないのに。それでもここまで常日頃密接に付き合いがあると、側から見たらこれって普通じゃないというか。ただならない間柄に見えててもおかしくないよな、という自覚は正直ないでもない。
押し負けたとはいえ、結果わざわざT美であいつと同じサークルに入ったし。一方どうしてか〇〇大のわたしのサークルにも向こうがいるし(結局引き取り手を見つけるまでの間、仔猫のお世話に非常な尽力をしたことが認められて外部の学生なのに正式な部員となった)、わたしのバイト先の絵画教室にもちょくちょく遊びに来ては図々しく近藤先生やアシスタントの先生たちと楽しく交流しちゃってるし。
挙げ句の果てには寮の前の道挟んだ向かいにある豪華マンション借りて、そこにわたしと共同のアトリエを構えてる。え、そこまでしてもらって逆に付き合ってもいないの?…と世間から訝しく思われるのは間違いない。現に猫又の人たちには、既にわたしたちは出来上がってると完全に認識されている。
否定するなと釘を刺されてるし、付き合ってないのにあの距離感…とかえって引かれるのが目に見えてるからそのまま放置してるけど。そんな話が何かの拍子に巡り巡っていつか吉村の耳に入ったらやだなぁ、と内心戦々恐々である。
あとで知られて変な空気になるよりは自分の口から説明した方がいいのはわかってる。いやあいつよほどわたしの絵が好きみたいでさ。そのためならまじで何でもしてくれるんだよ、頭おかしいよね。と冗談に紛らわせて打ち明ければ案外一緒になって笑ってくれるかも。…とはいかないか。非常識だよな、名越もわたしも。やっぱり。
それに。どうにもあいつとの関係についてきちんと弁明するタイミングを掴めないでいるのは、果たして吉村がそれを気にかけてるかどうかがわたしの目にはどうにもまるでわからないから。っていうのもある…。
そもそも吉村は、わたしの弁解なんか必要としてるのか?
こちらがいきなりぺらぺらと言い訳始めたら、えっそんなの個人の自由だし…。別にいいんじゃないの?付き合っててもいなくても。と心底当惑されるだけなんじゃ、と思うと。
その反応を目の当たりにするのが怖くて、今日もまた説明の言葉を飲み込んでしまう。
「結局どうする?中華でいい?」
一応この辺りの店調べといたよ、洋食とどっちか迷ってたよね。と大真面目な顔つきでわたしに尋ねてくる吉村は本当にいつも通り。記憶の中の高校時代の吉村と同じだ。
わたしとの久しぶりの再会で特別テンションが上がってる風でもない。まあ、実際わたしたちは何でもないし。目をきらきらさせたり頬を紅潮させたり、思わず駆け寄ってひしと抱き合ったりするような間柄でもないもんな…。そこまで自分が求めてるかどうかもはっきりしないのに、物足りないような微妙な気持ちになるのもどうかしてる。
それを棚に上げて言うのもなんだけど。こいつってわたしのこと、本音ではどう思ってんのかな。と久々に顔を合わせて改めて深い疑念を抱く。
無駄なイケメンの同級生と連れ立って東京から帰ってきたのに、そのことについて何の説明も弁解もしない幼馴染みの女子。それでも平然として動揺した風も見せないのは、単にそんなことどうでもいいと心の底から考えてるからで。実はわたしがだれと付き合おうが付き合わなかろうが、そもそも興味がない?
…たった今、脳裏に浮かんだその考えに密かにダメージを受けてわたしは思わず小さく唸ってしまった。
「…ふぐぅ」
「どうした。…気分悪い?新幹線に酔ったとか?」
反応は早い。それに心から心配そうだ。わたしのことはどうでもいいとか、本当はまるで関心ないってことはなさそう。
「どうする?ご飯行く前に少し座るか。疲れてるのに急がせちゃったかな、ごめんね。直織のペースでゆっくりでいいよ」
あれこれと気を遣って世話してくれようとしてる。水でも買って来ようか?そこにベンチあるからとりあえず座ろう。とかこまごまと気を配ってくれてる吉村に向けて、わたしはなるべく元気に見えるような笑顔を作ってみせた。
「全然平気だよ、疲れてなんかない。ただ、久しぶりだなぁこの駅。と思ったらしんみりしちゃっただけ。三月にみんなで送り出してくれたとき以来だもんね。あれからまだ四ヶ月くらいしか経ってないんだよね。…すごく前だった気がする、あのときの記憶」
「ああ、…そうだな」
ちょうど人の流れがさっきより収まったところ。吉村はふと立ち止まり、駅の構内をぐるりと見回したかと思うとやや感慨深そうに呟いた。
「思えばほんの四ヶ月前か。確かにすごく長かったような、でもこうやって会うとあっという間に元通りだから。何の違和感もないような…。普通に今まで通りに感じてるけど、やっぱ寂しかったよ。会おうと思っても会えないのは、これまでとは全然違うもんな」
「うん!」
思わず深々と頷いて同意してしまった。それそれ、わたしが今言いたかったことは。
そんなわたしを優しく一瞥して、再びごった返してきた人波(きっと次の新幹線が到着したんだろう)から庇うように引き寄せた。一瞬のことだったけど背中に吉村の手のひらを感じて、ちょっとぎゅっとなり目を閉じる。
「そしたら、中華でいいかな。…本当は中華街行きたかったけど。この時間からじゃもうめちゃくちゃ混んでるよね。駅から出たとこに評判良さそうな店があるから。今日はそこでもいい?」
「うんうん。全然いいよ、行ってみよう。てか今日じゃなくていいけどさ。わたし地味に中華街の店でご飯食べたことないんだよね、行ったことはあるんだけど。今度別の日にチャレンジしてみない?」
てか、他の友達とは既にいくつか約束があるけど吉村とは特に何の予定も入れてないんだよな。このままずるずると何のイベントもなく、高校時代みたいに二週間が過ぎたらと思うと。こっちから何か提案しといた方がよくないか?って気がして咄嗟にそう口から出た。
だから内容は何でもいいんで、短期間に立て続けに中華食べるんじゃなくても構わないんだけどね…。ま、いっか。中華は好きだし。
エスカレーターと階段のある方へと向きを変え、わたしをそちらへと促した吉村は目許をふと緩めてこちらを見た。
「そうだなぁ。言われてみればもう長いこと、あの辺りに行ってないや。高校の最初頃だったかな…。そしたらこの休みの間に一回いく?観光客でごった返してるかもだけど、この時期」
「うん、行く。どうせいつ行っても混んでるもん、わたしが帰省してるタイミングなら」
観光客と移動時期が同じだからね…。本来地元民なのに、そこは残念といえば残念。
「じゃあ、早めに予定入れとこっか。あとで直織のこっちでのスケジュール教えて」
「特に大したものないよ。クラ子たちと遊ぶのと宮路さんと久しぶりに会うのと、くらいかな?あ、あと。一回くらい大河原先生んとこ顔出して挨拶するか」
予定がぱんぱんであんたに割いてる余裕ないよ。と名越に辛辣に告げた舌の根も乾かないうちに…。ま、向こうも予定ぎっしりらしいから。ほとんど嘘だったとしても誰も別に気にしない気にしない。
知らない人が見たら今、このわたしのテンションが上がってるとは感じないかもしれない。だけど子どもの頃からの付き合いである吉村は、口許を一文字に引き結んだこちらの表情を見てとってふ、と小さく笑った。
「じゃあ、思いきって近いうちに行こう。…あ、でも。そしたら今日は中華でいいの?他のものにする?」
「いやもう中華の口になっちゃったから。炒飯と点心食べたい。…でも吉村が他のものが良ければ。わたしはそっちでもいいよ?」
「大丈夫、俺も中華好きだから。試したことないけど多分毎日でも食べられるよ。てか中国の人って確か毎日中華じゃない?」
品を変えればバリエーション余裕じゃん。麺類とかお粥とか、炒め物とか餃子とか。と楽しげに付け足し、階段に差し掛かったところでまたわたしの方を振り向く。
「エスカレーター混んでるな。こっちでもいい?疲れてない?」
「余裕。新幹線の中、座りっ放しだったもん」
了解。とにっこり笑ってこちらに手を差し出す。…ああ、そうか。と一瞬ためらったのちその手をできるだけさり気ない顔つきで取った。
「足許。気をつけて」
「…うん」
そっちに意識が集中してる風で、俯いて爪先に目をやる。
実際久しぶりだな、こいつと手を繋ぐの。最後はいつだったろう?その頃からこんなに大きかったっけ。
といった具合で実は繋いだ手のことしか頭にない。一方で向こうはといえば、落ち着き払ったいつもの態度で、ただこっちの歩幅と進行速度を気にかけてるだけみたいだ。
…まあ。そりゃそうだよね。
慎重に一歩一歩、足許を気にしつつ階段を降りながら考える。
こうやって足場が危ない状況でわたしの手を引くのは子どもの頃から吉村の習慣だ。初めのきっかけは、身体が小さかったわたしの覚束ない足取りを心配した吉村のお母さんが大智、手を引いてあげなさい。といつも注意してたからに過ぎない。
だからそのときの延長線上の行動であって、こいつの中に女の子と手を繋いでる。という意識はあんまりないのかも。妹や弟の手を引いてたのと同じ感覚だろう。もっとも碧はもちろん、沙里奈ちゃんにももうだいぶ前に要らない。と言って断られたと苦笑いしてた記憶があるけど。
その一方でわたしの手を取って支えるのは今でも続いてる。そこに何か特別な意識とか。真意はあるのか?
とぼとぼと歩きながら、何かしら特別なものはあると思いたい。てかゼロじゃないとは思うけど。それはおそらく単に、他とは差別化された特に大事な友達。ほぼ身内な幼馴染みってだけの認識かもしれないと思うと…。
今、この状況で相手の気持ちを確かめる勇気はない。
わたしが名越と一緒にいたのを知ってもいつも何も言わないのは、異性だけどただの幼馴染みだから誰と付き合おうと本人の自由だ。って考えてるからなのかもしれないし。
名越がやばかったり危険なやつだったなら全力で阻止するけど、まあまあまともな男(まともとは…まあいいや、その辺の判断に困る部分は)なんだからさすがに自分には横から口出しする権利はない。と弁えて鷹揚に構えてるのかも…。
そうだとすると、わたしが吉村以外の誰かと付き合ってても。こいつとしてはまあ別に構わないと思ってる、ってこと?
考えれば考えるほど確かめるのが怖い。この手のひらの温かさも、わたしを女の子として見てるんじゃなく。沙里奈ちゃんと同列の、守らなきゃいけない身内の被保護者に対する配慮でしかない可能性が…。
「…ほら、階段終わり。どう、大丈夫?あとちょっとで駅の外に出るよ。お腹空いてるでしょ、もう少しだからね」
わたしが俯いて静かに黙り込んでるのをどう受け取ったのか、もうすぐご飯だからねという励まし方。うーん、やっぱ。妹的存在なのかなぁ…。
「うん、ありがと。…本当にお腹空いたよね、何食べようかなぁ?」
わたしは急いで表情を取り繕って明るい声を出し、吉村の顔を見上げてにっこり笑った。
いろいろと思うところはあるけど。…せっかく久しぶりに二人きりなんだから、気まずい空気にしたくない。今が楽しければそれでいいや。
大丈夫、どうせわたしが大学を出るまでまだ時間はたっぷりある。それまでいろんなことを保留にしつつ、ゆっくり自然な形で関係を進めていけばいい。
…と、今は思ってる。それで充分、だよね。…いいよね?
地元で過ごす二週間あまりの夏休みは、穏やかに充実した日々だった。
約束通り中華街に吉村と二人で行ったし、他にもいろいろ。わたしが友達と会う日以外はお互い都合を合わせて、なるべくちょくちょくと行動を共にするようにしてた。
一緒に隣の町の夏祭りに行ったり、海辺に花火を観に行ったり。大きな繁華街に出てあれこれと買い物するのに付き合わせたりもした。吉村は家業を手伝う必要があって運転免許を既に取ってたから、山の方へドライブに連れてってもらって。自然の中でわたしがスケッチをする間、やつはのんびりと木陰で昼寝してたりとか。
あとは当然、お互いの家に顔を出して家族に挨拶をして。いや別に特別な意味合いじゃなくて単に家族ぐるみの付き合いだからね、もともと。数ヶ月ぶりに元気な吉村んちのお母さんお父さん、おばあちゃんと沙里奈ちゃんに会えてほっとした。
高校生になった碧は遊び歩いてるみたいでその日は会えなかった。もっとも数日後にはうちの弟をふらっと訪ねてきてたから。全然レアキャラでも何でもなかった、普通に元気そうだし見た目も変わってないし。
そんな風にこの帰省中、わたしたちはお互いを第一に優先できてたと思う。少なくとも高校の頃のことを考えたら…。あの三年間はまじで空白期間だよな、わたしと吉村にとっては。数ヶ月くらいろくに会話しないこともあったもん。
あの頃、雑に扱って充分に時間と手間を割かなかった後悔がなくはないから。その分を埋め合わせようとわたしは今回できるだけ吉村との時間を作ったし、向こうも特に異議はないみたいで素直にそれに付き合ってくれた。
けどそんな小さな事実の積み重ねが、わたしたちの関係にとって何かの証明になったかというと。それはまあ、別の話で…。
高校を卒業して、大学生と専門学校生になった。まだ全然親掛かりだけど、二人とも十八歳超えてるし。一応法律の上では成人同士、さすがにもう子どもとは言えない。
だから今、こうして二人きりで行動してても。小さい頃と全く同じではない、…はずなんだけどな。何故だか全然いい雰囲気にはならない。
三月に新幹線の駅のホームで別れたときは、ここで離ればなれになる経験にだって意味がきっとある。帰ってきて顔を再び合わせたらもうちょっと、ほんの少しくらいは。親密さが増すかもとは思ってたんだけどなぁ…。
「え、何なの?まだあんたたち、彼氏彼女じゃないの?何やってんのよもう」
「あのときホームであんなにいい感じだったのにね。あそこからの成就キャンセルとかあるんだ…」
クラ子やユラたちにはすっかり呆れ果てた、と言わんばかりの口調でけちょんけちょんにやっつけられるし。
わたしは肩をそびやかして、いかにも自分はそんな恋愛脳じゃないんで。とばかりに素っ気なくみんなの期待をかわす言動をとってみせた。
「あのときの会話は文字通りの意味じゃん。ちゃんと連絡取り合おうって言っただけで、それは守られてるよ?大体幼馴染み同士が初めて離ればなれになるに当たって、お互いを心配して約束を交わしたのを変に解釈する方がおかしくないか?何でそんな風に思い込んだの?」
ほとんど逆切れである。口にしてからこの反論に込められた苛立ちはもしかしたら、ちょっとだけ変化を期待してしまってたわたし自身へ向けられたものなのかも。という疑念がちらりと胸をよぎる。
何であのあと、こうして久々に再会してからも何の変化もなしなのかって?そんなのわたしだって知りたくないこともないよ、まあ別にすごい進展があると思ってたわけじゃないけどさ…。てか実は割とこうなると思ってた、正直心の奥底では。
「だってさ。これまで十八年間、ずーっとフラットな態度でわたしに接し続けてきて何の変わりもなかったんだもん。ちょっと東京と地元に離れたくらいであいつが変わるわけない。多分一生このままじゃないの、ずっ友だよわたしたち」
「まあまあ。そう悲観することでもないよ」
それまでにこにことやり取りを聞いてた香取珠未、通称たまちゃんがやけくそなわたしの独白を遮ってフォローしてくれた。
あんたたち、あんまりからかうんじゃないよ。とクラ子とユラに注意してから、まずは食べて元気出して!と山盛りのポテトと唐揚げのバスケットをこちらに差し出してくる。
「離れてたって言ってもまだ四カ月とかじゃん。化学変化が起こるのはこっからだよ。せっかく久しぶりなんだからさ、そこは素直に会えて嬉しいとか離れてて寂しかった。ってことが相手にちゃんと伝わるように、笹谷ちゃんの方から努力したら?その地道な積み重ねがいつか将来実を結ぶんだよ、きっと」
「吉村くん、誠実なのはいいけど奥手そうだからなぁ」
クラ子が楽しげに余計な口を挟む。ほっとけ、何も知らないくせに。
「別に。…今すぐどうこうなりたいとは。実は思ってないもん、わたしも」
出た酸っぱいぶどう、とユラが呆れたように呟く。…でも。本当のことだもん。
わたしは栗鼠のような顔つきになって烏龍茶のグラスの縁を噛み、図らずも漏れた今の自分の本音についてじっと考えていた。
今回帰ってきて久々に顔を合わせた吉村から、会いたかった。もう離れたくないよとか、俺たちやっぱり付き合おう。誰にも直織を渡したくないんだとか急に熱を込めて言われて、いきなりひしと抱きつかれでもしたら。
いやあいつに限ってそんな、こっちの気持ちも確認せずに一方的に自分の意思を押し付けたりすることはないと思うけど。それに近いことを言われたり、もたもたしないで今すぐはっきりさせよう。俺のこと好き?好きならじゃあ、もう二人とも大人なんだから…みたいな急展開になったりしたら、と考えると。
それ以上の想像を意識が拒み、もやもやとイメージが萎えて萎んでしまう。わたしは黙って小さく首を振り、肩をすぼめた。
…自分はやっぱりまだ子どもなのかな。吉村に優しくされたり、手を取られたり肩を抱かれたり(いや、それはしないか。まだ今のところ)するのはいいけど。
それ以上のこと、例えばキスとか抱きしめられて触られたりするのは。正直あんまりリアリティがないというか。上手く想像がつかないし、何より。…うーん、苦手かなそういうの。お互いらしくない、と思っちゃう。
これはおそらく、ほぼ物心ついたときからの幼馴染みという関係性が悪い方に作用してるんじゃないかな。ここまで積み上げた関わり方があまりにもがちがちに強固すぎて。そこから外れると何か違う、って強烈な違和感を持っちゃう。
そして、わたしがそんな状態だと考えるなら多分吉村の方も同じなのでは…と思った方がいい。あまりにこれまでの関係が根深くて、お互い異性として見るのに抵抗が強い。…と推測すると、うーん。
「これは。…結構時間かかるかもなぁ、わたしも向こうも」
カラオケBOXの個室のテーブルにぱたりと伏せ、呻くように独りごちる。ユラが野次馬根性丸出しで何なに?どゆこと?と身を乗り出してわたしを突くのを、クラ子がさすがに哀れを催したのか制してくれた声が響く。
「やめな、ユラ。いろいろあるんだよ無事にカップル成立するまでには、複雑な問題が。あんたも好きな男できたんなら、明日は我が身でしょ」
「いや、わたしの好きな人別に幼馴染みとかじゃないし。普通に大学の先輩だもん、こんな拗らせ方しないよ。てか大学生になって彼氏できたたまちゃんはともかく。片思いの相手すらいない寂しいクラ子に言われたくない…」
「別にいいだろ。あたしは理想が高いんだよっ。うちのサークルの男ども、まじでへなちょこばっかでさぁ…」
「いやぁ顔でしょ。あんたが男を足切りする基準って、まず」
余裕の口振りでその話題に混じるたまちゃん。楽しそうだねみんな。けど、わたしは今それどころじゃない。
…そう、今回帰省して迎えに来てくれた吉村と目が合えば。何かが変わる、何かお互いに抱えてる思いがはっきりするかも。…っていう漠然とした期待があったのは確かだ。けどそれは、即がっちり彼氏彼女になるってことには直結してないんだよな。
甘々でキスしたりいちゃついたり、親公認の付き合いだから…って調子に乗ってえっちなことしたりとか。そういうのはまだ全然考えらんないし、わたしと吉村のどっちも。そんな空気に自然に持ってくほど大人でもないし、小器用さがあるとも思えない。
だからそこまでは求めてないのは事実なんだよな。
好きだとか打ち明け合って、正式に彼氏彼女になったら。大人だしそういうことが始まるのかなと考え始めると、それはちょっと怯む。
だから、うん。…何故か凹んでた自分を慰めるとか負け惜しみってわけじゃないけど。わたしはまだ、そこまではいいかな。
「…ま、そう気落ちするなって。全然焦る段階じゃないよ。離れてる時間も養分にしてゆっくりお互いへの気持ちを深めればいい」
あんた重度の面食いじゃん、とかそんなことない。これまで好きになった中にフツメンいるもん!とかしょうもない言い合いをしてる二人をよそに、わたしの隣に座ってるたまちゃんが声を落としてこっそりと囁きかけてくる。
「うん。…そうなんだよね。確かに」
わたしはむっくりと起き上がり、やや気を取り直して目の前に差し出されたポテトの皿に手を伸ばす。
それからまあ、焦ってもしょうがないし。じっくりわたしたちのペースで行くよ、とこちらも声を抑えて宣言したあと、掴んだポテトをニ、三本まとめて口に放り込んだのち遠慮なくばりばりと噛み砕いた。
そんな風にああでもないこうでもない、と行ったり来たり複雑に思いを巡らせた挙句。わたしはもうしばらくの間、吉村との間の仲が特別なものにならなくてもいちいち気に病まない。と何とか気持ちを整理することに成功した。
どうやらあいつにとってのわたしは、独占したい特別な女の子とか恋愛を意識してる異性とかじゃ、まだまだ全然ないらしい。
本人に訊いたわけじゃないから確証はないが、名越と二人でいるわたしを見てもどうして?とかあいつと向こうでも仲良いの?とか、全く尋ねても来ないし。動揺したり不快に感じた様子もまるでなかった。多少なりとも恋愛めいた気持ちがあれば、普通もうちょい引っかからないか?
でも、わたしの方だって胸に手を当ててみればまだそこまでは…って覚悟が決まってないこともあって。
もう全然待てない、一刻も早く深い関係になりたいっていうのならそりゃ、玉砕覚悟で自分から切り出すしかないが。ちょっと冷静になって考えたら、今急いでもあんまり意味ない気がするんだよね。どうせわたしたち遠距離だから、付き合うったって結局普段はLINEで話すくらいしかできないし。そしたら現状とほぼ変わんなくない?
「いやあんた、吉村くん舐めてない?彼、笹谷が思うより絶対モテるよ。見た目も悪くないし何より優しくて人間出来てて大人だし。そんな、油断して放っておいたら。あっという間に彼女できちゃうってば」
そうなったらあんたなんか、まじでただの一般幼馴染みだよ!てかフィクションの中では実は幼馴染みって負けイン属性だからね。そこら辺、ちゃんと肝に銘じときなよ。とクラ子にはきゃんきゃん言われたが。
「そうなったらそれはそれでしょ。てかその場合、吉村は遠くにいるわたしよりも身近なその女の子の方がいいって判断したってことだから。あいつが自分でそういう選択したんなら仕方ないじゃん。本気でわたしの方がいいって思うなら別に断ることだってできるんだし」
「また、この子は。意地なんて張っちゃって…」
ユラにも呆れられた。でも本当にそう思うんだから。無理とかしてるわけじゃない。
わたしと吉村が離れてる時間は少なくとも四年間。まだそのうちの大部分を残してる。その間ずっと、吉村をあの手この手で縛り続けようだなんて。いくら何でもわたしの我儘なんじゃないだろうか。
顔を見るのも触れ合うのも、年に二、三回帰省するときだけ。何もしてあげられないけど浮気はするな、わたしのことだけ考えてろ。って自信持って言えるほど、自分がやつにとっていいもんなんだとは。さすがに自惚れられないし…。
それなら卒業までの間、お互いに自由な時間を過ごして。その中でやっぱりこいつしかいない、他の誰かじゃ駄目なんだと言い切れるようになってから関係をはっきりさせても遅くないと思う。
どうせわたしの方は今のところ、東京で出会った中で吉村よりも気になる男の人なんかいないし。向こうがどうかはわからないけど、むしろそういう存在がいるなら、その人とわたしとの違いや差を今のうちにとことん突き詰めて確かめておいてほしい。
ずっと一緒に育ってきて、学校も小中高と同じ。ここで初めて道が別れたのも自分の気持ちを確認するいい機会なのかも。そう考えると、わたしが下手に焦るのも吉村を中途半端な段階で急かすのも、実は悪手なんじゃ…とだんだん思えてきた。
まあ。…今すぐ答えを出すのはいざとなると怖くなった、って事実から目を背けてるって可能性はなくもない。けど。
その日は一緒に街の方へとお出かけしてから、地元の駅へと帰ってきた。電車を降りた時間が早いのでまだ日が高い。
家に帰るには中途半端な時間だ。昼ご飯を一緒に外で食べたから、夕飯は家でって母には言ってある。吉村もそうだと思うから、ここで適当な店に入るとお茶でもデザートでも微妙にお腹たぽたぽになっちゃうな。けど、急いで帰宅しなきゃいけない理由もなく、まだ離れがたい。
そんなわたしの口にしない思いを察したみたいに吉村が、先に立って駅の構内を出たところでふと振り向いて提案してきた。
「まだ時間早いな…、疲れてなければ。海浜公園の方、行く?」
「うん。行く」
声を弾ませたり目を輝かせるほど素直でわかりやすくもないけど。即答だったから、吉村にはわたしのテンションが伝わったはずだ。
ふと目許を緩めて、じゃあ、少しだけ歩こうか。と告げ、海辺の方へと向かう。わたしはとてとてとその後ろについて行った。
「…わあ」
ちょうど、視界に広がる海全体がほんのりと暖色に色づくくらいの時間帯。ついさっきまで高いところに輝いてた太陽もいつの前にかだいぶ傾いて低い地点をゆっくりと目指して動いているようだ。
「日が沈むまではまだ何時間もあるから。夕焼け見るまではいかないかな。ここでそれまで時間潰して待つにはちょっときついし」
「うん。でも、これでも充分きれい。…広いなぁ、海…」
思わず万感の思いが胸に迫り、棒立ちで佇んでいるわたしにベンチに座るよう促す吉村。
「…東京でも海あるでしょ。行ったんじゃないの、お台場とか。湘南の海とかさ」
目線を水平線に据えたまま、吉村に支えられて素直にすとんとベンチに腰を落とす。
「湘南はまだない。…お台場はね、行ったよ割と最近。海浜公園に。けどこんなに広さは感じないな。周りにいっぱい建物や島や橋があるから、視界全部が海とはいかないんだよね」
湘南はわからない、実際行ってみないと。泳ぐ気はないから江ノ島とか、そのうち観に行く機会があるかも。でも。
「この風景はね。やっぱり、他のどことも何かが違うなぁ。…懐かしい、すごく。帰ってきたなって感じがするよ」
「そういえば、何年か前にここでスケッチしてたよね。あのときスケッチブック見せてもらったの覚えてる」
「うん」
少しずつ、ほんのりと。目を凝らすとわかるくらい薄く黄色味がかり始めた海に目をやり、その言葉に小さく頷く。
「わたしも。覚えてる…」
あのとき確か、描いてる絵が目の前の風景と全然関係ないじゃん!って突っ込まれたなぁ。と思い返してしみじみとなった。
あれからもうすぐ三年か。意外と経ってないんだ、これからの大学生活の方がまだ長い。
それだけの年月で思ってたよりいろんなことが変わっていった。念願の東京の大学に進めたのはもちろんよかったし希望通りだけど、それ以外は本当にあのとき想像もしてなかった未来だ。
一人でこつこつと、特に他人に見せずに趣味で描き続けていくつもりだった絵は思いもかけない成り行きで日の目を見ることになったし。
美術部に入ったり画塾に通ったりを経て独りよがりで狭かった表現の幅がだいぶ広がって、あの頃よりはわたしの作品もある程度広く他人の目の鑑賞に耐え得るようになった気がする。
てか今なら、この景色を前にして全然眺めと関係ない空想画を描いてる自分に絶対突っ込むな。いやせっかくだから目の前のものにとりあえず向き合えよ!頭の中のイメージなら自分の部屋でも描けるだろ、って普通に常識的でもっともなことを言いたくなると思う。
描いて上達に近道なしだ。美しい、きれいだとか面白い、興味深いものがそこにあったら。考えるより先にまず反射で目と手をひたすら動かして形にして残せ。っていう、結局奇を衒わない正攻法の考えに落ち着くんだよな。わたしも大人になったもんだ。
それにしても。あのとき、高校一年の夏の段階ではまさか高校卒業直前にギャラリーで友達と二人展を開いて。そこでスケッチと水彩画とはいえ、自分の絵にお金を出して買ってくれる人が現れるとは。そりゃ夢にも思わなかったよな。
いや思えばそれもこれもほぼ全て名越のおかげなんじゃ…とふと気づいてしまい、感慨深かった気分がやや削がれた。それは事実なんだけどさ、冷静に思い返すほどに。
そういえば三年前のあの日この場所で、わたしの方は初めて名越の存在を認識したんだったな。と流れでそんな記憶まで改めて掘り起こされる始末。何だっけ、あの毛玉みたいなぽわぽわの犬。まる子だったかまる代だったか、例の白っぽいポメを散歩させながら遠巻きにこっちを見ていたよな。
あのとき、やけにこっちを眺めてる男の子がいるなぁと印象に残ってはいたけど。それがまさか、遠目にでもスケッチブックの中身ちょっとくらい見えないかなと目を必死にすがめてた。なんて理由だったとは思うわけない。
思えばあの日より前からもう、わたしは名越にロックオンされていたので。あの後の展開は既にこのとき定まっていたんだよな。
だから夏の終わりの平日のあの日に何もかもが始まったんだよなぁとか今、しんみりするのは間違ってる。それはそれとして、三年ぶりに吉村と目の前に広がる午後の日差しを浴びたこの海を二人で並んで見られるのは嬉しい。
「…やっぱり好き。ここから見る眺め」
「スケッチブック持ってくればよかった?」
柔らかな笑みを浮かべてわたしに尋ねる吉村。うん、そうだね。手許にあったら、とりあえず鉛筆を走らせてるとは思う。
今この瞬間の思いを目の前の風景の中に閉じ込めて、そのまま未来に持ってくために。
けどまあ、現実問題残したい全ての光景をいつでもその場で描きとめられるわけじゃないから。と妥協し、わたしはバッグからスマホを取り出してかざした。
「まあ、とりあえず撮っとくわ。それ見てあとで思い出しながら描けばいいんだし」
「あ。…意外とそういうのでいいんだね」
芸術家って、インスピレーション降りてきたらいつ如何なるときもその場で即描かなきゃいけないもんかと思ってた。と煽るでもなく感心した口調で呟く吉村。
「いやそんな、気まぐれな巨匠みたいな日常送ってられないよ。あっと思っても移動中とかそんなんばっかだし。…あとであのときの光景どんなだっけって思い出そうとしても印象だけで、意外と覚えてなかったりするからね。スマホの写真、結構馬鹿になんないわけよ」
「なるほど」
そりゃそうだね。びびっと来たらいつでもさっと撮れて見返せる、昔はなかった文明の利器だよね。と頷いて同意する。わたしは構わず海の方へとスマホを向けてさらに三回ほどシャッターを押し、ちょっと迷ってからどさくさに紛れてさっと真横にそれを向けた。
「ちょっとこっち向いて。…うん、いいよそれで。失礼」
ぴろん、ぴろん。と微かな軽い音がわたしたちの間にこだまする。吉村は臆せず面白がるような口振りでわたしに突っ込んだ。
「それも描くの?てか、俺なんか描いてもしょうがなくないか。直織、人物画も描くようになったんだ」
「うんまあ。…人の形って、脳内で考えて大体こうだろう。って当てずっぽで描くよりちゃんと見て描いた方が違和感を感じさせないしね。風景メインでもわたし、割と人の姿描き込むし。…あと」
ぐずぐず言い訳してないでここはちょびっと正直になるか。とスマホに視線を落として撮れた画像を確かめながら、ぶっきらぼうに付け足す。
「撮っとかないと細かいとこ忘れちゃうからね。あれ、吉村どんな顔だったかな〜とか」
俯いてても隣の吉村がふっと破顔したのが伝わってきたような気がした。
「俺は忘れないけど。直織の顔とか絶対。…でも」
直織、こっち向いて。と声がかかり、わたしが顔を上げるより早くぴろん、ぴろん。とスマホの電子音が響く。
「わ。…急に撮るなよ。近いよ、距離が」
「自分だって今この距離で撮ったのに。じゃあ、ポーズ取る?海を背景にしてそこに立ってよ」
満更冗談でもない顔つきで手を伸ばして立ち位置を指し示す吉村。とんでもない、とばかりにわたしはふるふると首を横に振って拒んだ。
「いやぁ無理むり。カメラ意識したら絶対表情強張っちゃうもん…。そういうんじゃなくてなるべく自然な顔つきで撮ってよ。普段の感じで写るならいいよ」
喋ってる途中でぱっと一瞬スマホを向けられた。ぴろん、と微かな音が耳に入ってから遅れてようやく撮られたことに気づく。
「あ。…もう。撮るって言ってよ、事前に」
「そしたら表情強張るから嫌だって言うじゃん。不意打ちが一番だよ、考える暇もないくらいの。…うん、まあいつもの感じに近いよ」
これ、と言って差し出してきた画面に写る自分は、うーん。まあ、がちがちに強張ってはいないけどさ。
「普段通りって言えば普段通りなのか…。けど、本当にただ喋ってる途中だなぁ。いかにも文句まくし立ててるって感じ。可愛くはないよね…」
「何言ってんの。可愛いよ、いつも通りちゃんと」
まるで照れた様子もなく平然とそんなこと言われてもね。
親戚のちっちゃな子が拗ねたとき、宥めるのに使うタイプの『可愛い』だな。…まあ、いいけど。すごいぶすだと言われるよりは。
こいつのことだからこれで一応本心なんだろう。妹も弟もその辺の犬や猫だって可愛いは可愛いだからね。多分嘘ついてない。
吉村はむくれてるわたしの肘を突き、前方へと注意を促す。
「ほら、見てみ。またずいぶん日が落ちて海がオレンジがかってきたよ」
「あ。…本当だ」
そんなに長い間ここにいたっけ。傾き始めるとあとは面白いように結構なスピードで降りてくるもんなんだな、太陽って。
ほんの少しの時間でこんなに海って表情が変わるんだね、と感嘆して真剣に目の前の景色に見入ってるわたしの真横で、再びぴろりん。とあの電子音が。
「わ、ちょっと。勝手に撮らないでよ。今わたし、間抜けな顔してなかったか?」
「そんなことないよ。さっきより肩の力抜けて自然な顔してると思う。ほら」
わたしが見せろ、と言う前にやや得意げな様子でスマホの画面をこちらに向ける吉村。うーん、まあ。さっきよりは。
「消せとは言わないけど…。どっかに出さないでよそれ。気が抜けてて緩んだ顔してるし、油断してるから」
吉村が見るだけにしておいて。と注文をつけるわたし。わかってるよ、と頷いてからやつは小さく苦笑した。
「申告して改めてポーズ取ってもらおうとすると嫌だって言うし、不意打ちで自然な表情撮ると気が抜けてるって怒るし。難しいなぁ、直織は」
ぎこちない顔つきも何かに気を取られてる感じも、どっちも直織っぽくて俺はいいと思うよ。と真面目な顔を作ってわたしに告げる。ふん、そうやって。変な写真撮ったのごまかそうとして。
「まあ、元が元だから。現実以上にやたらと盛る必要はないけどね…。とにかく、表に出さなくていいから。それ」
「うん。わかってるよ」
わたしの愛想のない突慳貪な物言いを何とも思った風でもなく、にこにこと機嫌よくスマホをしまう吉村。
全くもう、と不服げな表情を作りながら。内心では首尾よく吉村の写真を手に入れられたことに満足、何ていっても近年なかなかチャンスがなくて自然な成り行きでやつの写真を撮る機会がなかったので。
これでいつでも最近の吉村の顔を見られる。最新のでも中学のときのしかなかったからな。卒業アルバムはこっちに置きっぱなしだし。
それだけじゃなく、向こうもわたしの写真を手に入れようと考えてくれたことが嬉しい。吉村もときどきは、何かの拍子にスマホのフォルダの中のわたしの写真を開いて見てくれたりとかするのかな。と考えるとふと口許が緩み、なんだかやけに胸の辺りがほのぼのと温かく感じられてくるのだった。
そして長かったような短いような、大学一年の夏休みの初めての帰省は終わりを迎えてついに最終日となった。
当たり前のように新幹線の駅まで送ってくれる吉村。余計な遠慮したり過保護だよ、と文句を言ったりせずに素直にその好意に甘えることにした。わたしも歳とともに成長してるんだ。
うちの両親も、大智くんが駅まで送って行ってくれるなら安心だね、よろしく!って感じであっさり家の戸口でお見送り。友達連中も今回は、お邪魔になるだけだから…とにやにやしながら全員遠慮したので他の見送りはいなかった。
まあ、別にこいつと二人でも全然いいけどさ。…と内心嘯きつつ電車に乗り込み、並んで座席に着いて揺られている。独特のイントネーションの車内アナウンスを聴き流しながら、そういえばまじで一回もこっちで名越と顔合わせなかったなぁ。と久々にやつのことを思い出し、何だか意外な気がした。
地元ではお互い自由に過ごして絡まない。と口では言ってたけど、それでも偶然を装って顔出すとか。そのくらいのことはやりそうだとちょっと覚悟してた。
けどLINEで一回、帰りの新幹線の指定席番号を知らせてきただけで他は何の音沙汰もなし。正直大河原先生のとこに挨拶に顔出したときは何食わぬ顔して出没するんじゃないかなと覚悟して行ったけど(だから念のため、最初から一人で赴いて吉村に送迎も頼まなかった)、全然現れる気配もなくて拍子抜けした。
まあ、あいつはあいつでこっちで会う人も用事もたくさんあるんだろうし。わたしなんかよりよほど時間が足りないまである。そう考えたら別に意外でも何でもないのかもしれない。
「…次の列車だっけ?指定席取ってあるんだよね、確か?」
吉村の確認の声かけで我に返った。
ホームにたどり着いたわたしたち。目の前にはちょうど、入ってきた車両が停車中だ。一見ちらほらと空席もあるからぱっと乗りたくなるけど、名越から伝えられたのは次の便だった。わたしは頷いて隣に立つ吉村を見上げる。
「うん、…行きの新幹線がめちゃくちゃ混んでたから。一応指定席取っといた方がいいのかな、と思って…」
わたしじゃなく、名越がね。と心の中で付け足しつつ、こうやって名越のことを吉村の前でなるべく口にせずにいる縛り、いつまで続けるのかな?と我ながら疑問に思う。
わたしが思うほど吉村は気にしないかもしれないんだけど…。でも、何だろう。二人の間に感じる何とも表現しかねる違和感のせいで、どっちの前でももう一方の名前を出しづらい。話題を避けるのをずっと続けるのも、だんだん無理が生じて面倒になってきたので。この辺は今後何とかしたいところだ。
アナウンスが入って、今目の前にある車両がいよいよ発車するようだ。少しずつ別れのときが近づいてきた。
「…ごめんね、この休みの間ずっといろんなとこに付き合わせて。資格試験の勉強もあるのに」
入学してからずっと、高校のときよりもまじで勉強きついってこぼしてたから。夏休みは集中できるチャンスだったんだろうに、申し訳なかったな。と反省して謝ると、吉村はそんなこと。と明るく笑って否定した。
「試験本番まではまだ間があるし、全然大丈夫だよ。夏休みも結構残ってるから後半にまとめて課題とかは片付けるつもり。でも、心配してくれてありがとうな」
直織がこっちにいられるの、たった二週間だし。それが済んだらいくらでも頑張ればいいんだから、帰省してる間はなるべく直織に付き合いたいよ。と誠実な口調で大真面目に言われて、どういう意味だろう…と錯覚が起きそうになる。やばい、これは。
すうっと意外に小さな音を立てて発車する前の便。それに紛らわせようとしたわけじゃないけど、わたしはそのタイミングでいきなり小声で吉村に尋ねる。
「吉村の学校ってさ。…割と生徒は男ばっか?女の子はどうなの。それなりにいる?」
「ん?…女子?」
いつもにこにこ、唐突な展開にもまるで動じず温厚な態度を崩さない吉村が珍しく鳩が豆鉄砲を食らったような反応を見せた。
「女の子かぁ。…学年に数人いないことはないけど。電気科だからね、やっぱり少ないことは少ないよ。情報技術だったらもう少し多かったと思うけどね。プログラマとかSEとか、今は女性も多いし」
「でも、ゼロではないよね。専門学校で女の子の友達ってできた?」
何でそんなこと訊くの?とでも言いたげな怪訝な顔。何でも何もないだろ、他の理由なんかあるか。このクソボケが。
けど、あくまで温厚そのものな吉村はここであえてわたしに逆質問などしない。わけはわからないけど、という中途半端な表情を浮かべながらもとにかくその疑問には率直に答えようとする。
「…いや。クラスに三人とかしかいない女子と話す機会とかほぼないし。てか俺、女の子の友達は直織だけだよ。それは進学してからも変わらないなぁ」
高校卒業したらますます、以前よりもっと女子との接点なくなっちゃったしさ。と明るくからっと笑う吉村。
嘘つけ、中学んときの友達の中に何人か女の子いるじゃん。とか高校んときのクラスのあんたのいたグループも、それなりに女子と普通に話してたじゃん。とか言いたいことはないでもない。
けど、ここでこいつに求められてる返答としては点数は満点。事実かどうかはともかく、わたしが聞きたいことを言葉にしてくれるその心根が正解と言える。
「そっか。…なら、大切にしないとね。わたしのこと」
「そうだね。これからもよろしく。…ああ、来ちゃった。この便だよね、直織が乗るの」
さっき前の便が出たばかりなのに、もう次のがホームに到着した。いつも思うけど新幹線って過密ダイヤ過ぎないか。山手線かよ、と突っ込み入れたくなるときがある。
車両番号を確かめ、名越から教えられた号車の隣だな。と考えつつ扉に近づいた。やつとここで鉢合わせる可能性を少しでも減らしたいから、乗ってから車内を突っ切って移動すればいいやと考えて。
「じゃあ。…また連絡するよ」
「うん。次は冬かな…。年末には帰るから」
待ってるよ。と笑顔で手を振る吉村。それだけかい、と不服が顔に出ないようぐっと我慢する。
最後までハグもキスもなかったな。まあ、そういう関係じゃないんで。当たり前っちゃ当たり前だけど。
うぃん、と閉じた扉の内側に立ったままひたと吉村の顔を見つめた。一瞬でも長くやつの顔を見ておこうっていう健気な気持ちとは別に、座席の方に移動したらうっかり名越が吉村の視界に入りかねないから…って危惧もある。冷静なんだか一途なんだか、我ながら複数の感情や思考が複雑に入り混じっている。
ういぃん、と低く唸るような音を立てて新幹線は発車した。少しずつ加速する車両から、ホームがゆっくりと離れていく。
あっという間に手を振ってる吉村の姿が視界の外へと遠ざかっていった。…ああ、これでまた。次はいつ会えるんだろ。
東京に進学するのはちゃんと後先考えて、覚悟して自分で決めたことなのに。今この瞬間の別れはやっぱりすごく寂しい。
はぁ〜、と遠慮なく大きなため息をついてとぼとぼと指定席のある車両の方へと歩いていく。もう人目を気にする必要もない。露骨にがっかり落胆気落ちしてるところを見られて困る相手なんかいない。
吉村の前で何とか平常通り気丈に振る舞えただけでもう燃え尽きた。よく頑張った、わたし。
隣の車両の扉をくぐるところまで歩みを進めると、そこでもうぱっと視界に入ってきた知った顔。
こちらが車両に入って行くなり向こうもわたしに気づいた。
遠くから満面の笑顔でこっちに向けて手をぶんぶんと振ってくる。…いや、全然悪いやつじゃないんだけどね。とその裏心を感じさせない喜び全開な表情を見つつ思う。少なくとも約束した通り、休み期間中ちょっかいをかけてこない分別はあるわけだし。
今だって、あえて吉村との別れの場面に顔を出して水を差そうとはしなかったのは。一応こちらを気遣ってのことだったんだな、ってのは見当がつく。
だけど、それはそれとして。
わたしはやつの隣の席に腰を下ろして、ため息と共に思わず声を絞り出した。
「ああ…、なんか、これで現実に戻る。って感じ」
「はは。…そうだね」
名越は怒るでもむっとするでもなく、わたしのテンション低い失礼な呟きを軽く笑い飛ばした。
はい、これ。いつものやつねと言いながら無糖ブラックコーヒーの缶を差し出してくる。ちゃんとわたしのお気に入りのブランドのやつだ。
「ほい。…お帰り、現実に」
「はあ。ただいま…」
力なく受け応えて、ありがたく冷え冷えの缶を受け取った。
また今日から、ストーカーまがいのわたしの絵のファンに朝から晩まで付きまとわれて世話を焼かれる日々が再開するのか。
まあ。別に、言うほど嫌ってわけでもないけどね。
ぷしゅ。と微かな音を立ててタブを開けると、缶の中からひんやりとした空気が上がってきた気がする。普段愛飲してるコーヒーのいつもの香りを感じると、ますますここがわたしの日常だ。って実感が湧いてきた。
結構長い時間をわたしのために割いてくれたのは嬉しかったけど。結局吉村との間でとくに目に見えた進展はないままだったな。
冷たいコーヒーが喉を落ちていくのを感じながらしみじみと考える。まあ、さほど焦ってるわけじゃないから今は別に構わないけど。
あいつの様子から見るに、もしかして今後も自然の成り行きに任せると案外わたしたち永久にこのままかもな、という気がしてきた。
何だか吉村がわたしへの想いを募らせて焦ったり、嫉妬に身を焼いたり動揺したりするさまが想像つかない。放っておいたら一生ずっと、穏やかな眼差しで見守る後方保護者バージョンのまま進化しないんじゃないだろうか。
本気でどうにかなりたいのなら、いつかは自分の方から動かなきゃいけなくなるのかも。うーん、でもだったら。…何も今じゃなくてもいっかあ…。
と日和る気持ちに引きずられ、ずるずるとこの状態が続きそう。自分の方からアクション起こさないといけないの、わたしみたいな受け身の性格のやつには結構きつい。
吉村がわたしの秘められた内心の思いを察して先回りして動いてくれないかなあ。という虫の良い願望を今は胸の内で転がしているけど。
「…あ、見て見て笹谷。あの看板、すごいセンスじゃね?」
唐突にはしゃいだ声をかけられ、ぼんやりとぬるまった缶を片手に揺らしてたわたしはそこで我に返った。
「えーそうかぁ?…あ、すごいってそっちね。うんまぁ、そういう意味でなら。まあわかるわ…」
「ネタとはいえあり得ないよな。あれで客を呼ぼうとするの、逆にすごいよね」
写真撮っとこ、とスマホを向ける名越。しようもないものにデータ容量を割くんじゃない。
こういう阿呆みたいなノリ、久々だな。と実家のような安心感(今朝出てきたばっかりだけど、本物の実家)。これはこれでまあいっか。という肩の力が抜けた気分の一方で、やっぱりわたしの卒業までには何とか吉村との関係の方向性が定まるとありがたい。でも最終的には相手任せじゃなくて、自分の方から動かないと始まらない可能性も高そう…という懸念がほんのちょっと。胸の中に薄い翳のように萌しては消えた。
《第22章に続く》
現実で幼馴染み同士のカップリングが少ないように思えるのはいろいろ理由があると思います。単純に成長するに従って住む場所がばらばらになったり、進路が分かれて人間関係が各々広がるからとかね。
そのうちの一つに過ぎないかもですが、子どもの頃の距離感から恋人同士の関係性へと変換するのが難しいからなのかなぁ…という気がする。自然にそうなればいいけど、タイミングに悩んだり上手く表に出せなかったりってのはありそうだよね。
せっかく一緒に過ごす時間をたっぷり取ったのに、どうしても一歩が踏み出せずに終わった十九の夏。ま、結局お互い楽しめてたのならそれもいいか!




