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ヒカリには死がつき纏っていた。
それは7年前。剣を授けられる10歳の誕生日を目前に控えた冬の日だった。
「…………ぁ」
「起きたかい? どこか痛んだりはしないかい?」
虹がかかる青い空の上のほうから、短い髪の女性が覗きこんできた。
血が鋭く匂っている。
「う……はい」
「もうしばらく横になるといい」
ヒカリは頭の裏の変な感触を確かめようと、手を伸ばす。突然に触れた柔肌。
「――ひゃっ! あ! ご、ごめんね。嫌だった……かな」
それは膝枕だった。
ヒカリは、自分に声をかけてくれて、膝まで貸してくれているこの女性は誰か、と疑問に思った。
「…………そんなに見つめられると、照れるな。勇者とあろうものが、ごめんね」
「――ゆう、しゃ……?」
「そう、ぼくは勇者。だから安心して。君はもう、大丈夫……だから…………」
勇者は言い淀む。まだ幼いヒカリにその真意は汲み取れない。
頭から滴る血を手で拭いながら、勇者はヒカリに笑いかけた。
地面では2人の血が混じる。
――それはヒカリが故郷を失った翌日のことであった。
「勇者様、その子はどうされるのですか?」
「孤児院……かな。大丈夫、ぼくがおぶっていくから」
「いえ、勇者様にそんな手間はかけさせません。私がおんぶします」
「やだなぁ、ラブ。ぼくが子供好きなの忘れちゃった?」
「……そう仰るのなら。しばらくは勇者様を取られてしまいますね。羨ましいです」
「いじわる言わない。ヒカリが困っちゃうでしょ」
勇者と、彼女の仲間が3人。そして帰る場所を失ったヒカリ。
「あ、あの……私、自分で歩いていきます」
「ん、わかった。一緒に行こう」
勇者と共に歩いた一週間。
置いていかれたくなかった。ヒカリには、あの後ろ姿しか追いかけられるものがなかった。
――それなのに、あの人は、あの勇者は、置いていってしまった。それも、もう3年も前の話になる。
「勇者よ、安らかに眠れ」
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天井から降りてくる埃にむせて、ヒカリは目を覚ました。
色々なことが起こりすぎた昨日。師匠たちの葬儀は明後日に決まった。
そして肝心の今日、ヒカリが朝一番に顔を合わせた相手は――
「――大人しくしててください。ボクの監督責任なので」
「バカ真面目。あんな仕打ちにあってもまだそんなこと言ってられるの?」
言葉を交わすたび、ラヴとはやっていけそうにない、とヒカリは思い知らされる。
「やっと勇者になれたんです。こんなところで失敗するわけにはいかないんです」
「そう。可哀想に」
返事をしながらヒカリは身支度を進める。
部屋も着替えも、そこそこの物を貸し出された。さすがは勇者の身分。土地が与えられずとも、腐っても勇者らしい。
「勇者として務めを果たさなきゃ」
まずはこの龍都を下りて、ふもとの商都を目指す。
交通の要衝であり商業が盛んな商都であれば、龍言で命じられた『強者』とやらも見つけられるだろうという建前。
本音は、明後日の葬式に参列するためだった。
「じゃ、私はここでゆっくりしてるよ」
「ダメです。ボクとついてきてください」
ラヴは寝間着のまま、足をテーブルに乗せ座っている。
「なんで? 私のこと嫌いなんじゃないの?」
「そうですけど、あなたに自由を許すわけにはいきません」
「それって正義感?」
「いえ、ボク個人の……後悔です」
へぇ、と軽く受け流すのがラヴだ。ヒカリの鬱憤は増大するばかり。
彼女にどんな感情を向けるべきか、思い悩むことさえ煩わしい。
「どうでもいいけど、よく我慢してられるね。あんたの師匠を殺したってのにさ」
「……我慢?」
その一言は、ヒカリの思考を吹き飛ばすのに十分すぎるほどの威力を持っていた。
彼女はゆっくりとラヴに歩み寄り、その憎ったらしい顔面を殴りつけた。もう一発、思いっきり殴り飛ばす。ラヴを椅子から転げ落とした。
「…………いいよ。やってみなよ」
ラヴは澄ました顔でヒカリを煽る。どこまでも平気な顔で、それがどこまでも挑戦的に感じさせた。
「本当にッ、あなたは――!!」
足が出た。ブーツのつま先がひしゃげるくらいに強く、そして執念深く蹴り飛ばす。
続けざまに椅子の背もたれを持ち、床を転がるラヴに向けて振り下ろした。ラブという殺人鬼の肉体のやわらかさが、鈍い反動となってヒカリにも伝わる。
「こうやって、こんなふうに人を痛めつけて、何が楽しいんですか……!!」
「……楽しみ方があるんだよ」
「は?」
ますます理解不能な返答。
会話すらもできない相手だと感じたヒカリは椅子を手放す。衝撃で椅子の脚が折れた。
「あなたの相手は……疲れます」
深いため息とともにその場にうずくまった。
対して、ラヴは平気そうに立ち上がる。まったく痛がる様子がない。
「それはお気の毒に」
ラヴは埃を払うと、着の身着のまま玄関を開けた。
「ちょ、ちょっと待ってください! 一体どこへ!?」
「……行くんでしょ? 商都に」
その思いがけない返答に、ヒカリは急いで身支度を済ませるのだった。