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窓に新月が見えていた。
そこは休憩用に与えられた聖堂の個室。
ベッドの端に座り、無地の壁を眺める。無情に時は流れた。それでも誤魔化しきれない無尽蔵の闇。
「……ヒカリ殿、お時間よろしいかな?」
龍吏の声だ。ヒカリは朦朧とした中で、その言葉を受け取る。
「はい……どうぞ」
ヒカリは一歩も動かない。
扉を開けて中に入ってきた龍吏も、彼女ほどではないにしろ、暗い気持ちに沈んだ面持ちであった。
「お悔やみ申し上げる。しかし、ヒカリ殿ではどうすることもできない相手だった。悲しみに身を任せるのも、また傲慢だ」
「……何の用ですか」
「この非常事態だ。祝龍様への謁見は中止。しかし、代わりに私が龍言を賜ってきた」
「龍言? ボクにですか……?」
龍の言葉は何よりも強い。その証拠に、それを預かる龍吏に対しては大陸の王たちでも頭が上がらない。
ましてや、祝龍の言葉を裏切るなど、断じてあってはならなかった。
「カウンテラへの配属予定だったが、それよりも大事な勅命だと仰せあそばされた。心して聞きたまえ」
龍吏の身体が光を纏い始める。光の正体は龍の魔力だ。
この間、龍吏は龍になる。ヒカリは伝え聞いていたが、実際に目の当たりにするのは初めてだった。
「此度の勇者拝命、大変にめでたく存ずる」
「……ボクは、喜べません」
ヒカリにはもう、礼儀に付き合う気力も残っていなかった。
「汝には大陸各地の強者たちのもとを訪ね、彼らが勇者になるように働きかけてもらう。どの者を強者とするかは汝の尺度に任せよう」
「……それじゃあ、カウンテラはどうなるんですか? ボクがそんな旅に出たら――」
――カウンテラを守る勇者がいなくなる。
勇者はそれぞれの土地を守る存在だ。勇者の数が不足しつつある今、そんな筋の通らない勅命があるものか。
「汝に土地は与えぬ。我が勅命が最優先だ」
「な――え? そんな……!? そんなのあんまりじゃないですか!!」
勇者に土地が与えられないということは、守るべきものが与えられないということ。
それはつまり、勇者に下される追放処分も同然だった。
「もう不平不満を口にするか。まだ話は終わっていない」
「え…………?」
扉が蹴り破られる。木が裂ける音とともに現れた女。
眩しいほど白く映える髪。それだけではない。色というものを忘れて生まれてきたかのような白い肌。
透明よりも透き通った白い瞳。
そしてそれら全てを打ち消すかのようなどす黒いドレス。
師匠の仇、“勇者殺し”をヒカリが見間違うはずもなかった。
「あ、あ――――!!」
言葉が出てこない。驚きだけが間抜けな音となって発せられるだけだった。
ヒカリは“勇者殺し”を指さしながら後退し、部屋の窓辺まで追いやられる。
「りゅ、龍吏さん……! あ、アイツがっ!!」
彼女に気づいていないのか、無反応な龍吏。
「汝と運命をともにする者の名はラヴ――――今では“勇者殺し”としてその名を汚す愚か者だ」
当の彼女は虹色の剣を持っている。ヒカリも腰の剣を抜こうと……したが、今の彼女にそんなものはなかった。
彼女が別れたのは師匠だけではないのだと思い知らされる。
防ぐ手立てはない。“勇者殺し”がヒカリに斬りかかった。
その刃が彼女の首に深く沈み込む。
「ヒカリって名前なんだ。最悪」
だが、どういうわけか首が切られない。痛くもない。ただ、少し苦しかった。
「――ぁがッ! ぐ、うぅぅ…………」
「死ね。死んで。お願い」
ヒカリは死にたくない。その剣を押し返そうと足掻く。
しかし、力の差がわかるだけだった。
「……無駄だ、ラヴよ」
龍吏が呼び止めた。
「そんなわけない。私が殺してみせる」
「|お前にヒカリは殺せない《・・・・・・・・・・・》」
話題の中心になっていても、ヒカリは話に置いてけぼりである。
ラヴと呼ばれた彼女――“勇者殺し”が諦めたように力を抜いたおかげで、ヒカリも話すことができた。
「一体、な、何の話を、しているんですか……」
「汝とラヴは、“血の盟約”を結んでいる」
「え? “血の盟約”って……勇者がその従者と交わすっていう――」
「――そうだ。不殺生の契りである」
ヒカリも師匠から聞かされていた。勇者になれば“血の盟約”でもって仲間を作る必要がある、と――。
「……え? それってつまり、ボクの仲間って」
「私。あんたと契約を交わしたことなんてないのに。ないよね?」
ラヴは首をかしげる。襲撃の際に感じられた気迫は微塵も感じられない。別人かと疑いたくなるほどだった。
「ぼ、ボクにも身に覚えがありませんし……何かの間違いじゃないんですか」
「現実が間違えていることもあるのよ」
ぶっきらぼうに言い放った彼女はヒカリのベッドに寝っ転がる。
「つまり、ボクたちは本当に“血の盟約”を……?」
――“勇者殺し”が、仲間。師匠の仇が……仲間?
信じられない。信じたくない。ヒカリの頭は混乱しきっていた。
「だって、だって……あなたはボクの師匠を……たくさんの勇者たちを…………それなのに、どうしてボクの仲間なんですか」
「それ、私のほうが聞きたいんだけど。一体どこの誰からの許しがもらえるの?……ってさ」
少なくともヒカリではない。今にだって彼女は処刑台に運ばれるべきだ、と感じている。
「――そうだ! そうですよ! 龍吏さん、どうして彼女を処刑しないんですか!?」
「私には龍の御心はわからん。処刑ではなく、ヒカリ殿の旅に同行させよ……とのお達しだ。つまり『彼女を殺すな』と仰せあそばされたのだ」
龍吏は彼自身に返っていた。その言葉は龍言ではない。
「……ただひとつ確かなのは、ヒカリ殿に与えられた任務。ラヴとともに、強者たちを勇者に誘うこと。わかったな」
「ひ、ひどいです。そんな――」
「――わかったな!?」
「…………わかりました」
――わかってたまるか。
どうやら、内心で毒づいても無駄。ヒカリの運命はすでに決まってしまっているようだった。