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「では、コホン……ヒカリ・スターレイン! 特命により、貴女をカウンテラの筆頭勇者に任ずる!」
龍を模した魔除けのタイル床からヴォールト状の天井まで、大講堂に朗々たる声が響き渡る。
ステンドグラスに描かれた創世記時代の龍が、その新米勇者に色を落とす。
普段はまったく着飾らない彼女も、爽やかな風が吹き抜ける今日この日ばかりは、華やかな衣装に身を包んでいた。
「は、ははー……!」
その少女――ヒカリは龍吏に対して深々と頭を下げる。世界一の高官相手なら頭を下げすぎることはない。
続けて、彼女の勇者拝命の儀に参列した勇者たちにも礼を向けた。
彼女が勇者になる夢を叶えられたのは、どこかの勇者が死んで、その席が空いたからである。
拝命の儀が葬式と同日に執り行われていなければ、こうも出席者は多くならなかった。これほどの数の勇者がいても、ヒカリの顔見知りは、彼女の師匠ただひとり。
壇上から師匠を見つけたヒカリは、思わず感極まった。
「ありだとうございます……っ!」
「うむ。任期は1年間。貴女が赴くカウンテラは内地で穏やかな街であるが――」
――という話が10分ほど続くが、ヒカリの耳には入ってこない。これからのことを考えるので頭がいっぱいだった。
「――では、ヒカリ殿からも一言、ご挨拶をお願いいたします」
「あっ、はい! えと……」
現実に引き戻されて早々、何を話すつもりだったのか飛んでしまった。昨晩もスピーチの練習をしていたのに、練習したことしか思い出せない。
しかし、慌てふためくのも束の間。自ずとヒカリの脳裏に言葉が浮かんでくる。
「ボク――いえ、私は9歳のころに魔王軍の襲撃で故郷の村を、家族をなくしました。当然、私自身も大怪我を……」
会場中の目がヒカリに向けられた。彼らは葬儀のついでで出席した勇者たちだ。そんな先輩勇者たちに向けて、ヒカリは話す。
「いま私がここに立っていられるのは、勇者様がお救いくださったからです」
あのとき死にかけていたヒカリに、自らの血を分け与えた勇者の姿。あの後ろ姿を追いかけて、ここまでやってきた。そして、これからも。
「私は……誰か、ひとりでも――ひとりの命でも助けられるような、そんな勇者になりたいです!!」
内から湧き上がってきた決意を確かめるように、ヒカリは頭を下げて挨拶を終えた。
自身の番が終わったことで、ヒカリの心にも余裕が生まれてくる。
彼女が頭を上げると、会場中が笑っていることに気づいた。
あからさまに嘲笑うことはなくとも、まるで小さい子供の発表を見るかのような、本気ではない目。
目を合わせたくない。あの人も、この人も、みんな鼻で笑っている。
気合を入れるために髪を短く切ったことも気になってきた。肩より上は変だったろうか、と。
――師匠……。
彼らの視線から逃げるように師匠のほうを見る。しかし、当の師匠はそっぽを向いていた。
「……確かに、大事な心がけです。ちかごろは勇者による不祥事がよく取り沙汰されます。勇者たる者として、断じてそのようなことは――」
不意に龍吏の言葉が途切れる。いや、途切れるというよりも、かき消された。
吹き抜けの大空間が歌声で満たされる。
「だ、誰ですか!?」
所在不明。そして、個々人の顔ぶれの中に思い当たりがないほど、透き通った歌声。
旋律の高いところから低い場所へ、おぼつかない足取りで下りてくる。
発言を邪魔された龍吏は舞台上から聴衆を見回した。
残響がやってくる。みんなが息を呑んで聴き入っていたさなか、噤まれた響き。
わずかな空気の揺れが、衝撃をともなってヒカリに伝わったのは、その瞬間だった。
それは一番後方。
「――うあ、ああああああああああああ!!!!」
ヒカリの意識の外側から、悲鳴が入り込んでくる。
それよりも、ヒカリは女の横顔しか目に入らなかった。赤黒い化粧を肌に乗せた横顔に。
笑っていた。
先程までヒカリに対して薄ら笑いを浮かべていた彼ら。彼らが力なく倒れている。床に転がっているのは、ひとりや2人どころではない。
そして、女は機嫌よく鼻歌をくりだす。あの歌声。
だんだんとヒカリの視界も広がってきた。
女のしなやかな手が握るは、虹色の剣。白く長い髪が重力のままにぶら下がり、黒いレースのドレスとのコントラストを生んでいる。
「何だッ! 何が起きているんだッ!?」
「え…………」
言葉が抜ける。あまりにも突然の虐殺に、ヒカリは力が抜ける感覚を覚えた。
年を召している龍吏も、この事態には声を張り上げる。
「“勇者殺し”だ!! 勇者は逃げろおおお!!!!」
当然のことながら、防具を身にまとい儀式に出席するような勇者はいない。
勇者も“勇者殺し”も、互いの一撃が致命傷になりうる。龍吏の言う通り、逃げるべきだった。
「あれが……“勇者殺し”なん……ですか」
「そうに違いない! ヒカリ殿も今すぐに逃げなさい!!」
式の最中からは想像もつかないような鬼気迫る形相。確証はないようだったが、それでもこの気迫には説得力を感じた。
しかし、ヒカリはその場から動けなかった。
「ま、待ちたまえ! いくら勇者といえど、お前ではあの者が切り捨ててきた屍の足しにもならんぞ!!」
龍吏がヒカリに掴みかかり、舞台袖に引っ張り込もうと必死になった。
しかし、ヒカリの視線はある一点に釘付けになる。
「し…………」
――あの女が次の標的に定めているのは、白髪まじりの壮年だった。
「師匠ォーーッッ!!」