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良い人間から先に死んでいく。
そうやって世界は回る。そうやって世界は人を轢き殺していく。
――3年前、勇者は死んだ。魔王と刺し違えたのだ。
生き残ってしまった勇者の数はおよそ800人。
魔王のいない世界で、勇者は利権に腐り果てていくのであった。
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血だらけの拳。
「勇者アームストロング様!! ありがとうございますっ!!」「アームストロング様、ばんざーい!!!!」
ゴーレムの大群を叩き壊しただけで歓声を浴びられたのも、ひとえに人類が危機に瀕していたからである。
魔王がいなくなった今、それだけの感謝を向けられることはない。
きれいな拳。
家族ができた。死地を忘れた。
女は笑う。
「『忘れた』? これだから、死ねなかった勇者は無様なの」
月明かりが、その横顔を青く照らす。
真っ白な髪、真っ白な肌、真っ白な瞳、真っ黒なドレス。そして虹色の剣。
「お前……死んだアイツのことをまだ忘れられないのか! 時代は変わったんだ! 勇者は金を回すのが仕事なんだよ!!」
「……命乞いに不慣れなのは結構なことね。勇者アームストロング」
アームストロングは必死になって言葉を探す。彼女の気を変えられる言葉を。
しかし、出てきたのは脅しにもならない脅し文句のみであった。
「本気で俺を殺すつもりなのか……? 俺は勇者だ。俺にその刃を向けようものなら、いくらお前でも他の勇者が黙ってないぞ!」
「黙らせる。ひとり残らず、ね」
「黙らせる? 何を言ってるんだ……? ま、待てよ!? まさか……お前が“勇者殺し”だったのか!? やめッ、やめろ!! 来るなあああ――――ッッッッゥア!!」
身を守るために突き出した両腕が、絨毯に転がった。
「ッくぅぅぅぅ…………アアアアアアアア!!!!」
女は顔色ひとつ変えない。
「どう? それが人々の苦しみ」
「苦しみ……? 一体何のことだ……」
「この地域は不作続きで飢餓が発生してる。勇者であれば、当然、施しはするよね?」
「あ……ああ、ああ。もちろんだ」
「なら、どうやって施す?」
女は、アームストロングの腕だったものを踏み潰す。
「ウッ――うう……」
痛覚は繋がっていないが、それでも、自分の腕が潰される光景は見るに耐えなかった。
「貴様は私腹を肥やすことに夢中になり、金を、飯を、幸せを……独り占めした――」
「――わかった。わかった。俺がいけないんだ……だから、命だけでも、助けて…………」
女はアームストロングの話をよそに、部屋の暗闇まで血の足跡を延ばす。
「私は命乞いを聞きに来たんじゃない。殺しに来たの」
そんな声とともに、アームストロングの眼の前に何かが投げ込まれる。
何か。それは彼にとってかけがえのない、大切な人。
「あ……ああ……あああああああああああああああ!!!!」
妻、そして息子。アームストロングはその2つの頭を抱きかかえようとする。
腕のない身体では、覆いかぶさることしかできなかった。
「それで? 私に何か言いたいことがあるんじゃない?」
「……よくも。こ、こ、んな。よくもおおお!!!! 家族は関係なかったのに!!!! どうして!! どうしてえええ!!!!」
「『関係なかった』、そう言った? 勇者アームストロング――貴様には負い目があるらしい。死ぬべきだ。死んで幸せになれ」
女は血に濡れた剣を手放した。そして、痛みに食いしばるアームストロングの顔に手を添える。
「貴様はもう、魔物に拳骨を食らわせることも、最愛の家族を抱きしめることもできない――」
女は、慈愛に満ち溢れた顔をしていた。
「――勇者失格ね」
その言葉とともに、アームストロングの顔は握り潰された。
「****野郎めが……」
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後日、王国から派遣された調査団は、アームストロングとその妻、一人息子、つまり一家全員を頭部を失くした状態で発見したと報告している。
また、彼が独占していた鉱山の所有権利書の数々に、赤黒い文字でこう綴られていた。
『勇者よ、安らかに眠れ』
鉱山の所有権は付近の村に引き渡された。
それまで餓死者を出していたその地域一帯が、鉄鋼業で栄えることになるのは、また別のお話である。