Lは勿論大好物だがSも尊い
あれから数日が経った。
俺はもう一度服を洗い、池で体を洗った。
今度はただ水洗いするんじゃなくて、ネストルさんに少量のクエン酸を作ってもらって洗剤代わりにした。
酸っぱい木の実もあったし、ネストルさんに説明したらすんなりとわかってくれたから、クエン酸なら洗剤として使っても環境に影響は与えないだろう。
何か体内に合成できる成分があれば作れるとか、凄すぎる。
洗濯を終えると、葦みたいな細長い葉を叩いていて柔らかくして丸めたスポンジみたいなもので体を洗う。
体を拭く用の布も出してもらったし、俺はネストルさんの複製機能をめちゃくちゃ活用させてもらっていた。
何であれからすぐにスーダーの街に行かなかったかと言えば、色々準備したかったからだ。
ネストルさんはすぐに行こうと言ったが、俺は自分の考えを説明し、必要なものの準備をしたいとお願いした。
はじめは行けばもらえるとネストルさんは不思議がったが、それがどうしてかを俺が説明すると、少しションボリしてしまった。
どうやらネストルさんは、ある種、脅して奪っていたと思ってしまったらしい。
悪気があった訳ではないし、実際問題ネストルさんはこのあたり一帯を守っている存在であるから、その対価として差し出されたものを貰うのは別に悪い事ではないのだ。
ただ俺がそれに便乗するのは少し筋が通らない。
だから俺はきちんと欲しい物が買えるように、自分で準備したいのだと説明した。
ネストルさんは今まで通りで問題ないと話したのだが、それでもやっぱり少し思うところがあったようで、ここの所、どこかに出かけては帰ってきた後ずっと寝ている。
何か余計な事を言って落ち込ませてしまったみたいで申し訳ない。
俺はと言うと、体調が普通に生活できる状態になった事から森の中も一人で歩き回ったりしていた。
もちろん、森は安全な事ばかりではない。
だから基本的にはネストルさんがいる場所の近くか、寝床にしている場所から離れないようにしていた。
さすがはこのアルバの森の主であり、一帯を統べるマクモのルアッハなだけあって、ネストルさんの気配がある場所には、俺にとって危険なものは近づいて来なかった。
そんな感じで俺は必要なものを揃えていった。
ただどうしても森の中のものでは用が足らないものは、ネストルさんにお願いして作ってもらって用意した。
「いよいよ明日か……。」
万全の準備をしたつもりだが、どうなるかわからない。
本当に売れるだろうか?
俺は上手くやれるだろうか?
不安は尽きない。
ネストルさんはもう眠っていて、規則正しい呼吸の振動が眠気を誘ってくれる。
俺は空を見上げた。
アミナスの夜の光が天水に揺らめき、とても綺麗な夜だった。
「うわあぁぁ~っ!!」
ネストルさんの背中に乗り風を受けながら、俺は思わず感嘆の声を上げた。
この世界に来て初めてアルバの森を抜けたのだ。
木々のまばらな広大な草原。
その草原もやはり、青みががっていた。
この世界は生態系や生物の様式等、元の世界とさほど大きくは変わらない。
菌類があり、微生物がいて、大地の大半を植物が覆っている。
それを食べるもの、植物を食うものを食べるもの。
雨が降り、ここで言う太陽のアミナスが輝き、池や川がある。
「ネストルさ~ん!!この世界に海はあるんですか~?!」
道なき草原を疾走するネストルさんに尋ねる。
森を出て少し速度を上げたようだ。
力強い筋肉の動きによって、背中は絶叫アトラクションのように揺れる。
「何だ~?!コーバー?!」
「海ってあるんですかぁ~っ!!」
「海ってなんだ~っ?!」
「はてが見えないくらい~!どこまでも続く大きな水のある場所です~っ!!そんでもって塩辛いんです~!その水~っ!!」
「あははっ!!コーバーのドルムには変なものがあるんだな?!そんな大きな塩湖はないぞ~っ!!」
どうやらこの世界に海はないらしい。
ふと、さやさやと小雨が降っているのに気づく。
小雨というより霧雨に違いかもしれない。
この世界の雨は、天水から降るものと大気中の水分が大気でいられなくなって降るものの2つがある。
そしてどちらも晴れた状態で降るのだ。
この世界の雨は降ると嬉しくなる。
光り輝くアミナスの下、狐の嫁入りよろしく雨が降る。
雨粒が虹色にキラキラ輝いてとても綺麗だ。
何か妙にテンションが上がる。
「ネストルさ~んっ!!」
「何だ~?!」
「虹は?!虹はありますかぁ~?!」
「虹~?!」
俺がそう聞いた時だった。
パアァァァ~っと周囲が輝いた。
「えっ?!」
「おおっ!コーバー、ちょうど出たぞ!虹が!」
「えっ?!ええぇぇぇぇ~っ?!」
ネストルさんはそう言って速度を緩めてくれた。
少し盛り上がっている小さな丘のような場所に立ち、広い草原を見つめる。
「……何………これ………?!」
「虹だぞ??見たがっていたではないか??」
「俺の知ってる虹と…違います……。」
「そうなのか??」
「はい……。」
それは幻想的な光景だった。
ここを異世界と呼ぶに相応しい光景。
あたりがほんわりと明るくなり、大きなシャボン玉のような光の球体が淡く輝く。
それがいくつも飛んでいるのだ。
「……うわぁ………。」
「しかもなんと白き虹だ。これは滅多に見られないもので、幸運を招くと言うぞ?」
「白き虹……。」
その幻想的な光景を、俺とネストルさんは言葉無く見つめる。
淡く輝くその玉は段々と数を減らし、やがてなくなってしまった。
「……幸先良いな、コーバー?」
「そうですね。」
「きっとお前の作戦は上手く行くことだろう。」
「だと良いんですけどね~。ちなみに普通の虹はどんなのなんですか??」
「ん??様々な色の玉が飛ぶ。ただ、さっきの玉よりかなり小さいのだけれどもな。」
街に近づくと、結構木々が多くなってきた。
森というほどではないが、林がポツポツある感じだ。
その林の一つで、ネストルさんが足を止めた。
「………ネストルさん??」
「コーバー、ここからは悪いが歩きだ。重いかもしれぬが荷物を持て。」
「それは構わないのですが……??」
ネストルさんはそう言うと、ずんずんその林の中に入っていく。
林の中では、小さなナートゥ達が突然現れたマクモに慌てふためいていた。
「………この辺で良いか……。」
ネストルさんは少し開けた場所を見つけると、その場を広げるために数本の木を切った。
何をするのかわからないが、ネストルさんはネストルさんで何か考えがあるのだろう。
俺は少し離れて、邪魔にならないようにそれを眺めていた。
「まぁ、こんなものだろう……。」
辺りを片付け、ネストルさんはそうつぶやく。
そしてくるりと俺を振り返った。
「コーバー、少しの間、持っていて欲しいものがある。」
「わかりました、何でしょう??」
「今出すから待っておれ。」
ネストルさんはそう言うと、布を出してくれた時の様に動かなくなった。
そしてペッと何かを吐き出した。
それをそっと足で踏んで、ネストルさんは中のものを咥えた。
「………え?!ええぇぇぇぇっ?!」
俺のところに来て、それをぽとりと落とす。
俺は両手を広げてそれを受け取ったのだが……。
「えっ?!ええっ?!何ですか?!これ?!」
俺の手の中には、ネストルさんのミニチュアバージョン……赤ちゃんみたいなものがあった。
くったりとして動かないそれに、俺は大慌てになる。
「え?!赤ちゃん?!……死んでる?!」
「赤子ではない。影子だ。」
「影子??」
「説明するより、見た方が早かろう。しばし待て。」
ネストルさんはそう言うと、さっき作ったスペースの真ん中に立つ。
そしていきなり口から無数の糸を吐き出し始めた。
「ええぇぇぇぇっ?!」
ネストルさんが糸を吐くとは思わなかった。
俺は影子を抱きかかえながら、固まってそれを見つめる。
糸はどんどん出てきて、やがてネストルさんをも覆ってしまった。
どうしたらいいのかわからない俺の目の前に、巨大な繭玉みたいなものが出来上がった。
え??何これ??
もしかしてこの繭玉の中にネストルさんがいるのか??
ゆっくり近づき、繭を作る糸に触れた。
見た目の割にかなり頑丈な物だった。
「……ん~、やはり何かしっくりこぬなぁ~。」
突然、腕の中の影子が喋った。
びっくりして視線を落とすと、動かし方を確かめるようにもぞもぞ動いている。
「ええぇぇぇぇっ?!」
「……そんなに驚くな、コーバー。」
「へっ?!えっ?!何?!……もしかしてネストルさん?!」
「左様、我だ。」
腕の中の影子が、下から俺を見上げている。
…………可愛い。
え?!大きいネストルさんもめちゃめちゃ可愛いんだけど!!
何ですか?!このミニマムネストルさんはっ!!
「うわあぁぁっ!!可愛い~っ!!!!」
「うぎあぁぁぁぁ~っ!!コーバー?!落ち着くのだ!!」
俺は興奮リミットが弾けとんで、ムギュ~っとミニマムネストルさんを抱きしめた。
うおぉぉぉっ!!なんて可愛い!!
にゃんこだ!!
大型種のにゃんこだぁ~っ!!
俺は抱きしめてスリスリする。
何?!何なのこの裏技?!
影子?!めちゃめちゃ可愛いっ!!
「コーバーっ!!苦しいっ!!離すのだ!!」
小さくなったせいか、いつもより高い声でネストルさんが叫ぶ。
ジタバタしてるのもめちゃくちゃ可愛い~!!
「むふぅ~。ネストルさん、可愛い~。大きいのも素敵だけど、ミニマムも最高~。」
「……とりあえず、コーバー?正気に戻ってくれまいか……?」
何を言っても俺が離そうとしないので、ネストルさんは諦めたように脱力してしまった。
だらーんとなすがままだ。
「うわぁ~!だらーんも可愛い~!!」
ぐにゃぐにゃに柔らかい全身。
可愛すぎる!!
しかしあまり構いすぎてもネストルさんが可哀相だ。
俺はぐにゃぐにゃなネストルさんを楽なように横抱きにしてなでなでしてあげた。
「………気は済んだか……??」
「済んでませんが、ネストルさんも疲れてしまうと思うので、今はこのへんで諦めます。」
「そうか……。」
ぐったりしてしまったネストルさん。
思わずテンションが上がりすぎてしまったが、こんな可愛いものを抱っこしていて正気でいられる奴なんていないに決まっている。
「え?!でもネストルさん、前に小さくはなれないって言ってましたよね??」
「ああ、質量的にな。だから小型になるには使わない分をどうにかせねばならんのだ。」
「それで……これですか??」
「ああ。本体は中で休眠中だ。少しの間なら、これで大丈夫であろう。」
「……で、これは影子ですか??」
「うむ。コーバーに言われて我も考えた。確かにこの形でスーダー達の所に行けば、我から対価を取ろうなどとは思わぬだろう。」
「そんな…ネストルさんはこの地域を守っているのだから、それはそれで構わない事だと思いますよ?」
マクモのルアッハが実際どんな事をしているのかはわからないが、そこに大きな存在があればその地域の治安や秩序の維持等では大きな意味がある。
「守っておると言っても、最近は喧嘩をふっかけて来るような輩もおらなんだし……我は何もしておらぬ……。」
けれどネストルさんはイジイジとその小さくなった体で落ち込んでいる。
可愛い……イジイジしてるミニマムネストルさん、可愛すぎる……!!
思わずぐりぐり顔を押し付けて、すーはーしたい衝動に襲われたが、グッと堪える。
これ以上、変態を晒してはネストルさんに嫌われかねん。
「そんな事はないと思います。俺はこの世界の事はまだ何も知らないけれど、ネストルさんがマクモとして存在するこの地域に住む者は、とても幸せだと思いますし。」
「何故、そう言える??」
「この世界の事は知りませんが、その地域を治めていた場合、自分の要求を周囲に押し通す者だっていると思います。」
「まぁ、マクモによっては色々要求したり、その地域のものは全て自分のものだとして好き勝手するものもおるがな。」
「でしょ?だから、こんなに優しいネストルさんが守ってくれているこの地域の人は幸せだと思います。ネストルさんだから、皆、安心して暮らせているのだと思いますよ。」
「………だと、良いのだが……。」
小さなネストルさんは俺の腕の中で、照れ臭そうに俯いた。
ヤバい…鼻血が出そう……。
何ですか?!この尊い生き物は……っ?!
「………コーバー……。」
「はい……。」
「鼻息が荒すぎる……怖い……。」
「これでも色々、堪えているんです……鼻息は許して下さい……。」
真面目な話をしているのに申し訳ない……。
でも、ネストルさんが可愛すぎるのがいけないんです!!
もしも溢れんばかりの金があったら動物に囲まれて暮らしたかった様な人間に、ビッグネストルさんだけでも興奮冷めやらないのに、こんな尊いミニマムネストルさんを目の前に出されて!しかも抱っこしてて!たまらんってなるのは仕方がないではないですかっ!!
俺は影子という思いもよらないネストルさんの裏技に、完全に思考回路がやられていたのだった。