隠れ家の老紳士
モエさんの経営しているというカフェバー「フセル」は、大通りを1本入ったところにあった。
落ち着いた雰囲気のアンティークな店で凄くお洒落だ。
この時間からはバーとしての顔の方が強くなるのか、シックな客層が情緒を漂わせながら静かに飲食を楽しんでいる。
俺は一度深呼吸をして店の木戸を開けた。
「いらっしゃいませ。」
カランコロンとレトロな感じでドアに付いた鈴が鳴る。
すぐ横のカウンターから、マスターらしき落ち着いた雰囲気の老紳士がバリトンボイスで微笑んだ。
店内も品のいい上品な内装で、所々にアンティークが飾られている。
「あ、あの……。」
「おや、ギムールさん。この度はリーフスティー様とのプロメテリタ、おめでとうございます。……ふむ、商業許可所の貴方がご一緒されていると言う事は、こちらがコーバーヤッシュ様ですね?」
「は、はい!!」
マスターは俺の後ろから入ってきたギムギムさんの顔を見ると、全てを聞く事なくそう言った。
ギムギムさんは顔見知りなのか、慣れた感じで帽子を上げて会釈する。
首に巻きついているリーフスティーさんも、1度スルリとギムギムさんの側を離れてふわりと会釈した。
何とも紳士淑女の社交場と言った感じだ。
俺とノース君は場違いな雰囲気に飲まれ、固まるしかない。
「お嬢様が2階のお部屋でお待ちです。ニルフ、ご案内を。」
緊張でギクシャクする俺にマスターは朗らかに微笑む。
そしてその言葉が発せられると、アンティークだと思っていた鳥のようなものがファサッと飛び上がった。
「えええぇぇっ?!」
俺は驚きのあまり声を上げてしまった。
落ち着いた雰囲気の店内にその声が響き、慌てて謝りながら恥ずかしくなって小さくなる。
え?!でもこれ、さっきまで木彫りの彫刻だったよね?!
翼を穏やかにはためかせ、その鳥みたいなモノはもう一度さっきまでいたとまり木の様な物にとまると、優雅にお辞儀をした。
「驚かせてしまい申し訳ございません、お客様。お部屋までご案内致します。」
「あ、はい…。よろしくお願いします。」
そしてススゥ~と飛んでいく。
軽く羽ばたきはするけれど、鳥の飛ぶ速度とは違い浮いている様な感じだ。
いったい、どういう事なんだ?!
飛ぶ後ろをついて店の奥へと歩きながら、俺は目を白黒させていた。
真っ黒い鷲の様な烏の様な、でもよく見ると足が3本ある。
そして翼には爪なのか指なのか、3本の細長い突起があった。
完全に店に入った時は枝にとまった木彫りの鳥にしか見えなかったのに、まさかそれが飛ぶわ喋るわすると思わなかった。
『ふふっ、コーバー様、驚きすぎですよ。』
「ニルフ君はああ見えてクエルではありません。ルアッハなんですよ。」
「あ…ルアッハ……。」
「ええ。そしてミテですから通常的に対話も可能です。」
呆けていた俺にギムギムさんが説明してくれる。
そりゃ今は鳥にしか見えないけど、置物だと思ってたのに飛んだんだからルアッハだよな…。
目の前で起きた事が信じがたい。
だがニルフさんは確かにそこにいる。
店のアンティークな雰囲気もどことなくRPGっぽいし、置物だと思っていたニルフさんは飛ぶし、リルさんの店ほどではないが物凄く異世界って感じだ。
突然の異世界感にちょっと感動する。
それにしてもそうか…。
ルアッハの格付けって何だろうと思っていたけど、アムのリーフスティーさんは通常の場合対話ができないけど、ミテになると普通に意思疎通の会話ができるんだな~。
「あれ??そうするとシンマってアムなのか??」
エチョ耳の俺は聞き取れていたけれど、他の人はトレスの言葉がわからなかった。
通常対話ができないという事は、アムなのだろうか??
その割には、皆さんめちゃくちゃ怖がってたけど。
「コーバーさんて、本当に何も知らないんスね?!」
俺の言葉にそれまで雰囲気に飲まれて黙っていたノース君が、驚いたような呆れたような声を出した。
「あはは、ごめん。」
「今日、コーバーさんについてきたシンマは、コンラのシンマッス。トラッドの店主と絆を結んでいるから、危険度が下がってるッス。」
「危険度??」
「ええ、シンマは本来ミテです。ですから言葉巧みに魅了してきます。しかしトラッドのシンマは絆を結ぶ事によってアムとミテの間程にランクを落とし、通常対話ができなくなっていたりと危険性を下げてあるのです。」
「他にも大爆発しないようになってたり、色々ッス。」
「大爆発?!」
「………コーバーさん、マジでシンマを知らなすぎッス……。」
ノース君の呆れ顔が目に痛い……。
後々教えてもらったのだが、シンマが恐れられている理由は魅了の他に爆破能力があり、自爆ともなると街を半分吹き飛ばしてしまう威力があるらしい。
だからトレスがリーフスティーさんと言い合いになってチカチカ体を光らせた時、周りの人はあんなに怖がっていたのかと理解した。
トラッドではその力をランプとして使っていたみたいだし、トレスも照れた時漫画みたいに破裂していたから、シンマが爆発を起こすというのは本当の事なのだろう。
そんな事を話しながら2階に上がると、ニルフさんが一つの部屋の扉の横にあるとまり木にとまった。
「こちらでございます。」
そしてまた、スッと彫刻の様になってしまった。
びっくりして固まってしまう。
ノース君も目をひん剥いて言葉を失っている。
そんな俺達をおかしそうにギムギムさんとリーフスティーさんが笑った。
「ふふふっ、二人とも驚きすぎですよ?どうもありがとう、ニルフ君。」
『ニルフ様、ゆっくりお話がしたかったのですが、またの機会に。』
そう言って二人は動かなくなったニルフさんに挨拶をした。
俺とノース君は訳がわからなくて顔を見合わせた後、動揺しながら「ありがとうございました」とお礼を言った。
さて、とにかくここからだ。
俺は大きく深呼吸すると、その扉をノックした。
「失礼します。コーバーヤッシュです。」
「どうぞお入りになって。」
そう言われ、俺は軽く後ろを振り返りギムギムさんとノース君に無言で頷いて見せる。
二人も同じように頷き返してくれた。
さぁ、歯を食いしばれ、小林夕夏。
俺は自分に言い聞かせた。
この対談いや商談で、俺がこの世界で一人で立てるか決まる。
大袈裟なと思うかもしれない。
だが、この街の半数近い商店を傘下に置き、ここと取引のない店を見つけるのが難しいとの言われる問屋であり大商人の一族とのファーストコンタクトなのだ。
ここでコケれば、俺はもう商店としてやっていくのは難しくなる。
そうなったらそうなったで別の道を探せばいいが、ここで上手く立ち回れなければ、俺の技量ではこの世界で通用しないということになる。
それは別の道でも同じ事だろう。
だから今日、この場でどこまでくらいつけるかが重要なのだ。
どこまで俺の持っている技量が通用するか、それが試されるのだ。
商談として成功させる事よりも、どこまで異世界から来たばかりの今の自分が通用するか、その答えが出るのだ。
だから、プラスが出るよう上手くやる必要はない。
やるだけやって、マイナスをつけなければいい。
ここで生きていく為のゼロ地点。
スタートラインに立つことを許されればいい。
大丈夫。
俺は一人じゃない。
ギムギムさんとノース君がついてきてくれた。
そしてここに一緒にいなくても、元の世界で共に戦い、生きていく為の戦い方を教えてくれた同僚たちがいる。
何より、ネストルさんがいる。
この土地のマクモであり、この街の支配者。
いや、守護神と言った方が合っている。
そのネストルさんの想いがこの街に根付いている。
だから俺のような始めたばかりの露店主にも、大商人のノービリス家は横暴な取引を押し通す事はできない。
それに、だ。
ネストルさんはもしも失敗してこれ以上商売ができなくなっても、俺を見捨てたりはしない。
俺が新しい道に進もうとすれば、手助けしてくれるだろう。
失敗するつもりはないが、駄目だった時、それでも受け入れてくれる場所があるのとないのでは気持ちの余裕が違う。
元の世界で、精神をすり減らし何の為にあくせく働いているのか何の為に生きているのかわからなくても、そこから抜け出そうと踏ん張れなかったのは、それに失敗した時の受け止め先がなかったからだ。
失敗してしまったら、もう、何もかもなくなってしまう。
人としての尊厳を失ってしまう。
そんな後戻りできない恐怖から、それがどんなに劣悪で、自分を、生きる希望を奪われていても、そこから抜け出そうともがく事すらできなかった。
でも、今はネストルさんがいる。
最悪何があろうと、最後はネストルさんが食べてくれる。
おかしな安心感。
でも、それが何より俺を支えてくれた。
さぁ、勝負といこう。
覚悟を決めてドアを開ける。
中は執務室のようになっていて、奥のデスクの横にモエさんが立っていた。
「失礼致します。」
「お待ちしてましたわ、ユゥーキ。そちらにお座りになって。」
「……やっぱり夕夏呼びなんですね……。」
その呼び方に、ガクッとズッコケそうになる。
何でモエさんは夕夏って呼ぶんだ??
ネストルさんにも夕夏呼びはされてないのに……。
そう言えば今時の若い子は、男女関係なく名字じゃなくて名前で呼び合うのが普通だったな?
新卒の子たちが名前で呼びあってるのにびっくりした事を思い出す。
同性同士なら俺の頃もそうだったけど、異性でそれをやるのは仲がいい時だけだったから、軽く知り合いでもそうなのは驚いたっけ。
世界は違っても、今時の若い子はどこもそうなんだなぁと妙に納得した。
それを初対面で結構年上の俺にまでやるのはどうなんだろうと思ったが、もう面倒くさいのでそれとして流そうと決めた。
ただ何故か、リーフスティーさんが「あらあら」と言って軽やかに笑っていたのは不思議だ。
三人で促されたソファーに座る。
俺も緊張しているが、ノース君に至ってはガチガチである。
宥めるように俺は背中を擦った。
服越しなのでもふもふできなくて残念だった。
モエさんは、相変わらずツンと澄ましている。
口元を扇子で隠しているその姿に、やっぱり悪役令嬢っぽいよなぁと思ってしまう。
そんなモエさんが向かいに腰掛けると、また部屋がノックされた。
誰だろうと顔を向けると、さっきのマスターがトレーに茶器を持って現れる。
「遅くなりました。お茶をお持ち致しました。」
「構わなくってよ。」
悪役令嬢モノって何か流行ってたよなぁ。
ふと、そんな事を思う。
マスターは慣れた感じで紅茶(?)を入れると、モエさんと俺達の前に置いてくれた。
所作がとてもエレガントで、モエさんの悪役令嬢っぽさとも相まって、本当、そういうドラマでも見てるみたいな気分になる。
ぼんやりそれを眺めていると、マスターは「失礼致します」と声をかけてからモエさんの隣に着席した。
「紹介しておきますわ、ユゥーキ。こちら、私の店を任せております、マスターのトールボットですの。」
モエさんに紹介され、マスターは一度立ち上がり一礼した。
「マスターのトールボットでございます。どうぞお気軽にタリーとお呼び下さい。」
そう言って挨拶する老紳士。
俺も慌てて立ち上がり、会釈して自己紹介をする。
「はじめまして。私はコーバーヤッシュと申します。本来は小林夕夏なのですが、言いにくいとの事でコーバーと呼ばれております。」
「では、僭越ながら私もコーバー様と呼ばせて頂きます。」
「はい。それからこちらは商業許可所の職員のギムールさんとノースさんです。私がこの街に来たばかりでわからない事が多く、色々力になって頂いております関係で、今回、同席をお願い致しました。」
「存じ上げております。今日はよろしくお願い致します。」
フセルのマスターことタリーさんはそう言って穏やかに笑った。
握手を交わし、席につく。
さぁ、ここからだ。
俺は黙って、モエさんがどう切り出してくるのかを待った。




