ブラック企業の思い出
悪役令嬢もといモエさんが来てから俺は色々気にかかってしまって、今日は早々に店じまいした。
いやだって考えても見てくれ。
蜜水を見てすぐ様、赤くではなく反対に青くできるのかを聞いてきた上、特許についてまで考えが及んだご令嬢だ。
自分でカフェバーを経営していると言っていたし、若い娘さんだからといって侮ったらエライ目に合うのは目に見えてる。
「あれはかなりのやり手の卵だ。いや、すでに卵ですらないのかもしれない……。」
あの後ノース君に教えてもらったが、ノービリス家というのは、この街の半数近くの商店が傘下に入っている大手商人の一族らしい。
問屋業が大本だから、ノービリス家との取引が全くない商店を探す方が難しいぐらいのようだ。
だから商業許可所もノービリス本家とは微妙な力関係になってしまう。
かの家が取引を停止してしまった場合、多くの商店が立ち行かなくなってしまうからだ。
かと言って顔色を伺って言いなりにしては、マクモであるネストルさんの望む街でなくなってしまう。
だから商業許可所も頑張るし、各商店も頑張るし、街の目がきちんとその辺を見張っている。
いかに大商人といえども、市場を牛耳ることが難しいのがこのコルモ・ノロの街の特色だ。
これだけ大きく栄えているこの街の商売が自由であり、そう言った大手商人の独壇場にならないのは、やはりネストルさんがマクモである事が大きい。
それだけこの街の人々は、マクモであるネストルさんを敬愛しその想いを大切にしている。
とはいえだ。
そのノービリス家のご令嬢が、話がしたいと俺を呼び出している。
俺は苦い顔をして腹を押さえた。
「………ヤバい、胃が痛い……。」
トラッドでもらった薬の中に、腹痛のくすりはあったけど胃薬はなかったよな?
腹痛の薬でも胃痛に効くのかなぁ……??
今度行った時、リルさんに相談してみよう……。
モエさんの話したい事なんて、おそらくさっきの蜜水スキューマの特許か何かについてだ。
細々と露店から始めていこうとしていたのに、いきなりラスボス的な商人の一族との商談に望まなければならなくなった。
まだ駆け出しの小さな露店なのに、ここでノービリス家との商談に失敗すれば、この街での商売が立ち行かなくなってしまう事なんか誰にでもわかる。
かと言って特許を言われるまま売ったりとただ従ったら、バカを見るのは火を見るより明らかだ。
「どうする……どうする?!俺……?!」
確かに今回の特許「ヴァルテの花の蜜水から重曹で紺色の軽いスキューマを作る」方法、いや、おそらくモエさんが欲しいのは、重曹で軽いスキューマを作る方法なのだが、それは別に売っても構わないと思っている。
何故かと言うと、それ自体を俺が販売するのは難しい部分があるからだ。
露店はきちんとした店舗でないから、年齢確認の確実性に不安が残る。
口頭で聞いたとしても嘘の申告をされかねないし、かと言って露店で年齢確認の為に証明書を見せろというのは揉め事になりやすいし、周りに与える心証が悪すぎるのだ。
初めからワインのような果実酒をメインに売っている露店なら角が立たないだろうが俺の場合は違う。
それに蜜水は今後メインに売るつもりはなく、補助的に続けていくつもりなだけだから、そこまでの手間をかけるのはあまりメリットがない。
そしてもう一つ。
この世界は元の世界とは違い、空気中の水分量がとても多い。
だから重曹を粉の状態で維持するのが少し難しいのだ。
俺はなんの気なしにネストルさんに作ってもらってしまったし、ネストルさんも湿気ないようにと専用の木箱を作ってくれたのでサラサラの粉で維持できているが、そのままにしていたら難しいのだ。
だからこの世界では、塩は大きめの岩塩で保存されているし、砂糖は貴重で蜜の状態で取引される事が一般的だ。
「は~、何言われるんだろう……。」
俺は頭を抱えた。
特許を売る事はやぶさかではない。
だが、相手はやり手だ。
どんな手法で来るかわからない。
多少の損は構わないが、この取引でノービリス家と俺の今後の力関係が決まる。
そこが重要なのだ。
『小林君、君は難しく考え過ぎなんだよ。もっと気楽に構えなよ。どんなに考えたって、努力したって、世の中、なるようにしかならないんだからさ。』
ふと、元の世界の同僚の言葉が頭に浮かんだ。
俺は技術職だったが、彼女は営業職だった。
営業なのでしょっちゅう無茶ぶりをしてきたが、本格的な無茶は絶対言わなかった。
他の営業が軽々しく不可能な納期短縮を受け入れて、結局は多方面の部署とクライアントと揉める中、奴はこちらに無茶はさせるが不可能ではないギリギリラインを見極めていたし、こちらに負担をかけた分、顧客からもぶんだくってきた。
そして俺達に無茶は言ってくるが、こちらの足元を見て無理を強いてくる顧客には、頑として立ち向かうような奴だった。
それで評価として損をしている部分もあったが、一度ぶつかってそれでも取引をした顧客とは、恐ろしい程の信頼関係を築いていた。
一度聞いたのだ。
何でそんな損をする様な真似をするのかと。
そしたら奴はこう答えた。
『うちの社員の皆さんの汗と涙と睡眠不足と疲労の結晶を、言われるままホイホイ安売りできるかっての!!うちの会社の商品に私は誇りがあるから営業してんの!!それを買い叩くなんて許せると思う?!』
奴は女性だったが、漢だった。
ブラック企業でどんどん同期が辞めていく中で、残った俺達を支える大黒柱みたいな奴だった。
それなりに成績も上げているから上も叩くに叩けず、数字ばかりを気にする会社の無茶振りに反抗する彼女に「女の癖に」とネチネチ陰口を言うしかできなかった。
「………自分の商品に対する誇り、か……。」
そんな風に考えてなかったな、と思う。
俺は売るものに対して、ちゃんとそう言った考えを持ってなかったかもしれない。
売る為には無茶もする。
だが限度を超えた安売りはしない。
商品に対して誇りがあるから。
あの頃は生活にいっぱいいっぱいで、その意味をきちんと理解してなかったけれど、売る立場になって少しその言葉の重さがわかった気がする。
「元杉ならこの商談、どうするんだろうなぁ。」
多分、奴なら「物凄い大物が釣れそう!!」とか笑うんだろうな。
そう思って少し笑えた。
奴は、聞いただけで胃が痛くなりそうな商談を、どう考えても相手の言いなりになるしかなさそうなアウェーな商談を、チャンスとばかりに向かって行った。
そして言いなりにならずにそれなりに言い返した上で多少損の出る形で商談をまとめたが、そのクライアントから強い信頼を勝ち取って今後に繋げた。
ただその多少の損の出る契約を、奴を快く思っていなかった上がここぞとばかりに叩いた。
本来ならもっと不利益で一方的な契約をせざる負えなかったところを、奴が損失を可能な限り抑えて契約した上信頼を勝ち取り、今後の契約に繋げたというのに、日頃から奴が気に食わなかった上の連中は責任を取らせると言って叩いた。
本当に馬鹿な事をしてくれた。
流石にいつもポジティブだった奴もそれは堪えて凹んでいる時、それまでの契約で信頼を得ていた各企業がここぞとばかりにこぞってヘッドハンティングをかけたのだ。
それはもう、普通に業務中に会社にかけてくるくらい凄かった。
それを知って会社も慌てたのだが遅かった。
奴は、最王手の取引先のヘッドハンティングを条件をつけて受け入れた後だった。
「………上手くいったかな、元杉の奴……。」
奴が辞めるとなって、会社は大混乱になった。
それだけ各取引先の信頼が厚い奴だった。
今となっては、奴のその後も会社のその後も知りようがない。
「……ピンチと捉えるか、チャンスと捉えるか、か……。」
俺には奴ほど前向きになれる自信はない。
だが、後ろ向きに考えていても仕方ない事は、奴からこれ以上食べられませんというくらい、十分に教えられた。
『は??人を鉄人か何かだと思わないでくれない?!凹むことなんてしょっちゅうだよ。これでも打たれ弱いんだから。それでも、やっぱり皆がいるから頑張れるんだよ。無茶しなきゃならない時、その無茶に小林君だって応えてくれるじゃない?……一人じゃない、そう思えるから歯を食いしばれるんだよ。』
負けそうになる事がないのか聞いた時、奴はそう答えた。
本当に漢だった。
元杉は女性だけども、漢だった。
俺も今は歯を食いしばる時なのだろう。
俺は片付けを終え、荷物を背負った。
今日の売上報告に商業許可所に向かう。
大丈夫。
俺には営業の才能はないだろうし、ポジティブさにも欠けるだろうし、度胸もないだろう。
でも、歯を食いしばる事はできる。
だって俺は一人じゃない。
元杉のくれた言葉を覚えてる。
あの後、ノース君は直ぐに俺の為に動いてくれた。
ギムギムさんをはじめとした商業許可所の皆さんが力になってくれる。
そして何より、ここはアルバの森のマクモ様が治める街だ。
『誰も理不尽に権利を、生きる自由を侵害されない街にして欲しい』
支配者らしからぬ、この地のマクモが託した願い。
ネストルさんが願った街の形。
だから大丈夫。
俺はアミナスの光が弱まり始めた空を見上げた。
見上げた空は元の世界とは違っていたけれど、美しく澄んでいる事には変わりなかった。




