価値観はそれぞれ
俺が商業許可所に行くと、今日も受付業務をしていたノース君がいち早く気づいて立ち上がった。
「あ!コーバーさ~ん!!」
「おはよう、ノース君。」
「良かった~。無事だったんスねっ!デロデロに酔ってたから、どっかでぶっ倒れて何かに食われちゃったんじゃないかと思って心配してたんですよ~。」
「あ、あはは……ご心配をお掛けしました……。」
他の受付の人も、俺の顔を見て「良かった~」とか笑っている。
うぅ…いきなりの酒の失敗はまずかったなぁ……。
俺は苦笑いして頭を掻いた。
『何?アンタ、酔っ払って醜態晒したの??駄目なカナカね~。』
頭の上からそんな声が聞こえた。
俺は困って髪をクルクルイジってくるそれに声をかけた。
「遠くから見てるだけじゃなかったんですか??」
『えぇ~?別に良くない?!飛んでるの面倒くさいしぃ~??』
何なんだろう、このけだるそうな女子高生みたいな口調は……。
俺もいい歳だったから、元の世界でそんな若い子と話した事はほぼないから、どう対応していいのかわからなくて困る。
ほとほと困った俺が受付の方に視線を戻すと、ノース君が口をあんぐり開けて固まっている。
他の受付の人達も、何故か硬直してピクリともしない。
何だ??どうしたんだ??
「あの??ノース君??」
俺が声をかけると、ビクッと派手に震えて、ズササササ~ッと後ろに引いていった。
見ればそれはノース君だけじゃなく、周りにいた全ての人がそうしていた。
「………え?!どういう事?!」
俺は状況がわからず、固まる。
「ぎゃああぁぁぁ!!シンマだぁ~ッ!!」
どこからともなくそんな悲鳴が上がった。
俺とできる限り離れようと誰もが距離を取り、青ざめた顔でこちらを見ている。
え??シンマ??
ああ、この子の事か……。
え?!この子ってそんなに恐れられるものなの??
訳がわからず俺が固まっていると、奥の方からリーフスティーさんが凄い勢いで飛んできて、威嚇するように全てのヒレを広げた。
『コーバー氏から離れなさいっ!!シンマ!!』
『何よぉ~。この前までは存在すらはっきりしなかったアムの癖にぃ~。ちょっと強くなったからって、いい気になんないでくれるぅ~??』
『コーバー氏は私の恩人です!!離れなさい!!』
『何よぉ~?!やる気ぃ~?!アンタに何ができんのよぉ~?!』
『できるかできないかではありません!!恩義に報いるのも私の存在理由の一つです!!』
『ふ~ん??弱い癖に生意気ね!!』
俺の頭に乗っかっていたシンマはゆっくりと羽根を鳴らして浮き上がった。
その体が淡く点滅している。
ヒッと誰かが悲鳴を上げた。
何だ?!
何だかわからないが、何かまずいぞ?!
物凄い険悪な雰囲気がする。
完全に優等生とちょい悪女子の喧嘩だ。
こういうのに首を突っ込むとろくな事にはならないが、そんな事は言っていられない。
「待って待って待って!!二人とも落ち着いて!!」
俺は慌てて仲裁に入る。
俺の声にリーフスティーさんとシンマが顔を向けた。
『コーバー様!この者に何を吹き込まれたかは知りませんが!!これはとても凶悪なものです!!騙されてはいけません!!』
『凶悪とか酷くない?!私、こんなに可愛いのにぃ~!!マジ心外ぃ~。』
「いやいやいや!!リーフスティーさん!!別に何か言われて一緒にいるんじゃないんです!!トラッドに寄ったら勝手についてきちゃったんです!!エチョ耳が珍しかったみたいで!!」
良かった……。
二人ともキャンキャン言って睨み合っているが、何となく一触即発の危機は免れた雰囲気だ。
周りも俺の言葉に少しだけホッとしたようだった。
「何だ、トラッドのコンラのシンマか……。」
「びっくりした……フィスのシンマかと……。」
「考えてみれば、フィスならマクモ様の結界を潜れる訳が無いよな……。寿命が縮んだよ……。」
コンラのシンマ??
どういう事かはわからないが、この子が森に住む野生の…つまりフィスでない事が重要らしい。
よほどフィスのシンマは危ないもののようだ。
「でも、何で店から出てきているんだ?!契約違反だろう?!」
契約違反と言う言葉を聞いて、それまで強気だったシンマが急に光を弱めて俺の頭に隠れた。
どうもコンラと言うのは契約みたいな意味らしい。
なるほど、それをこの子は破って外に出てきているのか……。
悪いとは思っているらしく、小さくなりながらゴニョゴニョしている。
『だって~。リル以外と話したの、久しぶりだったからぁ~。』
何か校則違反を進路指導で指摘された女子高生みたいだなぁと思う。
俺は困ってため息をついた。
「よくわかんないけどさ?何か約束を決めて君はこの街にいられる訳なんだよね?」
『うるさいなぁ……。』
「でも君がその約束を破ると、リルさんに迷惑がかかるんだろ??君自身もきっと何らかのペナルティがかかるんだろうし??」
『………。だって……。』
「だってって言っても、状況は変わらないぞ??」
『なら…どうすればいいのよ……。』
「ん~??君の決められた約束の事は俺にはわかんないけどさ?とりあえず皆に迷惑をかけちゃった訳だから、まずはごめんなさいって言うのがいいんじゃないかな??」
『はぁっ?!私に頭を下げろって言うの?!』
「じゃあ他にどうするんだ??とっ捕まえられて、罰を受けて、リルさんにも迷惑をかけるのか??」
『それは……。』
「君は悪い事をしたの?してないの?俺には状況がよくわからないから何とも言えないけどさ?もしもここにいるための決まりを破ったなら、それは君が約束を破った事になるから悪い事だと思うよ?それによってリルさんに迷惑がかかるのは目に見えてるし。」
『そうだけど……。』
「でも、状況がわからない中で無責任な事を言うのは良くないとは思うけど、俺の率直な感想から言わせて貰えば、そこまで君が悪い事をしたようにも思えないんだよね?」
俺がそう言うと、それまで事の成り行きを見守っていたリーフスティーさんがバッと話に割り込んできた。
『なっ?!コーバー様!!その様な事を言ってはなりません!!シンマに隙を与えては駄目です!!』
何か本当によくわからないけれど、シンマは一般的によく思われていないルアッハみたいだ。
ちょっとだけ可哀想に思う。
「リーフスティーさん、俺はシンマがどれだけ悪さを好むルアッハなのかは知らないのですが、それはこの子がした訳ではないですよね??」
『そうですか…!!』
「確かにこの子は何か決まりを破ったんだと思います。それはいけない事だし、そのせいで皆をとても怖がらせました。その点は俺もどうこう言うつもりはありません。でも、この子はトラッドを出てから別に何もしてません。俺に引っ付いていただけで、誰にも悪さはしてません。それだけははっきり言えます。」
『コーバー様……。』
俺がそう言うと、それまでシンマに対して何か言っていた声も非難するような視線も弱まった。
周りも少しだけこのシンマに対して、敵対感情を緩めてくれ始めたみたいだ。
何でシンマがシンマってだけでここまで警戒されるのかはわからない。
それだけ被害の多いルアッハなんだろうけど……。
それでもとりあえず、今はこの子を責める流れから反れ始めている。
ここでどうにか押しておきたい。
「俺はシンマを見たのはトラッドが初めてなので、シンマがどういうルアッハなのかわかりません。」
何とか穏便にすまそうと俺は話を続けた。
だが、意外な言葉がそれを止める。
「え?!コーバーさん、シンマを見た事がないんスか?!本当に?!」
ぽか~んと言った音でもつきそうなほど、素っ頓狂にノース君が言った。
いやいや、今、流れを崩さないで?!
何とか穏便にまとめようとしてるんだから~。
しかしそれは流すにはあまりにもこの世界では不自然な事だったみたいだ。
ええっ?!とあちこちから声が上がり、ざわめき立つ。
どうしよう、うまくまとめられなかった……。
俺は困って誤魔化し笑いを浮かべる。
「え?!アンタ……ルースだよな??」
「はい……そうなんですけど……。ずっとネルと一緒にいたからなんですかね??それともマクモ様の息吹のせいかな??でも俺、本当に森でシンマを見た事はないですよ??」
「その前は?!アルバの森ではマクモ様の目があったとしても、ルースが生まれてこの方、シンマを見た事がないだって?!」
「あ……あ~。俺、アルバの森でマクモ様に拾われる前の記憶があやふやでして……。」
「だからって……シンマを知らないなんて……。」
しん…と静まり返る商業許可所。
その言葉に全員が唖然としていた。
ありえない…と誰かが呟いている。
う~ん、そうか……。
シンマってそんなにメジャーなルアッハなのか……。
たぶん、アルバの森ではネストルさんと一緒にいるから俺には近づいて来ないんだ。
そりゃそうだよな。
一帯を治めるマクモのところに来て、その横で俺を騙したりしようとはしないよなぁ~。
この異世界に落ちた時からずっとネストルさんと一緒にいるから当たり前になっていたけど、それが普通の事ではないのだと思い知らされる。
『……アンタ、マジでシンマを知らないの?!ルースなのに?!』
シンマの方もびっくりしたようだ。
信じられないといった顔で俺の前に浮かぶ。
その綺麗な姿を見ながら俺は頷いた。
「以前の事ははっきりしないから何とも言えないけど……。アルバの森に来てからはないですよ。だいいち、こんな綺麗なルアッハを見たなら忘れないでしょうし。」
俺が綺麗と言った瞬間、ボンッと音がした。
何かと思ったら、目の前のシンマが真っ赤になって何かを破裂させた音だった。
なにこれ?!
マンガみたいだなぁと思って笑ってしまう。
『き、綺麗って……!!何よ!今更……!!』
「今更??」
『だったら何で少しも魅了されないのよ?!』
「魅了??」
恥ずかしさを誤魔化したいのか、シンマは真っ赤になってキャンキャン言っている。
それにしても魅了って何の事だろう??
「あ~、やっぱり魅了しようとしてたんだな、このシンマ。コーバーさんよぉ、アンタ、何もされてなかった訳じゃないぜ?!」
「どういう事です??」
「シンマは人を魅了する。そして人を騙すルアッハなのよ?」
「魅了はシンマの常套手段であり、一番の武器だ。この子らはコンラのシンマだから技として魅了を使ったりはしないが、見目は美しいだろ??そこで言葉巧みに相手を誘導する。技として使わなくても、魅了はシンマの本能なんだ。魅了こそがシンマの本質。それを糧としてると言ってもいい。」
「シンマの本質?魅了を糧にする??」
魅了が糧になる??
こう言った魔物が魅了するってのはゲームでもよくある話だ。
だからそれはわかるのだが、糧にするってどういう事だ??
魅了って食べれるのか??
エネルギーとして使えるものなのか??
異世界って謎が多いな?!
『~~~っ!!そうよ!!ちょっと言葉がわかる奴だから!!少しだけつまみ食いしようと思ったのに!!コイツ!!何を言っても無反応なのよ!!』
「…………はい??」
よくわからない俺はおいておいて、とうとう全部バレてしまったシンマは開き直って言った。
つまみ食い??
さっぱりわからなくて俺は頭を捻った。
そう言えば何かやたらと話しかけられていた様な気もする……。
リルさんに無視するよう言われてたし、何か異世界の差なのかジェネレーションギャップなのかわかんないけど、言ってる事がよくわからなかったから「あ~ハイハイっ」て聞き流してたんだよね……。
あれって俺を魅了しようとしてたのか??
全く気づかなかった……。
『こんな敗北感!初めてよぉ~っ!!』
そしてとうとうシンマはわっと泣き出した。
うっわ、マジ泣きされた。
俺を騙そうとしてた相手だけど、こんなに泣かれると逆に申し訳なくなるなぁ……。
泣き顔は不細工で、かえって親近感が湧く。
「ご、ごめんね?!魅了されなくて?!」
「いや、コーバーさん。それ謝るところじゃないから大丈夫ッスよ??」
ノース君の冷静なツッコミ。
まぁそうなんだけどね。
後々、聞いた所、シンマの魅了にかかると何でも差し出したくなり、言いなりになってしまうらしい。
それが悪戯程度で何か巻き上げられるくらいならいいが、場合によっては生命力や肉体、命そのものを喜んで言われるまま渡してしまうらしい。
シンマはそうやって相手から何かを奪う事に意味があり、また、それが魅了の力の糧になるようだ。
確かに小さいながらに恐ろしいルアッハだ。
魅了されなくて良かった……。
こんな所で社畜のスルースキルが役に立つとは思わなかった……。
いつも上の人の愚痴や小言・自慢話をされても、それをまともに聞いていられる時間はなくてひたすら手を動かし続け、だからと言って場の雰囲気を悪くする訳にはいかないので返事と笑顔だけは忘れずに聞き流していく日々。
何か、虚しい人生だったな……。
それでもそうしていなければ生きていけなかったんだ。
『………ねぇ、アンタ……。』
このシンマに害がないとわかり、本人もさんざん泣いたり騒いだりして落ち着いた事で、所長さんが軽くお説教をした。
そして皆には言葉はわからなかったが、きちんと謝罪もした。
これから所長さんが今回は厳重注意のみでお店に戻すと言う事になって落ち着いた。
そんな帰り際、最後に謝りたいとシンマが俺に声をかけてきた。
「何?どうしたんだ??」
『手を出して』
「??」
言われるまま手を出すと、指先をいきなり噛みつかれた。
「ぎゃっ!!何すんだよ!!」
『何って?印よ??』
「印?!」
『アンタのお陰で私、追い出されなかったし、酷い罰も受けなかった。何より……シンマだからってひと括りにして私を責めなかった。そんなヤツ、リル以外で初めて見た。』
「……そっか。シンマも大変だな。」
魅了が本能なら、人が腹を空かす事や、疲れたら眠くなるのと同じだろう。
存在体として備わった機能が違うだけだ。
確かにそれはこちらから見れば害のあるものだけれど、違う存在体なのだから仕方がない部分でもある。
『………トレス。』
「トレス??」
『大声で言わないで!!教えたのはアンタだけなんだから!!』
「へっ?!ごめん?!」
『私の名よ。シンマは色々悪く言われるから知られてないけど、凄く義理堅いの。助けられた分、必ず返す。忘れないで。コーバー。』
「う、うん……。あ、でも……。」
『何よ?!』
「その、俺、皆にコーバーって呼ばれてるけど、小林夕夏だから。」
そう言うと、トレスは目をまん丸くした。
そしてため息をついて飽きれたように笑った。
『アンタ馬鹿ね。シンマに本当の名前を教えるなんて。操られたって知らないんだから!!』
「えええぇぇ~?!」
そうなんだ、名前をルアッハに教える時は気をつけよう……。
とは言え、今の所、俺の名前を発音できるルアッハがいるとは思えないけど。
『こんな間抜けを魅了できないなんて、私も腕が落ちたわ~。』
「酷い言われようだな、おい。」
『だいたい、こんなに可愛い私を見て何とも思わない訳?!』
そう言われ、俺はトレスをじっと見つめた。
まぁ、可愛いといえば可愛いし、妖精みたいで凄く綺麗だとは思うんだけど……。
「いや、可愛いは間に合ってるんで。」
『はぁ?!何それ?!』
「だって、ネルの方が可愛いから。」
そう、ネルの可愛さに比べたら、申し訳ないがトレスなんてどうでもいい。
あのもふもふ感。
手触り。
程よい重さ。
ツンツン加減とか。
どれをとっても、あのもふもふに敵うものなどないだろう。
俺はネルを抱っこした時の感覚を思い出しながらニヤニヤしてしまった。
それを見ていたトレスが沸騰するみたいに赤くなっていく。
『~~っ!!ネルって誰よぉ~!!』
キレたトレスがぷんすかと飛び回る。
ん~、飛ぶ姿もネルの方が断然可愛いよな~。
俺はニマニマ笑ってそれを見ていた。
全く自分が眼中にない事に怒ったまま、トレスは所長に連れられて出ていってしまった。
「うん。やっぱりネルの方が可愛い。」
「まぁ、ネルちゃんは可愛いッスけど、シンマ相手にそれを平然と言っちゃうコーバーさん、すごいッス……。」
いつの間にか横に立ったていたノース君が、ニマニマしている俺を少しだけひいた目で見ていた。




