遠い日の君の唄
露店市をふらふら一人で見て歩く。
見た事のない人々の間を歩き、不思議な気分になった。
エチョ耳のお陰でほぼ人々が何を言っているかわかるが、その顔ぶれは見慣れていないものばかりだ。
あぁ、異世界に来たんだなぁと思う。
人とぶつかって謝った。
そう言えばスリが出ることがあるからって事とか、出掛けに散々ネストルさんに注意されたなぁと思う。
風呂敷にしている布を前に持ってくる。
うん、切ろうとしたんだな。
何かを鋭いもので切り裂こうとした跡がある。
でも、ネストルさんが作った布は何故かそう簡単には切れない。
俺も少し布が欲しくて裂こうとしたらエライ目にあった。
結局何をしても切れなくて、新しく布を作ってもらったんだけど。
「あ、でもこっちはやられたなぁ~。」
破けたスーツのポケットを他人事のように見て呟いた。
いつもはジャケットは脱いでワイシャツだけで過ごしていたんだけど、商売をする=仕事って気合を入れる為に今日はネクタイをしてジャケットも着ていた。
ポケットの中身は何もなかったんだけどね。
入っていたスマホも定期も、ここでは何にも役には立たない。
役立ったのはハンカチくらいだろう。
初めて、ネストルさんがいない中、この世界にいる。
周りにこんなに人がいるのに、何となく誰もいない気がした。
森で少しの距離はぐれた時はあんなに焦って怖かったけれど、流石に色々慣れたし、どこにいるかわかっているからか、焦ったり怖かったりはしない。
ただこんなに人がいて、こんなにたくさんの声が聞こえているのに、誰もいない気がしていた。
その感覚がとても不思議で、俺はぼんやりと露店市の中を歩き回る。
お腹も空いていたはずなのに、いい臭がするのに、食べようと足を向ける気持ちにならなかった。
ただその匂いを感じて少しの空腹感を感じて、でも、何もなくて。
どれくらいそうやって歩いていたのだろう?
5分ほどだった気もするし、30分以上だった気もする。
よくわからない。
「おやまぁ、服が破れているじゃないか??」
そう、声がした。
それまで何が聞こえても反応できなかったのに、その声には何故か顔を向けた。
いつの間にか露店市の反対端に来ていたのか、はたまたここが中央なのか、大きな記念碑がある少し開けた場所に来ていた。
「お兄さん??どしたとね??」
そう言われ、数回瞬きをした。
ふわふわとしていた意識が戻ってきた。
何か懐かしい訛だ。
田舎の死んだおばあちゃんに似ている口調。
それに思わず微笑んだ。
「すみません、街に来たのが初めてで、ぼーっとしてました。」
「そうかい。でもあんたぁ、それ、大丈夫なのかい?」
「ええ、特に取られたものはないんです。」
「そうかい。それならいいけど破けちまってるでよ。ばあちゃんがちょっと縫ってやるから、脱ぎんしゃい。」
そう言われて、改めておばあさんの露店を見た。
どうやら古着屋のようだった。
「古着ですか?」
「んだ。貯まる一方さね。」
そう言って豪快に笑う。
釣られて笑ってしまった。
「見せてもらっても??」
「ん、構わねぇよ。何なら好きなの持っていきんしゃい。」
「あはは!それじゃ商売にならないでしょ、おばあちゃん。」
「いいんだよぉ、増えすぎっと、管理が大ぇ変だから。とにかく上着を縫っちゃるから、脱ぎんしゃい。」
「ありがとうございます。」
俺はポケットを破かれたジャケットを脱いだ。
そして荷物を背負い直して、溢れかえる服を見て回った。
「どっから来さね??」
「アルバの森です。」
「ほぉ、アルバの?ならマクモ様さ、見たかね??」
「見たというか、マクモ様に助けられて、今、そこに住まわせてもらってるんです。」
「おやまぁ、マクモ様に助けられたんかぇ?!そりゃ幸運さね。」
「はい。マクモ様に会えた事が何よりの幸運だと思ってます。」
「んだな、ここのマクモ様より、ええマクモ様はおらん。」
おばあさんはそう言い終わると、黙々とジャケットのポケットを直してくれる。
俺も服を見て回り、着れそうな物をいくつかピックアップした。
不思議とおばあさんの露店にいると、他の音が気にならず心地よい静寂に包まれた。
おばあさんはそこにいてジャケットを直してくれている。
でも気にならなかった。
「おばあちゃん、着てみても良い?」
「ええよ、そこの衝立、使いんしゃい。」
そう言われ、畳んであった衝立を広げ、試着してみる。
選んだ服の中から、普段着用を2セット、ルームウェアの様なゆるいものを1セット、それから防寒用の上着を1枚、予備でTシャツ短パンみたいな簡単な服を1セット選んだ。
「要らんやつはその辺放っときな。後で片しとくから。」
「でも……。」
「いいって、どうせ明日も暇なんよ。」
「じゃあ……お願いします。」
「ん。」
「おばあちゃん、他に靴とかあります?」
「あるよ、店前の端の方に行ってみんしゃい。」
「ありがとうございます。」
言われた場所で靴を見る。
そこでサンダルとスニーカーみたいな普段使いの靴、登山靴のようなしっかりしたものの3点を手に持った。
近くにリュックとかカバンなどもあり、しっかりしたリュックサックを一つ、斜めがけの布カバンを一つ、それからエコバックみたいに急に何か入れるものが欲しい時に使えそうな簡易バックを取った。
その他にも小物が色々あったので、細々したものも少し揃えた。
「あれま、随分、たくさん入り用なんだねぇ、お前さん。」
「ええ、何もなくて困っていたんです。これ全部だとおいくらですか?」
「いいさね、持っていきんしゃい。」
「駄目ですよ!おばあちゃん!!」
「したら、オメェさんが思うだけ払えばええよ。」
カッカッカッと笑って、おばあさんは言った。
俺は困った。
値段もついていないし、仕方なく俺は自分の金銭感覚で代金を割り出す事にした。
服などを畳んでリュックに詰めながら、これはいくらぐらいで~とメモをしながら計算していく。
「あんたぁ、生真面目だねぇ~。あげるよ~て言うと、皆、喜んでもらっていくし、払うって言ってもならこれでーって適当に払っていくんだけどねぇ~?」
自分なりにしっかり計算し、今日の売上から必要分を数える。
それを見ておばあさんがまた笑った。
「あははっ!!随分、小銭ばっかり持ってるねぇ~。」
「すみません、今日の売上なんです。」
「ほぉ~。せっかくの売上をこんなババアの店の古着に使っちまうなんて、もったいないねぇ。」
「もったいなくなんかないですよ、俺に必要な物ですから。」
「露店での儲けならぁ、商業許可所の窓口で両替してくれるでなぁ。許可書と一緒に持っていくとええよぉ。」
「そうなんですね、覚えておきます。」
そして俺は数えたローグをおばあさんに渡した。
金額は合っているが、ジャリジャリと小銭ばかりになってしまった。
「少なかったら言ってください。後、細かいお金ですみません……。」
「うんや?構わないさぁ。あんたは金銭感覚がしっかりしとる。これからここで露店をするにしても、うまくやって行けるだろうさぁ。」
「そうですかね?直接販売するとか、あまり自信がないんですけど……。」
「何より、あんたは幸運を背負っとる。そしてそれに感謝もできるし、あぐらをかいたりもしない。」
「幸運……ですか……??」
確かにネストルさんに拾ってもらった事といい、何だかんだで周りに助けられながら、初めてだったにも関わらず、今日は露店を成功させる事が出来た。
俺はおばあさんににっこり笑った。
「そうですね、俺、すっごく幸運だと思います。」
「うん、あんたは幸運だ。そうさせるものを持っている。今の自分を大事にしんしゃい。」
「はい。」
何故かはわからないが、おばあさんの言葉はすんなり自分の中に落ち着いた。
うんうんと頷き、おばあさんは何も言わずに直した上着を渡してくれる。
「あ!修理代!!」
「いい、いい。こんなに買ってくれたんだ。それぐらいサービスさせとくれ。」
「でも……。」
「それじゃ修理代として、ババアと一緒にお茶でも飲んでくれんかい?」
「俺で良ければ喜んで。」
「ふふふ、面白い子だねぇ。」
そう言っておばあさんは小型のコンロでお湯を沸かした。
小さくて持ち運びできるし、便利そうだなぁとそれを見ていた。
「そのコンロってどこに売ってますか?」
「これかい?これなら……ん~、ロジの店かね。」
「ロジ??」
「ドワーフのロジさね。何でも作ってくれる。今度声をかけとくよ。」
「ありがとうございます。」
今回はもう持ち合わせが足りないだろうから、俺としても次に来た時に注文できればありがたいので助かる。
おばあさんが俺に、カップと蒸した芋みたいなものを渡してくれた。
お茶は何だろう??
青っぽいが緑茶みたいな匂いがした。
味は…うん、緑茶とプーアル茶を混ぜたみたいな感じだ。
蒸した芋みたいなのは、割るとモワッと中身が膨張して蒸しパンみたいになった。
びっくりする俺を、おばあさんはケラケラ笑った。
「モコモコ、知らんのかい?」
「はい、初めてです。」
「へぇ、貧乏人が腹をふくらませるなら、モコモコって決まってんだが……そうかぁ、あんたぁ、アルバの森のルースだったねぇ~。それでコンロも欲しかったのかい。……ルースだったらぁ、街に来たならぁ大通りのシームスとトラッドに寄ってみるとええよぉ。」
「……シームスとトラッド?ですか??」
おばあさんはどうもこの街に長い様で、その人の生活様式によって、どこでどんなものを買えばいいかなど把握しているようだ。
それにしてもシームスとトラッド??
何の店だろう?名前だとわからない。
おばあさんはふふふと笑った。
「行ってみればわかるさね。シームスは商業許可所の脇の細い通りを進んで行くとあるよぉ。トラッドは……街に入ってすぐ、右……いや左に進むんだぁ。そうすると倉庫みたいなもんがあるさね。そこの木戸を3回ノックして、その後、手を3回叩く。それでまた木戸を3回ノックするんだ。」
「……何か、おまじないみたいですね??」
「そうだねぇ。ふふっ偏屈な奴だから、変な決まりを守らないと出ても来ないんだよぉ。まぁ、今回はシームスを覗いて帰ればええと思うよぉ。トラッドは急いで行かなくても良いけどねぇ、ルースとして暮らすなら知ってた方がいい店だからねぇ。」
ルースとして暮らすなら知っといた方がいい店??
一体何を売ってるんだろう??
ますます何の店だかわからない。
でもとりあえず今日はシームスを覗いてみれば良いみたいだから、ギムギムさんとの待ち合わせの時に見に行けば良いだろう。
「……ところでおばあちゃん。」
俺はモゴモゴとモコモコを食べながら、おばあさんに聞いた。
「なんだい??」
「目の前の石碑って、何が書いてあるんですか??」
さっきから気になっていたのだ。
おばあさんの店の前の大きな黒い石碑。
とても立派なもので、全面に何か書かれている。
でもネルと繋がっていない今の俺はそれが読めない。
石碑のてっぺんに、カナカの男の人が小さな動物みたいなのを抱き上げている像が立っている。
いったいどんな話が書いてあるのかなと思ったのだ。
「あぁ、あれかぇ?あれはなぁ、アルバのマクモ様の話だよ。」
「ネス……っ……マクモ様の話ですか?!」
「そう……。アルバの森のマクモ様が、どうしてこの辺りを守っとるか……そんな話だよぉ。」
「………聞かせてもらっても?」
「あぁ、構わないよ。」
そこから俺は、おばあさんにネストルさんの話を聞いた。
ネストルさんも当たり前だが、はじめからマクモだった訳じゃない。
むしろはじめはとても弱い存在だったのだそうだ。
森に採取に行ったカナカの男が、弱っているルアッハの子を見つけた。
それがネストルさんだ。
小さな子猫のようなそのルアッハを、男は街の家に連れて帰って介抱した。
そのルアッハは男に懐いて、そのまま街で暮らし始めた。
懐いたそのルアッハにネストルと名を付け、男はとても可愛がった。
男には妻がいて、妻もネストルをとても可愛がった。
二人には子供がおらず、だからネストルを自分達の子供のように可愛がった。
ネストルは身体は当初、存在の弱いルアッハだったが、その分、頭のいいルアッハだった。
その為、両親となった二人はたくさんの本を与えたり、街の学校に通わせたりした。
愛情深く育てられたネストルは、愛情深いルアッハに育った。
愛情深いネストルは周りからも愛された。
そして誰もがネストルはそのままクエル化して、クエルとして街で暮らすのだと思っていた。
ところが、運悪くこの地を揺るがす事が起こった。
世界はアミナスを中心に広がっている。
だから土地というのはゆっくり広がっているものだ。
そして元々支配の境に位置していたコルモの街周辺は、気づけば誰の支配下にもない土地、ニーツになっていた。
それに気づいた周辺の支配者や新たなマクモとなろうとするルアッハが小競り合いを始めた。
ルアッハ同士の戦いなら、その場に居合わせなければ巻き込まれる事はない。
だがやがて、そのルアッハ同士の小競り合いが激しくなるに連れ、支配を争う近隣のマクモの土地のクエル達までもがその戦いに参加してくるようになった。
マクモ同士の争いに加え、クエルによる土地の侵略が始まった。
そうなってくると、コルモの街のスーダー達にも黙っていられないほどの被害が出てきた。
森に採取に行った者が戻ってこない事や、攻撃されて大怪我を追って逃げ帰って来る事、そんな事がどんどん増えていった。
成長したネストルは、高い知性を用い街を守る方法を考え行動を起こした。
スーダー達の警戒態勢を整え、採取など街の外に行く時は最低でもクエル5人ルアッハ2名で組み、マクモ同士の争いと他地域のクエルの襲撃に備えたり、街にいるルアッハや街に協力的なルアッハの能力を調べ、それを街の防衛に活かすなどを行った。
また各地域に、コルモの街は攻撃を受けない限りは戦う意思がない事、この土地を治めるマクモが決まればそれに従う事、だからコルモの街並びに街に住むスーダーを攻撃しないよう、街の代表者に正式な書面を作らせ送らせた。
コルモの街は戦いは望んでいなかった。
世界が広がった事でニーツになっただけで、マクモがその土地を治める事から逃れようとしていた訳ではないからだ。
だからそれをはっきりと周囲に示した。
ネストルはそれで街の被害は最小限にできると考えていた。
何故ならマクモが決まれば従うと言っているのに、スーダーや街を攻撃して損害を与える事は、その後支配する側にもメリットはないと思ったからだ。
だが、戦いというのはそう簡単なものではなかった。
常識が、モラルが、道理が通らぬのが戦争だ。
戦になれば上層部の決めごとなど関係なく、兵士は自分の報酬の一部として略奪を当然の権利として行い始める。
戦火が激しくなればなるほどそれは酷くなる。
ネストルの考えとは裏腹に、コルモの街と住まうスーダー達の危機は変わらなかった。
だからネストルは途中で方針を変えざるを得なかった。
戦う事で守りを固める。
そうせざる負えなかったのだ。
だが、平和的交渉を行っていた間にも戦火の激しさが増した事で、その方向転換は厳しいものになった。
すでに武器を買い付けるルートは閉ざされ、その場にあるもの、その場にいるものだけで守りきらなければならなくなった。
ルアッハが物を作り出せるとはいえ、何でも無尽蔵にハイペースで作れる訳ではないし、物を作り出す事に専念すれば、作り出す時間と回復の時間、そのルアッハは戦闘や守護から外れるしかない。
その頃のネストルはミテとメソの間ぐらいだったが、戦う事に重きを置く方針に変えた事、自分の判断の遅れで街の危機が高まってしまった事から、自ら進んで前線に立ち、多くのものを倒し同化させる事でメソの高位者にまで上り詰めた。
支配を狙うマクモ達は、そんなネストルに警戒心を持っていた。
それほどネストルは、本人の望みとは関係なく強く大きくなっていた。
それでもネストルは街で生きるつもりだった。
戦火が落ち着けは、元のように父と母と共に街で暮すつもりでいた。
街に住むには大きくなりすぎた体も、必要がなくなればいらない部分を捨てて小さくなればいいと。
だが長引く戦火に、侵略を行っている各地域のクエル達もしびれを切らした。
そしてコルモの街を陥落させ支配し、そこを軍事基地とするのとで戦況を優位にしようと考えるようになった。
それにはネストルが邪魔だった。
そこで彼らは裏で取引をした。
まずは街を守るネストルを討ち取らねばならないと考えたからだ。
そしてコルモの街は総攻撃を受けた。
狙いに気づいたネストルが一人、引きつけ役として街の側を離れたが、それがいけなかった。
第二の軍が街を狙った。
街のスーダー、街に友好的な森のルアッハ達、総出で戦い何とか陥落は免れたが、被害は壮絶だった。
中でもネストルが父と慕うクエルが生死不明の行方不明になった事で、本人も、そして母も絶望に打ちひしがれてしまった。
深い悲しみの中、ネストルは覚悟を決めた。
そして母と街の者の前で宣言した。
自分がマクモになると。
自分がこの地を統べるマクモとなり、未来永劫、この地を守ると。
誰も止めなかった。
否、止められなかった。
その時その場にいるルアッハの中でネストルが一番強く体が大きかった事、またそれほど、自分を拾い育ててくれたカナカの父を失ったネストルの悲しみは深く、守れなかった自分を責めている事を皆わかっていたからだ。
そこから、ネストルはマクモとなる為に自分の慈悲深さを封印した。
少しでも街に敵対するものが現れれば、それがクエルだろうがルアッハだろうが関係なく、全てを攻撃し同化させて取り込んでしまった。
やがて、土地の新たなマクモとなろうと狙う者も、全て弱らせ同化させてしまった。
そうなれば、その土地へ支配を広めようとしていた近隣のマクモ達も、戦えば無事では済まない事、自分の土地を奪われかねない事を懸念して、手出しすることをやめた。
こうして、ニーツだったコルモ周辺の地域は、ネストルと言う新たなマクモの治める地域であると周囲に認知された。
新たなマクモが治める地域の街になったことから、街の名をコルモ・ノロと改めた。
だがマクモと成りし者は、自分の弱体化が地域を危険に晒す事になる。
その為、その強さをずっと維持しなければならない。
そうしなければ、またあの戦火が再びこの地域を襲う事になる。
街に住むには大きすぎる体と強さになったネストルは、母に別れを告げ、街から遠く離れた場所で一人、マクモとしてひっそりと暮らし始めた。
強い力のマクモが住む場所には、大きな森が生まれる。
森が広がることで生態系を広げ、その地域を豊かにしていく。
それがアルバの森。
この地域を治める、心優しく慈悲深い知恵者のマクモが住まう森。
「……だから、この街のスーダーは皆、マクモ様が好だ。ずっと昔の事だけれども、子供の頃からこの話を寝る前のお話として何度も聞くのさね。街を守ってくれたヒーローだぁ。他の暴君のようなマクモなんかとは全く違う。だからこの街は、旅で来た者がそのままここにいついてしまう事が多いんだよ。そうやって人が増え、街はどんどん大きくなった。……本当は、小さな虫を殺すのも怖がって人の後ろに隠れるような、怖がりで心優しいルアッハだったみたいなんだけどもねぇ……。ネストル様は優しさ故に鬼となり、強くなったマクモ様なんだよ。この街には、そう伝えられておるんよ。」
「………そう…だったんですか……。」
俺は話を聞いて何も言えなかった。
ネストルさんは昔、街で暮らした事があるなんて何でもない事のように言っていたけれど、何でもないなんてレベルの話じゃなかった。
「アルバの森に住んどるなら、見かけることもあるだろう?あの方は……今は幸せに暮らされてるのかねぇ……?」
おばあさんが目を少ししょぼしょぼさせながら俺に聞いた。
俺は俯いて空になったカップの底を見つめた。
「どうでしょう……。俺にはわかりません……。」
随分、ずっと一緒にいたのに俺にはわからない。
ネストルさんは今、幸せなのだろうか?
心穏やかに暮らせているのだろうか?
ネストルさんと過ごした日々を思い返してみる。
でも思い出せたのは、ふわふわした毛並みに包まれる感覚や、機嫌が良い時にゴロゴロ響く喉の音、眠っている時の規則正しい寝息、そういうものばかりだった。
思い出しただけで温かくて、俺は少し笑った。
「ネスト……マクモ様が幸せなのかは、俺にはわかりません。でも、これだけははっきり言えます。」
俺の中にあるネストルさんと過ごした日々。
それを思い返し、おばあさんの顔をまっすぐ見つめて微笑んだ。
「マクモ様に出会えて俺はとても幸せになりました。あの方に会えて、俺は今、生きているのが楽しいです。」
おばあさんは目を伏せ、ゆっくり何度も深く頷いてくれた。
それが答えになっていたかはわからないけれど、それで十分なのだと何故か思えたのだった。




