噂
ショーンは、イザベラとふたりきりの時を除けば、汚い言葉をつかうこともなくひとあたりのいい紳士だった。女性に親切で、男同士では勇ましく、子どもに優しい。
しかし、イザベラとふたりになると、途端に不機嫌な子どものようになった。気にくわないことをぶつぶつとくさし、イザベラにそれを聴かせる。はっきり云って、彼が友人達に見せている姿ではないし、見せていいものでもない。
イザベラはだけれど、ショーンの態度にどこかすねたような、そして困っているような、寄る辺のないものを感じた。それに、本当の意味で悪いひとではない。イザベラがおずおずと、アンのことを持ち出すと、会う機会を設けてくれた。
「イザベラ。いえ、アッセマイン夫人……」
「アン、イザベラと呼んで頂戴。かしこまらないで」
フィリップス邸で再会したアンは、嬉しそうにイザベラへ駈け寄り、ぎゅっとしがみついてきた。イザベラはアンを抱きしめ、同じソファへ座る。
アンは会わない間に、少しふっくらしていた。前は痩せすぎだったから、今でも痩せているくらいだ。それに、まだはずかしそうにする癖はそのままだが、笑顔に緊張がない。
「あのね、オールマックスへ行ったの」
アンは亢奮気味に語った。そこで、男爵令嬢と知り合いになり、今度は詩の朗読会へ招かれたそうだ。イザベラは頷いて、アンが明るくなったように見えるのは同性のあたらしい友達ができたからかしらと考える。
アンはしばらく喋ると、イザベラが喋っていないことに気付いたようだ。はっとして、頬を赤らめる。
「ああ、ごめんなさいイザベラ。わたしのことばかり」
「いいえ」
イザベラは頭を振った。実際のところ、イザベラはアンがどうしているか知りたかったのだ。自分のことを姉同様に考えてくれている彼女が、淋しい思いをしていないか、哀しんでいないか。
アンはあたらしい友達もでき、社交場へ行くこともおそれなくなっているらしい。それは、イザベラには嬉しいことであり、少々哀しいことでもあった。
「アッセマイン卿は、よくしてくださるの?」
アンはこわごわ、訊いてきた。イザベラは微笑んで頷く。「とても。侯爵は子どものようなひとなの」
「え?」
「無邪気ということよ」
イザベラは口を滑らせたかとひやひやしたが、アンはそれで納得したらしい。くすくすっと笑っている。
「よかった。アッセマイン卿はいろんな噂のあるかただから。それに、イザベラがアッセマイン邸から出てこないから、なにかおそろしい目にあっているのではないかなんて云うひとも居るのよ。イザベラが……」
アンは口を噤む。耳を赤くして俯いてしまった。彼女が云いたいことはわかった。おおかた、社交界ではイザベラが変人だとか、狂人だとか、そんなことが噂されているのだろう。寄宿学校でも、閉じこもりがちな生徒はそう云われていた。
どこでも人間というのはかわらないらしい。イザベラはそのことに、ちょっとだけうんざりした。
友人と約束があるというアンが、女中とともに帰っていき、イザベラはミセス・フィリップスに挨拶してからフィリップス邸を辞すことにした。車止めまで歩く間、彼女は考え込んでいる。自分がなにか云われるのは仕方がないが、ショーンが妻を閉じこめているように云われるのは愉快ではなかった。言葉足らずなところ、子どもっぽいところはあるが、まったく悪い人間という訳ではない。彼はおそらく、女性への接しかたがわからないのだ。頻繁に、女はどうの、と文句を云うし、男の友人達とでかける時には楽しそうにしている。
噂というのはなんだろう、とイザベラは思う。ショーンに関する噂。善良なアンが決して詳細を口にしなかった噂。
「ねえ」
イザベラは馬車にのる前に、御者に声をかけた。「はい、奥さま」
「帽子がゆがんでしまっているの」彼女はたった今、自分で枉げた帽子を示した。「どこでもいいから、適当なお店へまわしてくれる?」