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侯爵の裏の顔  作者: 刀洞 やや
7/16

不安





「だいぶ顔色がいいみたいだ」

 ほっとしたような声を出し、アッセマイン卿は微笑んだ。本当に嬉しそうな表情に、イザベラは面喰らう。

「申し訳ありません、治療費を……」

「気にしないで。遠からず、わたし達は結婚するのだから」

 その言葉に胃がしぼられるような恐怖を覚えたが、イザベラはそれを表情には出さなかった。アッセマイン卿は頷いている。「妻の身になにかあったら、助けようとするのが夫というもの。当然のことをしたまでだ」

 イザベラは声が出ず、お辞儀で感謝を伝えようとした。


 フィリップス夫妻は慈悲にあふれたひと達で、イザベラを追い出すようなことはしなかった。アッセマイン卿の頼みもあったのだろう。侯爵さまの婚約者を放り出すことはできまい。

 当の侯爵さまは、客間の椅子に腰掛けて、機嫌よく喋っている。風邪をなんとか治したイザベラは、その向かいで、婚約者を観察していた。邪気のない笑みと屈託のない様子に、心が段々と解れていく。なにか裏があるようには見えない。なにか大いなる間違いが起こって、彼にはわたしが魅力的に見えているのかもしれない。財産だとか、家柄だとかを考えられなくなるくらいに。

 婚礼衣装は彼の伯母が見繕ってくれたそうだ。結婚式についてもなんの心配もない。結婚後はアッセマイン領へ行き、来年の社交シーズンにまたロンドンへ来ようと彼は考えているようだった。


「あなたは、申し訳ないが少々やつれてしまっているから」

 彼は気遣うように云う。「来年でも遅すぎると云うことはないでしょう。我が領地でゆっくりと療養してほしい」

「かしこまりました」

 アッセマイン卿は微笑んだ。

「そのようにかしこまらずに。ショーンと」

 彼の名前はショーン・クリストファー・グスタフ・サイプレスというのだった。イザベラは軽く頷いて、同意を示した。

「あなたのことは、イザベラと呼べばいいだろうか」

「はい」

「変わった名前ですね。ファーストネームは……」

 イザベラは顔を赤らめた。それは、人生で何度も云われてきたことだ。名付け親がどう考えて彼女に名前を授けたのかわからない。彼女はしかし、どちらの名前も好きではなかった。

 ショーンはそれを見て、ばつが悪そうににやっとした。「すまない。あなたが気にいっているのなら、そう呼ぼう」

「はい、そのように……」

 ショーンは頷いた。







 すべてが性急にすすめられ、イザベラは教会に居た。ショーンが手配した女中が、イザベラの身のまわりのことをすべてしてくれている。気付けに、化粧に、間もなくはじまる結婚式の心配までだ。

 イザベラは婚約指輪を眺めていた。ショーンは、母の形見だという指環を、彼女にくれた。大粒の――()()()大粒の真珠があしらわれたものだ。よく、若い女性の口の端に上る「大粒」ではない。

 イザベラはうすでの婚礼衣装を身につけ、座っている。それらはすべてショーンが用意した。彼女は爪の先程も出費していない。何故か? 出費しようにもお金がないからだ。

 時間が来て、イザベラは控え室からつれだされた。儀式は滞りなく済み、彼女はトリークル・イザベラ・サイプレスになった。

 結婚が厳かに誓われた瞬間、ショーンが奇妙に満足そうに笑みをうかべたのに、イザベラは何故だか背筋がつめたくなった。


「ああ、息が詰まった」

 教会からアッセマイン邸への馬車のなかで、ショーンは不機嫌そうに云いながらクラヴァットを外した。乱暴な手付きだ。

 イザベラは体をこわばらせる。夫の声の調子は、これまで聴いたことがないものだ。傲慢そうで、長い間そういう声にさらされてきた彼女は身をすくませる。

 夫は向かいで脚を組み、彼女を観察している。値踏みするような視線だ。イザベラは馬車内の空気が重たくなっていくのを感じる。「ショーン……?」

「安い買いものだった」ショーンはにっこり笑った。「イザベラ、お前は賢明だ。俺にたてつかないように。それさえできればまもってやろう」

 イザベラは自分が罠にかかってしまったような気がした。それも、死に至るような罠に。




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