侯爵
「大丈夫ですか、ミス?」
「ええ……」
イザベラはばつの悪い気持ちでいっぱいだった。どうして、部屋から出たのだろう? どうして、階段を降りようとしたのだろう?
なにかしら理由はあった気がするのだが、思い出せなかった。おそらくは、いい空気を吸いたかったのだろう。窓を開ければすむことだったのに。
足を踏み外して階段から落ちたイザベラは、たまたま玄関ホールに這入ってきた男性に助けられた。あの……アッセマイン卿だ。
彼はイザベラをうけとめ、簡単に抱えてしまった。ミスタ・フィリップスが慌てて使用人を呼びに行き、結果としてイザベラは彼らの楽しい夕べを邪魔した。
「……申し訳ありません」
「いや、わたしのこの図体もたまには役に立つようです」
アッセマイン卿は苦く笑うと、イザベラの体に優しく毛布を掛けた。今日はアンのデビューの日、女中の多くがそれにかりだされ、イザベラの世話をできるような女性は居ない。アンよりもずっと若い女の子達が居るが、彼女達は普段しっかりしているイザベラが気を失いそうになったというだけで具合を悪くし、おろおろするだけだ。今にも泣きそうなので、イザベラの具合が余計悪くなると、ミスタ・フィリップスが彼女達をさがらせた。
それでどうして、アッセマイン卿がベッドサイドの椅子に座っているのか、イザベラにはわからなかった。この邸の主人はアッセマイン卿にイザベラを紹介し、イザベラにアッセマイン卿を紹介してからどこかへ消えているし、使用人達も居ない。どういう訳だか、アッセマイン卿はイザベラの看護を買ってでたようだった。
一度だけ、これ以前にもアッセマイン卿と言葉を交わしたことはあった。水を一杯もらいたいという彼に水を持っていった。それだけだ。それだけのことで、イザベラの看護を請け負うというのはおかしなことだろう。彼はその時、イザベラのことを女中だと思っていたようだったし、イザベラもそれを否定しなかった。
「あの」
「ええ」
「お仕事の邪魔をしてしまったのでは?」
「心配しないでください」
アッセマイン卿は微笑む。「仕事の話がすんで、ほかの話の為に、こちらへ参ったんです」
「はあ……」
イザベラは長い髪を手でおしのけるようにし、体の位置を調整する。息苦しさがなくなってくれなかった。
「なら、やはり、邪魔だったのでは」
「いえ。わたしの用というのは、あなたに関することだったので」
イザベラは一瞬、云われたことを理解できず、そのあとには聴き間違いだと思った。侯爵さまがわたしに用事? なんの用だというの? 完璧に調えられているクラヴァットをゆがませてくれ、とか?
アッセマイン卿ははにかむように微笑んでいる。
「ミス・マーシュ、突然のことで申し訳ないのだが、わたしと結婚してくれないだろうか」