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侯爵の裏の顔  作者: 刀洞 やや
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除け者




「ミス・マーシュ」

「はい、奥さま」

 階段の手摺を拭いていたイザベラは愛想よく返事し、ミセス・フィリップスのほうを向いた。

 小柄で痩せたミセス・フィリップスは、その小さな体のどこに仕舞いこんでいるのか、本当の意味で慈悲深いひとだった。あたらしい靴や帽子、ドレスをつくりにアンがでかけるとなれば、フィリップス邸の女中を数人つけて、馬車酔いするイザベラがついていかなくてもいいようにしてくれる。アンはイザベラ以外にも信頼できる使用人が居て、ほっとしたようだった。勿論、毎回イザベラが馬車酔いをまぬかれる訳ではないが、頻度は低かった。使用人達が親しみやすいのもあって、アンの緊張した様子は日に日にうすれている。


 ミセス・フィリップスは気遣いのできるひとで、アンと一緒にでかけない時に手持ち無沙汰で居たたまれないイザベラに、雑事を任せてくれた。

 イザベラは体を動かしているのが好きだったから、掃除や洗濯を手伝ってほしいと云われれば喜んでやった。なにが一番嬉しいかと云えば、自分に選択権があるところだ。イザベラはなにか理由をつけてミセス・フィリップスの頼みを断ることもできた。問答無用で命じるシャーロットとは違う。

 イザベラは、自分が積極的になにかをしているというのは久し振りで、戸惑っていたが、その機会を設けてくれたミセス・フィリップスには感謝の念が絶えなかった。

 不思議なことに、フィリップス氏を訪ねてやってきたお客達に、使用人のように扱われても、気分はさほど害されなかった。フィリップス夫妻の知り合いならば気にならない。大概のお客は、善良で親切だった。

 勿論、夫妻の知り合いにはシャーロット達も含まれるのだが、イザベラはシャーロットとフランシスだけはそこから除外して考えていた。


「アンのことだけれど」

「はい」

「今夜、社交場へつれていきます。ただ……」

 ミセス・フィリップスは、申し訳なそうに眉をひそめた。丸顔が可哀相にゆがむ。「シャーロットが、あなたを一緒につれていくことは遠慮してほしいと……ああ、その……」

「助かります、ミセス・フィリップス」

 イザベラは久方ぶりに聴いたシャーロットの名前にむかむかしながら、この善良なご婦人を傷付けまいと、無理に微笑んだ。そんなこと、知っていたわ。わかっていたことじゃない。

「わたしは馬車酔いするので。それに、ひとが多いところは得意ではありませんの」

「そう、イザベラ、わかってくれて助かるわ」

「こちらこそ」

 ミセス・フィリップスはその場にぐずぐずしていたが、イザベラが背を向けて、手摺を拭きながら階段を上がっていくと、悄然と肩を落として立ち去った。







 その晩は、イザベラには退屈なものになる筈だった。ミセス・フィリップスは、イザベラに図書室へ這入る許可をくれ、泣きそうなアンがイザベラにしがみついているのをなんとかなだめて馬車にのせ、アンのことは心配しないでと請け負って一緒の馬車で出て行った。

 イザベラはけれど、久々に酷い頭痛を起こし、ラヴェンダー水をこめかみに塗って横になっていた。ミセス・フィリップスは神の国に近いひとだ。みすぼらしい、財産のない女に、友人の娘の世話をしているからと云うだけの理由でそれなりの客室をつかわせてくれている。この頭痛が治まれば、彼女の慈悲心に甘えて、グランドツアーを記録した面白い本でも読めたというのに。


 うとうとしていたイザベラは、ふと、頭痛が和らぐのを感じて、体を起こした。解いたはしばみ色の髪をせなかにたらしたまま、客室から出る。当世風の髪型なんて知らないイザベラは、伸ばした髪をまとめて帽子の下に隠すくらいしかしていない。

 イザベラの緑の瞳は潤んでいる。

 化粧着と木綿のナイトドレスが、ゆらゆらと揺れた。廊下には灯が点されていない。ミセス・フィリップス流の気遣いだ。強い光で頭痛が酷くなるイザベラには、それはありがたいことだった。


 イザベラは化粧着の前を掻きあわせ、ゆっくりと階段を降りていった。どこからか喧噪が聴こえる。使用人達が楽しく食事をとっているらしい。ここでは邸の主人のように、使用人達も食事をとっている。イザベラも誘われたのだが、頭痛がするので断っていた。おかげで空腹だ。不快感が頭痛なのか、空腹なのか、それとももしかして腹痛なのか、イザベラはいまいちわからなくなっていた。

 イザベラはここがフィリップス邸だと云うことを忘れていた。階段の形や段数は、普段イザベラが閉じこめられている邸とは違った。彼女はありもしない段を踏もうとして、足を踏み外した。




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