見たくない
競馬場は騒々しかった。貴族達は酒を呑み、喋ることで存在を維持しているようだ。
イザベラはショーンと腕を組み、彼の伯母に会う為に歩いていた。ドレスの裾は彼女の脚にまといつき、ボディスは体を締め付ける。コルセットもなかなかのものだ。それは彼女のあばら骨を折る為に開発されたに等しい代物だった。
頭痛が最高潮に達した時、一番聴きたくない声が聴こえてきた。
「あら、イザベラ……」
シャーロットが女中を数人つれて、立っていた。夫はどこに居るのだろう。とうとう頭からばりばりかじってしまったのかしら、とイザベラは思う。
シャーロットはご自慢の細い体をドレスにおしこめ、胴を締め上げていた。彼女がどんな人物だろうと、その点は尊敬できる。
ショーンがにこやかに応じる。「ヒータネル夫人。ごきげんよう」
「ごきげんようアッセマイン卿」
シャーロットは丁寧にお辞儀をし、イザベラは頭痛に顔をしかめてそれを見ていた。イザベラがお辞儀をしないことで、シャーロットは少々気分を害したらしい。
「イザベラ、顔色がよくないわ。横になったほうがよいのじゃなくて?」
「……平気です、レディ」
精一杯虚勢を張ったイザベラの声に、シャーロットはにんまりする。その顔になにかしら邪悪なものを感じたが、イザベラは口を噤んだ。
アッセマイン卿、それにその夫人が来ていると気付いた周りの人間達が、話しかける機会をうかがっている。しかし、今はシャーロットの番だ。
彼女はイザベラのなにかが気にくわなかったのだろう。ずっとそうだったらしい。にこやかに、親切ごかして云った。
「イザベラ、頭痛は相変わらずみたいね。あなたはその……昔、体に問題があったから……」
彼女はずっとわたしをきらっていたんだ、とイザベラは思った。なんとなく気付いていたが、はっきりと態度で示されたのは今度が初めてだ。
でも、かまわない。わたしだってこんな人間はきらいだ。
シャーロットのなにかほのめかすような言葉遣い、目付き、手振り、粘つくような声は、瞬く間に効果をもたらした。頬を赤らめるご婦人があり、顔をしかめる紳士があり、シャーロットの言葉をもっと遠くまで届けようとお喋りをはじめる者あり。
イザベラはなにも云わなかった。シャーロットはほのめかしただけだ。否定しても得はない。実際のところ、イザベラは彼女の家に長い間世話になっていた。女同士、内密な事柄でも話し合える間柄だと、周囲には思われているかもしれない。
シャーロットはごまかすように小さく笑い、扇子で口許を覆った。「ああ、いえ。ほら、あなたは昔っから、頭痛持ちだったでしょ。うちに来てすぐの頃だったかしら? 寄宿学校では頭痛なんてなかったそうなのに、不思議なことね」
なんの不思議もない。寄宿学校では、夜遅くまで繕いものをさせられたり、厨房の掃除をさせられたりはしなかった。それに、サイズの合わない窮屈な服を着ていることだってなかった。それだけのことだ。
イザベラはじっと、シャーロットを見ている。彼女から目を逸らすつもりはなかった。ショーンを見たくなかった。彼を。彼がさげすんだような目をするところを。