帽子を蹴飛ばす
イザベラは心臓が激しく動いているのを感じた。ショーンが結婚について喚いた時、そんなふうに心臓を激しく脈打たせていたことを思い出す。彼はこんな気持ちだったのかしら。なにか、悪いことをしているような、そんな気分?
アッセマイン夫人、社交界デビューも果たしていない謎の貴婦人の噂は、フィリップス邸からさほどはなれていない帽子屋にも届いていた。アッセマインの馬車がやってくると、帽子屋は焦った様子でイザベラを迎え、丁重にもてなし、最新流行だという奇妙な格好の帽子を幾らかすすめてくれた。
イザベラの誤算はそこにあった。自分が注目されている人物だとは思っていなかったのだ。だから、買いものをしながらほかのお客の会話に耳をそばだて、噂がささやかれないかを待っているつもりだった。それはできなかった。
イザベラは帽子をひとつ買い、アッセマイン邸へ戻った。
「君は浪費をしないタイプだと思っていた」
ショーンはどことなくつめたい調子で云う。イザベラは夜になって邸に届いた帽子の箱を見詰めていた。ショーンは快くお金を出してくれたけれど、帽子屋の人間が帰ると不機嫌になった。
「一番安いものを選んだつもりです」
「そうか。どうせなら、高いものを買ってくれてよかったよ」
なにに怒っているのかよくわからないショーンは、先程とは矛盾するようなことを云った。「明日には、アッセマイン夫人はしみったれた帽子を買ったと話題になる。ただでも、俺がお前を閉じこめているだの、妙な噂になっているのに」
「閉じこめられていないのですか?」
反発からではなく、純粋に疑問に思って彼女はそう口に出した。ショーンは寸の間、口を半開きにする。
「……イザベラ、お前はどこかへでかけたいのか? 社交場へでも?」
イザベラは肩をすくめた。「アンに会えるなら」
ショーンは帽子の箱を蹴飛ばして出て行った。彼がそんなふうに感情をあらわにするのを初めて見て、イザベラはびくついた。