寄る辺ない娘
イザベラのなやみと云えば、ほんの少し前までは、歯並びが悪いことだけだった。
「介添人……ですか? わたしが?」
イザベラの言葉に、この家の主人の妻であるシャーロットは、にんまり笑った。彼女は「どちらかといえば」美人の部類だが、そういった意地の悪い表情をうかべるとそれが台無しになる。
ついでに云えば、四十歳に手が届こうというのにそれをひた隠しにしていることも露呈した。白粉がよれて皺になっている。その皺でさえ、美しく見えるひとも居るというのに、彼女の醜悪さは一体全体どうしたことだろう。
「一応、あなたも社交界に顔を出したことくらいあるのでしょ」
イザベラは内心、ひどい屈辱を感じながら、不満げな声が出るのをどうにもしようがなかった。「いいえ、奥さま」
シャーロットは奇妙に満足そうだ。彼女はわたしにこれを云わせたかったのだわ。落ちぶれた、みすぼらしい娘。もう二十六歳になったのに、未だに結婚どころか婚約の話さえ欠片も出てこない、嫁き遅れの娘。それをわたしに思い出させたことで、彼女は満足なのだろう。わたしがデビューしていないことくらいご存じでしょうに。
「そう。でも、アンはあなたを気にいっているから、あなたが居たほうが安心だと思うわ。あの子の身のまわりのことを任せてもいいかしら? デビューに関しては大丈夫よ、わたしも居るし、親しい友人のミセス・フィリップスも手助けをしてくれるから……」
イザベラは断りたかったが、シャーロットの夫の好意で生きている彼女に選択肢はなかった。イザベラは承知し、彼女のロンドン行きは決定した。
トリークル・イザベラ・マーシュは軍人の娘だ。母はイザベラが五歳の頃に死んだ。
兵士を指導することは得意でも、女の子を育てることには尻込みしてしまった父は、イザベラを寄宿学校へ預けるという選択をした。
父はイザベラが十三歳の頃に戦争であっさりと死んでしまい、彼女は天涯孤独の身になった。端的に云えば、イザベラは孤児になった。
寄宿学校はイザベラにとっては居心地のいいところだったし、級友達も先生達も優しかったが、お金がなくては寄宿学校に居続けることはできない。この後どうなるのかと不安でいっぱいだったイザベラは、母方の親戚である、貴族のフランシスの家にひきとられることになった。
ひきとられる、といっても、娘としてではない。フランシスと妻のシャーロットは、軍人の娘であるイザベラを軽く見ている。ほとんどさげすんでいると云っても差し支えはない。
彼らはほんの少しの食糧とお下がりの服で働く小間使いを得、イザベラは突発的な頭痛、それに慢性的な肩こりと手荒れを手にいれるかわりに、日々の糧をもらえるようになった。それだけのことだ。
寄宿学校でそれなりの知性を身につけていることは幸運だ、とシャーロットに云われたことがある。彼女が知性の意味を知っているかはともかくとして。
シャーロットとその夫――そう、フランシスとその妻、ではない。家庭内での地位は常にシャーロットが上だ――は、イザベラの十歳下の娘・アンの面倒を彼女に見させた。イザベラは自分がまだ子どもなのに、それよりも子どもであるアンの世話をしていたのだ。そのほかにも仕事は沢山あるというのに。
彼女は一応、使用人達からは「ミス」をつけて丁重に呼ばれたが、彼らはイザベラを自分達とほぼ同列に捉えている。もしかしたら自分のほうが下なのではないだろうかとイザベラは考えることがある。彼らはお手当をもらっているが、自分はもらっていない。