喫茶猫呼にはあんまり猫呼がいない
「しかし本当に可愛いね、本物の雪乃フルエレが見たらびっくりするだろうね!」
「あ、あはは、有難う御座います。でも本名なので……」(実は仮名だけど……)
「でも源氏名じゃなくて本名だったら、採用面接の時とか落とされなくて良かったね」
「ここの主の方の雪乃フルエレさんも、実は心の広い素晴らしい御方かもしれないです! こうやって私の事を普通に雇って下さってますし……」
「ここ冒険者ギルドって言っても、実際は大昔みたいにモンスター狩って、クエストクリアして報酬貰ってって感じよりも、旧王国の工作機関っていうか冒険者雇って暗殺したり政治工作したりが実態だったからなあ……今は組織編制どうなってるのかねえ……」
「よくこんな恐ろしい所で働く気になったね……なんか困った事があったら相談しなよ?」
二人組の客の一人がどさくさ紛れにフルエレの手を触ろうとするが、苦笑いしながらさっと手を引いてセクハラを避けるフルエレ。
遠くから砂緒が恐ろしい形相で聞き耳を立てているが、フルエレが必死に首を振って制止する。
「じゃ、珈琲美味しかったよ、また来て上げるね!」
「はい! 有難う御座います!!」
雪乃フルエレはもはや手慣れた営業スマイルで客を見送った。
リュフミュラン王立冒険者ギルド・ニナルティナ支部・本店が入る、お洒落な七階建てのビルディングの地下一階、喫茶猫呼は常に閑古鳥が鳴いている状態だった。
「しかし雪乃フルエレと名前が同じですねって話題、もう何回聞いたか分かりませんね」
砂緒が食器を拭きながら客が出て行った事を確認してから話しかける。
「仕方無いわよ、皆蛇輪は見てるけど、中に誰が乗ってたかなんて知らないから、勝手なイメージで私の事想像してるだけなんだから……」
「しかし……客は来ないですね、ここまで難しい物だとは。フルエレのたっての希望で前のメイドさん服から、シックなブラックワンピースに白いエプロンていうシンプルなのに変えたのがいけなかったんでしょうか……当然私は今の方が好きなのですが」
「あんな色物みたいなの嫌よ、それに制服は関係ないわよ! 地下一階っていう立地条件が駄目なのよ……前はギルドのカウンターと一体化してたけど、今回は完全に別個の喫茶店になっちゃったし。人の流れが断ち切られてるのよね」
「私はフルエレが最高に可愛いとは思うのですが、客層によっては猫呼が良いっていう特殊な客も多かったのかもしれません。店名なのに常に居ないというのも変ですし」
「つまり猫呼が消えたら客も消えたと言いたいわけ?」
「い、いえそういう訳では……」
―すこし前
「え!? ここの冒険者ギルドって、モンスター討伐とかのクエスト依頼はごく少数で、実際には暗殺とか対外工作とか旧ニナルティナ王国の、政治がらみの仕事依頼が多かったですって!?」
新たに秘書として雪乃フルエレに仕える事となった美女ピルラから、ここの施設の一連のレクチャーを受けて驚くフルエレ。
「そりゃリュフミュランですらモンスター不足なのに、街に路面念車が走ってる大陸一の大都会ニナルティナでそうそうモンスターなんか出る訳無いじゃない!」
何故か最初のぶりっこが消えて、すっかり皮肉屋みたいになってしまった猫呼が冷めた感じで言った。
「でも……駄目よ! 暗殺なんて絶対駄目……そんな事良い訳無いわ」
フルエレは凄く嫌そうに首を振った。
「でもご安心下さいフルエレ様、旧王国が崩壊した今、事実上暗殺や対外工作の依頼は消えましたから。それに砂緒さんが言う、警察という組織に似た物に再編中です。もちろんフルエレさんが気に入らない者が居れば誰にも知られる事無く、闇に葬る事も可能ですよ!」
「駄目でしょ!! そんな事しちゃだめ!!」
「しかし……ならず者や厄介者が多い組織であるのも事実……フルエレ様がハルカ城にお勤めに行く間も目を光らせる、組織の取り纏め役的ポストの方を置いて欲しいですね……実際」
(百名程はいるスタッフの取り纏め役……うっわ、めんどくさ……)
フルエレは瞬間的に放り投げたいと思った。しかし猫呼クラウディアは違った。一瞬猫呼の目がキラッと光った事をフルエレは見逃さなかった……
「あぁ……猫呼ちゃんって確かリュフミュラン時代の冒険者ギルドで沢山の冒険者さんを集めて動かした実績があるわよね……猫呼ちゃんみたいな実力のある人が他にいるかしら……砂緒なんて壊滅的に駄目駄目だし……」
「あ、あの……フルエレさぁ……」
「何?」
「私ちょっとやってみようかなあ……」
猫呼がフルエレの呼び水に乗っかった。
「え!? そ、そんなあ猫呼ちゃん悪いよ……百名は下らない数のスタッフを手足の様に使いこなす大変なお仕事だよ……そんな激務……猫呼に押し付けるなんて事出来ないよ……私」
フルエレの大げさな話を聞いて、猫呼は一瞬顔が、にへらっとなりかけたが、すぐに両手で覆って隠した。
「ううん、いいのフルエレ……私も何かフルエレの役に立ちたいなって思ってて、もし良かったらここのギルドの人達のお仕事を助けてみたいなって思うの……」
「ほ、本当に良いの? 百人ものスタッフを自分の部下にしなくちゃいけないんだよ!? 大変なお仕事だけど凄く名誉な事……押し付けて悪いわ……」
「ううん! 私に任せて……!! でも開業したばかりの喫茶猫呼が……」
「それは任せて! 私と砂緒とイェラで切り盛りするから、安心してっ!!」
二人は手を取りあった。ひたすらめんどくさいフルエレと、名誉欲が強く、大きな組織を動かしたい猫呼の共生関係が見事成立した。
という訳で喫茶猫呼から猫呼の姿は消えた……
「でも……お客が少ない分、いつもフルエレと二人きり……こうして静かに二人の時間を楽しめる訳です」
砂緒はそっとフルエレの手を握ろうとした。
「……気持ち悪いから職場では止めて!」
さっきのセクハラ客の時と同様にさっと手を引っ込めるフルエレ。
「………………ええ? フルエレはしおらしい時もあるのに、何故そんなそっけない時もあるのか、良く分かりません私」
「もうそういう事は二人きりになった時にして欲しいぞ……」
イェラが調理場から出て来る。
「違うのよ、砂緒が気持ち悪い事して来て、止めてって言ってたのよ」
「気持ち悪い言うのやめて下さい……傷つきます」
「そんな事より、白濁した汁に麺が入った料理が上手く行かないのだ……スープの材料の配分がこれ程難しいとは……」
今イェラは白濁した汁に麺が入った料理に凝っていた。
「ねえイェラ……喫茶店にその料理は必要かしら……? 方向性がバラバラな気がするのよね」
「必要かどうか分からないが、どうしても作りたい! そしてゆくゆくはフルエレに魔輪で配送サービスをしてもらいたい!」
「魔輪で配送サービス……? 本気で言っているの?? そんなの魔輪で運んだらグシャグシャになるじゃない」
「いや! 大丈夫だぞ、実は伝説の超平衡魔法運搬装置の最後の一つを持っているからなっ!」
「超……え、何?」
「超平衡魔法運搬装置だ! これを使用すると魔輪でどんなに過激な走行をしても絶対に箱の中の汁物がこぼれないという魔法の箱だ……」
「す、凄い……一度見てみたいわね……するかどうかはそれから考えてみる」
二人の勝手な盛り上がりを見て呆れる砂緒。
「イェラ、毎朝剣の修行に付き合ってもらってて申し訳ないのですが、その麺料理、どうしても喫茶店に必要ですか? 豚とか鳥とか煮込むから床がべちょべちょになって困るのです……掃除する身にもなって頂けませんか?」
「あーそういえば最近剣の修行に熱心よね、スライムすら倒せない実力だったものね……でも最近は違う目的もあるんじゃない? 昔と違って最近の砂緒、ちらちらイェラの身体をやらしい目で見てるわよね!」
「そ、そうなのか!?」
イェラが冗談で胸を大げさに両手で隠す。
「そんな訳無いでしょう、私がそういう事に全く興味が無いのは知っているハズです」
「どうかしら? 最近の砂緒は前と随分違うのよね……」
フルエレは疑惑のジト目で砂緒を見た。
「おはようございます! フルエレさん、イェラお姉さま! 少し遅れちゃいました……」
「あ、おはようセレネ!」
「おう今日もよろしくなセレネ」
新人バイトのセレネが少し恥ずかしそうに制服に着替えて入って来た。砂緒の事はいつも通りガン無視していた。




