ノア⑦
兄さん達を残し、俺は逃げた敵を捕らえに行く。まさか戦士の力である瞬間移動がここで役に立つとは思わなかったが、この力を与えてくれた神に感謝した。
さっき一瞬だけ見えた、森の奥に駆けて行く姉さんの後ろ姿。まだ鮮明に思い出せるし、彼女の行動の予想もつく。早く俺もあいつをぶっ飛ばして、あなたを追いかけたい……そばにいられないのはもう我慢の限界なんだ……
追いかけるフードを被った男の姿は、まるで狂った人形のよう。何度も動けなくなるほどの攻撃を食らわしても、痛みを感じていないような、そんな人間だ。
するとそいつは逃げることを諦め観念したのか、突然止まる。そして初めて口を開いた。
「邪魔ヲ、スルナ」
どこか人間離れしたような喋り方に、「それは無理だ」と返す。
彼の目的はローズ・アムールを殺すこと。確かに彼女は面倒ごとばかり抱えていた。周りの人間を魅了し、自分の意のままにできる力を持つ上に、悪の生物とされるルナシーを引き寄せている元凶が、その力を持つ彼女だ。
それならいないほうがいいのではないかと俺なら思う。……だが、姉さんは違うだろう。一緒にいすぎて姉さんがどう思うのかまで俺に伝染してきている気がする。
「ワタシノ大事ナヒト、魅了ノチカラ、マドワサレテイル。オボレテイル」
その言葉に、眉間に皺が寄った。
皇后が力に心酔してると言いたいのか……?オスカル皇子から聞いた話によれば、こいつがいたから皇后は自分の力を器用に使えていたと……誰も知らない存在であり、皇后を裏でうまく操っていた張本人らしいが。
「ワタシ、ソンナ彼女ヲ、ココロカラアイシテイル。ダカラ彼女ノチカラ、トリモドス。ダカラローズ、コロス」
「……っ、違う!彼女を殺しても、皇后に魅了の力は戻らない!力に依存するな!一歩間違えば、世界を破滅に追い込むことになるんだ!」
「ウルサイ……コロス、コロス、コロス……!」
突如男の服が破れ、体がデカくなっていく。
そんな気はしていたが、やはりこいつは人間じゃない。ウィリアムズ公爵令嬢やプロンツ侯爵令嬢の負の感情が具現化した時の状態に近いが、そんな易しいものでもなさそうだ。夥しい怨み、恐怖、憎しみ、嫉妬、苦しみ……そういうもののみでできた生物。
「ヤハリオマエ、アノ人間ノ子供!」
「……?なん、だと……?」
思わず顰め面になった。
俺より三倍以上も大きくなった体は、本物の悪魔のよう。
「オマエラ双子ノ母親、ワタシガコロシタ!」
「……ッ⁉︎」
こいつは、何を言っている……?
「オマエノ母親、魅了ノチカラ、消滅方法、サガシテタ。ダカラ、コロシタ……!」
「……お前が本当に、母さんを殺したのか?」
「ソウダ。偽善シャ。偽善シャ。邪魔スルナラ、オマエモキエロ……‼︎」
図体が大きく、攻撃を受ければ死の危険性もあるだろう。が、襲ってくると同時に俺は戦士の剣でそいつの体を貫いていた。
「ウアァァァァァァっ…………」
「…………」
デカい体がボロボロ、と剥がれるように消えていく。
こいつの正体がなんだったのか……そんなことを考えている余裕はなかった。
目の前の敵は既に消え去っている。
何も聞こえない静かな時間。小鳥の鳴く声も、風の吹く音も聞こえない。まるで俺自身が世界を拒んでいるように──。
「母さんが、殺されてた……?」
ずっと、捨てられたんだと思っていた。黒髪の俺達を捨てて、きっとどこかで楽しく幸せに暮らしているだろうと……
「……っ、そのほうがよかったのに……!」
なんだよそれっ、なんでなんだよ……!孤児院に俺達を入れたのは、自分が殺されるとわかって、そうするしかなかったってわけか?
「ふざけんな……っ」
" オマエノ母親、魅了ノチカラ、消滅方法、サガシテタ "
……要は簡単な話だ。母さんは魅了の力の存在に気づき、消滅させようとしていたんだろう。それがあいつにバレて殺された。魅了の力のせいで……全部魅了の力のせい……全部悪い……
目が黒ずんでいく、そんな気がした。
ポツン……と、顔に滴が落ちる。すると突然、ザーーーーッ、という大きな音と共に、雨が降り出した。
まるで共鳴するように、黒い渦のような感情が襲ってくる。
もう、どうでもいいか……何もかも、どうでもいい……。あれ、俺……とてつもなく大事なこと、忘れてないか……?──
「…………え」
背後に気配を感じ振り返ると、姉さんが背を向けて立っていた。ハッと我に返る。
「姉さん……?」
嫌な予感がした。
「ノア、おかえり」
顔だけ振り返った姉さんの胸元には、黒い羽のついた生物がいる。そして次の瞬間、彼女は両手で無理矢理自分の体に押し込んだ。
「……⁉︎⁉︎……姉さんっ、姉さん‼︎……なん、で……っ」
咄嗟に力が抜ける彼女を支え、できるだけ雨で濡れないよう大きな木の下で抱きしめるようにしゃがみ込む。
今……彼女が体の中に入れたのは、俺の負の感情に感染しようとしたルナシーだ……!
「ごめんね、私……何も言えなくて……こういう時、なんて言ったらいいのかなあ……?」
「っ……!」
「どんな言葉をかけても……酷い言葉になっちゃいそうで……でもどうしても、ノアに生きていてほしいの。お母様の分まで、たくさんあなたが、幸せになってほしい……我儘で、ごめんね……?」
「……っ、」
自分のことよりも俺の心配をしている姉さんに、目頭が熱くなる。
「ノア……あの子に呼ばれてるのか、なんだかすごく、眠たいの……私のことは、心配しなくていい……よ」
力尽きたのか、彼女はそこで目を閉じてしまった。
「っ、待ってよ姉さん……ルナシーに感染したら、豹変するんですよ……?」
問いただしても返事は返ってこない。彼女の白い頬を伝う滴が、空から降ってくる雨なのか、俺の涙なのかわからない。
「何で目閉じたままなんです……?俺の負の感情に寄ってきたルナシーだから?……だったら姉さんの体から出てこいよ。俺ん中に入ればいいだろ……?」
ぎゅうっと華奢な体を抱きしめる。
こんな小さな体で俺を庇って……あぁ、まるであの日と同じだ……。
『ノア、帰ろう?』
さっき心が闇で満たされそうになった時も……
『ノア、おかえり』
いつだって俺に居場所をくれた。
この人は俺の、世界で一番愛おしい人なんだ。
「頼むから……俺からこの人を、奪わないでくれよ……っ」
キスの理由も、信頼の証だと渡したネクタイの意味も。俺はまだ、何も伝えられてないんだ……──
♢天の声♢
切なくって切なくって、耐えられね〜よ( ; ; )ってことで……クライマックスです!




