9歳、最後の日③
「まず、黒い生き物が嫌われる、という世界に惑わされない……言い方はあまり良くないですが、大衆意見に惑わされない魂であることが大前提でした。その点で黒猫であるマチルダを飼い、お互いに信頼関係を築いていた天宮ぼたん……、セリィの前世の魂である彼女は、生まれ変わってもこの世界の風習に惑わされないと……むしろ、黒を愛してくれると思ったのです」
「……なるほど、確かに私はずっと黒が好きなままだわ」
この世界では黒猫、カラス、コウモリのような生き物は無条件に嫌われるし避けられているらしい。
聞くところによれば、黒い生物は闇や悪の象徴であるために嫌厭されていると……
ただセリンセとして生きてきた私は、そもそも今まで大衆意見を知る機会がなかった。情報源は本だったり、たまたま領地を回った際に領民がカラスを怖がっていたところを少し見たくらいで。黒が忌み嫌われる事実に全く実感がないまま今日まで過ごしてきた。
どこか他人事のように、漠然となぜだろうと疑問には感じていたけど。
……それもそのはず。私はローランス家の一人娘として大事に過保護に育てられた上、表舞台に滅多に現れない貴族だからだ。
「惑わされるような場所に行かなかったのがよかったのかも……」
ローランス伯爵家は他のお偉方からしてみれば、ミステリアスで謎が多い。社交の場にも顔を出さず、マナーもルールもへったくれもない。
それにローランス家の住人は、私に隠している秘密があったようなので勝手に調べたことがある。その結果……どうやら密売所や裏取引の場にも頻繁に侵入していたことを知った。
悪を炙り出すためローランス家自らが悪になりすまし、未解決の事件や卑劣な詐欺行為などを解決している。そのため既に悪事に手を染めている貴族間では有名らしく、誰もローランス家には近づこうとしない。
それとは別に、ローランス家の根も歯もない噂も広まっているので、不気味に思われ避けられることは日常茶飯事。おかげで同世代のご令嬢のお友達はひとりもできなかった。
そんな場所で生まれ育ち、黒が怖かったらおかしな話だ。
「でもどうしてそんなに、黒を嫌わない魂を持つ者が必要だったの?」
「それは……セリィを生まれ変わらせた決定的な理由になるのですが。これから先の未来で闇堕ちし、結果的にヒロインに殺される運命にある双子の戦士を、どうか救ってもらいたいのです」
「!……ピピとノアね」
まだ実際に会ったことはないが、この世界にはピピが姉、ノアが弟の、美男美女の双子がいる。
その美しさといったら、原作ファンの間でも話題になるほどで、二人を纏めて呼ぶ時は『ピピノア』と呼ばれ親しまれていた。前世の私もアレク同様、その双子であるピピノアが大好きで、猛烈に推していたというわけである。しかしオタクに人気だったピピノアは、原作の中では酷い扱いを受けていた。
生まれた時の髪色が黒だった、ただそれだけの理由で……──
「例え誰に止められてもこの世界に生まれ変わったからには、私はアレクとピピノアを救うよ」
何となく、マチルダがこんなにも黒にこだわる理由がわかった気がした。
私の魂を異世界から生まれ変わらせるくらいだ。マチルダの体に入っている精霊も、同じようにピピノアを助けたくて仕方ないんだろう。そう考えるとマチルダと私の利害は一致しているような気がする。
「前世の記憶を思い出して、必ず推しを救うと強く感じたの。心臓が震えるほど湧き出たこの感情は、私の中で揺るがない使命だわ……!」
「……セリィ、彼らの命を救うということは、あなたに危険が伴うかもしれません。運命を変えることになるのですから、もしかすれば予想しなかった出来事やハプニングも生まれて、あなたまで巻き込まれることも……」
「それでもいいよ。推しが救えるなら」
迷いなく答えると、マチルダの透き通るようなブルーと金のオッドアイの眼が驚いたように開いていく。
「せ、精霊にできることは限られていて……」
「もう〜〜、マチルダは心配性だなあ」
「二人を救うためにあなたを利用して、犠牲にまでしようとしているのですよ……?それでも彼らを、救うとおっしゃいますか……?」
「当たり前じゃない。私の命に変えても守るわ。だって前世で『推しが幸せになるまで死ねない』って思わせてくれたくらい、大好きな推し達よ?生きる糧であって、死なないでいられた命綱のような恩人達を今生で救えるなんて、願ってもない使命だわ」
私の魂を選んでくれたマチルダがなぜ自身を責めるような言い方をするのかわからなかったが、きっと私が嫌だと言えば無理強いはしないつもりだったのだろう。
「マチルダもそういう魂だったから私を選んでくれたんでしょう……?」
「っ、!……その通りです。二人が殺された時、前世のあなたは『私だったら死なせない。例え悪に蝕まれたって、命に変えても守るのに……っ』と、悔しそうに涙を流しては歯を食いしばり、強い意思で同じことをおっしゃっていました」
「うん、今もその気持ちは変わってない。マチルダ、私のことを選んでくれてありがとう」
「……本当に、あなたを選んでよかったです。こちらこそありがとう、セリィ……選んでしまって、ごめんなさい」
そう言ったマチルダの瞳は潤んでいて、謝った声から罪悪感を僅かに感じられた。それでも私は、不思議とその光景がどこか暖かく、綺麗だと思ってしまった。
選んでよかったという気持ちと、選んでごめんという気持ち。その感情は矛盾しているように見えるが、どちらもきっとマチルダ(in精霊)の本音であり、どちらも嘘じゃないのだ。
「セリィ……今更何を、と思うかもしれませんが、ひとつだけ言わせて下さい」
「……?」
「私の心からの願いは、セリィを含め皆様が一緒に、この世界で笑顔で生きられることです。そのために私は、最善を尽くす所存です」
「ということは……マチルダは推しを救うために共闘する相棒ってことね!今日からよろしく」
言葉、表情、全てが堅苦しめのマチルダの黒い前足を無理やりギュッと掴んでは、両手で握手する。
その繋がれた自分の前足を見るマチルダの目がキュルルンと大きくなって可愛いわ……猫ってどんな格好してもどんなフォルムでも表情でも可愛いのズルい……肉球も気持ちいい。
「セリィ、よろしくお願いします」
「あ。マチルダのことは以前と変わらずモフモフするから、それもお願いね」
「わわっ……」
「私の猫好きは自分でも止められないのっ!」
握った手からマチルダの体を抱きしめるように腕の中に抱えると、私はわしゃわしゃとマチルダの頭から体を撫でる。そうすると猫の習性には抗えないのか、マチルダも気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
「そういえば……夢で見たぼたんの記憶が断片的でよく思い出せないんだけど、前世の私は死ぬ前に一体何をしたの?」
夢で見た前世の記憶では、ぼたんが何かをやろうと動いたところで頭の中の映像が途絶えていた。それが気になっていたのだ。
「死にそうな気がしていた前世のあなたは、遺言ノートを書いたのです。遺言書を書く方はいますが、遺言ノートを書く方に出会ったのは私も初めてでした」
「遺言ノート?」
「前世のあなたは死ぬ前に遺言書ではなく、遺言ノートを書いたのですよ。もちろんその内容は、もし生まれ変わることが出来たなら『この世界を救って』の世界に転生させてほしいという願いから、この世界で望むことがビッシリ書かれていたのです。その中にもちろん、『アレクの家族になりたい』『アレクとピピは絶対に最高に相性がいいと思うのでカプにさせる』など、遺言と言うには少し違うようなこともたくさん書かれてありました」
「…………」
マチルダの口から聞いた前世の私の行動に、急に恥ずかしさが込み上げる。カーーっと体も熱くなってきた。
私は一体なんてことを……あぁ、これが黒歴史ってやつなのね。
「でもその遺言ノートに書いた、"この世界に転生する"という願いはまさに今叶っています。アレクサンドル様の妹にもなってますし」
「そうね……その通りだわ。ぐうの音も出ない」
「ふふ。追々また遺言ノートに関することがあればお伝えしますね」
先程までの少し緊迫した表情とは打って変わって、マチルダは楽しそうに笑っていた。それほどマチルダにとって推しを救うことは未知の世界であり、何が起こるかわからない恐怖でもあり、それでもどうしても守りたい相手なのだ。
その空気を肌で感じ取ったからこそ、黒が嫌われるこの世界の奇妙さ、凝り固まった概念や価値観を変えていかないと……結局推しは救えないのかもしれない。
「ねえマチルダ。この世界の人が前世の私のような日本人を見たら、気を失うかもしれないね」
黒髪が普通の世界なんてさぞ恐ろしいことでしょう。そんな世界に行ったなら、恐怖で逃げ回るかもしれないわ……。
そんなことを考えては、不気味に笑っていた。転生者とはいえ、生粋のローランス家の血筋である──