15歳、始まりの日⑤
放心してしまった私が意識を取り戻したのは、ノアと誰かの話し声が聞こえ始めた頃だった。
「……そんな驚くことはないだろ?僕の部屋に勝手に入っておいて」
私はその妖しさの混じる声が聞こえたほうを振り向く。ノアに支えてもらっていた体は、なんとか自力で立つことに成功した。
彼は隅に置かれたソファに座り、この少し不気味な部屋の中で休んでいた様子だ。腰あたりまで伸びた髪はブルーグリーンといったところだろう。そして肩から首にかけて蛇が巻きついていた。
どうして蛇……?しかもしっかり生きている蛇だわ……
「姉さん、出ましょう。ここあの人の部屋だったみたいです」
私はノアの言葉に頷くと、「勝手に入ってしまってすみません」とその男の人に礼をする。
蛇を飼っているから専用の部屋があるの…?知らなかったとはいえ、勝手に侵入してしまったのは失礼だった。
それに制服を着崩して着ているが、一応先輩であることは間違いない。
「いいや。僕は君みたいなお嬢さんがこの部屋に入れたことに感心するよ。それが弟くんに連れて来られたんだとしてもね」
「……なぜ?」
「なぜって……こんな薄気味悪い部屋、普通嫌がるじゃないか。部屋の主は蛇を飼っているし、蝋燭が置いてあったり壁には変な面だってある。貴族のお嬢さん方は特に、キラキラして明るいものが好きだろう?宝石やお金。そういうものに目が眩んでしょうがない」
全員がそうではないと思うけど……そんなあなたも貴族なのでは?という疑問は口に出す前に飲み込んだ。
「そもそも僕はね、生まれてこないほうがよかったんだ」
「…っ?」
うん?話が飛び飛びで追いつけない……まさか、彼も既に病んでいて、これからルナシーに感染する、とか……?
「君はさっき負の感情の話をしてたよね?」
「き、聞こえて……っ⁉︎」
「僕に聞かれたところで気にすることはないさ。僕はルナシーなんて知らないし、君達が何をしてるのか興味ないからね。それに僕が気になったのはそこじゃない。負の感情を大事な痛みだと言っていたことだよ」
私とノアが話していたことは、知らない人からすれば気になるだろう話にも関わらず、それに関してさほど疑問に思うことはないらしい。とりあえず良かった……と胸を撫で下ろす。
しかし今後感染者になるかもしれない彼の話にそのまま耳を傾けることにした。
「例えば僕が大切な人に迷惑をかけたとき、『どうしてこんな僕なんだ、必要とされないならいないほうがいい』と自分のことを責めたとして、少なくとも君にとっては、それはいらない感情じゃなく、大事な痛みだということなんだろう?それってひどくない?そんな自分に負けるかもしれないのに……大事だなんて君が赤の他人で無責任だから言えるんじゃないの?」
その問いは、さっきノアから言われたことに似ている。みんなが負の感情に打ち勝てるわけじゃない。
そんなことは痛いほどよく知っている。前世の私の魂が覚えている。理不尽で冷酷な社会の中、弱って死んでいった私の中のぼたんが。
ノアが隣で息を吸って言い返そうとするので、私は手でそれを制止した。
「……確かに、そう言われたら無責任かもしれません。だって私は何が正しいかなんて、わかってないんです。だから負の感情はいらないから消してほしいというのも頷けます。ただその負の感情もその人自身のものであって、私はそれを否定したくない。……君も大事だよって、抱きしめたい」
「っ……」
「大事だと言ったのは、そういう気持ちが誰にでも、何かしらあるんだということを認められるように言いました。マイナスな気持ちって自分で既に否定してるのに、他人にも否定されやすくって……でもそんな自分のことをそのまま誰かが認めてくれたら、きっとほんの少しくらいは変われるはずなんです」
それは前世の私であるぼたんがしてほしかったこと。そのままの自分でいいって、誰かに認めてほしかった……
『自分が変わらなきゃ相手も変わらないよ』
そんな言葉を何度も耳に入れ続け、頑張ってきた結果が前世の私なら、それはなんて酷い言葉だろう。
『相手を変えようとする前に』という前置きがあったとしても、どうして好きでもない相手を変えるために自分が労力を使わなければいけないんだと思ってしまう。
「みんなそれぞれ、考え方や感じ方が違うから一括りにはできませんが、弱くて脆い自分も私なんだって認められたら、そういう自分でもいいのかもしれないって、気持ちが楽になれるかもしれません……それに私だったら、誰かに『そんな気持ちはいらないんだから、さっさと消せばいいのに』なんて否定されるのはもっと苦しいです。矛盾、してますけど……」
例え自分という存在や負の感情が、いらない、消えてほしいと思う苦しみや葛藤から抜け出せなくなったとしても。それがどんなに暗く孤独な闇の中でも。
ささやかな灯火でいい。あのオシャレな蝋燭につけるとポッと灯る暖かい火のように、絶望の中にも僅かにも希望があると信じたい。
「これは心が疲れてしまった人への私個人の考えでしかないので、勝手で無責任だと言われたらその通りで……」
「違いますよ、全然。むしろ姉さんは人が良すぎる。だから初日からこうやって絡まれたり嫌味言われたりするんです」
「ノア……?」
遮るようにボソッと聞こえたその声は、私に語りかけているようで、腹の底から怒りを震わせているようにも聞こえた。
「無責任なことを言ってるのはあんたのほうだ」
隣のノアを見上げると、すごい剣幕で蛇巻き先輩のほうを睨んでいる。そんな顔でもさすが我が推しノア。輝かしくて早々に胸がときめいてしまった。
「姉さんのこと何も知らないくせに、勝手なこと言って傷つけるのやめてもらえますか」
「…………ふ、ふははは、あはははっ」
「…?」
突然、何事かと思うほどに笑い出す蛇巻き先輩。
「いや、ごめんごめん。お嬢さんみたいな子珍しくて、なんて答えるのかなってちょっと意地悪しちゃった。許して?」
「え、……も、もちろんです」
彼のコロコロと変わる表情や態度に私はついていけていない。ノアは疑わしそうに余計眉間に力が入っていた。
「僕はヒューゴ。君達は新入生だよね?」
「はい。私はセリンセ・ローランスと申します。こちらは弟のノアです」
「ローランス伯爵家か!どーりで変わったお嬢さんだと……え?弟なのに二人とも新入生?」
「ノアは養子の弟です」
「…………」
「ヒュ、ヒューゴ様?」
「なるほど……なるほどね〜〜」
お?一体何が……?
しばらく『ふーん』とか『なるほど』を繰り返され、こちらとしては謎でしかない。
「ノアくんがセリンセちゃんにあれやこれやをしてた理由とか、その異常なまでのお姉さんへの執着も理解しちゃったのさ」
「……?」
彼の言葉にノアはチッ、と小さく舌打ちした。
「でもいいなあ……僕はこんな姿だし、適当だし、社交界なんか行ったところで貴族のご令嬢には悲鳴あげられて逃げられるだけだった。だから今まで恋愛にまで発展したことがないんだ。カッコ悪いよね……」
デ、デジャブ?
アレクお兄様と似たような境遇だわ。エルザ様にも若干近いような……
ハレルヤ学園は恋愛不器用さんが集まりやすいのかもしれない。
「あ……でもまだ幼い頃ひとりだけいたな。僕から逃げなかった女の子」
「!……な、名前とか覚えてないんですか?」
「うん。名前は知らないし顔も一瞬だったからあんまりよく覚えてないんだ。例え見つかったとしてもさすがに向こうは婚約はしてるよ。そこまで夢見る僕じゃない」
そんなに都合よくいかないってわけね……
蛇のような顔だけど笑うと幼くなって可愛さもあるから、さっきの笑顔を見てもらえたら恋愛だって余裕でできると思うんだけどな〜〜……
「それに今日から入った皇太子様の付き人しなきゃいけなくなったからさ。残念ながらそれどころじゃないんだ。今も抜け出してきてここで休んでたってわけ。はあ……超めんどい……」
「……えっ!」
急に何気なくぶちかまされた台詞に、隣にいるノアももちろん驚いていた。
♢天の声♢
なーーにーー!?!?




