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9歳、最後の日②



 何事もなかったように朝食を終え部屋に戻ると、まだ混乱している頭を整理するため一度深呼吸する。


「前世のこと、やっと思い出しましたね」

「そうなの。私どうやら漫画の中に生まれ変わっちゃったみたい、で…………えっ?」


 何の気なしに途中まで返事をし、ハッとして声の主のほうに振り向いた。今この部屋には誰もいないのだ。いるのは数年前に拾った黒の子猫。現在すくすくと大きくなっている。

 猫が喋った、?いやいや、そんなまさか、ねぇ……


「私ですよ。そのまさかです」


 黒猫の口が動いた。


「……っ!しゃ、喋っ、た…っ」


 また大声で叫びそうになった口元を、咄嗟に自分の両手で食い止める。

 危なかった……猫が喋るだなんてお兄様に言えば、いよいよ頭がおかしくなったと思われるわ……


 この世界にはヒロインのように不思議な力を持つ者が存在するが、それは魔法ではない。ここは魔法の無い世界。よって元々喋らない生き物が急に喋り出す、ということもないはずで……


「私は精霊です。この子は本物の猫ですよ。今は体を借りて話しています」

「精霊……?」


 原作を思い出そうとしても、精霊は出てこなかったという記憶しか思い出せなかった。

 でも私の存在も原作にはないのだから、こういうことも不思議ではないのかも……


「その通り。あなたはこの世界に存在しなかった異例の人物であり、それ故に周りには摩訶不思議なことが起こり得るのです」

「あの、さっきから私の心読んでますか?」

「……それはさておき、」

「あ、スルーした」

「あなたは前世の自分、天宮ぼたんの一部の記憶しか見ていませんよね?この黒猫のこと、見覚えありませんか?」

「見覚え……」


 敷地の外に捨てられていたところを拾ってから、一緒に過ごしてきた愛猫。見覚えがあるかないかと言われても見覚えしかない……って、え…っ⁉︎


「っ、ま、マチルダ……?」


 纏った空気でわかったのか、それとも片っぽの金眼でわかったのか。なぜ理解できたのか自分でもわからない。しかし前世の学生時代に実家で飼っていた飼い猫のマチルダの魂だと、首に巻かれた大きめの赤いリボンが揺れた瞬間、フッと理解したのだ。

 真っ黒の体に今はなぜか両眼の色が違うオッドアイになっているが、かつては純粋な金色の眼をしていた。表情がコロコロ変わり、可愛くてしょうがなくて、毎日一緒に寝ていた。

 マチルダは、前世の私が家にひとりで寂しい時も、学校で嫌なことがあった時も、いつも私の気持ちを察したようにそばに来てくれた。そしてずっと一緒にいてくれたんだ……


「この子は死んだ後も守護霊として、あなたが社会に出た後もずっと近くで見守っていたんですよ」

「……え」


 その言葉にポロっと涙がこぼれ落ちる。前世の私と共鳴した涙が。


「マチルダが……?」

「はい。あなたがひとりで過労死した瞬間も、離れずずっと」


 外と家を自由に出歩いていたマチルダは、ある日突然いなくなった。車に敷かれたんじゃないかと、誰かに連れ去られていじめられてるんじゃないかと、何日も探しては帰りを待ったけど、マチルダは結局帰ってこなかった。『猫は死に目を見せない』、家族にそう言われても納得したくなくて、どこかできっと生きていると信じることで悲しみに耐えた。


「マチルダ、マチルダ、マチルダぁぁ〜〜」

「…………」


 マチルダ(in精霊)の体をビヨーンと伸ばして抱っこし、そのまま自分の頭に乗せてマチルダのお腹に顔を埋める。ほんのりとお日様のような匂いがして、本日二度目の愛おしさにまた涙が出た。


 ずっと、そばにいてくれたの……?ごめんマチルダ、ひとりで寂しかったね……私がちゃんと、家の中だけでお世話してたらよかった……ごめんね──


「いいえ、そんなことはありませんよ」

「へ……?」


 心の中で謝罪をしていると、マチルダは私の頭上から移動して膝の上に座る。ちょこんとしていてかわいい。


「マチルダは自ら望んで離れたのです。自分が死ぬ姿を見ればあなたは、ボロボロになって涙を流すことを予想できていたから。それほどあなたに愛されていることを、マチルダはちゃんと理解していたし、マチルダはあなたのそんな姿を見たくはなかったのです。かつてのあなたは色々と後悔しては自分は地獄へ行く運命なんだと感じていましたが、マチルダは最後の最後まであなたのそばにいられて幸せだったと……そしてあなたのことが大好きだから、この子はあなたが転生してもなお、そばにいるのですよ」


 マチルダの中にいる精霊の言葉に再び涙が溢れては、部屋の外まで聞こえない程度にしばらく泣きじゃくっていた。


 前世の私が人間から受けた痛みや苦しみを励まし癒してくれたのはいつも、言葉を喋らずそばにいてくれたマチルダや、ただ頑張っている推しの姿だった。

 家族や会社の人間は自分の価値観や当然だと思うことを周りにも押し付けようとする。本人達は良かれと思って言っていることでも、相手にとっては傷を抉ってしまうこともあるというのに……。

 この世界のヒロインも似たような感じがして、前世の私はあまり好きにはなれなかった。


「黒猫であるマチルダのあなたへの強い信頼を感じ取ったので、私はあなたをこの世界の転生者として選びました」

「それで私は、地獄行きを免れたってわけね……」

「あなたを選んだのにはまだ理由があります。ここからが私があなたをこの世界に誕生させた本当の理由です」


 ピョンと絨毯の上に礼儀正しく座り直し、真剣な眼差しを向けられる。気づけばピシッと背筋を伸ばし正座をしていた。これも前世の名残というものだろうか。


「この世界は……もう既にご存知だと思いますが、黒い生き物が忌み嫌われる世界です。死を連想させるという理由で」

「はい。原作の設定でも、"黒が嫌われる世界"とありましたね」

「あ、敬語は使わなくていいですよ。私のことも名はありませんので、このままマチルダと呼んで下さい。そのほうがマチルダも喜びます」

「じゃ、じゃあ……マチルダ。私のこともセリィと呼んでくれる?」


 『セリィ』は愛称で、親密な仲ほど愛称で呼び合うんだとお兄様から教えてもらったことを思い出す。その割にアレクは私のことを愛称で呼ぶ人間を見定めているように見えるが……


「はい、セリィお嬢様」

「お嬢様はいらないよ。精霊なら知ってるでしょう?私が全然お嬢様っぽくないこと」


 そう苦笑いを浮かべると、マチルダは観念したように「セリィ」と呼んでくれたのだった。




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