15歳、始まりの日③
「これを手に装着すれば、具現化した負の感情の体の中心に見える黒く輝くかたまり……黒塊、いわば負の心臓に触ることができます」
レース素材の黒いオシャレな手袋を口に咥えて戻ってきたマチルダ。私はすぐにそれを受け取って手に装着した。負の感情を体に戻すのは至って簡単。黒塊を触って動かし体に戻すだけ。ただ、それに触れるには気力と精神力が必要だとマチルダは言う。自分までその負の感情をもらってしまうと病むことだってありえるのだと。
「わっ、もう本当に消えそうだわ…!マチルダ、ありがとう!」
「…………自分が苦しい思いをするというのに、お礼を言うなんて……」
心配そうなマチルダを置いて、私は今にも消えそうな光る黒塊まで一直線で駆ける。
「はっ…⁉︎」
「セリィ、危ないわ!」
ノアとピピが焦るようにして驚く声が聞こえたが気にせずにかたまりに触れた。床に横たわる彼女の中に入っていたはずの、負の心臓に。
「…っ……!」
触れた瞬間一気に流れ込んできた彼女の負の感情。それは、自分の好きに生きられない憤り。葛藤……──
『またそんな男みたいな格好をして!いい加減にしろっ!私がいくら相手を見つけてきても、お前がそんなんじゃ断られるに決まってるじゃないかっ』
(見た目で判断する人と結婚したくありません……私はフワフワしたドレスよりも、スタイリッシュでカッコいいものを着たいのです)
『髪もそんなに短くして、何が気に入らないの?妹のジュリは慎ましく可憐だというのに、どうしてあなたは……こんな娘がいるだなんて恥ずかしくて誰にも言えないわ』
(…………性が女として生まれてきたことで髪を伸ばさなきゃいけないのはどうしてですか…?私はただ、自分の心に正直でありたいだけなのに)
「あなたは本当は、ありのままの自分でいたかったのね……」
私は彼女の負の感情を両手で大事に乗せ彼女の元に移動させる。自分の頬に涙が伝っていることには気づかないまま。
「ピピ、ノア。ごめん……せっかく倒したのにこんなことして。許して……」
二人にそう言うと私は倒れ込んでいた生徒の元に跪き、心臓あたりに戻すように黒いかたまりを誘導した。そしてそれは大人しく彼女の心臓の中に戻る。
ホッとしたのも束の間、ピピノアが大急ぎで駆け寄ってきては私の手袋を取り異常がないか確認していた。
「心配かけてごめん、でも大丈夫。ほら、何もないでしょう?」
ピピは勝手な行動をした私に「全然大丈夫じゃない!どうしてそんなことしたのよ〜っ」と泣きながらプンスカ怒っている。ノアのほうはまだ焦っているような驚いているような、若干青ざめているような気もしなくもない。
そんな二人を安心させようと、マチルダに手袋をもらったことは抜きにして大雑把に事の詳細を説明した。
「それにしたって神様も、私達がやつけた後にそんな大事なことをセリィに言わなくたっていいと思わない?」
ピピはマチルダの中に精霊がいることを知らないので、再び神のお告げがあったということにしている。
「神様的にはそのまま負の感情を消しても元に戻しても、どちらでも良かったみたい」
「まあっ、なんて適当な神様なのかしら!」
また少しプンプンした可愛いピピにはかろうじて納得してもらえたみたいだ。しかし事情を知っているノアにはそうはいかない。眉間に力が入っていて、何かを言いたそうな空気を感じ取った。
「ん……」
「あ、起きましたか?」
床に倒れていた彼女の意識が戻った様子だ。ひとまずノアにはまた後で説明するとして……
私は鼻筋の通った骨格の美しさを放つ彼女の顔面をまじまじと見つめた。全体的に大人っぽくて凛々しい。
なるほど……。確かに彼女は今着用している女の子らしい制服よりも、カチッとした身体のラインがわかるようなもののほうがきっと似合うと私も思う。そしてウエーブのかかったロングヘアは被せ物だろう。
「……あなた達は……」
「セリンセ・ローランスと申します。この二人は私と同じく新入生ですが、妹のピピと弟のノアです。あなたは?」
「私は、エルザ……エルザ・ウィリアムズ」
ウィリアムズって、まさかウィリアムズ公爵家……⁉︎たぶんこの学園じゃ皇太子に次ぐトップレベルの権力者だわっ!しかも確かひとつ先輩、よね……?
「申し訳ございません…!無礼をお許しくださいっ」
まさかウィリアムズ公爵令嬢がハレルヤ学園にいるとは知らなかったため、とても気楽に話しかけてしまったことを詫びる。そもそも彼女を知らないこと自体大変失礼である。存在と名前は知っていても姿を見たことがなかったのだ。
大丈夫かな、初日から追い出されたり……
「いいえ、とんでもないっ。謝らないで下さい。うちは領土が大きいばかりで、私自身が偉いわけではないので……」
うわぁ……なんて心の広いお方なの……!原作では出てこなかったけど、もし出てきていたら絶対好きになってたわ。どこかの頭の堅い皇太子さんとは大違いよ……
「それとなぜなのかはわかりませんが、意識を失っていてもセリンセさんのお話が聞こえていました」
「えっ、では話を聞いて……?」
動揺する私に「はい」と頷くエルザ様は品があってお美しい。大きくキリリとした瞳は女性をも虜にしてしまいそうである。
どちらにしても彼女には今何があったのか話したほうがいいのかも、と思っていたから話す手間が省けた。
……なんて、喜べるわけなーーいっ!彼女の微笑みも『どうして勝手に私の中に戻したのよ!』って激怒される前触れのように感じてしまう。あ〜〜……エルザ様にどんなに憎まれ恨まれようと、どうか推し活だけはっ、推し活だけはやらせて下さい〜〜っ!
「私のことを助けてくださり、ありがとうございました」
「えっ⁉︎」
「助けてくださったのでしょう?」
「あ、エルザ様を助けたのはピピとノアです。私は、ある意味真逆のことをしてしまったわけでありまして……」
「もちろん、ピピさんノアさんにも感謝致します。そしてセリンセさんは、私の一番無くしてはいけない気持ちを取り戻してくれた。だからセリンセさんにもありがとうでいいのです」
「っ!」
う、うそでしょ…っ!ここまで品があって素敵な人が、どうしてハレルヤ学園になんて入学してるの!本当におかしいわこの世界!
「あの、重ね重ね失礼を承知で伺ってもよろしいでしょうか……?」
「はい」
「その被り物は好きでつけているものではないですよね」
「……この姿は本当の私ではありません。制服だって可能ならば男性もののほうが良かった」
そう言うと、エルザ様は被り物であるロングヘアを取る。彼女の本来の髪は黄金色をした美しいショートヘアだった。
この方こそ、王子様というのにピッタリではないかと思うほどに、周りにキラキラした煌めきが見えるわ……なぜ原作に出てこなかったのか意味がわからないんですけど……
「物心つく頃から、私はお嬢様特有のヒラヒラしたお洋服やフワリとしたドレスではなく、男性が身につける正装着やネクタイ、カッコいいと思うものを身につけたいと思うようになりました」
うんうん、想像するだけでエルザ様に似合いそうだわ。
「しかし両親は思い通りにならない私を叱咤し、加えて行動制限。さらには監禁されることもしばしばありました……」
「……そんなっ」
そばで聞いていたピピは口元を両手で覆っている。ピピノアも酷い幼少期だったけど、実の両親に監禁されるなんて想像もできないだろう。貴族に生まれても幸せになれるかどうかはわからないのだ。
人は平等ではない。平等と言い張るほうがおかしい。生まれも育ちも環境も違う人間が、みんな平等であるはずがないのだから。
「私は結局婚約者が見つからず、このハレルヤ学園に入学して一年が経ちましたが……自分に嘘をつき続けるのはとても、疲れますね……きっとそんな私の弱い部分が見つかってしまい、悪いものが寄ってきたのだと思います。謝るのは私のほうでした。皆さんに迷惑をかけてしまってごめんなさい……」
エルザ様は自分よりも身分の低い私たちに丁寧に深くお辞儀をする。そのお姿は高貴な方として相応しい。尊敬に値する。
あぁ、こういう方こそ世界のトップであってほしいと思った。
「……男性の長髪は一般的なのに対して、この世界では女性の短髪は浸透していません」
「……?」
「おかしくはないですか?正直に申し上げると、先ほどまでのエルザ様の格好は不釣り合いで着せられている感満載でした。もったいないです…!」
「っ、セリンセさん……?」
困り顔になっているエルザ様はまた素敵だわ。こんなに素敵なのに自分に一番似合う格好ができないのはやっぱりおかしい。否定されたくない。
「ご両親はエルザ様に相手が見つかれば、どんな格好をしていても文句は言わないのでしょうか?」
「……それは、わかりません……本来の私の姿を見ると相手の男性はみんな離れていってしまったので」
なるほど……自分よりもキラキラした王子様のような人と婚約するとなれば、そりゃあ男としてのプライドもペシャンコ。逃げたくもなる。
きっとエルザ様と婚約しそうになった男性方はそういう心情だったのだろうと予想がつくわ。
「ではエルザ様の本来の姿で、お相手を見つけてみることから始めませんか?」
「……で、でもそれじゃあ相手なんて……」
「そのお嬢様もどきのお姿でも好きになれる相手は見つからなかったのでしょう?……だったらエルザ様が好きな格好をして好きに生きていたほうが、何倍もお得ではありませんか?それで本来のエルザ様を好きになる方が現れれば一石二鳥です!」
「お得……一石二鳥?」
しまったっ、一石二鳥はこの世界では伝わらないか……!
「だ、だって絶対男子用の制服のほうが似合いますし、エルザ様のショートヘアは抜群にカッコいいですからっ!私も一緒にお手伝いしますので、エルザ様がそのまま自然体でいられる相手を見つけましょうよっ!」
「……っ、!あ、ありがとう……セリンセさん」
そう言って照れたように笑う姿もまた素敵で。おとぎの国の王子様のよう。女の私はとっくに心臓を撃ち抜かれている。
最初のルナシーの被害者であるエルザ様は、それはそれは王子様のようにカッコいいご令嬢だった。
♢天の声♢
自分の負の感情なんて……他人に触られたくない!
でもセリンセになら触られてもいいと思える何かがあるのか…?




