14歳③
ノアは綺麗かつ繊細な指で、淡々とページをめくっている。表情からは何を考えているのか読み取ることができない。嫌な顔をするわけでもなく、驚いた顔をするわけでもなく、ただ流れるように読み進めていた。
そして8巻の最後のページを見終わると、パタンと漫画を閉じ、私のほうに視線を移す。
「姉さんは本当に、転生者なんですね……」
「あ、うん……信じられないとは思うけど、その中に"私"は登場しなかったでしょう…?」
「……要約すると、本来なら姉さんは生まれるはずのなかった存在で、死ぬ予定の俺やピピ、アレク兄さんを助けるために生まれ変わった、と……」
さすがノア。理解が早いわ。
「そうなの……嘘みたいな話だけど、ローズが学園に入学すれば、みんなローズのことを好きになるはず。ピピはローズのことを慕うけど、皇太子に恋をしてからは嫉妬で感情のコントロールができずに、心を病んでしまう。ノアもきっと、原作通りにローズに恋をするわ……そうしたら私のことはもう見向きもしなくなってしまうかもしれない」
「何を、言ってるんですか……?」
「それだけ彼女の力は強く、惹かれるものなの」
それは祭典で会った時に痛いほど思い知った。
推しが離れていってしまうことが、寂しくない、悲しくない、と言ったらもちろん嘘になる。もしかしたら、私が先にみんなのことを見つけたのに、ってこっそり泣いちゃうかも。
「……俺の気持ちを、勝手に決めるんですか……?」
「え……」
ノアの顔は眉間に皺が寄っていて、不機嫌そうに見えた。
「わかりました。それなら俺が証明してみせますよ」
「証明…?」
「俺の気持ちがこの本通りにはならない、って証明です。第一この中の俺が、彼女のことを好きになってるかも怪しい。例えそうだとして、その魅了とかいう力で好きにさせられてるんなら間抜けにも程がある。姉さんが助ける価値もありません」
「ノアっ、いくらノアでも許さない…!自分のこと、そんな風に言わないで……私は好きだもん。大好き」
「……っ、…」
思わず力が入り、涙が流れ出してしまった。
「……姉さんのそれは、たまに勘違いしそうになる」
ボソッと言ったその声は聞こえず、私はマチルダが咥えて持ってきたハンカチで涙を拭く。
「こんな言い方してすいません。ただ姉さんは、俺の気持ちを見くびりすぎです。俺にだって好みはあるんですよ」
「好み……?好きな人の?」
照れながら小さく頷くノアは、視線を合わせてくれない。こういうところが可愛いのは、何歳になっても変わらないな……。
「ごめん、そうだね。ノアが証明するっていうなら、私は信じるよ。変わらずそばにいてくれるって信じる」
ノアはそんな私を見て満足したのか僅かに口角を上げ、パラパラと再び原作本をめくる。
「それに、ピピはこの人のこと好きじゃないと思いますよ。俺が言うのもなんですけど」
「…………えっ‼︎」
ノアの言ったこの人とは、皇太子を指していた。
「確かにこの歳まで孤児院にいて、人を見分ける感覚が乏しくなっていたとしても、こんな威圧的な人はピピはたぶん嫌いです」
「ピピ、俺様系、好きじゃないの……?」
「この人俺様系、っていうんですか?」
「名前じゃないよ?タイプ別でそういう呼び名があってね。前世でも比較的人気なタイプで、乙ゲーだとよくメインキャラとして設定されやすかった」
「オトゲー?」
「乙女ゲームっていう、自分の好きな男性キャラを攻略するゲームがあったの。私は自分が推しとくっつくっていうより、推しカプがイチャイチャしてくれる方が断然好きだったから、乙女ゲームはハマらなかったんだけど」
前世の私はきっと、誰かが自分のことを本気で好きになってくれるって思えなかったからかな。自分のことが誰よりも嫌いだったから、好かれるわけないと思っていたんだと思う。
「でもさ、ほら、こことか!ピピはこいつのこと見て切ない顔してるわ。これは誰が見ても恋をしてる顔でしょう?前世の原作ファンにだって、『ピピまで片思いは切なすぎ…!』とか、『まさかのここにきて、皇太子好きになっちゃいますか〜〜っ』って、言われてたんだよ⁉︎」
勢い余って、私はノアの座っていたソファに移動し、隣に座って懸命に訴える。
「……いや、距離感……」
「え……?」
「ふはっ、……ほんと、困った人ですね」
ノアの眉毛が八の字になっている。そんな困ったように笑うノアの表情がカッコ良すぎて、カメラで写真を納めることもすっかり忘れていた。
「もっと警戒して下さいよ。部屋で二人の時にそんなくっつかれたら、襲われても文句言えないですから」
「……ノアだから、ノアだから気を許してるんだよ」
なぜか急に恥ずかしくなって下を向いてしまう。
ノアが襲うだなんて言うから……冗談でもドキッとしちゃったじゃない……
「はいはい。で、ピピがなんですか?その顔が恋してる顔だって言ってましたっけ?」
「……そう!そうよっ」
「マチルダはその本に描かれてないこともあるって言ってたんですよね?」
「え?うん……」
「だったら、この人の奥に誰かがいた、とは考えられませんか?」
「……つまり、ピピが見てたのはこの野郎じゃなくて、別にいるってこと…?」
確かにそのページだけ見ればピピは皇太子を見ているように見える。けど、まだそこに描かれていない人物がいるとすれば、ノアの言っていることも十分に考えられた。
「あっ、でもピピは好きだって言ってたわ!え〜っと、ノアに話してたシーン……ここ!ここで…!」
それは、ノアの『好きなのか?』に対して、『もちろん叶わないってわかってる。それでも、彼のことが好きだわ』とピピが返す切ないシーン。
…………あれ?でも、誰とは言ってない……?私、どうして皇太子のことだと思ったんだろう?
理由は簡単だった。前のシーンでローズと皇太子の話が載っていたからだ。まるで騙された気分である。
「……でも一個だけ言わせてほしい。ノア、何でこの時名前を言わなかったのよ?〇〇のこと好きなのか?って、普通は言うでしょう?」
「いや、未来のことは今の俺は知らないでしょう?」
ノアに正論を返されながら、言い方までモノマネされる。
だって、だってこれじゃあ……!
「これじゃあピピの好きになった人が本当は誰なのか、わからないじゃない……!」
完全に八つ当たりだ。自分の原作マジックに引っかかってしまった悔しさと恥ずかしさで、穴があったら入りたい気持ちになっている。
「それ、本気で言ってます?そんなの一人に決まってるじゃないですか……」
え、何この呆れた顔ダントツイケメンは……そんなことまでわかるの?天才なの?
「だれ?誰なの〜〜⁉︎」
そう言って私はノアの両肩を掴み、ブンブンと揺らす。しかし私の力でノアが揺れるわけもなく。ただ私が疲弊しただけだった。
♢天の声♢
セリンセ大きな勘違い!ノアにバレてよかったね!




