12歳②
「今日も薬草の勉強ですか?」
机に向かって淡々と筆をとる私にマチルダがそう言った。
ピピノアが訓練中の合間、私はたまにローランス家専属医師のロバートに協力してもらいながら薬草の勉強をしている。
「推しが頑張ってるのに私にはこんなことしかできないけど、もし誰かがケガしたりしてちょっとでも痛みを和らげられたらいいなって」
この世界には不思議な力が存在していても、魔法という便利なものはないから。一瞬で傷や怪我を治すこともできないし、すぐに痛みを取ることもできない。
「せめて『このセカ』の原作が読み返せたらなあ……」
ピピノアの闇落ちした部分があやふやだ。そこにきっと二人の死亡フラグを回避する鍵があるはず。
「原作ならクローゼットの中に入ってますよ」
「…………え……えぇっ‼︎」
「えぇ」
マチルダは当たり前にコクンとひとつ頷いた。
「う、そ……、なんでそれを早く言ってくれないの」
「すみません。ご存知かと思っていたので」
「だってさすがに原作はないと思うでしょう?この世界の話だし…!」
「これもセリィの遺言ノートに書かれていました」
「まーじですかーっ!前世の私、グッジョブだわ……」
こういう予想外なことにも徐々に慣れてきた。前世の私のやることは突拍子もないけど、今こうやって助けられているのだから本当に感謝でいっぱいよ。
私は急いでクローゼットの奥に手を突っ込み、原作を頭で念じて手を引き出した。そうすれば、読みたいものが取り出せるという仕組み。まさに無限玉手箱。
「そうそう、この絵が私は大好きだった…!繊細で美しくて魅力的なの。話はちょっとね、ヒロイン主義なところが苦手なんだけど」
それでも推しが可愛くてかっこよくて、大好きだった。特にピピノアが戦士の力を持って戦う姿は目を奪われたんだよね。
前世で読んだ漫画、そして今私が転生した世界『この世界を救って』を開く。懐かしい気持ちを昂らせながら、ページをパラパラと読み進めていくが……
「何これ……」
「どうしましたか?」
「なんか、描写や言葉だけで、感情がわからない……」
それはまるで、漫画というよりも絵本のようで。キャラのセリフはあるものの、本当は何を思って何を考えているのかがわからないのだ。
「その本はもともとそうなっていますよ。目に見えること、口で言ったこと、耳で聞こえることしかわからない。実際もそうじゃありませんか?相手の考えていることは自分にはわからない。自分の思っていることも言葉にしたりしない限り相手に伝わらない。それと同じです」
「じゃ、じゃあ……前世の私や読者は、自分達の想像で読んでいたっていうこと?」
「感情の部分ではそういうことになりますね。それに描かれていない部分も実際にはあるでしょうから、原作から全てを決めてしまうのは危険です」
「なるほど。とりあえず、ピピノアが闇堕ちしたところを見るわ……」
私は前世の自分が持っていた、8巻あったうちの最後のほうを開く。
原作の中でローズは皇太子と出会い、両想いになっていく中、ノアはローズに、ピピはヒーローである皇太子に片思いをしていた。
想い人に気持ちが伝わらず、心が弱った状態で敵を倒したことで、悪に身を蝕まれていくピピノア。二人は途端に自制が効かなくなり、片目は真っ黒、人ならざる姿になっていく。
そして完全に自我を失う前に、ノアはローズに言うのだ。『殺して、ください』『俺たちを、殺して』と。
「うぅ……うぅ〜…っ」
やっぱり辛いわ。何度見ても辛いものは辛い。推しが死ぬシーンなんて見たくなかった。涙が出てしまう。ノアはこの時、どんな思いで殺してくれと頼んだのだろう。今この世界でピピノアがそばにいるだけに、余計に胸が苦しい……
でも、こうならない未来にするために私が生まれ変わったんだ。私がこの闇堕ちを絶対に回避させないと……!
「あれ…?」
ふとページを見返してみると、敵が消える前ピピノアに何か言っていた。
文字化けしてて読めないな……
前の巻数でも何度か描かれていた、ピピノアが悪と戦うシーンも見返してみる。
やっぱり文字化けしてるけど、何かを言っている…?
それに二人が闇堕ちした原因は、想い人へ気持ちが届かず心が弱ってたからだと思っていた。でも、本当に……?
少なくとも二人の感情がわからないのに、決定づけていいことではない。他にその周辺の出来事で、何か変わったことはなかっただろうか……──
「…………あ」
そういえば、アレクお兄様が暗殺者に殺されたのは、この前の巻だった……
あまりそのシーンも見たくはないが、確認のため7巻を開く。
「やっぱり。そうだ……」
もしかして何か関係があるの……?
ピピノアとアレクは原作ではほとんど関わりがなかったから気づかなかった。アレクがピピノアの何かを制御していて、アレクが殺されたからそれが制御できなくなった、とか?
でもマチルダの言った通り、原作にも描かれていない部分はある。これを見て決めてしまうのは良くないわ。
「は〜〜……感情がこれほど大事なものだったなんてね」
「そうです。感情は見えない分、わからない分、とても大事なものなのです。だからセリィも大事にして下さい。相手はもちろん、自分の気持ちも。そして、祭典での出来事で感じた恐怖や感情も……それがあなたがあなたでいられる力になります」
「うん、わかった」
このマチルダが言った言葉の本当の意味がわかるのは、まだまだ先の話である。
♢天の声♢
感情が書かれてない原作……それって面白いのかな……?




