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物語がはじまらなかった話

作者: 江葉

大好きすぎる婚約者に「嫉妬してほしい」と思う余裕すらない王子様の話。


「殿下、少々よろしいでしょうか」


 放課後の生徒会室。学園の伝統として生徒会長の職に就いた王太子アランは、言いにくそうに切り出してきた側近の護衛騎士エリックに書類から顔を上げた。


「どうした? あらたまって」

「はい。実は、隣のクラスの女子生徒マノン・ダンヒル男爵令嬢がいじめに遭っているようなのです」


 いじめ。

 貴族の通う学園らしからぬ乱暴な言葉に、生徒会役員たちも顔を上げてエリックを見た。


「いじめ……と言うと?」


 アランが聞く姿勢になったことに勇気を得たのか、エリックが力強く答える。


「はい。まずは「男爵令嬢のくせに」と身分を笠に着て蔑む発言からはじまり」

「男爵家の者がどれだけ在籍していると思ってる。それで?」

「……廊下を走れば足をかけて転ばされ」

「まず廊下は走るな。五分前行動もできんのか。他には?」

「きょ、教科書を破かれ……」

「教科書? 破かれたとなると授業中や休憩時間では目撃者が多すぎてできないな……となると放課後か? その男爵令嬢は教科書を持ち帰らないのか? 予習復習もせずとは、ずいぶん不真面目な生徒もいたものだ」

「……」


 エリックの説明にアランがいちいちツッコミを入れた。

 もっともなアランに生徒会役員たちもうなずいている。

 言われてみればその通りのことに、とうとうエリックが黙り込んだ。


「それで?」

「え?」

「それを俺に伝えて、どうしたいんだ?」

「どう、というか……殿下にマノンを守っていただこうと……」

「……? なぜ、俺が?」


 アランは本当にわからなかった。一人の生徒をクラスがよってたかっていじめている。たしかに問題だ。しかし、まずはクラスの担当教師に相談し、それで解決しなければ生徒指導の教師に持っていく話である。


「アラン殿下は王太子ですし……?」

「男爵令嬢だからと蔑まれている者を、王太子の身分で守るのは違うんじゃないか?」


 身分を蔑まれていじめられているのなら、無関係の第三者が解決したほうが良いだろう。たしかにアランが出ればいじめは止むだろうが、マノンは余計にみじめになる。というか、何様のつもりだ、といじめが水面下に潜む可能性のほうが高い。


「……」


 エリックはようやく矛盾に気づいたのか、アレ? という表情になった。


「そもそもだな、エリック。その男爵令嬢とどういう関係だ?」


 名前で呼ぶからにはそれなりに親しいのだろう。アランの問いに、なぜかエリックは焦って顔を赤くした。


「あ、その、マノンが放課後、中庭で泣いているのを偶然見つけまして……っ。どうしたのかと声をかけたら「いじめられている」と相談されたのです。けして、やましい気持ちはありませんよっ? ですが、マノンのクラスにはエレノアがいるのですが、彼女に聞いても「そんな事実はない」と言うばかりで。マノンを泣かせておいてなんという恥知らずな女でしょう……っ」


 言っているうちに怒りが湧いてきたのかエリックの声が荒くなる。アランは手を振って遮った。


「エリック、俺が聞いたのは「男爵令嬢とどういう関係」なのかだ。なれそめなんか興味はない」


 不愉快そうなアランにエリックがちいさくなる。エレノア・ポマーはエリックの婚約者で、伯爵令嬢である。婚約者を信じず、たまたま泣いているのを見つけたポッと出の男爵令嬢を信じているが、それがどんな関係から来ているのかを問うているのだ。


「ゆ……友人、です」


 絞り出すように言われた答えはなんともおそまつなものだった。友人、アランが木で鼻をくくったように繰り返した。


「ならばなおさら、俺になど頼らずお前が守ってやればいい」

「で、ですがマノンが怖がって、殿下を頼りたいと……」

「ポマー伯爵令嬢に協力を乞えばいい。ポマー嬢は深窓の令嬢だ、他人が悪意を持って誰かを攻撃するなど想像もできず、いじめに気づかなかったのではないかな? これから社交の荒波に揉まれる、良い訓練になるだろう。これを機に仲を深めていくのも良いと思うが」


 どこまでも冷めたアランにエリックが萎んでいく。彼の中ではアランはか弱いマノンに同情し、義憤に燃えて、いじめなどという卑怯なまねをする冷酷女どもを成敗するはずだったのだ。


 それが現実はどうだろう。同情するどころかアランはいじめがあったことすら懐疑的だ。


「アラン殿下は……マノンよりエレノアを信用するのですか?」

「会ったこともない一生徒より、長年の友人であるポマー嬢を信用するのは当然だ」


 一刀の元にきっぱりと言い切られ、エリックは味方を求めて生徒会室を見回した。王太子の生徒会はほぼ側近で形成されている。気心の知れた友人だ。


 しかし、その誰もが馬鹿を見る目でエリックを見ていた。


 側近とはいえまだ候補、選抜段階なのだ。友人であると同時にライバルでもある。そして、ライバルは少ないほうが都合が良かった。


「生徒会への陳情には、いじめに関するものはありません」


 エリックと同じ伯爵家出身の側近候補が言った。


「ダンヒル男爵令嬢とは同じクラスですが、先程エリックが言った、破損された教科書がダンヒル嬢の机に置かれていたのを見たことがあります」


 子爵家出身で王太子の側仕え候補の男が挙手してからそう言いだした。

 いじめの現場を見た者がいる。エリックは助かったとばかりに顔を輝かせた。


「ですが、すぐに気づいた生徒が回収して、教師に交換してもらっていました。本人が見たら傷つくだろうと言って、数人の女子生徒が率先して行っていましたよ。ダンヒル嬢が教室に来た時には新品の教科書が置いてあったはずです」


 続けられた説明と、いじめられていたことを喜んだエリックに、アランはため息を吐きだした。


「エリック・プレス。ダンヒル男爵令嬢のいじめを解決してやれ」

「はいっ。しかし、自分は生徒会が……」

「生徒会には代わりにエレノア・ポマー伯爵令嬢に入ってもらう。俺のフランもいるし、ちょうど良い」


 生徒会副会長のフランチェスカ・フィネス公爵令嬢は、アランの婚約者だ。


「誰が犯人なのか、何が目的だったのか。きちんと証拠を集めて報告しろ。それまで来なくていいぞ」


 事実上、側近候補から外されたも同然である。エリックの顔から音を立てて血の気が引いていった。


 破かれた教科書がマノンの机にあった。それが事実でも、マノンを狙ったものなのか、誰が何の目的でやったのかはわかっていない。


 他の、マノンが転ばされたというのも、ただ単に躓いただけかもしれず、男爵令嬢だからと蔑まれた話に至っては上位貴族のコミュニティーに入れないだけで、むしろ当然だといえた。


「あ、思い出しました。そういえば以前、殿下について件の令嬢に訊ねられたことがあります」

「本当か、グスタフ」

「はい。殿下のお好きな菓子はなにか、フィネス公爵令嬢との仲はどうなのか、他の側近は誰がいるのかなど、しつこく聞きだそうとしてきました。もちろんお答えできる立場ではないのでそう申しましたら、舌打ちして「使えないわね」と吐き捨てられたのです」


 グスタフが顎に手を添えて思い出しつつ続ける。王太子について知りたい令嬢は多いがマノンはぶしつけすぎた上、舌打ちなどする下品な令嬢をはじめて見た。それで覚えていたのだ。

 なお、あまりのしつこさにグスタフは学園でのアランの護衛隊長に報告している。手作り菓子に薬を入れて既成事実を作るなどされたら大事だからだ。


「嘘だ! マノンが舌打ちなんかするわけがない!」


 エリックが必死の形相で否定した。グスタフ・バイクシーは子爵家の出身で、エリックと同じく護衛騎士候補である。マノンに乗じてエリックを蹴落とすつもりだと訴えた。


「殿下、信じてください。マノンは本当に、いじめられているのです。泣いていたのですよ。マノンに会えばわかります」

「だから助けてやれと言ってるじゃないか。エリックならできると信じているぞ!」


 まったく軽い口調でアランが励ました。エリックの顔が泣きだしそうに歪む。


「エリック、エレノアのことはご心配なく。わたくしがついていますわ。あなたはどうぞ存分に、殿下の命を果たしてください」


 フランチェスカが締めくくった。

 エレノアの心配はするな、とはつまり、エリックが失敗すればエレノアとの婚約はなくなり、別の男を紹介するという意味である。


 マノンに惹かれているエリックは喜ぶべきである――が、女の涙にころっと騙されて引っかかるような男など、王太子の側近にできるはずがないのだ。


 さらにどうやらマノンはアランにロックオンしているようでもある。


 もしもエリックがアランとマノンを出会わせて、それをきっかけに恋に落ちたとなればとんでもない騒動になる。発端となったエリックとプレス家は王家とフィネス公爵家に敵対する意思ありとして破滅だ。


 その想像ができなかったからこそ、エリックは王太子の側近候補落第なのだ。


 マノンと恋をするだけならかまわなかった。エレノアにはフランチェスカがついている。貴族同士の政略結婚なら婚約者が変更されるのもままあることだ。


 悄然と肩を落として生徒会室を出ていくエリックを見送って、アランがフランチェスカに問いかけた。


「エリックは戻ってくると思うか?」


 フランチェスカは少しだけ考えて答えた。間を開けたのはエリックへのせめてもの真心だ。


「無理でしょう。女に頼まれるまま、真偽を確認もせずに殿下に直言するようでは望み薄です。将来詐欺に遭って高い壺とか買わされそうな素直さですわよ」


 フランチェスカは容赦なかった。他にもうなずく者多数。アランは唇に微笑を乗せて同意を示した。


「ご立派でしたわ、殿下。ご友人のために、自ら悪役になって差し上げたのですわね」

「エリックは俺にヒーロー役をやってほしそうだったがね。まず俺に話を持ってくるあたりが単純というか……気に入ってたんだけどな」


 本当に。

 泣いている少女に同情したにせよ、自分で解決せずにどうしてアランに守ってもらおうとしたのか、不思議でならない。マノンに頼まれたのならなおさら、ここで男を見せようと自分を奮起させる場面ではなかろうか。


「エリックにも申しましたが、エレノアのことはご心配なく。エレノアはよくエリックのことを弟を見ているようで危なっかしいと評しておりました。情があるのは間違いありませんが、恋とはいえないのではないかと思っております。エレノアに事情を話し、伯爵にもお伝えして、婚約をどうするのか決めましょう。エレノアがよしとするならば、エリックとダンヒル男爵令嬢の婚約を調えてあげるのもよろしいかと。エレノアしだいですわ」


 政略結婚だからこそ根回しは必要だ。エリックは伯爵家の出とはいえ三男、継ぐべき爵位はなく、王太子の護衛として騎士爵を賜る予定だった。エレノアは長女だが歳の離れた弟が後を継ぐため、王太子妃の側仕えとして夫と共に王宮に出仕するはずだったのだ。夫婦で最側近となることで、騎士爵から男爵、男爵から子爵へと順調に行けば陞爵される。分家が増えるのは両家にとって良い話だった。


 つまり、エリックがアランの護衛騎士にならなければ、エレノアには彼と結婚するメリットはないのである。


 もちろんエレノアがエリックを愛していて、エリックと結婚したいというなら話は別だが……そしてもしもそうならフランチェスカはエレノアを応援するが、危なっかしくて弟にしか思えない男が恋をしたと知れば、良かったなと祝福しそうである。フランチェスカから見て、それくらいあの二人の間はさっぱりしたものだった。


「そうか。ではエリックの頑張りに期待しよう」

「おやさしいことですわね」


 さらりとフランチェスカに褒められて、アランは心臓が高鳴るのを必死にこらえた。


 エレノアとエリックの関係が羨ましいわけではないが、アランはフランチェスカといると動悸息切れが激しくなり他の男と彼女が話しているのを見ると非常に苛々する、かといって素直になろうと思っても上手くいかず結局王太子の仮面を外せない。そんな非常に厄介で拗らせた想いを抱えていた。


 フランチェスカは非の打ち所がない公爵令嬢で、とても優秀だがそれに惹かれたわけではない。幼い頃に決められた婚約者であり、誰よりも心を許していると思うし、許されているとも感じている。ただ、これが恋かといわれるとどうなのだろうと思うのだ。


 話に聞く恋とはとても甘いものだった。好きな人にやさしくしたい、甘やかしたい、守りたいと思うものらしい。だがアランがフランチェスカに抱く感情はもっと乱暴で、あけすけにいえば肉欲を孕んだものだった。指先にキスなんかしたらそのままの勢いで抱きしめてベッドに直行したくなる。とても貴公子のやることではない。フランチェスカが知ったらがっかりするだろう。彼女はいつも冷静だが、冷静通り越して軽蔑されたら立ち直れそうになかった。


 今回の件も冷静になれたのは、ここでしくじったらフランチェスカに嫌われるかも、と思ったからだ。想像するだけで恐ろしい未来に王太子として自制の仮面をかぶりなおし、エリックを排除した。


 エリックはアランの目から見ても恋に浮かれていたようだ。マノンを守りたい、助けたいという気持ちは本物だろう。それが恋でないというのなら恋とはどういうものなのか。


 だが、マノンの気持ちはアランにも想像できなかった。男爵令嬢だからと蔑まれているという話だが、学園にはむしろ下位貴族のほうが多いのだ。貴族のための学園に通い、優秀な成績を出せば、王宮勤めも夢ではない。上昇志向の強い下位貴族は学園では幅を利かせていたりもする。下位とはいえ侮れないのが貴族というものだ。


 そんな男爵令嬢がいじめられていると王太子の側近に泣き付いた……ハニートラップなら常套手段である。フランチェスカ以外は有象無象にしか見えないアランだから冷静に判断できたが、婚約者とあまり仲が良くない男であれば、正義感とプライドと下心をくすぐられてしまうかもしれなかった。


 アランはちらりとフランチェスカを窺った。微笑ましいものを見るような、慈愛に満ちあふれた微笑みを浮かべている。胸の奥がきゅうっと痛くなって呼吸が苦しくなってきた。


「……見直した?」


 フランチェスカの顔を覗き込んで悪戯っぽく聞いたアランに、フランチェスカは「いいえ」と澄まして答えた。アランは呼吸が止まるのを感じた。


「惚れ直しましたわ。わたくしのアラン様」

「くぅ……っ」


 嬉しすぎて死にそう。俺は王太子、俺は王太子、と繰り返し自分に言い聞かせることでアランはなんとか平静を装った。顔が赤くなっているのはご愛敬だ。


 なお、マノンは「俺が君を守る!」と堂々宣言したエリックに嬉しそうにしてみせた後「ちっ、役に立たねーな」と小声で呟いたのをばっちり聞かれ、ショックを受けたエリックにいじめが偽証であったと暴かれて退学になった。


 退学を通告されたマノンは「だってアラン様を攻略しないと隠しキャラのフレデリック様が出てこないんだからしょうがないでしょ!」とわけのわからない開き直りをして暴れたため、精神を病んだ者が入れられる病院に強制入院した。




乙女ゲーム設定で王太子攻略はわりとよく読むけど、普通に王太子が友人の恋路を応援しちゃったら台無しだよなあ、と思いついて書いてみた。ドアマット回避の亜種?攻略回避。

マノンは転生者ヒロインだけど、本音駄々漏れすぎて失敗しました。ゲームでは全キャラクリア後隠しキャラが登場する。でも転生は本番一回こっきりだから無事バッドエンド。

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[気になる点] 男女逆転で考えてみたのですが、気になる美少年に「苛められている、クッスン」と縋られて「私が守ってあげるからね!」と頑張る女子はわかります。 でも「苛めが減らないから王女様を紹介して」と…
[良い点] こういう意味合いでの王道の方が安心して読めます。 最初から最後まで楽しかったですし、王太子と侯爵令嬢の(無自覚?)恋模様というか、信頼と愛がすでに育っている中でのその歳らしい欲などもあって…
[良い点]  いつも悪役令嬢の婚約破棄物でモヤモヤとしてたものを解消してくれて良かったです! [一言]  王太子アランがまともっていうか、普通で良かった
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