無色の王 Ⅱ
その少年の名はアイドレット・ファータクスというらしい。
愛称では呼ばれたことはないが、個人で勝手に「アイク」と呼んでいるのだとか……
人間領の田舎から冒険者に就職して王都に上京。しかし三年の月日で冒険者を辞め、たまたま見つけた廃墟と化した旧魔王城に勝手に居座っているということだ。
年齢は見た目にそぐわず19歳。もはや〝少年〟とは呼ぶことは出来ない年齢だが、見た目と声音からおおよその年齢は五歳くらい下に見える。
適当に散髪された前髪は目頭にかからない程度に伸び、うなじの方で束ねてある長いが肩にかかる。
雰囲気は実に大人しく物腰は柔らかい印象にも捕らえられるが、〈バビロン〉に囲まれた場所に自給自足の暮らしをしていると聞いた時は理解が追い付かなかった。
つまるところ……単に得体が知れない人間。ということだった。
一応は魔法使いということらしいが、魔法らしい魔法は使わずに生活に必要な分だけ魔法を使って過ごしてきたようだ。
右腕の再生、両目の再生、皮膚の復元、魔力の回復、健康管理まで全て魔法で治したということらしいので……それ相応な魔法使いなのだろう。
「で、次は俺から聞きたいことがあるんだけど?」
「…………なんだ?」
何故か不思議とリラックスしてしまう。もしかしたら〈バビロン〉の近くにいるからなのか、もしくは魔王が住んでいた城にいるからなのか、はたまたアイクが何らかの魔法によって精神状態を安定させているのか。
全てが定かではないが、とにかく感情から不快感と恐怖感が消えた。
「あんたは何でここに来た?それも魔族がいるってことは……また戦いが始まったのか?」
「記憶は見たんだろう……」
「もしかして生まれてすぐだったのか?」
「目が覚めたら四肢を拘束されてあの状態だった、私はただ〈バビロン〉があったからここまで来ただけだ。きっと――――生きたくて必死だったんだろうな」
「ふーん。まぁ、生きたいと思ってるならいいことだけどさ……」
「……そういえば、お前は私を恐れないんだな?」
「なんだよ、俺に怖がって欲しかったのか?」
「いや、そういう訳じゃない。そういう訳じゃないんだが……」
肌は魔素によって灰色。
魔力が体を巡っていることを表す魔力痕は体中に刺青のように広がっている。
悪魔のような翼も角も生えてはいないが、力を解放すれば魔力がそれに見えるようになる。
何よりも……想像しているよりも感情的なこと。
「人間のあの感情を目の当たりにしてしまうとな」
憎悪。
嫌悪。
殺意。
加虐。
これからも人間に会うたびに〝あれ〟を向けられるのかと思うと、こちらも殺戮という形で対応しなければ対抗することはできない。
「おいおい、ここで殺意を孕んでどうする」
「ッ!!……すまない」
強張ったからなのか、殺意に身を任せたからなのか、どちらかが理由で思わず血がにじむ程の力で拳を作ってしまう。
「まぁ……なんだ。俺は特に魔族と戦おうなんて思ってない」
心底面倒くさそうに前髪を掻き上げる仕草。
どこか表情には哀愁が漂う。
「ここには俺以外いない。それは何でかって言ったら俺が人間嫌いだからだよ」
「は……?」
「俺が冒険者やってたころは純粋だった。ただ目の前のモンスターを狩って、新しい魔法を覚えるために努力して、〈バビロン〉に潜っては遺産を探して各地を回ったよ。楽しかった……ただ単純に冒険していることが楽しかったんだ」
でも、と続けるアイクの表情から少しだけ負の感情が漏れる。
「楽しかったと思える数だけ人間の汚さを思い知らされた。他人の見つけた遺産を奪い、人間同士で罠に嵌め合い、挙句には殺し合う。そのクソみたいな循環を続けた結果は情報操作によって揉み消される。老若男女問わず……子供だって、関係なく他人を貶める――――そんな環境が嫌いになったから、俺は旅に出た」
何かを思い出しているのか……アイクの表情は徐々に昏いものに変わっていく。
「因果応報……とはよく言ったもんだ。良いことの数だけ嫌なことがある、俺は他人よりも早い段階で気が付いてこの場所に逃げて来たってわけだ」
ふと、目が合ったアイクの瞳からは感情を感じ取りにくくはあったがどこか優しさを感じる。
「だから俺は魔族だろうが何だろうが関係ないってことだ。何よりも最初に出会った魔族があんただったこともあって、人間よりは接しやすい」
「…………お前も、修羅を潜ってきたんだな」
「田舎暮らしの時は良かったけどな。人間の集まる場所に行けば行くほど、強い奴がいる場所に行けば行くほど……地獄を味わうっていうことだな。お前も早い段階で気が付けたことに感謝した方がいいぞ?殺していい奴とそうでない奴を選べることは重要なことだからな」
「なら私はあの〝勇者〟と〝英雄〟を……殺したい」
「うん、いいんじゃない?せっかく生まれたなら好きなことをしないと意味ないからな」
「――――お前も手伝え。アイク」
「……ん?」
「私は人間のことが知りたい。お前は人間のことに関して詳しそうだ、全部は知らなくとも善悪の区別はついているようだしな。それに魔族の私にすら臆さない実力は相当なのだろう?」
「あぁ……待て、待てって。何でそうなる?俺はたった今とてつもない頭痛に見舞われている」
「人間が嫌いならいいだろう?代わりに私がお前と一緒に住んでやろう、孤独でいるよりはマシになるだろう。色んな世話を焼いてやろう」
「魔族は脳みそ溶けてんのか……?何で俺がお前の戦いに巻き込まれないといけないんだ?人間と勝手に殺し合ってろよ、俺を巻き込むな」
「巻き込みはしない、戦いになったら私が前に立つ。お前はただ私と暮らせばいい」
「あぁ……こいつは完全に溶けてやがる。百歩譲ってここに住むのは構わない、別に俺の家ってわけではないしな。だけど俺がお前に協力するのはダメだ、加えるならお前がここで魔族の力を解放するのもダメだ。人間側に感づかれる」
「……条件はそれだけか?アイク」
「条件って、お前な……。分かってんのか?俺がここに来たのは平和のためだ、俺が戦いに巻き込まれなければそれでいいんだ。お前が生きてんの知られたら〝勇者〟や〝英雄〟がここに来る可能性があるだろうが」
「魔族の私に戦うことを辞めろと?こんな醜態を晒した後に言うのも何だがな〈バビロン〉から最初に生まれた魔族だぞ?こう見えてもかなり強いんだぞ?今度は負けない」
「いや、そんなこと関係ないから。ここは最大級の〈バビロン〉が集う場所の隙間だぞ、こんな場所で反応があれば人間側での〝最強〟を用意されるんだ。ほら、もう考えただけで面倒になってきた……」
「あぁ!!もう!!なんなんだッ!!」
まるで子供のように癇癪を起し、掴んでいた布団にくるまってしまう魔族の女性にアイクは溜息を吐かざるおえなかった。
「(あれ……イメージと違う。魔族ってこんな感じなの?)」
その姿は、とても人間に恐れられた〝魔族〟の姿とは程遠い。むしろ人間よりも心に正直なその態度がアイクの脳みそを混乱させた。
「お、あ……えーと。分かった、分かったから。な?機嫌戻してくれって」
感情をそのまま表に出すなど久しく見ることはなかったアイクはどう反応すれば良かったのか……
「一緒にいてくれる……のか?」
「いる。いるから……」
「本当か?後で嘘とか言わないよな?」
「言わない。むしろ俺にはお前に使える必勝法がないからな、うかつにそんなことは言えない」
「……そうだよな!私がふと力を解放した日には面倒なことが起こるんだったよな」
「サラッと脅すな……」
「――――――よしっ、ならこれからよろしくな?アイク」
元気を取り戻した……とは少し違う感じではあるが明るさを取り戻した魔族の女性は、くるまっていた布団から離れると改めての挨拶を始めた。
「旧〈バビロン〉――――〝憤怒の塔〟の原初魔族。サーティ」
「これからよろしく頼む」
満面の笑みとはこのことを言うのか……
そんなことを思いながらアイクは向けられた手を握り返した。