無色の王 Ⅰ
ダークヒーローってのはいいよなぁ。
大陸〈アトラス〉――――二つの大陸が重なった世界の中心。
大きさは計り知れず、未だに詳細が記された地図が存在しない。まだ何も知られていない大陸である。
過去に人間が統一されたと言われる〈アトラス〉には、人間が使うには有り余るほどの土地が存在している現状。冒険者、探索者、科学者といった職を持つ人物らが探索と発見の繰り返しで領地を増やしているが、やはり未だに誰も踏み込んだことのない場所がある。
〝旧魔族領〟――――名を聞いただけで誰しもが踏み込むことを躊躇う、恐怖の遺産が多く残る土地。
そんな人間とはあまりにもかけ離れた場所では一人の少年が生きていた……
〈バビロン〉と呼ばれる魔族が生まれる迷宮に囲まれ、陽の光が遮られるような狭い土地には老朽化した城が建っている。
元々は〝魔王〟と呼ばれる存在が生きていた恐怖の象徴とも言える過去の遺産。
そんな場所にたった一人で自給自足のような生活を送っている少年がいるなど、誰が考えることだろうか?
「ふぅ……こんなもんかな」
額の汗を拭きながら周りを見渡す。
埃が溜まっていた廊下も、換気されずに哀愁が漂っていた部屋も、全ての掃除が終了して一息ついた少年が次に向かったのは一階にある食堂であった。
もちろん向かう途中にある洗濯籠に汗を拭いた手ぬぐいを投げれ入れることは忘れず、腰に付けた魔法袋を手探りで確認する。
「朝は米に限るよなぁ」
ほのかに甘い香りと少し焦げた匂いが廊下を伝って少年の鼻孔を誘うと、食欲が湧き上がったのか歩く速度が僅かに早くなっていく。
「ブラウンサーモンの塩焼き、自家製ハニーキャラメルのプリン、汁物は味噌汁に限るよなぁ。あとはサラダは……外から取ってきた新鮮な野菜で作ろう」
米の炊き上がりを知らせるように蓋をパカパカと開けている土鍋を火元から離しながら、少しだけ底が深い小さな鍋に水を加えて火元に置いた。
そして少年は馴れた手つきで〝魔法袋〟の中から既に切られた野菜たちを鍋に入れた。
「次は七輪でブラウンサーモンを……これは外でやるか」
食堂についた勝手口から外に出ると魔法袋から七輪とブラウンサーモンを取り出すと手元から火種を投げ、七輪の炭に火をつける。
「はぁ……流石に早朝は寒いなー」
呼吸をすれば白い靄が宙を舞いながら姿を消していく。
ふと空を見上げれば快晴といった雲一つない青空が広がっているのに、陽の光が届かない故に温かさはない。それでも土には栄養があって穀物や野菜が育つというのだから驚きだ。
「――――ん?」
一人で暮らしているには広すぎる農園の柵を超えようとした足が止まった。
普段通りのいつもと変わらない景色なはずが、雰囲気は少しだけ違うことに違和感を覚えた少年の行動はとても静かなもの変わった。
綺麗な朱色に育ったアップルトマト、その奥にはベリーナッツのツタが見える。
まるで花のように広がるフラワーレタスが綺麗に並び、白く肉厚な葉が特徴なトーフキャベツ。
「(いつもと変わらない……よな?)」
変わらない。いつもと変わらない光景なはずが、どうにも緊張状態が収まらない。
姿勢も低くなっていき、息を殺して、最低限な動きで周りを確認しながら行動してしまっている。
「……ぁ……」
「ッ!!」
聞き覚えのない声に身体がビクンと反応してしまうが、今にも消えそうなその声に吸い込まれるように駆け出す。
「な……――――――――嘘だろ?」
緊張と興奮が相まって無意識で息を切らした身体は、瞳に映ったその〝存在〟に言葉を詰まらせる。
「――――――――――魔族……!?」
そこには見るも無残な姿をした女性と思われる魔族が、赤黒い血溜まりの中で倒れこんでいた……
◆
それは刻まれるように残された残虐な記憶――――――――
「魔族如きが俺に歯向かってんじゃねぇよ……ムカつくな」
「魔族のくせに綺麗な肌をしていますね……全部剥がしてしまいましょうか、ねぇ?」
「私たちが〝英雄〟で良かったと思える瞬間はこういう時間よねぇ」
「なんだよ――――その目は?俺は〝勇者〟だぞ?……決めた。いらないよな?その目」
確かな力を持つ四人の人影。
忘れろと言われても忘れれられない恐怖を植え付けた人間たちの記憶が、何回も脳内でリピートされる。
体の右側から徐々に皮を剥がされいく痛みに声を上げれば、腹部や顔面に鈍痛が走った。
挙句には右腕を切り落とされ、しっかりと離れていく右腕を確認した後に聖剣の柄で片目を潰された。
「あーあ……汚れた。俺の聖剣が汚れたよ……」
「何だかつまらなくなってきましたね?」
「殺すなら俺にやらせろよ、まだまだ殴り足りねぇんだ」
「お好きにどうぞ。私はもう次の〈バビロン〉に行って虐殺することしか頭にないから」
映った視界には悪魔がいた。
綺麗な髪だと言いながら焼き切った。
顔が整っているからと言って変形するまで殴られた。
どれだけ残虐な行為をしていても、四人の人間は嗤っていた。
瞳は緩やかな曲線を描き、楽しそうではなく愉快にだ。
(や……えて………れ)
喉仏は鋭い打撃によって潰され、もはや声すらも出ない状態。
「うわ……魔族って泣くんだ。これは良い結果なんじゃないの?」
「えぇ。帰還したら学者先生方に伝えないとですね」
何が悲しいのか?
何が悔しいのか?
何が苦しいのか?
どんな理由なのかすらも理解出来ないまま片方の瞳から涙が溢れる。
「それにしても気持ち悪いな……もういいや。さようなら」
涙が溢れて零れ落ちる瞬間、唯一残った片方の瞳の視界が黒く染まった――――――――
「――――――――ッ!!?」
「よう……起きたか?」
映る視界には一人の少年が立っていた。
湯気立つカップの中からは落ち着く豊かな香りを漂わせ、無表情で目と目が合う。
「何者だ!?」
かけられていた羽毛布団で身を包み、まるで身を守るように行動する魔族だったが、
「おぉ、治ってるらしいな。良かった良かった」
少年の対応はあまりにもあっさりとしてた。
それに加えて魔族の方へと足を動かし、手に持っているカップを渡す。
「熱いから気を付けるんだぞ?」
極々普通の、不穏に感じる時間もないほどに自然な接近だったことで魔族の女性は動きを止めてしまった。何なら感謝を伝えるてしまうほどに自然に受け取ってしまったのだ。
「……ッ!!」
あまりにも普通すぎる対応を取ってしまった自分を戒めると同時にすぐそばに立つ少年に向かって熱々のお茶を振り舞く。
「え?」
素っ頓狂な声と同時に今まで味わったことのない激痛に声にもならない声を上げながら、その場に蹲って地面を掻きむしり始める。
「〝人間〟が!!今すぐに殺してやるッ」
右腕を振りかぶり魔力を込めた一撃を少年の頭上から浴びせようとした瞬間――――――――
「おと……なしく、しとけ……って」
不思議なことに右腕が寸前で止まった。
「どういう―――――――」
「説明するから落ち着けって」
少年は魔法袋からタオルを取り出し熱湯を拭きとると、指を鳴らし赤くなった顔の表面を治癒していく。
「魔法使いなのか……お前は」
「……まぁ、そんなところ」
「分かった。何でも聞く。だがお前が人間である限り私はお前を信用しない」
「あんた……………この状態でよくもまぁそんな強気でいれるね。魔族って全員そうなの?」
「私は――――――「知ってるよ。記憶は見た」
その言葉で蘇る記憶。
その記憶から襲い掛かる恐怖という空想の化け物が体を蝕み、呼吸の仕方すらも忘れ硬直してしまう。
「あぁ、悪い。そんなに怖かったか?」
「…………だ、黙れ」
「んー……なら説明したいんだけどいいか?」
「勝手にしろ」
明らかに声が小さく籠っている。
布団に体を隠してはいるが、小刻みに震えているのが伝わってくる。
(手短に終わらせるかー)
と、内心では思うが……決して手短には終わらないことは薄々勘付いてた。
ダークなヒーローではなくて、ダーティな正義って感じなぁ。
渋いわー