3話 *いしのなかにいる*
暗闇の中、謎のPCをひととおり調べてみた。
余談だが、今の俺は眠くもならなければ腹も減らない。
慢性的な眼精疲労の痛みや肩凝りの苦しみとも無縁である。
前世では不摂生な生活のせいで、今世では慢性的な栄養不足と冒険者生活で無理をしていたせいで体は相当にガタがきていたが、それから解放されたのは良かったのか悪かったのか。
そんな感じなので、時間を気にせずにのんびりと調べることができる。
……と言っても調べ始めてから多分3時間くらいだが。
ある程度このPCの正体についてアタリがついた。
やはりこれは俺の頭の中がそのままPCになっているようだ。
というより、『幻視』スキルがPCの挙動を模倣している、と言うべきか。
俺の生まれてから死ぬまでの記憶がストレージに格納されており、コマンドによって自在に引き出すことができる。
さらに俺が使い慣れた計算ツールやらデータベースやらの各種ソフトウェアもインストール可能だ。
とは言ってもインターネットに繋がるわけではない。
これらも俺の記憶の中のソフトの挙動を再現しているのだろう。
なにも感覚がないような状態で3時間と判ったのは時刻取得コマンドによるものだ。
実際の日時は取れず秒単位のタイムスタンプのみだが、調査開始時から現在までで約10,000増えているので3時間、というわけだ。
現在のタイムスタンプは約5億5千万。17年強。
いつものUNIXタイムスタンプだと起点は1970年1月1日なのでその計算だと今はまだ1987年ということになってしまう。そんなわけはさすがにない。
起点はおそらく今世で俺が生まれた時点だろう。
……さて、時刻以上に気になったことがある。
ネットワークパケットに動きがあるのだ。
つまり俺の脳内PCが外部と通信していることになる。
わけがわからないが、今の状況の突破口となるのはここだけだろう。
試しにメッセージを送ってみるとしよう。
どんなメッセージを送るべきか。
とりあえず手当たり次第……いや、相手が自分と同じ境遇の人間という可能性もある。
ここは無難かつ慎重に "Hello" でいいだろう。
送信っと。うわ、すぐ返答が来た。
『縺薙s縺ォ縺。縺ッ』
……文字化けしている。
そうか、PCのイメージだから英語で送ってしまった。
返信はこちらの共通語でも──ないな。
とすると……古代魔術語か。
文字の感覚を切り替えると、意味が認識できた。
『ユーザー名とパスワードを入力してください』
……うん、これは俺側の翻訳の問題だな。
相手がコンピューターというわけではなく、そういう意味の返信が来たってことだ。
「教えてくれ。なにが起こった? どういう状況だ?」
『ユーザー認証失敗。ゲストとして対応開始。直近の記録を確認……支配領域への異物の混入を確認。緊急事態につきスリープ解除。異物の自動排出処理開始。排出処理に失敗。管理者に通知。返答待ち待機中』
うん……よく分からん。
ともあれ、疎通は確認できた。
お次は定番の質問だ。
「ここはどこ? わたしは誰?」
『あなたの現在位置はルーインダルヴ第7領域・座標 X6 Y8 Z0。あなたはワンダリング・ソウル』
いや、座標言われても……
って、『さまよう魂』?
やっぱり死んでるということか。残念。
それにしても受け答えがシステマチックだ。
相手は生物じゃなさそうだな。
「その座標周辺の状況は?」
今度はメッセージの返答はなく、謎のデータが送られてくる。
これは……映像データだろうか。なんとか再生できないか……
そう考えると目の前に映像が浮かび上がった。
これは……マップか?
方眼紙に描いたような迷路のマップである。
昔のダンジョンゲーのようだ。
ええと、座標 X6 Y8 Z0 は……
と、マップ上の黒塗りの一点が点滅する。ここか。
……ってこれ、俺の認識が正しければ壁の中になるんだが……
あれ、俺もうひょっとして失われてるのか?
待て、落ち着け。
まず状況を把握するんだ。
幸いにも俺には意識がまだある。我思う、故に我あり。
まだ諦めるような時間じゃない。慌てたらそこで試合終了ですよ。
ダンジョンの魔術装置の暴走は空間転移を引き起こした。
それにより俺は壁の中に転移してしまった。
先ほどまでいたのと同じダンジョンとは限らないが……そう考えて問題ないか。
最初に言っていた『異物』は俺のことだろう。
体の感覚はない。
ワンダリング・ソウルなどと呼ばれたことを考えても、体のない幽霊みたいな存在になっていると考えるのが自然だろう。
幽霊なら壁くらいすり抜けてもよさそうなものだが、まったく動かない。そもそも動かし方がよくわからん。
魂だけになったせいか、他の要因かは分からないが前世の記憶を取り戻し、頭の中でPCを動かして出力を視覚化できるようになった。そして『なにか』と通信できる。
さて、俺はどうしたいか……
そもそも前世でも今世でものんびり暮らすのが夢なのだが、壁の中はさすがに求めていたものと違う。
ひとまずここを出ないと話にならない。
よし、なんとかこの唯一の手がかりから情報を引き出して脱出するとしよう。
「あなたはなんだ? 何者だ?」
『私はルーインダルヴ第7領域管理端末』
ルーインダルヴ──管理端末?
ダンジョンの正式名称がそれなのだろうか。
ちなみにこのダンジョンは発見されたばかりで名称は未定ということになっている。
冒険者による先行調査後に命名されるはずだが、今は最寄りの町から取ってオーパス新ダンジョンとか呼ばれている。
「ダンジョンコア、というやつか?」
『認識差分修正……近似の概念』
生きたダンジョンについては記録も少なくあまり分かっていないが、魔法学院で読んだ数少ない資料によると、中心となるダンジョンコアはいくつか発見例があるらしい。
この通信相手もそれに近い存在なのだろう。人間と意思疏通が可能とは知らなかったが。
「壁の中から出たい。お前も異物を排出したいんだろ? なにか方法はないのか?」
『異物の排出は壁の物理的な破壊により実現可能』
「……壁を壊してくれる?」
『拒否。管理者権限が必要』
むう。権限がない。
「管理者権限の付与を要求する」
『拒否。管理者権限が必要』
……まあ、そりゃそうだよなあ。
うーん、どうしたものか。
「現在俺が実行可能な処理は?」
『構造閲覧、及び領域守護者の行動制御』
構造閲覧ってのはさっきのマップだよな。
「守護者ってのは? 命令できるのか?」
『肯定。現在制御可能な守護者を提示』
視界にリストが表示される。
守護者は3体……だが、そのうちの2つはグレー表示である。
「この2つは非アクティブってことか?」
『肯定。経年劣化により動作不能』
「じゃあこの最後の……タスカリアス? こいつはなんだ?」
『ストーンゴーレム・タスカリアス。動作可能』
生きてるのがいてよかった。
こいつに命令できるんなら、壁を掘ってもらおう。
端末が直接構造変更をしてくれないにしても、守護者とやらを通じて間接的には可能かもしれない。
「じゃあそのタスカリアスに X6 Y8 Z0 の壁を掘るように指示してくれ」
『了承。管理者不在の緊急措置によりゲストからの要請受諾』
おおっ、タスカリマス。
ガン、ガン、ドスン。
ややあって、なにやら音が響いてきた。
壁を掘ってるのだろう。
かなりの時間をかけて音はだんだんと大きくなり、
やがて──一際大きい音とともに視界が開けた。




