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2話 ハロー、前世(ワールド)

 


 明日だ。

 プロダクトのリリース日は。


 いや、チラリと目をやった時計は12時を回っている。

 朝8時だから──あと7時間強。


 俺がこの仕事を引き継いで3日。徹夜した日数と同じだ。

 仕事を止めていた問題はようやく解決したものの、目の前のリストには気が遠くなる量の残タスクが未着手のステータスとなっている。


「先輩、レビューお願いしまっす」


 状況を知ってか知らずか、ヘラヘラと気楽そうな後輩に当たりたくなるのを堪え、コードに目を通す。

 いまだに変数名にスネークケースとキャメルケースが混在しているのに眉をしかめつつマージした。この際仕方ない。


「おう、できたかぁ? ……全然まだじゃねーか! なにやってたんだテメェ!」


 酔っ払っている社長がタスクリストを覗き込み、キレ散らかした。

 相手をしている余裕などない。俺は社長を無視してキーボードを叩き続ける。


「ちっ、昨日もわざわざ呼んでやった派遣をさっさと帰しやがって! オレはやることやってやってんだからな、オレのせいでできねえなんて言わせねえぞ!」


 開発も大詰めの状況で右も左も分からない新人を連れてこられても逆効果だ。

 IT会社の社長のくせにブルックスの法則すら知らないのだ、この男は。


「おいお前、飲みに行くぞ! コイツは1人の方が楽らしいからな!」


 社長は俺への当てつけのように後輩の肩を叩く。

 下戸である俺は飲みに誘われても行ったことがないので社長から嫌われているらしい。


「え、いいんすか? 奢りすか? いきます!」


 いいわけねーだろ。

 と思いつつ、正直いない方が楽なので黙って見送る。



 男はブラックなウェブ系開発会社に勤めるとある社畜。

 その夜はもうすでに納品期限を過ぎたはずのソフトウェアを一人で開発し続けていた。


 社長が短期間・低予算の仕事をドヤ顔で取ってきて、新手法導入でプロジェクトを引っかき回したプロジェクトリーダーは逃亡し、開発メンバーはなにも分からない新人ばかり。


 土壇場で責任者に任命された男は──このザマである。


 炎上するプロジェクトを横目で見ながら嫌な予感はずっとしていたのだ。

 口を出せば結果的に貧乏くじを引くことになるので絶対に関わるまい──そう心に決めていたはずだったのだが、気がつけばこうなっていた。わけがわからない。


 これが終わったら溜まりきった有休を全部使って辞めてやる。そう思いながら、それだけを心の支えにして続けてきた。


 残業代も出ないのに一人で納期に間に合わせようと足掻くことについて、徹夜続きの脳は疑問を持てなかった。


 ──そして限界は唐突に訪れた。




 プツン。




 頭の中で何かが切れるような音がして、キーボードの上に突っ伏した。コーヒーとエナジードリンクの空き缶が床にばら撒かれる。

 天地が分からなくなるほどの浮遊感を覚え、意識が遠くなっていくのを他人事のように感じる。



 ──死ぬのか、俺は。

 こんなところで、人生を楽しむこともなく。



 最期に窓の外に見えたのは丸く、青い月。


 それは徐々に大きくなり──やがて視界は青に埋め尽くされた。

 ブルースクリーン。


 哀れなアラサー社畜プログラマーはこうして死んだのである。





 ──────





 意識を取り戻すと、まっ暗闇だった。

 目が開けられない。身動き一つできない。


 ここはどこだ?

 俺はどうなったっけ……


 最期の瞬間を思い出す。

 ああ、死んだのか。するとここは死後の世界ということになるか。


 天国ではないだろう。地獄だろうか。

 どちらとも言えない、無限の闇と静寂。

 やはり死後は無しかないのだ。



 ……待て。俺は誰だ?


 初級冒険者アルフィン・ダグハイムだ。

 新しく発見されたダンジョンの深層で、仲間に見捨てられて置き去りにされ、魔術装置の暴走に巻き込まれて死ん──それはまだ分からんか。


 では、さっきの映像は?

 死に際に見る走馬灯にしちゃ荒唐無稽に過ぎる。



 ……いや、本当はもう分かってる。


 あれは俺の前世だ。

 なにせあの会社の電話番号すら思い出せるのだ。ただの夢という方が無理があるだろう。


 そうだ、思い出した。俺は日本でブラック企業に勤めるプログラマーだった。

 それを今まで知らずに過ごしてきた。

 この世界でも前世と同じくこき使われながら。

 はっはっは。超ウケる。


 まあいい。ようやく誰にも邪魔をされずに眠れるのだ。

 おやすみ。




 ……むう、眠れん。

 寝ることすら許されないのか。


 ヒマだ……死後の世界はヒマなのだ。

 孤独には耐えられてもヒマには耐えられない。

 なにか、なにかないのか。


 そう考えた俺の前に緑色の文字が浮かび上がった。


 黒いスクリーンの端には緑色の小さな文字が刻まれており、同色のカーソルが点滅していた。

 俺が前世で使い慣れたCUIコンソール画面──シェルプロンプトである。


 ああ、これは……俺の呪われたスキル、『幻視』による幻覚か。

 訓練によって出ないように封印したはずだったのだが、ぶり返してしまったらしい。


 確かに前世で最期に見ていたのはこの画面だった。WEBアプリケーションプログラマーであった俺はサーバにリモートログインしようとしてこの画面を表示していたのだ。


 なんてこった。

 2回も仕事中に死んで、まだ仕事をしろというのか。そりゃないぜ。



 ……いやまあ、仕事をすることはないか。

 暇つぶしにはなるだろうか。


 とりあえずなにか打ってみよう。

 echo "Hello, World" ……と。


 ……しまった、キーボードがない。むしろ指がない。

 しかし目の前のコンソールはきちんと動作して出力を返していた。


 Hello, World


 ふむ、キーを打つつもりになっただけでちゃんと動くようだ。


 暇つぶしになればなんでもいいか。

 いろいろと試してみるとしよう。時間はたっぷりとあるようだしな。


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