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「文乃」  作者: 新開水留
41/56

41「辺見先輩から聞いた話」

 

 僕たちの住む街から遠く離れた長谷部さんのご自宅を訪れた日の前日、辺見先輩が一人で文乃さんを訪ねていたという話を聞いた。本当は僕のことも誘おうとしたらしいが、結局は声を掛けてもらってはいない。理由は、「なんとなく」。

 僕がその話を聞いたのは一連の事件からしばらく経ってからの事で、なるほど、辺見先輩と一緒に文乃さんに会いに行かなかったのは正解だったと、その点に関しては彼女に感謝する思いがした。



 辺見先輩は、文乃さんが大きな力、俗に超能力と呼ばれるそれを使用する見返りとして、肉体に障害を負う可能性があるという事実を知っている。

 あの日、大学の医務室で、辺見先輩の携帯電話を辿り追いかけてきた悪意あるナニカを退けた力は、三神さんのように離れた場所から見た時に感じる荘厳さとはまた別の意味で、理解不能な破格の力に見えた。

 普段はとても穏やかで物腰の柔らかな文乃さんが、まるでその身が帯電しているかのようにバチバチと髪を逆立たせ、白目を剥いて、およそ女性とは思えないような唸り声を上げた。

 そして地響きのような声で、彼女はこう言ったのだ。

 お・も・い。

 …重い。

 三神さんから土地についての話を聞いた今なら、分かる気がする。

 土砂災害に呑まれて亡くなった人々の怨念が、今もその身に重く圧し掛かる恐怖に苦しみ、悲鳴を上げているのではないか。

 霊感のない文乃さんにそれが可能だったかは分からない。しかし文乃さんはきっと、彼らの声を聞いたのではないだろうかと、僕にはそう思えてならない。

 彼らのもたらす呪いのような脅威を退けた文乃さんは、何度も感謝を述べる僕たちに対し、何故だか照れたような笑顔で首を横に振った。そしてタクシーで帰る道すがら、文乃さんは意識を失ったように眠った。

 彼女の横顔を見た時、辺見先輩は改めて感謝の気持ちを伝えなければいけないと、強く思ったそうだ。辺見先輩自身も検査通院が必要とされ、肉体的にも精神的にも限界を超えていたはずだった。それでもずっと再び会える機会を待ち望み、長谷部邸へと向かう日の前日、勇気を出して連絡を取った。



 とある公園で、二人は顔を会わせた。

 文乃さんはA4サイズの雑誌が余裕で入る大きさのトートバッグを肩にかけて現れ、ベンチに腰かけていた辺見先輩を見るなり「おーい」と言って手を振ったそうだ。

 文乃さんは立ち上がって出迎えた辺見先輩に、トートバッグから出した茶色い紙袋を手渡した。

 中には、金平糖がぎっしり入っていたという。

 甘いものがお好きなんですね、という辺見先輩の問いに、

「本当は、辛党なんです。でもエネルギー補給には、甘いものが一番です」

 と大真面目に答えたそうだ。

 大学での事を改めて感謝し頭を下げると、そんな辺見先輩の肩に手を置いて、

「金平糖食べましょ。座ってお話しましょ」

 と言って文乃さんは微笑んだ。



 責任を感じている、と切り出したのは辺見先輩の方だった。

 本来文乃さんは大学の後輩である新開水留をスカウトに来たのであり、なんとなくその場のノリで手を挙げた自分の軽率さが、色々な人たちに迷惑をかけている。その事に対する罪の自覚は十分抱いていると、辺見先輩は胸の内を明かした。

 しかし文乃さんはまたもや首を横に振り、

「スカウトしたのは私ではありません。まぼちゃんです」

 と答えた。

 三神幻子。自然の摂理に反した巨大な力を持つ、まさしく神の子。

 頷く辺見先輩に対し、

「ですが」

 と文乃さんは言う。

「本音を言えば私の方こそ、責任を感じているんです。私は私の意志でもって、あなたと新開さんを巻き込む事に反対すべきでした。本当は、辺見さんが退院された後、私は独自で色々と動いてみるつもりでいたんです。誰の手も借りずに、引き受けた仕事をきちんと自分の力で解決に導けないのなら、初めから人の手助けを頼りにしていた私はただの卑怯者でしかない。そう思ったんです」

 …謝りに来たはずの自分が謝られている。

 辺見先輩は焦って話の方向性を変えようとした。

 結局、大学構内で自分の耳から侵入し、尚も携帯電話に居座り続けたあの悪意は一体なんだったのか。

 文乃さんはその問いに対する正確な答えを持っていなかったが、

「少なくとも、リベラメンテを中心に発現する、あの物凄く臭いナニカと無関係ではないと思います。ですが、廊下に辺見さんの携帯が落ちているとは知らずに感じたあの空気は、また、別の何かであるような気もします。以前今年の夏の肝試しで、大学内で幽霊騒動があったと、仰っていませんでしたか?」

 あった。確かにそうだ。

 ということはつまり…。

「実体という呼び方はおかしいですが、リベラメンテからあなた方を悪霊が追いかけてきたというよりは、そこに存在した霊たちをたき付けて先導した、そういった事ではないでしょうか。動きの気配や温度が、あのマンション一帯に漂う霊魂たちとは異質だったように思います」

 

 怖くはないんですか。


 まるで推理小説の謎解きを披露するように、眉間に皺を刻み、真剣な目で話をする文乃さんを見ている間、辺見先輩は込み上げてくる涙を抑えるのに必死だったという。

「怖いですよ、とても」

 と文乃さんは言い、だが薄く微笑んだ。

「だけど怖いからと言って、逃げられるものではありません。それにもう、逃げたくはないんです」

 だからって。

「それに…」

 …それに。

 …それに?

「それに新開さんは、ご自分が意図せず霊道を開いているとまぼちゃんから告げられてからというもの、例えば大学内で起きた夏の出来事や、これまでの幽霊騒動にもご自身が関わっているのでないかと、そう案じておられるように見えました。そして何より、辺見さんが仰った、新開さんのお母様の話。私はあの話を黙って聞いていた新開さんを見て、私が彼のお母様に似ているかもしれないと聞いて。…ふふ、思わず頑張っちゃいました」

 照れたように微笑む文乃さんを見て、辺見先輩は涙を拭った。

 泣いている場合ではないと、何故だかそう思ったそうだ。

 辺見先輩は文乃さんからもらった金平糖を引っ掴んで口に放り込み、バリバリとかみ砕いた。

「違う違う違う違う、そうやって食べるもんじゃないっ」

 慌てる文乃さんを無視して、辺見先輩を金平糖を貪り食った。

「もっと大事に可愛がって!」

 体力を付けねば。

 貧血なんて言ってられない。

 私も戦わなきゃ。

 泣いてる場合じゃじゃないぞ!



 辺見先輩は最後に、僕に向かってこう言った。



 あの金平糖。めちゃくちゃ美味しかった…。

 


 




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