6 眠れない夜は眠らない夢を
「あぁ…緊張する…こんなの全然私らしくないじゃない」
自室のベッドに寝転がりながら、私は大好きな猫の人形に語りかけている。
「ねえクララ、詩葉は喜んでくれるかな」
銀色の毛並みの可愛らしい猫の人形。
幼い頃に誕生日プレゼントとして貰ったそれは、きょとんとした表情で何も言わずにこちらを見つめ返している。
当然人形なのだから彼女が喋るはずもないのだけれど、私にとって彼女と会話する事は特別な意味を孕む。
そもそもクララという名前が何を意味しているのか、自分でも正直その名前を彼女に与えたことがこっぱずかしくなって悶え苦しむくらいのものなので明言はしないけれど、そこには確かな願いが込められている。
今夜のように緊張して眠れない夜はいつも彼女が私の傍にいてくれる。
それはつまり、私の一番大切な存在を近くに感じられるということ。
まぁ、いつだって隣の家に行けば会えるのだから別に特別感がある訳ではないのだけれど。
プラネタリウムを見に行こうと誘ったのは、私たちがまだデートらしいデートというものをしていなかったからに他ならない。
私自身、詩葉と付き合い始めた現実をどこか俯瞰して見ているというか、当然それはこれ以上ない幸せではあるのだけれど、それを当たり前に感じている自分がいて何かこれまでにしてこなかった特別なことをしたいと思う気持ちがそれほど湧いてこなかった。
詩葉とは長い付き合いだ。
一緒に行きたいところは大抵すでに行っているし、一緒にやりたいことは大抵すでにやっている。
何よりただ詩葉と同じ想いを共有しているだけで他に何を望みもしないし、今この場所にある幸せは私が死ぬまで永遠に続くものであると信じて疑いはしない。
女の子同士の恋愛なんて、思春期特有の勘違いなのだと一笑に付す人がいる。
生命は自らの遺伝子を次世代に繋ぐ為に存在している遺伝子の乗り物に過ぎないのだから、雌雄間の生殖こそが真実でありそれ以外は全てまやかしに過ぎないのだと、そう考える人々がいる。
それを否定するつもりはないけれど、私が今感じているこの愛情は、きっとそういう人たちには一生理解出来ないものなのだろうなと思う。
何よりも美しく、永遠に最も近いもの。
遺伝子に依らない文化としての愛。
それが私たちの愛なのだ。
…と、少し話が脱線した気がするが(すぐに思考がスリップするのは文字通り悪い癖かもしれない)、つまるところ何よりも日常生活の中で詩葉と一緒にいることこそが私の一番の幸せであるからこそ、何か恋人らしいイベントをわざわざする必要もないと思っていたのだ。
詩葉は気付いていないかもしれないけれど、私と詩葉は価値観の多くを共有している。
詩葉が感じたことは基本的に私も同じようなことを感じるし、詩葉が言いたいことやしたいこともなんとなく予測する事ができる。
幼い頃からずっと一緒に育ってきたということは同じ環境の中で同じ経験をして育ってきたということで、人間の獲得する自我や思想、思考などの多くが後天的な環境因子に依存するというのならば、私たちが似たような価値観を獲得することもまた自然なこと。
結局の所、私がただ日常を詩葉と過ごすことを幸せに感じているということは、詩葉もまた私と過ごす日常を愛してくれているということに他ならない。
誤差こそあれど、人間なんていうのは生体機械の域を脱せず、似たような感覚感情を携えて生を紡いでいる。
だから大抵のことは理解出来ると思うし、私は詩葉の事だって大抵のことは理解しているつもりだ。
それが傲慢であることは自覚している。
けれど私たちの日常を私たち二人がこれ以上なく愛していることだけは真実であると断言出来る。
何故断言出来るのかというとそれは詩葉と直接気持ちを摺り合わせる機会を何度か設けているからで、当然私の独り善がりの価値観の押しつけではない。
きちんと言語で気持ちを伝え合うことの大切さは痛い程に分かっているから、私はその努力を怠ることはしていない筈だ。
おそらく。
…と、また思考が脱線し始めた気がするので結論から言うと、詩葉がデートしたそうにそわそわしていたので私は彼女をプラネタリウムに誘った。
それを快諾した詩葉はとても嬉しそうにしていて、その輝くような笑顔を見れば悔しいけれどやっぱり詩葉は私の一番だと思わざるを得なかった。
それを伝えるべきだということもよく分かっているけれど、絶対に詩葉は調子に乗るから今敢えてそれをしないという選択を取ることもまた今後の私たちにとっては必要な事だと思っている。
というかまあ、詩葉が私の一番だなんてことは遥か昔からずっと変わらない事実なのであって、彼女が私を一番に思っているだなんてこともとっくに知っていたことだった筈なのだ。
私の作り出したイリスという人格は間違いなく私自身でしかなかったのだし、彼女を認めてこなかった私自身もまた紛うことなき私自身で、私が私の中で入れ子人形のように私を形成していた。
それもまた過去の話で、今は一個の確固たる入栖有栖として存在する私は、私の好きなところも嫌いなところもありのまま愛すことが出来ている。
それは全て詩葉が私を愛してくれているから。
私が愛する詩葉が愛する私を私は愛している。
私が私を正しく愛しているという簡単な構図だ。
そう、プラネタリウム。
プラネタリウムだ。
何故私が初デートの場所にプラネタリウムを選んだのかについては、詩葉が夜空に煌めく星が好きだからという以上の理由はない。
それならば本物の星を見に行けばいいという意見もまた正しくはあるのだが、私たちは女子高生で、まだ夜間の出歩きを許される年頃ではないという悲しい現実が眼前に横たわっているのだ。
詩葉と二人でキャンプにでも出掛けて、夜通し星を見続けるというのもいいかもしれない。
高原地ならば夏の夜は少し冷えるかもしれないけれど、きっと二人寄り添えば心まで温かくなることだろう。
でもせっかくキャンプに行くのなら二人では味気ない気もする。
みか姉やコメットちゃん、小夜先輩も一緒にいた方が詩葉は喜ぶだろう。
勿論、私もその方が嬉しい。
私は詩葉と二人でいる事と同じくらいに、それらの大切な人たちと一緒にいる時間が好きなのかもしれないと最近気がつき始めている。
これも全部詩葉のせいだ。
詩葉がみんなのことを好きすぎるから、私もつられて好きになってしまった。
私の世界は詩葉だけでも完結するけれど、出来ることならば周囲にいてくれる優しい人々ともずっと絆を紡いでいきたいと感じている。
それは私の弱さに他ならず、他人に寄りかかりたいという甘えた心根の表れでしかないこともよくわかっているけれど、自我で抑制しようとしてもこの気持ちはどうにもならない。
思ったより私は、人間のことが好きなのかもしれない。
大切な人たちと一緒なら、詩葉と二人きりじゃなくてもいい。
でも、みんなで一緒にキャンプに行くんじゃあそれは特別でもデートではない。
というかキャンプに行く話はしていない。
プラネタリウムに行く話をしていたんじゃなかったのか私。
とにかくまあ、高校生の女の子二人で夜中出歩く訳にも行かないということで映像として綺麗な星を見られるプラネタリウムを選んだのだ。
「はあ、クララ。私って本当、一人で物思いに耽るとしっちゃかめっちゃかして考えが纏まらないのよねぇ。どうしたら治るのかな」
不眠症という訳ではないが、ベッドに寝転んで様々な思考を巡らせているだけで随分と時間が経っているということは儘ある。
寝付きが悪い方ではないので、平常時はいざ寝ようと思えば寝ることはそこまで難しい訳ではないのだけれど、今夜のようになにか特別なことがある前日の夜なんかは緊張から思考がループしてなかなか寝付けないということも少なくない。
それが初デートの前日だというのなら、それはそれは私の脳みそもぐるぐると回転を始めるもので、詩葉や私に纏わる様々なことを考えなくてもいいのに考えてしまうのだ。
どうして詩葉は星が好きなんだっけ。
思えば少し前まで詩葉が真夜中の散歩に出かけていたのも、一人の公園で見上げる星が好きだからとかそんな風なことを言っていたような覚えがある。
一人きりで夜出歩くだなんて危ないからやめろと言い続けていたのが功を奏したのか、最近彼女はその趣味をぱたりとやめたようだけど、今でも星が好きで星を見たいと思っていることは間違いない筈だ。
最初の理由は大方、ドラえもんか何かの影響であることは間違いないだろう。
幼い頃に抱いた感情というものは人生を左右するだけの力を持っているもので、何か小さなきっかけがその後生きる指針となる価値観を決定づけたりもする。
星が好きという詩葉の個性は、一体どのようにして形作られたものなのか。
それが少しだけ私は気になった。
詩葉のパーソナリティ形成に大きく関わっているのは、私やみか姉、そして彼女のご両親などだろう。
その何れかから受けた影響で彼女が星を好きになったと考えるのが妥当な気がする。
自惚れかもしれないが、私が詩葉に及ぼした影響というのはかなり大きいという自負がある。
幼い頃の私が星について詩葉に何かを語ったから彼女は星が好きになったのだろうか。
そうではない気がする。
確かに、図鑑で覚えた星座に纏わる神話などの話を詩葉にしたような記憶はあるが、その時の詩葉はぽかんとしてあまりそれに興味を持っている感じは見受けられなかったように記憶している。
それなのにいつも詩葉は私の話を楽しそうに聞いてくれるのは、彼女の心根がどこまでも穏やかで真っ直ぐだからなのだろう。
そういう所は尊敬している。
それならば、みか姉かご両親のどちらかが詩葉にとって星を特別なものにしただけの理由を持っているのだろうか。
そう考えるのが自然な気もする。
みか姉は幼い頃から詩葉にべったりだったし、今とは方向性が異なるとは言えあの頃からシスコンという括りが出来る程度には詩葉のことを溺愛していた。
絵本を読み聞かせるなどの、まるで母親のような行為をしていたことも記憶しているし、その中で何か星についての話を聞かせていたのかもしれない。
ご両親はどうだろう。
詩葉のご両親は二人ともとても穏やかな人で、今の詩葉ののんびりとした性格はほぼ確実に二人の存在あってこそだろう。
お母さんの方は笑顔がとても綺麗な美人だったし、お父さんの方は寡黙ながらに落ち着く雰囲気を常に漂わせている知人だった。
当然私も二人のことが大好きで、たくさん面倒を見て貰ったことは今でもよく覚えている。
詩葉のお父さんなんかは、そういえば詩葉に時々映画や小説などの物語を語って聞かせていたような気がする。
彼の口ぶりは知的だったけどそれは詩葉にとっては眠気を誘うもので、話の途中で彼女が寝こけてしまうということも珍しくはなかった。
詩葉のお母さんはあまり多くを語る人ではなかった。
詩葉のことを近くで優しく見守りながらも、彼女の好きなように自由に伸び伸びと成長することを望んでいたように思える。
自らが教えるというよりも、詩葉の話をよく聞いて、得た知識や学んだことの定着を適切に促し導くような役目を担っていた。
そう考えると詩葉たち一家というものは、どこまでも安定した模範的な家族だったということがよくわかる。
今思えば本当に、そこにはいつも幸せの光景が広がっていたのだ。
私はそれが大好きだった。
きっと、詩葉も。
…詩葉が何故星を好きになったのかという話をしていたのだった。
今はセンチになるべきではないし、過去に思いを馳せたところで過ぎ去った光景が戻ってくるわけでもない。
何よりも、悲しいことを乗り越えたからこそ今がある。
過去を悲観することは、自分を卑下することだ。
私は私を愛すると決めたのだから、私の歩いてきた道程を否定するのは違うだろう。
だがしかし、悲しむことも時には必要なのかもしれない。
感情の起伏の存在しない毎日なんて無味乾燥としてつまらないものだ。
喜怒哀楽あってこその人生というもの。
どうしてもやるせない夜は、空を見上げるのもいい。
そこには煌々と輝く星々が確かに存在していて、いつも穏やかに笑いかけてくれるのだから。
「あ、そういうことか」
詩葉が星を好きになった理由がなんとなく、分かった気がする。
簡単なことだったのだ。
私と彼女の価値観が似ているのならば、同じような思考に思い至るのも必定。
「詩葉は、星に願いを託したのね」
星に願いを。
「全く、メルヘンにも程が在るじゃない」
それを理解出来てしまう私自身もきっと。
猫の人形を大切に抱えたままにベッドから立ち上がり、私は閉じたカーテンをそおっと開く。
続いて窓を開ければほんのり湿った空気が夜風に乗って頬を撫でる。
都会の夜空に輝く星は疎らで、肉眼で見えるものなんて数えられる程しかない。
それでも私の目には見えない幽かな光が、今この時も星の数だけ無数に降り注いでいる。
見えないけど確かにそこにあって、私たちを見守ってくれるもの。
「見て、クララ。あれがデネブ、アルタイル、ベガ。有名なアレよ」
私が指さす夏の大三角。
覚えて空を見てくれる貴女はすぐ近くでぐうすかと寝こけているのかな。
だから代わりに、私は猫の人形をぎゅっと抱き締める。
「見守っていてね」
私はその言葉を、一体誰に発したのだろう。
自分自身それをきちんと理解は出来なかったけれど、大切な誰かに切実に伝えたかったことだけは確かなようで。
夜空に迸った一筋の光がその答えだったのかもしれないと考えてしまうのは、些か少女趣味が過ぎるだろうか。




