5 牛乳は瓶派なのです
ゴォォ、というドライヤーの音。
濡れた銀色の長い髪が舞う
照明を反射して煌々と輝く様は、まるで空から舞い降りてきた天使の羽のように美しい。
指通りの良い髪の毛を手櫛で梳いて渇かしていくのは、幼い頃抱いた憧憬に他ならない。
お人形遊びのお飯事。
その延長線上にある、心安らぐ愛しい時間。
「ふいぃ~、極楽極楽なのです」
流麗な髪の持ち主は私に全てを任せながら、暢気にちびちびと瓶牛乳を飲んでいる。
ご飯を食べる時は大きな口でばくばくと次から次へと料理を口に運んでいく彼女だけれど、この時ばかりはお風呂上がりの火照った身体に浸透させるように、ゆっくりと味わうように冷えた牛乳を流し込んでいく。
「やっぱり牛乳は瓶に限るのです。紙パックだとどうも味気なくて嫌なのですよ」
こんなに美味しそうに幸せな表情を浮かべてくれるのならば、毎週牛乳を届けてくれる配達のお兄さんの苦労も報われるものだろうなぁなんて思う。
結構な量を注文しているから、きっと大変だと思うんだよね。
いつもありがとうございます。
「詩葉~、ちょっと頭の左側が痒いのです。搔いて欲しいのですよ~」
随分間延びした声で、彼女は私の事を召使いのようにこき使うけど、可愛いからなんの不満もなく従っちゃう。
いくらでもかきかきしてあげるからね。
「お嬢さま、この辺りですか?」
「う~ん、もうちょっと左…そう、その辺りなのです…ほあぁぁ」
とても気持ちよさそうにしながら自由気ままにまた牛乳をちびちびと飲む彼女は気分屋さんの猫ちゃんみたい。
上品な毛並みで可愛いなぁ。
そうすると私は召使いっていうよりも、彼女の飼い主さんかな?
飼い猫の愛しさに飼い慣らされて、どちらが飼われているのかわからない感じの。
「コメットちゃんは可愛いでちゅね~」
「なんか声が気持ち悪いのです。でも私が可愛いのは当たり前なのでもっと褒めるといいのですよ~」
「よ~し、よしよし、良い子だねコメットちゃんちゅきちゅき~~~」
「うっ首筋はくすぐったいのです…あはは…やめるのです…詩葉っ、あはははは!」
お風呂上がりにこんな風にコメットちゃんとじゃれ合うのは日常の風景。
私の平穏無事な幸せの一部だ。
近頃、日常的に有栖ちゃんが我が家で過ごすことが増え、夜遅くまで彼女が一緒にいることも半ば当たり前になっていた。
そんな中ある日、全く気を抜いていた私は、ごくごく自然な流れでコメットちゃんと一緒にお風呂に入ろうとしてしまった。
当然それを有栖ちゃんが見逃すはずもなく、常日頃から私たちが一緒にお風呂に入っていたことがバレたことで、それはそれは有栖ちゃんはお怒りのご様子…ちょっとした修羅場に発展して、あわや関係崩壊の危機にまで陥りそうになったけど、なんとか事情を説明することで彼女の怒りを収めることは出来た…と思う。
私がただ幼女と入浴してひゃっほいしているのではなく、コメットちゃんの長い髪を洗うお手伝いをしているのだということを伝えれば、渋々だけど、有栖ちゃんは私たちが一緒にお風呂に入ることを認めてくれた。
まぁ、実際のところ、コメットちゃんのつるぺたぼでぃにはぁはぁしている自分が心の中に存在している事を私は自覚しているけれど、その辺りのことはひた隠しにしている。
どれだけ愛し合っていても、人は心の中に秘密を持たずにはいられないもの。
私がロリコンだってこと、有栖ちゃんはよくわかっているだろうからひょっとしたら私の下心も見抜いているかもしれないけど、イエスロリータノータッチの精神を掲げる私を信頼してくれているのだと思いたい。
当然私は有栖ちゃんに操を捧げ、一生涯彼女にしか抱かれない覚悟が出来ているので、間違ってもコメットちゃんに手を出したりすることはない。
幼女の裸に興奮はするけど、それは決して犯罪ではないのだ。
心の中にどんな欲望を抱えていようが、実行に移さなければなんの問題もないということだ。
コメットちゃんに授乳して欲しいという気持ちを抱えていたところで、実際に彼女の可愛くてぷっくりした乳首を吸わなければ至って合法。
妄想罪では人を裁くことは出来ないのである(完全犯罪)。
脱衣場の鑑の前、椅子に座って気持ちよさそうにしているコメットちゃんの髪にドライヤーをかける。
温風を髪の毛全体に行き渡らすだけで思ったよりも随分時間が掛かるものだ。
本当にコメットちゃんの髪の毛は長くて渇かすのに一苦労してしまう。
その分、とっても綺麗でうっとりするくらいに艶やかだから、渇かす手間もまた愛しい時間だけどね。
というか実際のところ、これは私がやりたいからやらせて貰っているだけというか、本来コメットちゃんは改変能力で常に身体を清潔に保てるからお風呂に入る必要さえないのだけれど。
でもやっぱり、せっかくの綺麗な銀色の髪は人の手でお手入れした方がいいよね。
「今日は楽しかったねぇ、コメットちゃん」
ドライヤーの音にかき消されないよう、少し大きめの声で語りかける。
「はい、とても楽しかったのです。美歌子のおかげでとても綺麗なペンダントが作れたのですよ。大人数で食べる食事というのも、なかなか乙なものなのです」
アクセサリー作りに興じた後、有栖ちゃんと小夜ちゃんも一緒にうちで夕飯を食べてくことになった。
夏だし、それなりの人数がいるということで、今日の晩ご飯は楽しく手巻き寿司パーティをしようというのはお姉ちゃんの提案。
というかばっちり食材が準備されていたのは流石お姉ちゃんというところ。
「手巻き寿司でも美歌子の料理の上手さというものが発揮されていたのです。やっぱり美歌子はすごいのです」
手巻き寿司に料理スキルは関係なさそうだし、それぞれが自分の好きなように作るのだから下準備に技術はあまり必要とされないように思えるけど、実際のところ、手巻き寿司には必要不可欠なものが一つだけある。
それは、シャリだ。
ただご飯にお酢を混ぜるだけではない。
美味しいシャリを作るにはお塩やお砂糖などを絶妙な配分で入れ、さらにお酢の水分をきちんと飛ばさなければいけない。
これが案外、難しいのだ。
想像してみて欲しい。
もしも口に入れたお寿司のシャリがべっとりしていて、甘すぎたりしょっぱすぎたりしたら、どれだけ新鮮なお魚を使おうとも全てが台無しになるだろう。
結局の所、手巻き寿司も板前さんの握る寿司同様シャリが命であり、美味しいシャリが出来るかどうかで全てが決まってくるのだ。
その点、お姉ちゃんのシャリは最高だ。
爽やかな酸味、塩っ気、切れの良い舌触り。
お魚や具材を乗せなくてもそのままぱくぱくいけちゃいそうな、ただそれだけで美味しいシャリをお姉ちゃんは作ってくれた。
おそらく、普通の料理スキルとシャリを作る技術というのはまた少し違ったものだろう。
どんなに料理が上手い人でも、上手にシャリを作るのはなかなかの難しさがあるものだと思う。
本当、なんでも出来ちゃうお姉ちゃんにはただただ尊敬の念しか抱かない。
以前ではここで、私に対する変態行為がなければ最高のお姉ちゃんなのになぁ…とか思うところだったけど、最近は実際に変態行為が減ってきているから、ただただお姉ちゃんが人間を超えた神のような存在に思えてくる。
そんなお姉ちゃんが大好きだけど、私はそれが少し寂しかったりもする。
妹離れ出来ないお姉ちゃんを憂う気持ちを抱えている筈なのに、本当はもっと構って欲しい。
そう言う意味では、私の方がよっぽど姉離れ出来ていないのかもしれないね。
「コメットちゃんはお姉ちゃんのことが大好きだよね」
「はい。美歌子は尊敬に足る人物だと思うのですよ。優しくて、なんでもできて、料理が上手い。詩葉も見習うといいのです」
大好きなコメットちゃんが、大好きなお姉ちゃんを認めてくれていることをとても嬉しく思う。
その反面、私はコメットちゃんにきちんと認めて貰えているのかなぁという不安がちょっぴり浮かんできたりもするもので。
「うん、確かにその通りだよね。よく出来たお姉ちゃんがいると、妹は結構つらいものなのですよ」
「真似するんじゃないのですよ」
鏡越しにジッと睨み付けてくるコメットちゃんが可愛い。
「まぁ、詩葉は何もかも美歌子に負けてダメダメですが、優しさという点だけは誇って良いと思うのですよ」
「え?コメットちゃん、今、褒めてくれたの?」
「そうなのですよ。詩葉の優しさは私も評価しているのです。ありがたく思うのですよ」
鏡越しのコメットちゃんは、優しく私のことを見つめてくれている。
「詩葉がいつも周囲に向けている眼差しは温かくて心地良いものなのです。私からしてもそれはなんだか、良いなって思うのですよ」
「う…うれじぃ゛……」
普段からコメットちゃんは私の事を結構バカにしてるっていうか、基本的にダメダメだと思っている節がある。
自分自身その評価は真っ当なものだと思うし、それが嫌ということでもないんだけど、私の周りにいてくれている人たちの優秀っぷりに比べると自分のダメさ加減にちょっぴりへこんだりする時もあるのだ。
優しさなんていう価値基準は曖昧で、本来それを評価することは酷く難しいことのように思える。
『優しい人』という評価は大抵の場合、他に何も褒めるべき所がないから仕方なく口にするだけの方便なのだと、これまで私は考えてきた。
優しいと言われることを嫌に感じていた訳ではないけれど、それ以外の点であまり褒められたことのない私は、何も出来ないのだから、せめて優しい人と言われるくらいには害のない人間であり続けなければならないと、そんな風に思って生きてきた。
ある意味では、優しさという言葉そのものに、私はコンプレックスを抱いてきたのかもしれない。
だけど、コメットちゃんの口から発せられる優しさとは、私がこれまで感じてきたそれとは意味を違えるのだと思う。
コメットちゃんは私たちとは異なった存在であるからこそ、人を一番公平に評価出来る立場にいる。
これまで彼女と一緒にいて彼女が嘘偽りや世辞のない発言しかしないことはわかっているし、私に対する評価も、お姉ちゃんに対する評価も、そこにほんの少しの主観が入りつつもおおよそ公平で公正なものだと私は感じている。
私たちよりも高次の存在だからこそ、コメットちゃんは色眼鏡を掛けずに私たちを見ることが出来る。
そんな彼女に優しさを褒めて貰えたこと。
それは偏に、彼女に対する真心を受け入れて貰えたということに他ならない。
今こうして髪を梳かす指先に込めた愛情が、きちんと彼女に伝わっているのだということだ。
私は自分自身を褒めて貰えたこと以上に、コメットちゃんという特別な存在ときちんと心が通じ合っているのだという事実が嬉しい。
コメットちゃんが私たちを大切に思ってくれているだろうという私の勝手な思い込みが、思い込みではなく真実だったのだと、本当に彼女は私たちを愛すべき隣人として受け入れてくれているのだと、それを実感出来たことが何よりも嬉しい。
嬉しくて嬉しくて、自然と涙が溢れてくる。
「ちょ、詩葉、なんで泣くのですか!?情緒不安定なのですよ!」
「だって、嬉しくて…」
次から次へと、ぽろぽろと涙が零れる。
止めたくても、止められない。
でもきっと、止められても、止めないだろう。
嬉しい涙は綺麗な涙だから、私の心の不安を洗い流してくれる。
「せっかく渇かしたのに髪が濡れるのですよ」
「ごめんねぇ。またすぐ渇かすから」
そういう間にもどんどん涙が零れて、綺麗な髪の毛に浸透していく。
それを穏やかな表情で受け止めてくれている彼女の表情が温かくてまた涙が溢れてくる。
「本当に詩葉は仕方が無い詩葉なのです。まぁ、そんな詩葉だからみんな詩葉のことが好きなんですけどね」
「それって、コメットちゃんも私のことが好きっていうこと?」
「当然なのです。言わせんななのですよ」
「私もコメットちゃんが大好きだよぉぉぉ!」
「みぎゃぁ!抱き付くんじゃねぇのです!」
私のせいでコメットちゃんの髪の毛はまたびしゃびしゃになっちゃったけど、それを渇かす間にまたお話が出来るって考えたらむしろ私の涙腺ナイスだぜと思わないこともないのである。
それだけ一緒にいられるってことだもんね。
髪を乾かす時間は、私がコメットちゃんを独り占め出来る大切な時間。
そんな日常の一場面が、とても心地良く感じるのでした、まるっ。
…って締めたいところだけど、自分のやったことは自分で後片付けしなくちゃいけないので、ドライヤーの時間はもう少しだけ続くのだった。
「今日ね、千佳ちゃんにお話を聞いたの」
「ああ、あのUFO少女ですか…」
コメットちゃんはちょっぴりげんなりした表情をしている。
というのも当然、それには理由があって。
「あのUFO少女は出会い頭でいっつも抱き付いてくるのでうっとうしいのですよ。私の方が小さいからっていい気になって、ぎゅうぎゅう抱き付かれる身にもなるのです」
千佳ちゃんもなかなかに小さいけど、私のコメットちゃんはさらに小さい。
自分よりも小さい子がいて嬉しいのか、千佳ちゃんはよくコメットちゃんに抱き付いている。
私は小さいもの同士いちゃいちゃしている姿を見るととっても心がきゅんきゅんするものだけど、抱き付かれる側のコメットちゃんとしては堪ったものじゃないだろう。
というかコメットちゃん、私や千佳ちゃんにたくさん抱き付かれて大変だなぁ。
もう七月ということで近頃は暑くてじめじめしてる日も多いし、抱き付く側はよくても抱き付かれる側はきっとすごく暑苦しいよね。
まぁ、その苦労がわかってても大好きだから抱き付くのはやめないけどね。
「最近ね、人がいなくなってるかもしれないんだって。誰がいなくなってるのかはわからないけど、何故だか大切な人がいなくなったような気がする…っていう人がたくさんいるらしいの」
「人がいなくなっている、ですか。それは、確かな情報なのですか?」
「ごめんね、あんまりよくわからない。というか、誰がいなくなっているのかわからないらしいのが一番の問題みたいで。千佳ちゃんはそれをUFOの仕業かもしれないって言ってたけど」
「うーむ、なかなかに信憑性に欠ける情報なのです。誰かがいなくなった気がすると言っても、そもそも誰かがいなくなっているという証拠がなければそれはただの妄想に過ぎないのですよ」
確かにコメットちゃんの言う通り、どんなに人がいなくなったと、大切な誰かがいないのだと叫んだところで、そのいなくなった誰かが存在した事実を証明出来ない限りそれはただの妄言に過ぎない。
誰だかわからないけれど、誰かがいなくなった気がするだなんて、あまりにも曖昧で到底信頼することの出来ないような情報だ。
「けどね、千佳ちゃんのおじいちゃんは実際にいなくなっちゃったんだって。今この街で何かが起こっているかもしれないっていうのは事実だと思う」
誰かがいなくなった気がする…というものとの関係があるのかどうかはわからないけれど、千佳ちゃんのおじいちゃんがいなくなってしまったことは紛れもない事実らしい。
その理由がなんであれ、ひょっとしたら彗星による改変が起こっているかもしれないという可能性は否定出来ないだろう。
「私が近頃この辺りで調べている限りでは、なにか大規模な改変が起こっているような様子やその前兆は見受けられないのです。もし実際に人がいなくなっていて、その事実までもが記憶から消されるような改変が起こっているのならば、私が気付かない筈がないのですよ」
大規模な改変が起こっている様子やその前兆はない。
コメットちゃんがそう言うのであれば、きっとそれは間違いないのだろう。
彼女は伊達に観測者やら調停者やらを自称しているわけではなく、きちんとこの世界の綻びを見つけ出してくれている。
この間も彼女は、世界中の犬が全て猫になるという改変や、右に曲がると左に曲がってしまうという異変、木からギターが生えるという事変などをたちまちに解決してくれた。
「そしたら本当に、UFOの仕業ってことかなぁ」
千佳ちゃんのおじいちゃんがいなくなったことも、誰だか分からない誰かの大切な誰かがいなくなったことも、千佳ちゃんの言う通りUFOの仕業で、私たちの街はたった今エイリアンアブダクションの被害に遭っているということだろうか。
そんなまさかとは思うけれど、千佳ちゃんの想いを尊重する以上それを鼻で笑って頭ごなしに否定することはしたくない。
もしそこにほんの少しでも可能性があるのなら、きちんと確かめて見るべきだと私は思うのだ。
「ねえコメットちゃん、UFOや宇宙人って本当にいるのかな?」
この世界とは違う何処か遠くの世界には、漫画や小説などの物語に出てくるような怪異たちが実在するということは以前コメットちゃんから聞いた。
私自身、吸血鬼になってしまった小夜ちゃんに遭遇して自分自身も吸血鬼になった経験があるくらいだし、有栖ちゃんの精神世界では身の毛もよだつような怪物や、クララちゃんという不思議な少女に出会ったりもした。
私たちの世界のすぐ隣に不思議が溢れていることを私はそれらの経験からよく知っている。
そもそも今目の前にいるコメットちゃん自体が初めて出会った非日常であるのだし、それを疑うまでもない。
というのであれば、ひょっとしたらこの世界でないにしても、別の世界にはUFOや宇宙人などの類いやその概念が実在するのではないだろうか。
なんらかの影響でそれらの存在がこの世界に現れるということだってあり得るのではないか。
「詩葉は何を馬鹿なことを言ってるのですか」
コメットちゃんは呆れ顔で言う。
彼女の様子を見るに、きっと幾ら何でもUFOや宇宙人などは存在しないということだろう。
確かに、物語の中に出てくる怪異のような生物たちは、私たちとは違う進化を辿った生き物として実在することに疑問を多く感じたりはしないけれど、UFOや宇宙人は全く私たちとその起源を違える別の生命が発生するという極めて低い可能性の上でしか成り立たない存在なわけで、数多の可能性を孕んだ平行世界でもそれらは生まれ得ないのかもしれない。
「そうだよね。流石にいないよね。ちょっぴり悲しいや」
UFOのことをひたむきに追い求める千佳ちゃんのことを考えると、世界というのは時に残酷なものなのだなぁと思わされる。
純粋な気持ちでUFOにひと目会いたいと願う少女の笑顔が浮かんでずきずきと胸が痛むけれど、逆に言えば存在しないものだからこそよりその価値というのは高まるのかもしれない。
「だから何を馬鹿なことを言ってるのですか。いるに決まってるのですよ。UFOや宇宙人がいないわけがないのです」
一瞬自分の耳を疑ってしまうくらいにあっさりと、コメットちゃんはそれらの実在を認めた。
「えぇ!?いるの!?UFOや宇宙人、この世界に実在するの!?」
「当然なのです。そもそも考えてみるのです。詩葉たちだって歴とした宇宙人なのですよ。どうしてこの宇宙に存在する知的生命体が自分たちしかいないと思えるのですか?」
この世界に存在する知的生命体が私たちしかいない筈がないとは、千佳ちゃんも似たようなことを言っていたけれど、それをコメットちゃんが言うと説得力がある。
「何を馬鹿なことを言っている」とは、ありもしない存在について語る私に対しての嘲弄ではなく、UFOや宇宙人などがいるのは当たり前だという意味だったらしい。
「じゃあさ、千佳ちゃんが言っていたような誰かがいなくなっているっていう件については、本当に宇宙人が関係しているかもしれないってこと?」
「いいえ。その可能性についてはほぼ無いと言って差し支えないのです。悪いエイリアンが人を攫って人体実験をしているだなんて、そんな古くさい三流SFのような事件が起きる訳がないのですよ」
「どうして?UFOや宇宙人がいるっていうのなら、そう言う存在が私たちに危害を加えようとしてもおかしくないんじゃない?」
それこそコメットちゃんの言うように一昔前のSF映画みたいな話のようだけれど、それらの可能性を全て否定出来るとは思えない。
これだけ広い宇宙だ、他の星を征服して自らの植民地にしてしまおうという考えを持った宇宙人がいてもおかしくはない。
「大前提として、この無限とも言える程に広がる宇宙空間を、三次元の存在が自由に移動しようというのはとてつもなく難しいのだということはわかりますね?」
「うん、なんとなく。光速を超えられないくらいの技術力じゃ、すっごく時間がかかるんだろうなっていうのはわかるよ」
「その通りです。あまりにも広大な距離を移動しようと思えば、光速程度でも到底足りないのです。何万光年だとか、何億光年だとかの距離を移動するのはその言葉の通り、光速でも何万年、何億年かかるという意味なのです」
コメットちゃんは一言一言かみ砕くように丁寧に教えてくれる。
「やっとこさ宇宙に進出する技術を得ても太陽系を抜け出すことも容易にはできない。それでは悲しいことに別の銀河系に存在する宇宙人に会いに行くことは不可能なのです。それならどうすればいいか」
「どうすればいいの?」
「時空間をねじ曲げる。所謂、ワームホールみたいなやつです。詩葉の大好きなドラえもんでも、似たような理論が扱われている筈なのです」
「うん、宇宙開拓史だよね!」
私の大好きなドラえもん映画でも、確かにそんな理論を度々扱うことがある。
あの映画では、紙に書いた点と点を移動する為には、点と点同士をくっつけちゃえばいいという話をしていた。
ロップルくんやコメットちゃんはそれを簡単に言うけれど、それこそ光速がどうのこうのとかいうよりも時空間をねじ曲げるなんていうのはずっと難しい問題なのではないだろうか。
「詩葉には詳しく説明しても理解出来ないと思うので掻い摘まんで話しますが、本来この世界は常に揺らいでいて、波だったり粒子の形をして数多の状態を同時に満たしているものなのです。時空間をねじ曲げるというのは、その状態を意図的に操ることで本来離れた二点の距離を重ねてしまおうという試みなのですが、当然それを扱えるようになるには、詩葉たちの暮らしているこの時代の科学からすれば遥かに高度な理論を必要とします」
コメットちゃんは易しい説明をしてくれているようだったけど、私の理解力は既に限界を迎えようとしている。
ドラえもんに教えて貰った好奇心だけじゃ難しい話には太刀打ちできないよ。
「その様子だと詩葉は既に付いて来られていないみたいですが、まあ結局の所、詩葉の理解を遥かに超えた範疇の科学力がなければ宇宙空間の移動は不可能だということなのです」
それはつまり、この宇宙には何処か遠い場所にUFOや宇宙人は確かに存在しているけど、私たちに会いに来ることは難しすぎてまだ出来ないということを意味しているのかもしれない。
「コメットちゃんが言いたいのは、そんなすごい技術を持っているような宇宙人はまだ存在しないっていうことかな?」
だから、千佳ちゃんのいうような事件をそれらの存在が引き起こせるわけがないと、そういうことだろうか。
「いいえ、違うのです。今日の詩葉は理解力が低いのですよ。こういう時に有栖だったら物分かりがよくて楽なのです。本当、詩葉はダメダメなのです」
「そりゃあ、有栖ちゃんと比べられちゃ私も困るよ~!」
有栖ちゃんの理解力とか知識欲みたいなものは普通の女子高生のレベルは遥かに超えている。
そもそも私なんて比べるまでもないのだ。
自分で言っててちょっと悲しいけど。
「例えばです。この地球上には核兵器というものが存在していますが、核戦争が起こらないのは何故ですか?」
「それは、損失が遥かに利益を上回るからじゃない?核戦争なんて起こったら、それこそ地球は火の海だし戦争に勝つとか勝たないとか以前の話だよ」
たとえ核戦争の後に勝利を手にしたところで、勝ち取ったものが焼け野原と死体の山ではなんの価値もないだろう。
「まぁ、稚拙ではありますが大筋間違っていないのです。結局、優れた技術というのは危険が隣り合わせに存在しています。核兵器程度でも人類滅亡の危機がすぐそこにあるというのなら、時空間に纏わる技術を手にすれば、世界そのものが滅亡するようなリスクが生まれるのも当然な話なのですよ。その技術が今この世界に存在するとしたら、何故世界は今この時も続いているのか。答えは簡単です。高度な技術を手に入れる為には、知性と理性が必要不可欠だからなのです。高度な進化を遂げた存在はそれだけ高度な知性と理性を獲得しなければならないということ」
高度な知性がなければ高度な技術は得られず、高度な理性がなければそれを安全に扱うことが出来ない。
もし私たちが理性に欠いた判断をしてしまえば、地上は余すことなく放射能に包まれ、私たちはいとも簡単に滅んでしまうことだろう。
「つまり、コメットちゃんが言いたいのはこういうこと?時空間をねじ曲げる技術を手に入れられるくらいに高度な発展をした生命は、他者を害するような選択を取らないだけの理性があると」
「その通りなのですよ。別の星に出向いて人体実験をしたりだとか奴隷を手に入れたりだとかいう発想に至るような宇宙人ならば、とっくに自分たちで殺し合って滅んでいるということです」
にっこり笑顔でコメットちゃんはそう言う。
「高度な発展を遂げた生命は、和を乱すことを良しとしません。仮になんらかの意見や価値観の相違、はたまた存在としての隔たりがあったとて、それを受け入れるだけの度量があるということです。ちょうど理解力が低くてどうしようもない詩葉に優しく教えを説く私のように、なのです」
そうやって冗談めかして胸を張るコメットちゃんが私たちを大切に思ってくれているのも、ひょっとしたら、そういうことなのかもしれない。
「愛がなきゃ、進歩はできないんだね」
きっとコメットちゃんたちみたいに高次元な存在になるには、他人を心の底から思いやるだけの愛情がなければいけないのだろう。
周囲の出来事を蔑ろにして自らの殻に閉じこもってしまえば誰も成長することが出来ないように。
「詩葉は何を気持ち悪いことを言ってるのですか」
割と真剣にどん引きした感じの表情で見つめられると流石に恥ずかしくなるもので。
「良いこと言ったシーンなんだから水を差さないでよ!」
私はコメットちゃんの後頭部におもむろに顔を埋めるのだった。
お揃いのシャンプーの香り。
とっても良い匂い。
そこにちょっぴり混じる、コメットちゃんそのものの甘い香りがとても心地良い。
「顔埋めるんじゃないのです」
表情は見えないけれど、それが決して嫌がってるような声には聞こえないかったから、私はもう暫くの間その安心する匂いを堪能するのだった。
コメットちゃんの話を聞くに、結局の所、千佳ちゃんが言うようなエイリアンアブダクションは起こっていないのだろう。
だとしたら、どうして人々は誰かを失った喪失感を胸に抱くのか。
その理由はわからなかったけれど、私は今目の前にある幸せな風景がずっと続いていけばいいのにと思う。
有栖ちゃん、お姉ちゃん、コメットちゃん、小夜ちゃん。
私の大切な人たちが、これからもずっと傍にいてくれることを、私はただ願う。




