3 帰宅してすぐに半裸になるという乙女としてあるまじき蛮行
初夏とは言え、気温は既に夏真っ盛りとも言える温度に達している。
大半の時間をクーラーが効いた学校の教室で過ごしているとは言え、一日過ごせば女の子とてキャミソールのワキはべっちゃり、おまたはムレムレなのだ。
何人も、高温多湿な日本の夏には勝てない。
ただ生きているだけで、信じられないくらい汗が出る。
それは生き物として当たり前のことだし、寧ろ私は自らの新陳代謝が正常に働いていることを嬉しく思うくらいだ。
けれども当然の事、汗をかいた制服というのは、芳しい香りがするものだ。
下着がべったりと肌に張り付いて、気持ち悪さがずっと全身を支配したりもする。
そんな状態でい続けることはまっぴらごめんだし、湿った衣服じゃあスムーズに汗の蒸散が行われなかったりして体温が籠もったままになって下手したら熱中症にもなりかねない。
汗臭い女子高生なんて、そりゃあ一部の変態さんたちには需要があるかもしれないけれど、基本的にはどんなに可愛くたってお断りだろう。
私としては、有栖ちゃんのムレムレの脇の下で握ったおにぎりを食べたいなぁだとか、有栖ちゃんが一日履いたニーハイソックスで煎れた紅茶が飲みたいなぁだとか、出来ることなら有栖ちゃんのかいた汗を毎日少しずつ採取して冷凍保存したいなぁだとか、そんな風にイケナイ妄想を度々繰り広げたりもするけれど、現実問題、人間だって動物なのだから強烈な臭気を前にしてしまえば物怖じするというもの。
そんな訳で、私が帰宅して一番始めにすることは制服を脱ぐことだ。
玄関をスタート地点として、はじめに湿ったサマーベストを脱ぎ、豪快に投げ捨てる。
続いて歩きながらスカートを脱いでいくのだが、うちの学校のスカートは結構ハイウェストなので、ここをクリアしなければスムーズに裸になることは出来ない。
重力に任せてスカートを足下まで落としたら(ベストと一緒にお姉ちゃんがあとで拾ってくれるよ)、Yシャツのボタンを外しつつ、脱衣所に向けて華麗にターン。
ダイナミックにシャツとキャミソールを一緒に脱ぎ、そのまま洗濯かごにシュート。
NBAの選手も真っ青なダンクが華麗に決まり、ゲームセットだ。
そしてその後は下着姿で自室に向かうのがいつものルーティーンなのだが、今日は特に暑かったので、ブラの下にはちょっぴり汗が溜まっている。
べたべたして気持ち悪いし、汗疹なんか出来たらいつか有栖ちゃんに初めてを捧げる時に恥ずかしい。
やっぱり大切な人の為に綺麗な身体でいたいもんね、ひと思いにブラも取っちゃえ。
どうせ見ているのは有栖ちゃんにお姉ちゃん、それにソファーでごろ寝でもしてるコメットちゃんくらいのものだろう。
彼女たちだって私の裸は見慣れているだろうし、今さら見られて恥ずかしいことはない。
って、あれ?
よく考えたら私、有栖ちゃんに日常的に裸を見られてる気がするけど、なんかこれって結婚三年目のマンネリ夫婦って感じじゃない?
有栖ちゃんに飽きられない為にももう少し出し惜しみした方がいいのかなぁ。
まぁ別に、有栖ちゃんとえっちなことがしたいから付き合い始めた訳でもないし、まだ有栖ちゃんに見せてない部分もあるから平気だよね。
自分でいうのもアレだけど、私のって結構ピンクで綺麗だと思うからきっと有栖ちゃんも気に入ってくれると思うんだよね。
何とはいってないけどね。
…だとか、下品なことを考えてるような女の子にはバチが当たるもので。
「あ…詩葉さん…お邪魔、してます…」
リビングを通り抜けようとした矢先、本来いる筈のない人物がそこにはいた。
気まずそうに私から少し視線を外しながら、はにかんで可愛く微笑む女の子がちょこんと我が家の椅子に座っていた。
「小夜ちゃん?いらっしゃい…」
私だって一応、分別は付いている。
有栖ちゃんやお姉ちゃん、一緒に暮らしていて家族同然のコメットちゃんの前で裸を晒すのは今さら躊躇しないけれど、流石にそれ以外の人の前でぽんぽん脱ぐような変態痴女では当然無い。
ましてや、うちにお客さんが来るということがわかっていれば帰宅してすぐに半裸になるという乙女としてあるまじき蛮行に出る筈もないし、たとえそれは心を許している小夜ちゃん相手であっても一緒だ。
断じて言おう、わざとじゃない。
わざとじゃないのだ。
私自身、人に裸を見られてその背徳感にちょっぴり興奮しちゃうタイプの下卑た性癖を持っているらしいということはなんとなく自覚しているけど、これは決してわざとではないのだ。
ぐるぐると思考は周りながらも、現実感のない呆然とした頭で、前を隠すことも忘れてただ私は尋ねる。
「あれ?今日、小夜ちゃん、うちに来ることになってたっけ?」
今日の学校終わり、小夜ちゃん、お姉ちゃん、コメットちゃんたちは、有栖ちゃんを待つ私より一足先に帰った。
一緒に帰る三人の姿を見送ったまでは良く覚えているけど、確かその時は、うちに小夜ちゃんが来るなんていう話にはなっていなかった筈だ。
小夜ちゃんがうちにくるということを知っていたのならば勿論、私はお客さんの前で半裸になるなどという、こんな醜態を晒す訳も無いのだ。
だけど現実問題、小夜ちゃんは何故だかうちのリビングにいる。
少し大きめの食卓机の前について、彼女はなにやら作業をしていた様子だ。
「美歌子さまが、誘ってくれたから…突然だけど、お呼ばれすることにしたの」
机の上に並べられた小物類を見るに、きっとお姉ちゃんたちと一緒にアクセサリー作りでもしていたのだろう。
なるほど、なんとなく状況が掴めてきた。
「そっかぁ、お姉ちゃんが誘ったんだね。そういえば小夜ちゃんがうちに来るの、初めてだよね?」
至って冷静を装っているが、心臓は荒ぶって全身から冷や汗が吹き出している。
このままあたかも裸であることが当たり前な風を醸し出せば小夜ちゃんも誤魔化されてくれたりしないかな。
「そうだね。とっても綺麗で…素敵なおうち…だね」
こんな時に限って、クーラーがばっちり効いてるから、肌寒さで少し乳首が勃ってしまう。
なんだろう、ほんと、裸体を見せつけて興奮してるタイプの変態に思われてないか、戦々恐々としてしまうよね。
「いつもお姉ちゃんが綺麗にお掃除してくれるからね。小物の趣味とかも基本的にお姉ちゃんのものだし」
「へぇ…そうなんだ。流石、美歌子さま…だね」
しばらくの沈黙。
お互いがお互いの顔色を窺い、何かを口にすることも憚られるような静寂がその場を支配する。
どうしよう、このまま自然に自分の部屋に戻ってしまえば全てはなかったことになるかな。
小夜ちゃんに突っ込まれる前に服を着てしまえば、証拠隠滅(?)出来るのではないか。
はじめから服を着ていたということにして、その後小夜ちゃんが何を思っても私が裸だったのは見間違いだということにしてしまえば或いは……。
と、そんなバカらしい思惑が現実の物になる訳もなく、痛い程の静寂を小夜ちゃんが恐る恐る打ち破る。
「あの、ね…言いにくいんだけど、どうして詩葉さん…裸なの?」
「うひゃぁぁぁんっ」
ついに発せられた小夜ちゃんの言葉に、絶賛おっぴろげ中のおっぱいを慌てて隠すも、時既に遅し。(というか最初から隠せばよかったのではないか)
彼女は大切なお友達なのだし、別に見られるのが嫌って言う訳じゃないんだけど、あまりに想定外だったし、彼女にはこれまでこういう恥ずかしい姿は基本的に見せてこなかったと思うのでやっぱりどうしても吃驚しちゃったっていうか、人に見せつける程自慢の身体をしてる訳でもないし、なんならおっぱいなんて全然小さくてむしろ見てる人の方が残念に思っちゃうくらいのもので、結構スタイルよさげな小夜ちゃんからしたら見慣れてる自分の身体と随分違うだろうから私の身体なんて貧相に見えるんだろうな、あ、でもお尻だけはちょっぴり自信があったりもするんだけど、ばっちりぱんつも脱いでお尻を見せつければプラマイゼロにならないかなぁなんて、え?なに考えてるの私、気が動転してるとかいうレベルじゃないんだけど、というかこの状態完全に痴女だよね、小夜ちゃんからしたらとんだ変態が突然現れてやんごとなき状態だよね、人様の前で半裸になってほんと、状況が状況ならば警察呼ばれるくらいのものだよね、どうして一回冷静を装ったりしちゃったんだろう、小夜ちゃんとは何だかんだそれなりに良い関係を築いてきたのにこれで本当に変態だと思われてどん引きされたらどうしよう、明日から小夜ちゃんとの関係がぎこちなくなっちゃったらどうしようなにしてんだろほんとうわうわうわ~~~~!
…圧倒的な羞恥心が全身を満たし、私はわなわなとその場に蹲る。
「詩葉は本当におバカなのです」
ソファーでごろ寝…ではなく、行儀良く小夜ちゃんの向かい側の椅子に座っているコメットちゃんに言われて、私の羞恥心は更に加速する。
小夜ちゃんに裸見られたせいでコメットちゃんがいたの全然気付かなかったよ。
どんだけ余裕なかったんだ私。
「ほんと、詩葉はバカね」
「まぁ、それがうたちゃんの可愛いところだけどね」
遅れてやって来た有栖ちゃんやお姉ちゃんにまでばっちりこの状況を見られ、なんだかもういっそのこと殺してくれという気分になる。
「詩葉さん…ごめんね。私…このこと、記憶から抹消するから…」
小夜ちゃんの優しさでただただ胸が痛い。
「ううん、大丈夫、大丈夫だから。むしろ小夜ちゃんは私の裸の記憶を大切に胸の奥にしまっておいて…がくっ」
「わかった…私、忘れないよ。詩葉さん…貴女がいたことを…」
そして私は小夜ちゃんの記憶の中で生き続けることになったのだ。
裸を見られて恥ずか死した、憐れな女子高生として。
うぃしゃぽなすた!第三部…完
……と、こんなところで私の物語が終わる訳もないもので、恥ずかしい記憶を携えながらも、日常は続いていくのだ。
失敗を繰り返すことこそが人生。
その度に私たちは、強くなれるんだよね。
どうかそうだと言って。
そんなこんなで、私は心に大きな傷を負いながらも、部屋着に着替えることに成功した。
いや、どっちかといえば盛大に失敗した感じなんだけど。
いつもは襟元だるだるの大きなTシャツでノーブラ、下は中学校の時に使っていた体操服のハーフパンツなんだけど、流石に小夜ちゃんがいる手前、そこまで気の抜けた格好をする訳にもいかない。
今日はちょっぴり気合いを入れて、ペールトーンの開襟シャツにやわらか素材のキュロットを合わせて、部屋着でも私、気を抜きませんけど?みたいな感じのコーディネートに仕上げてみた。
「詩葉さん…その部屋着、可愛いね。いつも…そんな感じ…なの?」
先ほどの気まずい雰囲気を打ち消す為にか、小夜ちゃんは積極的に私の格好を褒めてくれる。
「ありがと。だいたいいつもこんな感じかな。気の抜けた格好だから恥ずかしいんだけど、そう言ってもらえると嬉しいよ~」
平然と嘘を付き、さも普段からこういう格好をしているかのように振る舞ってみる。
場面場面で女子力アピールしておくのは女の子の嗜みというものだろう。
私ってば小悪魔女子である。
まぁ、ばっちり醜態を晒した後に今さら点数稼ぎしたところでなにも変わらないような気はするけどね。
「小夜先輩、騙されないで。詩葉ってば、いつもはこんな格好しないんだから。いつもはもっとだらしな…」
「うわぁあ~あ~~~!有栖ちゃんってば何言ってるのかな~~~」
私の女子力の低さを暴露しようとする有栖ちゃんの口を慌てて両手で塞ぐ。
後ろから羽交い締めにして、もがもがとそれ以上何かを言うことを許さない。
卑劣な行為には断固として立ち向かわなければならぬのだ。
「もがっ…詩葉…離しな…もがぁっ!」
私の腕の中で有栖ちゃんは必死に藻掻いている。
いつもなら力の差とかそもそもの体格差とかで私が適う筈はないんだけど、今回は彼女の後ろを取っているからまた状況が違う。
人間、後ろから羽交い締めにされれば結構弱いものなのだ。
余計なこと言われる訳にはいかないからね、私も負けられない。
とかいって実際のところ、私自身スキンシップがしたいだけなのかなぁなんて思わないこともないけれど。
「ちょっと待って、有栖ちゃん、何してるのおっ?」
彼女の口を塞いでいる手からこそばゆい感覚を感じる。
まるで、ワンちゃんと戯れている時のような、身体の芯を震わす甘い快感。
おそらく誰しも経験したことがあるだろう、指の間にぺろぺろと侵入してくる、あの身悶えするむず痒さ。
もどかしくて、だけれどそれが気持ちが良い、なんとも言えない掻痒感。
そう、私は有栖ちゃんに手を舐められているのだ。
「ちょっとだめ、有栖ちゃん!くすぐったい!くすぐったいよぉ!」
普段は見せないような彼女の行動に面食らいながらも、抗えない気持ちよさにちょっぴり興奮したりして。
そういう間にも有栖ちゃんは指の間を猛烈に舐めしゃぶる。
気持ちいいんだけどくすぐったくてなんだか切なくて。
我慢の出来ない感覚に私もとうとう耐えきれなくなり、有栖ちゃんへの戒めをほどいてしまう。
「ふふふ、どう詩葉?これは結構効いたでしょう?指の間を舐められるなんて、そう簡単に耐えられる訳ないしね!」
有栖ちゃんは自分の策略が功を奏したことに得意顔でそう言ってるけれど、重大な過ちを犯していたことに気付いていない。
確かに私の手を舐めて、耐えられないくすぐったさを与えることで拘束から抜け出すというのは、彼女にしか出来ない奇をてらった作戦であったことは間違いない。
だがしかし、それは諸刃の剣だ。
私の手を舐めること、それ即ち、私の手に彼女の貴重な唾液を徒に塗りたくったということに他ならない。
「自ら墓穴を掘ったことに気付いていないようだね、有栖ちゃん?」
「なに?どういうこと…まさか…!」
「そう、そのまさかだよ。でも、今さら気付いても遅いよ有栖ちゃん、よ~く見てて、ね?」
私は見せつけるように両手を掲げ、付着した有栖ちゃんの唾液を舌で舐め取る。
唾液とは言え、当然ながらそれは無味無臭の液体に過ぎないけれど、有栖ちゃんのものだという特別感から何にも勝る甘美な味わいがする。
指に付いた唾液を残さず吸い取るように、人差し指から一本一本順番にしゃぶっていく。
ちゅぱちゅぱと音を立て、有栖ちゃんに自らの犯した愚かな過ちの罰を与えるように、いやらしく、官能的に唾液を堪能する。
「ん…ちゅぱっ…有栖ちゃん、ねぇどんな気持ち?敵にわざわざ塩を送るのって、どんな気持ち?」
私の言葉を受け、有栖ちゃんの顔色は見る見る間に真っ青になっていく。
さあ、自らの過ちに震えて眠るがいい!
「き…」
「き?何、有栖ちゃん?良く聞こえるようにいってみてよ」
「気持ち悪い」
それは、付き合っている彼女に対する愛情だとか、幼馴染みに対する親愛だとか、そういうものが一切籠もっていない純粋な侮蔑の言葉だった。
ただひたすらに、おぞましいものを睨めつけるように、切れ長の瞳が軽蔑の色彩でもって私を射貫く。
「ねぇ詩葉。前々から思ってたけど、私、詩葉のそういうところ真剣に直した方がいいって思うわ。今はまだ女子高生だし、世間で言う子供の範疇におさまっていられるから可愛いで済むかもしれないけれど、そのまま成長して大人になったら誰からも疎まれるような人間になってしまうと思うの。人って思ったよりずっと無関心よ。そして思ったより優しくもない。詩葉の欠点に気付いても、ただ何も言わず、詩葉の前から去って行くだけ。このままだったら詩葉、一人になっちゃうかもしれないわよ?」
少し悲しそうで真剣な表情で、有栖ちゃんは私を真っ直ぐに見つめている。
ぐうの音も出ない正論に、一切の反論が出てこない。
有栖ちゃんの言うように、私の抱える一種の変態性というのは、他人から疎まれるような性質を持っているかもしれない。
私は冗談のつもりでも、それを受け止める側にとっては嫌な感覚を抱くものだろう。
私だってそういう行為に及ぶのは信頼を置いている人たちだけに絞っているとはいえ、改めて考えれば、私はそんな人たちの信頼を大きく損なうことをしているのかもしれない。
そう考えると、悲しくなって涙さえ出そうになる。
「ごめんね有栖ちゃん…嫌いにならないで…」
もし大好きな有栖ちゃんが離れていってしまったら、きっと私はもう生きていけない。
「私、有栖ちゃんがいなきゃダメだから…嫌なところは全部直すから、見捨てないで…」
ああ、私はなんて愚かなんだろう。
大好きな有栖ちゃんに嫌な思いをさせて、あんなに悲しそうな顔を…ってあれ?
有栖ちゃんめちゃくちゃ笑ってるんだけど。
「冗談よ、詩葉」
「冗談?」
あの冷たい瞳も、悲しそうな表情も、全部冗談?
「まったく、詩葉ってばす~ぐ真に受けるんだから」
「ちょっと有栖ちゃん!私のごめんねを返してよお!」
まじめに自分を見つめ直す機会なのかもしれないなぁとか考えて、ちょっぴり泣きそうにまでなったのに。
「気持ち悪いことするからいけないのよ。というか、元はと言えば小夜先輩に見栄を張る詩葉が悪いんじゃない」
「確かにそうだけど!もう、有栖ちゃんの意地悪!」
冗談でよかったという安心感と、まんまと騙されたことへの憤りで感情がぐちゃぐちゃだ。
別に怒ってないけど、すぐに仲直りするのもアレなのでしばらくぷんすこしておこう。
「私は絶対に詩葉の事を嫌いになったりしないし、見捨てたりもしないから安心しなさいな。ほら、機嫌直して?」
私の感情を察知したのか、すぐに有栖ちゃんは優しく笑いかけてくれる。
改めて彼女は大人だなぁと思う反面、年上の私の方がずっと子供なことにちょっぴり引け目を感じたりもして。
全く私という人間は有栖ちゃんの手の平の上で踊らされる悲しいマリオネットに過ぎないなぁなんて実感しつつも、私だって彼女の事をからかう時もあるんだからお互い様なのかもと思ったり。
「くすくす、詩葉さんも…有栖さんも…本当に仲がいいね」
私たちの様子を見ていた小夜ちゃんが、優しく微笑んでくれる。
その表情は本当に楽しそうで、こんなやり取りで喜んでくれるのなら、私の尊厳がどれだけ辱められても構わない気持ちになる。
「私たち、相思相愛だしね。ね、有栖ちゃん?」
「ま、まぁ、そうね」
有栖ちゃんは恥ずかしそうに言うけれど、素直に認めてくれるのが嬉しい。
「有栖さん…顔真っ赤だよ?」
「りんごみたい。食べちゃおうかなぁ」
「うがぁっ!もう、二人ともうるさいわよ~!」
そんな風にまた下らないやりとりをして、私たちは笑い合うのだった。
小夜ちゃんは本当によく笑うようになった。
以前からあまり感情表現が上手ではなかった彼女は、楽しい時も、悲しい時も、その気持ちを表情に出すということあまりしない子だった。
心の中ではきっと以前から、たくさんの感情が渦巻いていたことだろう。
たくさんの事を考えすぎるからこそ、彼女は人付き合いが上手く出来なかったのだと思うし、その感情は人よりもずっと繊細に揺れ動いていたのだと思う。
ちょっとした人間関係の拗れなど、ほんの少しのことで傷付く心とはすなわち、周囲の状況を機敏に察知し、必要以上に共感してしまう心なのだ。
人々の一挙手一投足を見逃さずに観察し続けるということ。
それは逆を返せば、ほんの小さな幸せを大きな幸せに捉えられる素敵な個性だとも言える。
だからこそ、小夜ちゃんが一度笑い方を覚えれば、人とのコミュニケーションの楽しみを覚えれば、そこからの変化はめざましいものだった。
びくびくと自己主張の出来なかった彼女も、少しずつ自分の感情を言葉に表せるようになた。
周囲を落ち着きなく見渡していた視線は、不器用ながらもしっかりとこちらを捉えられるようになった。
目尻は優しく、唇は花開くように、頬は仄かに朱色を増して、その表情はどんどん柔らかくなっていき、私たちの輪の中にいる時の小夜ちゃんは、微笑みを絶やさない女の子になった。
彼女はいつの間にか、些細なことで楽しげに笑い素直に喜びを表現する、とっても魅力的で、温かな雰囲気を纏わせる素敵な女の子に変貌を遂げていた。
確かにそこにあるのに、手を伸ばしても決して届くことのない、月のような存在。
以前の彼女を表すのなら、そんな風に形容するのが相応しかったように思える。
凜とした銀色の輝きはとても美しく夜空に映え、いつの時も一人ぼっちで佇んでいた。
だがしかし、夜の月を見上げた時に受ける印象というのは、日毎に変化していく。
細長く怜悧な三日月の時もあれば、にこりと笑う半月の時もある。
月齢に応じて月の姿は変容して、その時々の美しさを見せてくれるものだ。
今の小夜ちゃんは満月。
夜空に煌々と輝いて、優しく世界を照らしてくれる。
太陽みたいな力強さはないけれど、物言わず、ただそこで微笑んでくれる。
星々の動きは季節によって変わる。
時には火星や木星、金星なんかの一際明るい輝きが月のすぐ隣に寄り添って見えることがあるものだ。
私たちは、月に比べたら小さな瞬きでしかないけど、今確かに彼女の傍にいられる。
不器用に微笑む小夜ちゃんと一緒に毎日を過ごせること。
私はそれがとても、心地良く思うんだ。




