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うぃしゃぽなすた!  作者: 上野ハオコ 
第二部 夢世界旅行記 後編
35/47

7 魔法があるじゃない

瞳を開いて最初に見たのは、大好きな人の顔だった。

彼女は私の事を見下ろして、ただ微笑んでくれている。

私が生きていること、そして彼女が生きていることの二つを理解し、心からの安堵に包まれる。

ああ、これまで見ていたのは悪い夢だったんだ。

私はただ彼女の膝を枕に眠りについていて、ただとても怖い夢を見ていただけだったんだ。

あの訳の分からない世界も、夥しい数の死体も、黒衣の集団も、銀色の少女も、全部全部ただの夢だったんだ。

……そう思いたかったけれど、彼女の頬にべったりと付いた赤黒い血液が、未だ悪夢は終わっていない事を如実に物語っている。

私の感じた恐怖は、絶望は、狂気は、総て現実のものなのだ。

もう一度眠りにつけば、今度こそ私たちの世界に戻れるだろうか。

一瞬そんな考えが脳裡を掠めるが、現実逃避をしたところできっと何かが変わることは無いのだろう。

ただ残酷な現実を受け入れる為に、ゆっくりと思考を巡らしていく。


「詩葉っ…良かった、気が付いたのね」


血に塗れた微笑みで、有栖ちゃんは私に笑い掛ける。

その様子は少し猟奇的で怖かったけど、いつもの優しい笑顔が私の心を甘やかに包んでくれる。

しかしよく見れば彼女の全身は血塗れで、髪にも、制服にも、べったりと赤黒い痕跡が残っている。

一体何が在ればこんな風に夥しい血液を浴びることになるのだろう。

その血液が彼女自身のものではないのかという想像に駆られ、頭が真っ白になる。

彼女はひょっとしたら、大怪我をしているのではないか。

彼女の纏った血飛沫は総て彼女のもので、致死量にも至るほどの夥しい量の血液を流してしまっているのではないか。

そう考えると酷く恐ろしい感情が心の中を渦巻き、心臓をドクンドクンと高鳴らせていく。

思考が有栖ちゃんのことで一杯になり、彼女の全身の異様な血痕への恐怖感が私を苛む。

気絶してしまった事への自責の念と、彼女に酷い負担を強いてしまったであろう事への後悔で頭がおかしくなりそうだ。

確かに有栖ちゃんは、私を守ってくれると言った。

私はそれがとても嬉しかった。

だけどこんな風に、彼女に本当に私の事を守らせて、辛い役目を押しつける気なんて更々なかった。

と言うのに私は、大切な局面で茫然自失となって気絶していたのだ。

何と言うことだろう。

情けないにも、程がある。


「有栖ちゃん、血塗れっ…大丈夫、なの?」


目覚めたばかりの舌っ足らずな声で、彼女に問いかける。

私の問いかけを受けて彼女は、心配しなくても平気という風に、


「大丈夫よ。大した怪我もしてないから」


そう言って微笑んで見せた。


「本当に、ごめんね…良かった…良かったよ…」


私が気絶する前、あれだけ恐ろしい出来事があったのだ。

血塗れの有栖ちゃんの様子を見るに、ひょっとしたらもう彼女は助からないほどに血を流していて、最後の力で私に微笑みかけているのではないかと、そんな想像をしてしまったのも仕方が無いことだろう。

何よりもただ、有栖ちゃんが生きてくれていて良かった。

ここが何処であろうが、ただその事実だけで、私は私を保つことが出来る。


彼女への不安が晴れることで、今私たちが置かれている状況への疑問が浮かんでくる。

周囲を見渡すに其処は、先ほどまでの薄暗いトンネルの中ではなく、どうやらゴシック様建築の立ち並ぶ街の一画のようだった。

あの何処までも長く続いていたトンネルから出られたようで、見上げれば夜空が広がっている。

と言ってもその夜空も、星が煌々と輝くような美しいものでは無く、暗雲の立ちこめる不気味な空であるのだが。

霧に包まれる街中、仄明るい角燈の灯火が照らす煉瓦造りの階段の下、私は横たえられていて有栖ちゃんに膝枕をして貰っている。

柔らかな太股の感触に一瞬気を取られ、その温もりを堪能したい気持ちに駆られそうになったが、たくさんの疑問符が脳内を満たすことにより、邪な気持ちはあっさりと消えていった。

あの薄暗いトンネルの中で、夥しい数の死体と恐ろしい黒衣の者どもに行き逢った後、私たちはどうなったのだろうか。

銀色の少女の作り出したあの貌の無い異形から、どうやってこんな場所まで逃げ果せてきたのか。

私は自失したことを酷く後悔しながらも、それらの疑問の答えを有栖ちゃんが持っていてくれそうだということに少々安堵する。

彼女からその答えを聞けば、何となくこれまでの、総てが謎に包まれた状況から一歩事態が進展するのではないかと、そんな期待感さえ胸に湧いてくる。


「有栖ちゃん、あの後、どうなったの?一体、何があったの?」


「私が怪物をやっつけたのよ」


彼女の口から零れたのは、些か信じることの出来ない言葉。


「有栖ちゃんが?」


あまりの驚愕に、脳味噌の理解が追いつかない。

有栖ちゃんが、あの異様の怪物を倒すなんて事、出来るのだろうか。

あれだけ恐ろしく不気味に見えた貌の無い異形を、普通の女の子が退治するなんて事、常識的に考えて到底出来る筈も無い。

そもそも常識の通用しない状況であることを鑑みても、それこそファンタジー作品に出てくる英雄ならいざ知らず、至って普通の高校生の女の子があんな怪物と対等に渡り合えるというのか?

何か有栖ちゃんらしい起点や発想により、工夫を凝らして試行錯誤の上倒したのか?

あの何もない薄暗いトンネルで?

しかも黒衣の集団に囲まれながら?

そんなこと、信じられる筈も無かった。


「これ、見て」


そう言って有栖ちゃんが握ってみせたのは、これまた血塗れの金属バットのようなもの。


「これで、殴り飛ばしたの」


「これで、殴り飛ばしたの?」


思わず鸚鵡返しに問いかけてしまう程に、それはあまりに馬鹿げた事だった。

女子高校生が金属バットで異形の怪物を打倒する?

まるでナンセンスなギャグ漫画のようなシュールさだ。

想像しただけでも少し、笑いが漏れてしまう。


「有栖ちゃん、面白い冗談だけど、流石にそういう場面じゃ無いよ?」


「冗談なんかじゃないわ。本気も本気、この金属バットであの怪物たちをボコボコにしてやったの。爽快な気分だったわよ」


至極真面目な表情で彼女はそう語る。

長い付き合いだからこそ分かる。

彼女は決してそれを冗談で言っている訳じゃ無く、嘘も吐いていない。

ただただ真摯に、事実を語っているのだ。

彼女はその手に持つ鈍く光る血塗れの金属バットで、あの無貌の怪物を倒してしまったのだ。

およそ信じることは難しく、虚言のようではあるが、彼女の真っ直ぐな瞳が、それが真実であることを私に訴えかけていた。


「わ、分かったよ。有栖ちゃんが本当の事を言っているのはよく分かった。でも全くこれっぽっちも状況が理解出来ないからさ、出来れば始めから丁寧に説明してみてくれない?」


何をどうしたら、あの薄暗闇のトンネルの中で有栖ちゃんが金属バットで恐ろしい怪物を倒して、この街の一画で私が膝枕をされるような状況になるのだろう。

自分自身正直理解出来る気がさらさらしないのだけど、取りあえず有栖ちゃんの説明に耳を傾けてみることにした。



私の腕の中で突然詩葉が意識を失って、正直なところかなり焦ったわ。

この世界にやって来てから詩葉はずっと、相当な恐怖を感じていたようだったし、気丈に振る舞っても顔色が真っ青で優れなかったから、そろそろ限界は近そうだなと思っていたの。

あのおぞましい怪物を見て、詩葉がぐったりと力なく此方へ倒れ込んで来た時は遂にその時が来たかという感じだったけれど、私の腕の中で震えて泣き始めた辺りから、ひょっとしたらこうなるんじゃないかと考えていたから、どうにか狼狽える自分の心を抑えることは出来たわ。

とは言え、訳の分からない集団が周囲から此方を嘲るように見つめていて、訳の分からない狂った少女がこれまた訳の分からない怪物を次から次へと生み出しているのは相当に笑えるくらい手詰まりな状況のように思えたし、気絶した詩葉を抱えながらどうやって逃げたらいいか必死に頭をフル回転させてみても良い答えなんて一つだって出てこなかった。

一体でも恐ろしく異様な雰囲気を漂わせていた異形の怪物が、二体三体と際限なく死体の山から這い出てくる様子は、それはもう気が遠くなる程に絶望の二文字を叩きつけてくるようだったけど、私がここで諦めてしまっては総てが終わってしまうことがわかっていたし、あんな訳の分からない奴らに二人纏めて殺されるなんてまっぴらごめんだったから最後の最後まで悪あがきしてやろうと言う一種吹っ切れたような気持ちが湧いてきたの。

勿論、怖くて怖くて仕方が無かったわよ。

全身が震えて涙が滲んでくる程にね。

小説や漫画とかのファンタジー作品なんかであんな化け物と戦う物語を見るのは慣れていたし、人の死体だとか、グロテスクな表現を見ることだって最近では何ら怖いだなんて感じなくなっていたし、ネットでふとスナッフビデオみたいなものを見つけてしまった時だって興味本位で再生することを躊躇しない程度にはそういったものへの恐怖感というものは私の中で鈍磨していたんだと思う。

所謂死にゲーみたいなゲームを何十時間もプレイしては、何度も死にながら恐ろしい怪物たちをばったばったとなぎ倒すなんてことは日常茶飯事、私はそういうゲームが大好きだったし、ダークな感じのソウルに染まっちゃうくらいにはそりゃあもう怪物狩りなんてもんはお手の物なの。

もし現実にあんなゲームの中の化け物が出てきたとしても、私ならきっと武器さえあれば戦えるわね、だなんて馬鹿な妄想に耽ったりもしたわ。

だけどね、実際に自分の身の丈の二倍も三倍もある異形の怪物を目にしてしまったら、そんな妄想が糞の役にも立たない事実を思い知ったわ。

あんな閉塞的な空間で、黒衣の集団に囲まれながら、恐ろしい化け物に見下ろされると言うこと。

現実の恐怖感がこんなにも鮮明で、心を著しく蝕む感情だなんて思いもしなかった。

それでもね、私は馬鹿なことに、武器さえ在ればいいのにって思わずにはいられなかった。

この手に武器さえあれば、あのムカつく奴らに一矢報いてやるのに、この手に武器さえあれば、あんな化け物ぶちのめしてやるのにって、そればっかりを考えていたわ。

だって、私は詩葉を守るって決めたんだもの。

何があったって、どんなに怖い化け物がやって来たって、詩葉のことを守るって誓ったんだもの。

こんなところで、あんな化け物たちに最低な目に遭わされて、詩葉を失う訳にはいかない。

無貌の怪物を見て、詩葉は私の腕の中で気絶してしまった。

私も怖かったけど、きっと詩葉はもっと怖い思いをしたに違いない。

失禁して、嘔吐して、気絶して、そんな詩葉の姿を見る度に私は胸の裡に怒りが煮え滾るのを感じたわ。

本当は今頃、一緒に洋菓子屋さんで楽しく過ごす筈だったのに。

美味しいお菓子を食べながら下らないお話をして、飛びっ切り幸せな時間を満喫する筈だったのに。

久しぶりに二人きりになって、伸び伸びと羽を伸ばせる筈だったのに。

普通に暮らしてたら、詩葉がこんな怖い思いをする筈なかったのに。

涙して自失するなんていう、最悪な思いをする筈なかったのに。

こんな怖くて悲しい思いをする筈なかったのに。

そう考えたらもう、可笑しくなるくらい、狂おしい程の怒りが湧いてきたわ。

どうして詩葉がこんな思いをしなくちゃいけないんだ、どうして私がこんな思いをしなくちゃいけないんだ。

私たちをこんな所に連れてきた奴が誰であれ、見つけ次第ぶっ飛ばしてやる。

そうじゃなきゃ私のこの燃え滾る怒りを抑えることは出来ない。

それがどんな奴かはまだ分からないけど、詩葉をこんな辛い目に合わせた奴らは目の前にいる。

それなら今すぐこの怒りを、目の前でほくそ笑んでいるあいつらにぶつけてやらなければ気が済まない。

あの物言わず立ち尽くす黒衣の者どもを、狂ったように血塗れたあの少女を、今尚生み出され続ける怪物たちを、ボコボコのグチャグチャのぎったんぎったんにしてやらねば腹の虫が治まらない。

どうにかして、あいつらに吠え面かかせてやりたいという気持ちで胸が一杯になったわ。

その時には、さっきまで感じていたような恐怖は何処吹く風、ただ燃え盛る怒りだけが私の心を支配していたの。

そして再び、武器があれば、武器さえあれば目の前の最低最悪な狂った集団をやっつけてやれるのにという強い願望が渦巻いたわ。

ゲームなんかの世界では、大きな剣や斧や槍なんかで戦うのが定石だけれど、そんなもの素人の私に到底使える訳もない。

銃火器なんかも適切な知識が無ければかえって此方が危険に晒されることにもなりかねないし、第一私は自分の手であのくそったれどもをぶちのめしてやりたかったの。

それでふと思ったのよ、金属バットがあれば、あいつらをタコ殴りにしてやれるってね。

バットなら、時々体育の時間で触れることもあったし、扱いにはそれなりに長けているわ。

こう見えて私は結構なスラッガーで、打席に立てば周りの生徒たちを湧かせたものよ。

カキーンってホームランを打ったことだって、一度や二度じゃ無いのよ、凄いでしょ。

野球の球を打つみたいに、爽快なスイングであの怪物たちを殴ってやったら、きっと相当に気持ちいいのでしょうねって、そんな風に馬鹿げたことを真剣に考えたわ。

バットの長さは一メートルくらい、渋い銀色をしていたら返り血が映えそうでいいわね、グリップの部分は滑りにくくて取り回しがし易ければ爽快に振るえるだろうなぁなんて、かなり具体的に得物の形を想像したのよ。

そうしたらね、何が起こったと思う?

一体私の元に、何が巻き起こったのだと思う?

そうよ、実際にね、金属バットが手の中に現れたのよ。

仔細にそれらを想像しただけで、この手の中に、いつの間にか金属バットが握られていたのよ。

あまりに馬鹿げているから、私も思わず笑っちゃったわよ。

だって普通、想像しただけで金属バットが手の中に現れるなんてことある?

ここが想像の埒外にあるような馬鹿げた場所だって言うことは重々承知していたけれど、まさかそんな夢の中の話みたいな事が現実に起こったのだもの、思わず声を上げて笑っちゃったわ。

それを見たあいつらの驚いた顔ったらなかったわ。

あまりに滑稽で、ぽかんとした表情で此方を見ちゃってさ、凄く面白かったから詩葉にも見せてやりたかったわよ。

ああいう顔をインスタ蝿っていうのね、うん、映え?まあどっちでもいいわよく分からないし。

そりゃそうよね、さっきまで怯えてた目の前の女の子が突然金属バットを持ち出して高笑いしてるんだもの。

そりゃあ驚きもするってもんだわ。

私でも確かにそんな場面に出くわしたらぎょっとして思わずアホ面晒してしまうもんだわ。

と言ってもまあ、表情が明確に分かったのなんてあの銀髪の狂った少女くらいだったけどね。

黒いフードの奴らは顔見えないし、怪物どもは貌が無いしで、其処に在るだろう驚愕の表情を見ることは出来なくてそれだけはちょっと残念だったわ。

まあそんなこんなで、待望の得物を手にした訳だけども、あんな見ただけで恐怖に戦くような怪物たちとやり合ったってまともに戦えるなんて保証は何処にも無い。

ましてや気を失った詩葉のことを守りながら戦うなんて、歴戦の英雄でも難しい状況だわねということを思い知らされたわ。

そこでまた想像してみたのよ、この金属バットから氷系の魔法が打てればいいのにな、って。

あのトンネルを歩きながら話したでしょ?

私なら氷系の魔法が使いたいって。

そうそう、詩葉は炎系がいいって言ってたわね。

対象的でなんかいいわね。

氷の魔女っていう二つ名なんてとっても格好いいし、なにより硬質な氷の怜悧なクールさって乙女心が擽られるものよね。

黒いフードのやつらに囲まれてても、此方から放射状に氷の柱を打てば奴らを圧倒出来るし、何となくあの無貌の怪物たちも打撃系より魔法系の方が弱そうだなって思ったの。

ああいう奴らって、ぬめぬめしてて剣で切ってもあんまりダメージ入らないのよね、属性武器とかないと苦労しちゃうわ、あ、ゲームの話ね。

それでまあ、物は試しだということで、明確に氷の柱が放出される想像をしながら振るってみたのよね、金属バットを。

だって、突然何もないところから金属バットが現れたのよ。

それ以外のことだって試してみたいと思うのが人情じゃない。

振るった金属バットに魔方陣が展開したりなんだりしちゃったりして戦えたらそれもう魔法戦士って奴でしょ?

得物が金属バットって言うアンバランスさも、なんだか昨今の停滞したオタク文化を刷新するという意味で何かこう、私的にグッとくるところがあったのよね。

それでこう、ブンって金属バットを振ってみた訳ね。

もう話の流れ的に分かると思うけど、そうしたらね、出たのよ、魔法。

信じられないでしょ?

これまた私、大笑いよ。

だって、思いのまま意のまま、想像しただけで自分のやりたいように戦えるんだもの。

こりゃあひょっとしていけるんじゃないかと真剣に考えたわ。

突然暗闇に出くわしたと思ったら足下に窖が穿たれて、気付いたら薄暗いトンネルを延々歩かされて、夥しい死体を見せられたと思ったら黒いフードの集団に囲まれて狂った少女に出会って怪物に見下ろされて、これまで本当に訳の分からないことだらけだったからそりゃあもう胸の裡には相当なストレスが溜まっていたのよ。

何処か私の見た夢のような雰囲気を纏って、私の読んだ小説の内容を踏襲していて、だけれどめちゃくちゃで混沌とした出来事が起こる世界。

そんな世界に突然連れてこられて本当にもう気が狂うくらいおかしくなりそうだったし、既に半ば私もおかしくなっていたのね。

魔法の打てる金属バットを手に入れた私はまるで水を得た魚。

泳ぐように、宙を舞うように、その場を駆けながら、次から次へとあの貌の無い異形どもをぶちのめしていったわ。

あいつら、図体はでかいけど、思ったより鈍間なのね。

私の特攻に怯んだのか、大した反撃もしてこないままに次々とあっけなく倒れていったわ。

氷の柱を打ち込んでは金属バットで殴って、また氷の柱を打ち込んでは金属バットで殴ってを繰り返して、気がついた時には辺りは怪物どもの上げた血飛沫で大変なことになっていたの。

何処見ても汚らしい赤ばっかりで、よく見れば私もたくさん返り血を浴びているじゃ無い?

こういう返り血を浴びるのって、よくある表現だけど、実際のところ感染症とか引き起こしそうだし衛生面めちゃくちゃ最悪だと思うのよね。

それも訳の分からない怪物の返り血よ?

現代医学では治療不可能な病原菌とか持ってたらどうしようかなって結構本気で怖くなってきたから、次からやる時は何かこう、氷の障壁とかで血避けしなきゃなっていうことを学んだわ。

失敗の中にも常に学びの機会は隠れているという事ね。

冷静になればあの怪物どもも元は人間のようだったし、そりゃあ少し胸は痛んだけれど、それ以上にこれだけの力を手に入れた自分が物語の主人公になったような気になって気分が高揚していたの。

だって、信じられないような不思議な力を手にしたのよ?

何が出来るのか色々と試したい気持ちになるじゃない。

思ったよりも簡単に怪物たちを打倒してしまったから、正直なところ少し物足りなさを感じていたのよね。

もっと練習台になるような怪物が出てこないかなって思ってしまうのは仕方ない事よ。

どんなゲームだって、チュートリアルで操作確認の為のバトルが繰り広げられるものでしょ?

私はそのチュートリアルの間で戦闘が終わってしまって消化不良を感じているゲーマーみたいな気持ちになっていたのね。

怪物たちをぼこぼこにした後は、あの黒衣の集団も銀色の少女も丸ごとぶちのめしてこの世界の事とかここが何処なのかとか、きちんと一から洗いざらい吐かせようと思っていたのに、あいつらったら私の戦いを見て焦ったように逃げ出してしまったから、怪物たちを倒したこと以外は、何の手掛かりさえ掴むことが出来なかったわ。

訳知り顔で訳の分からないことを言っていたあの銀色の少女なら色々と話が分かりそうだったけど、結局この世界のことはまだ、謎に包まれているままということね。

それからこの場所、詩葉を寝かせていた角燈の下に来るまでには、そんなに時間は掛からなかったわ。

あの長くて延々と続く永遠のような薄暗闇のトンネルの中、驚異は取りあえず去ったものの、気を失った詩葉をそのままに止まっていても仕方が無いし、辺りをまた探索してみようと思ったのよね。

あんな黒衣の集団に行き逢ったのは本当に想定外だったけど、それが教えてくれる事実も少なからずあったわ。

まず、あの夥しい数の死体たちね。

あんな数の人間を運ぶにしても、死体を運ぶにしても、あの薄暗闇の中を何処までも歩いてく必要ってあるかしら?

そもそもが奴らの狙いが分からないという大前提はあるけれど、大抵の場合、ああいう人道に反した行為をやるのは人目に付かない場所であることが多いわよね。

それならば、あのトンネルに入ってしまった時点で最早人の目を気にする必要もないのだし、私たちみたいに馬鹿みたいに延々とあの場所を歩く必要も無い訳よね。

あのトンネル自体が何らかの宗教的行為に及ぶ為の場所で、特別な祭壇や聖域かなんかで我らが神に贄を捧げるのだ~みたいな状況ならともかく、あいつらが死体を積み上げていたのはなんてことないトンネルの一部分だったわよね。

つまりその場所自体に何らかの価値があった訳では無く、奴らはただ人目に付かない空間が必要だっただけ。

更に其処から導き出せるのは、そう遠くない場所にトンネルの出口があるかもしれないということになるわね。

だってそうでしょ?

特別な意味もなく人の目を気にしてあの場所を選んだだけならば、アホみたいに長いトンネルをわざわざ長い距離進んでいく必要もないわ。

何らかの方法であの死体となった犠牲者たちを運搬するのだって簡単なことではない。

トンネルの出入り口から程よい、行き帰りがそれなりに良い感じの距離で行為に及ぶのが、打倒だと思ったのよ。

勿論この考えは詭弁で、そもそも奴らが何の為にあんなことをしていたのかという理由が分からないのだからどんなに奴らの行動について考察しても当て推量の範疇を出ないものだし、そもそもがこれだけ不思議な事を起こせる世界で移動手段が歩行しか無い訳もないしなんならワームホールみたいなものを使ってトンネルの最深部まで行き来が自由に出来るかもしれないだとか、私たちの前に突然あいつらが現れた時だって意識外から唐突に何の前触れもなしに現れたのだから吃驚したのであって、それだったらもうあいつらはこちらの知覚外で何らかの行動を取れるということに他ならなくてそんな能力を使えるのであれば不特定な距離間を瞬時に移動することだって可能そうだけれど、その辺りの種々の疑念に目を瞑るのであれば、黒衣の集団が死体を積み上げていたあの場所からほど遠くない場所にトンネルの出口があると睨んだのよね。

そしたらその通り、私が詩葉を背負って歩けるような距離の範囲内に、何処か上の方へと繋がっている階段を見つけたのよ。

それからの私の行動は早かったわ。

何よりもずっと訳の分からないくそったれのトンネルの中に半ば幽閉されていたのだし、この世界がどんな世界であれ、外の空気が吸いたいと思ったのよ。

そもそも、私たちが問題なく活動を続けていられるってことは、この場所にはある程度人間に則した酸素分画の空気が存在しているって事でしょ?

まさか階段を昇った先に宇宙のような真空空間が広がっているなんてこともないだろうし、まあ一応それも考慮に入れなくてはいけないとは思っていたんだけど、この際ちょっとその辺りのことは目を瞑ってきっとあの階段の先には外の世界が広がっているのだと仮定して、私は階段を駆け上ったわ。

背中に詩葉を背負っていたから、ちょっぴり階段を昇るのはしんどかったけど、以外と詩葉って軽いのね、助かったわ、漸く外に出られるという期待感を胸に必死に歩を進めたの。

そして階段を上り詰めた先、そこにずっと追い求めていた世界が在ったのを見た時の感動ったら、なかったわね。

自分の力で怪物を打倒して、苦労の末に念願の外の世界に辿り着いたのだもの、感動もひとしおだったわ。

背中で気絶している詩葉も人事みたいにぐうすかといびきかいているから心配することなさそうで一安心だったしね。

見渡す限り、現代日本とはかけ離れたゴシック調の建築物が建ち並んでいる様は、まるで異国に来たような趣があったし、実際異世界みたいな所に来ている訳だしね、ちょっぴり霧がかっているのも神秘的でホラーゲームみたいな雰囲気があってそそられたし、なによりもこうやって夜道を照らす角燈の形がいちいちお洒落なのもいいわよね。

あの最低のトンネルを歩き続けていた時はもう何が何だか分からず最悪の気分だったからこんな世界クソ食らえって思っていたけれど、こんな風な素敵な景色が広がっているのだったら夢世界旅行でもしてるみたいな気分になって案外楽しいものね。

とは言え、私一人で観光して回るのもちょっと違うなって思ったし、詩葉をずっと背負いながら歩く訳にも行かないしで、こうして角燈の下で詩葉が目覚めるまで一休みしていたって訳よ。



「長っ!」


さっきまで気を失っていたのもあったし、楽しそうに話してくれる有栖ちゃんのお話を途中で遮るのもアレかなぁと思って、彼女の語るままに任せて聞いていたけど、彼女の話は想像以上に長かったので吃驚している。


「そうかしら?私的には要点とか纏めて必要なことだけわかりやすく話したつもりだったんだけれど?」


「あれで!?」


それはそれは要らない情報がたくさん詰まっていたし、なんなら所々支離滅裂な説明になっていたけれど、あれで有栖ちゃんは本当にいいと思っているのだろうか。

まあ、いいと思っているからあんな風に楽しそうにしているんだろうなぁ。

昔から薄々気付いていたけど、有栖ちゃんって色々と頭が回るから話さなくてもいいような内容まで仔細に説明してくれて逆に分かり辛くなっちゃうんだよね。

私としては有栖ちゃんが楽しそうにしているのが一番の事だし、何よりもあの薄暗闇のトンネルの中では浮かべなかったような安心した表情をしている彼女を見てしまえば別段他に問題はないと思うのでいいんだけどね。


「まあ、なんとなく有栖ちゃんがたくさん頑張ってくれて私をここまでおんぶして来てくれたっていうことは分かったよ。ありがとう、やっぱり有栖ちゃんは凄いね」


「べ、別にいいわよ、私が詩葉のこと守るって言ったんだし」


私の言葉に、有栖ちゃんは内心すっごい嬉しそうな表情を浮かべている。

いつものつんつんはちょっぴり隠れちゃってるけど、素直に喜んでくれてそうな様子がとっても可愛い。

有栖ちゃんマイエンジェル。


「それで、本当に出せるの、魔法?」


「ええ。見たい?」


「見たい見たい!見せてよ有栖ちゃん!」


この世界では有栖ちゃんが魔法を出せるのだと言うことを聞いてから、それが気になりすぎてその事ばかりを考えていた。

だって、魔法だよ、魔法。

ファンタジー世界なんかでは当たり前の概念になってるけど、その理論がふわっふわしてるから現実では到底使えそうも無い魔法だよ。

子供の頃から自分にも使えるんじゃないかと何度も挑戦してみたけど、今の今までスカートをめくることさえ出来ていないんだもん。

私だって一応メルヘン脳の持ち主な訳だし、気にならない訳が無いよね、魔法!


「仕方ないわね、そこまで頼まれちゃったら見せてあげようじゃないの」


仕方ないから嫌々見せてあげる、みたいな風を装っているけど、多分有栖ちゃんも魔法を打つところを見せたくてうずうずしていたのだろう。

彼女も結構単純なところがあるから、魔法だなんて非日常の力を行使出来るというのだったら、限界まで何が出来るかとか色々と試したくてしょうがないのだと思う。

有栖ちゃんは意気揚々と立ち上がると早速金属バットを構えてみせる。


「ふっふっふ、それじゃあ行くわよ。刮目しなさいっ!フン!」


まるで歴戦の魔法戦士のような所作で有栖ちゃんが両手で握った金属バットを勢いよく振るう。

その瞬間、バットの描く軌道を延長するかのようにその周囲に幾何学的な魔方陣が展開され、複雑に入り組んだ円の中心から先端の尖った氷柱が二本三本と放たれる。

辺りには白い冷気の靄が立ち込め、一直線に氷柱は前方へと飛んでいき、目の前の煉瓦の壁に鋭く突き刺さる!


「ふおぉぉぉ!格好良いよ有栖ちゃん!」


目の前で起こった一連のマジックショウに、私は歓声をあげて有栖ちゃんを讃える。

物語の中で何度も夢見たような出来事が、今この時繰り広げられているのだ、興奮しない訳が無い。

思っていたよりも有栖ちゃんの放つ魔法は魔方陣が青白く光ったりとエフェクティブで、見応えあるものだったし、煉瓦の壁をものともせず貫通してしまうその威力は少し身震いするほどシビれるような格好良さを秘めていた。

有栖ちゃんの格好つけたポーズも相まって、胸躍る舞台を観劇した後のような気分になり、思わず拍手をしてしまう。

それを受けた彼女も、舞台女優のように堂々とした所作で演技めかしたお辞儀を返してくれる。


「本当の魔法の凄さはこんなもんじゃないのよ?実際に敵に打ち込んだ時の、弾けて混ざれ!感は見ているだけでうっとりするくらいに格好良いんだから!後でまた敵が出てきたら存分にお見せしてあげるわよふふふ」


私も確かにこれだけの魔法が実践でどれだけの効力を発揮するのか見てみたいような気がするが、これからの道程で彼女の魔法が必要になるような場面がないことを祈るばかりである。

またあんな怪物たちが出てきたら堪ったもんじゃないし、有栖ちゃんにたくさんの負担を掛けてしまうのは出来るだけ避けたい。

これ以上暗闇を這うような恐怖を感じるのだって嫌だし、何よりも有栖ちゃんが辛い目に遭わされるのが私には耐えられない。

あんな大事な場面で醜態をさらして気絶しまったような私が言えるようなことではないのかもしれないけれど、私は私の安全なんかよりもずっと、有栖ちゃんの安全を願っている。

その気持ちに一片の曇りもないし、もし有栖ちゃんの命を救うことが出来るのならば、自分の命を差し出すことも厭わない。

きっとそれは利他的な感情でも行為でもなく、何処までも利己的な願望なのだということは重々承知だ。

私はただ、目の前で有栖ちゃんが苦しむ姿を見ることに耐えられないという、ただそれだけのことなのだから。

でも、たとえどれだけ利己的な感情なのだとしても、私の有栖ちゃんへの想いを疑うことは誰にも許さない。

私は私なんかより、ずっと有栖ちゃんの方が大切なのだ。

有栖ちゃんには、死んでもいいだなんて二度と言わないだなんて約束したけれど、それでもやっぱり、私は有栖ちゃんの為なら死んでもいいのかなって思う。

そう、思ってしまう。

私は弱いから、すぐにネガティヴなことばかりを考えてしまうんだ。

有栖ちゃんがこの世界で魔法を使えるとしても、そんなものでは太刀打ち出来ないような状況が私たちの前に立ちはだかるかもしれない。

もしその時、私の命で有栖ちゃんの命を救えるなら、喜んで私の命を差しだそう。

こんな考えが全部、杞憂の内に終わって、全てが元通り、元の世界に帰れたのなら、その時こそ……。


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