3 Rabbit Hole
「ほうほう、ここが件の洋菓子屋さんという訳ですか」
紆余曲折ありながらも(特別なことは何もなかったような気もするけど)、私たち二人はようやくお目当ての洋菓子屋さんへと辿り着いた。
近くにいるだけでも甘いバターの良い香りが漂ってくる、如何にもと言った雰囲気のお店だ。
「というか詩葉、みか姉と一緒に来なかったの?」
「ううん、来てないよ」
基本的に私とお姉ちゃんは一緒に行動しているけれど、お姉ちゃんがお夕飯などの買い物に行く時だけは別行動をしている。
「一緒に買い物に行ったら献立が分かっちゃうじゃない?それじゃあ楽しみが台無しだわ」とはお姉ちゃんの言。
毎日ご飯を作ってくれることへの感謝もあるし、最近ではコメットちゃんの為に膨大な食材を買い込んでいるようだから私も荷物を運ぶのに付き添ってあげたいのだけど、それだけはお姉ちゃんの信念に背くからという理由で一緒に買い物に行くことは断固拒否されている。
以前、「もし私と結婚してくれるなら、旦那様としてうたちゃんにお荷物を持って貰うのもいいかもしれないわね」とか言い出したので私はそれ以来お姉ちゃんと買い物に行くことを諦めている。
この洋菓子屋さんに何度かお姉ちゃんが来たのも彼女が一人の時だったようで、私はこの間まで存在すら知らなかったのである。
誠に遺憾なことだ。
「中のカフェスペース、結構大きいんだね。喫茶店みたい」
大きな窓からは店内を覗くことが出来、そこには洋菓子を食べながら話に花を咲かせている様子のお客さんたちが見受けられる。
ざっと見ただけでも数十人は入れそうなその広さは、カフェスペースというよりもはやカフェそのものと言った感じ。
木目調のシックな内装は純喫茶のような雰囲気を醸し出していて、探偵とかが足繁く通う馴染みの店という感じがしてなんか格好良い。
「ちょっとスパイとかが新聞片手に張り込んでる感じがして格好良いわよね」
大概有栖ちゃんも、こういったアニメや小説の物語の中のようなことを空想するものだ。
ずっと一緒に育ってきたからこそ、思考の趣味嗜好も同じように偏るのかなぁ。
何だかちょっぴり嬉しい。
「えへへ、私も似たような事考えたよ。流石、私と有栖ちゃんの仲、考えることも似通ってるんだね。深い愛情を感じるよ」
「また詩葉と似たようなことを考えてしまっただなんて…不覚だわ」
有栖ちゃんは苦虫をかみ潰したような顔をしているけど、そこまで悔しがることないんじゃないかな。
ちょっと悲しくなるよ、しくしく。
「まあいいわ、こんなところで立ち止まってたら他のお客さんにも迷惑になってしまうわ。お店の中に入りましょ」
これまた豪奢で瀟洒な作りの扉を有栖ちゃんが開ける。
結構な重量がありそうなそれは開ける時にギギギーとでも音が鳴りそうな雰囲気だったけど、見た目に反してすんなりと開いたようだ。
そりゃそうだよね、開店したばっかりなんだしその辺りのメンテナンスは滞りない筈だよね。
「うう~ん、良い香…り?」
店の前にいただけで焼きたてのお菓子の良い香りがしたのだ、店内に入ってしまえばそれはもう鼻孔を一杯の甘い香りが擽る…と思ったのだけど、予想に反してそこは全くの無臭、なんの香りも感じはしなかった。
それどころかどういうことだろう、辺りは真っ暗で、目の前にいる有栖ちゃん以外、右も左も前も後ろも上も下も、見渡す限り暗闇が続いているだけだった。
「有栖ちゃん?これ、どういうこと?」
私たちはたった今洋菓子店に入店した筈だった。
本来ならばそこには多種多様なお菓子の陳列された店内が広がっていて店員さんがにこやかに出迎えてくれる筈だったのに、私たちの前に横たわっているのはどこまでも虚無めいた暗闇だけだ。
「わ、わからないわよ!一体どうなってるって言うの!?」
突然の状況への困惑と恐怖に、お互いに抱き付くほどの距離に近付き、手を取り合う。
これまで広がっていたはずの日常の風景が、一瞬にして暗闇に閉ざされたのだ。
あまりの唐突さに脳味噌が混乱し、自分たちの置かれている状況を冷静に判断する事が出来ない。
そもそも人間も動物であることから、暗闇に対して根源的な恐怖を抱くものだ。
それは視界を奪われるからということだけではなく、暗闇の奥に得体の知れない何者かが潜んでいるかもしれないという恐ろしい憶測から来る、脳の作るネガティヴな想像に由来する恐怖であろう。
深淵に目を凝らしてそこに何かを見つけてしまうことの恐怖は、虚実関わらずに心胆を著しく萎縮させる。
時に人は恐怖から自分の恐れる像を暗闇に投影してしまう。
それが真か偽か自分自身判断出来ないこともまた感じている恐怖を加速させるのだ。
現代社会に暮らしていて、真の暗闇というものを経験することは稀だ。
何処に行っても電子機器の光が点滅しているし、常にスマホなどの端末を携帯していればいとも簡単に光を作り出すことが出来る。
夜の街はそこかしこに電灯がついていて夜闇に恐れを抱くことなんて殆どないし、今時どんなに暗い道にだって灯りが絶やされることはない。
だから私たちは日常的に暗闇という恐怖を遠ざけて、それらの根源的恐怖を克服したような気分になっているが、遺伝子により連綿と受け継がれた恐怖感は簡単に消えはしないのだ。
私たちが今感じているのは、暗闇の中で暗闇を煮詰めたような、一筋の光さえ差し込むことのない暗闇だ。
同時にそこは、静寂の支配する空間でもある。
本当の静寂というものは、シーンとした無が鼓膜を振るわせあたかも何かが聞こえているかのように錯覚させる。
人々は常に音を聞くことによって他者の存在を知覚したり、近くに何か危険が迫っていることを知る。
真の静寂は、それらの知覚能力を鈍麻させることにより、方向感覚さえ奪うような悪辣な性質を持つ。
それらの暗闇と静寂が合わさればどうだろう?
視覚と聴覚という五感に於いても最重要な二つを一挙に奪われ、何もかも知覚できない空間へと放り込まれる感覚。
それは一種の浮遊感を伴った深淵から来る恐怖で、いとも簡単に平常心を奪い、狂気の淵へと誘うだけの力を持つ。
何人も、覆い被さるような無音の暗闇を前にすれば、身を竦ませ身動き一つ取れないままに蹲る他無いのだ。
どれだけ目を凝らしても、ただ見えるのは手を繋ぐ有栖ちゃんの事だけ。
どれだけ耳を澄ましても、ただ聞こえるのは有栖ちゃんの息づかいだけ。
でもそのただ一つ有栖ちゃんが近くにいてくれるという現実が、狂気に堕ちることを一歩踏み留めてくれる。
得体の知れない恐怖感に震える彼女の姿を見ているだけで、自分がしっかりしなくてはいけないということに気付かされる。
「大丈夫、落ち着こう、有栖ちゃん。取りあえず、深呼吸して」
「う、うん」
スーハーと、有栖ちゃんと一緒に深い呼吸をする。
早鐘を打っていた心臓がほんの少しその拍動を抑え、新鮮な酸素が脳味噌に充満することにより思考がやや冷静さを取り戻す。
「私たちは一緒に洋菓子屋さんに入った。そうだよね?」
「ええ、その筈だわ。扉を開いて、お店の中に入った。でもそしたらこの暗闇が…」
私たち二人は確かについ先ほどまで見慣れた街の風景の中にいて、洋菓子店に入店した筈だった。
そこまではいい。
だがしかし、何故扉を開けた先にこんな暗闇が広がっているのだろう。
人間が意図的に作り出そうとしても到底不可能な、足下から這い寄ってくるような恐怖を纏った暗闇が、どうして私たちの前に存在しているのだろう。
全くもって理解しがたい状況に、脳味噌が困惑して理解が追いつかない。
しかしこの理解出来ない状況というもののヒントを、既に私たちは手にしていることに気が付く。
「これが、改変ってことかしら?」
「きっと、そういうことだろうね」
巨大彗星が夜空を駆けたことにより引き起こされた未曾有の事態。
それは遍く平行世界同士を何らかの因果によって繋ぎ合わせるという。
私たちが置かれているこの信じがたい状況もおそらく、件の彗星が関係しているのだろう。
身の回りで起こった何らかの事象が影響して、私たちの世界と、何処か遠くの平行世界が繋がってしまったと考えるのが、今置かれている事態に対しての最適解であるような気がする。
それ以外に、突如として何も存在しない虚無の暗闇へと放り込まれることがあり得るだろうか?
私は少なくとも普通に暮らしていてこんな状況に直面した事なんて一度もない。
こんな、ただそこにあるだけで心がざわめき肌が粟立つような暗闇を、私は知らない。
「どうしよう…こんな時に限ってコメットちゃんいないんだもんなぁ」
どうやら私が改変や怪異に逢いやすい体質かもしれないということで、普段からコメットちゃんは私の近くにいて危険がないかどうかを察知してくれている。
彼女は改変や異変の兆候を見つけては、それらの種子が花開く前に摘み取ることで諸問題を解決してくれているのだ。
しかし、近頃何も起こっていなかったからと油断して、有栖ちゃんと二人きりになった途端にこれだ。
頼みの綱であるコメットちゃんは居ない。
或いはコメットちゃんが居ないからこそ、たった今こんな状況に巻き込まれているのかもしれない。
それだけ彼女の存在は、私たちを守ってくれていたのだろう。
今さら気付いても後の祭り、今は私たちだけでこの状況を打破しなくてはいけないのだ。
「と言ってもなぁ、こんな状況で何をすればいいんだろう?」
特別な力なんて何も持たない少女二人で、一体何が出来るというのか。
現状、辺りが暗闇に覆われているだけで、私たちの身を害する何者かの存在は周囲に感じられない。
しかし、視覚も聴覚も奪われているのだ、何かが近づいて来たところで気付く事なんてまず不可能だろう。
そもそも私たちを害することが目的でこの改変が起きているかも定かではないが、身に危険が及ぶ可能性を否定できる根拠だって何一つない。
私たちはこの閉ざされた暗闇の中に囚われ、何をするべきなのか、何をしろということなのか。
今この時も、暗闇の奥深く私たちを睨めつける影が、害為そうと息づく存在が潜んでいるかもしれない。
一度そう考えてしまえば、些細なこと総てが恐怖に繋がってくる。
自らの高鳴る心臓の音さえ耳障りに聞こえるくらいだ。
「詩葉!」
静寂を劈く有栖ちゃんの叫び声と共に、一瞬、浮遊感を感じる。
何が起きたのか理解する前に身体のコントロールを失い、ただ呆然と脳味噌が警鐘を鳴らすのを聞いていた。
遅れてやって来る落下感に、漸く自らの足下に大きな窖が開いているということに気がつく。
深淵のその更に奥へと続く、ぽっかりと穿たれた奈落。
私たち二人は、ただそこに吸い込まれていく。
気付いた時には既に、恐ろしい速度で私たちの身体は落下を始めていた。
取り残された精神は、まるで自らが落ちていくのを上からぽかんと見下ろしているように、現実感のない浮遊感を感じながら不思議な冷静さを保ったままに思考を停止する。
ただでさえ暗闇と静寂によって平衡感覚が麻痺していたところに、突然の落下である。
果たして自分が下に落ちているのか、はたまた上に浮き上がっているのか、右へ飛んでいるのか、左へ引き寄せられているのか、もしくは身体が千切れ千切れになって四方八方へと飛び散っているのか、細切れになった身体が一点に収束しているのか、中空に漂っているのか、既に地面に叩きつけられ地に落ちた果物のように熟れた内臓をそこら中にばら撒いているのか、自分自身が生きているのか、死んでいるのか、死んでいる途中なのか、生まれてくる瞬間なのか、自らの存在自体が根底から覆るような臓腑の奥底からやって来るおぞましい感覚を伴ってただ落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる。
気付けば自失した自我が求めたのか、私は腕の中に有栖ちゃんを強く抱き寄せていた。
彼女と一緒に落下しながら私は、彼女の女性的な膨らみに懸想していた。
恋い焦がれていた。
ずっと味わいたかった、彼女の柔らかさが今この時私の胸の中に確かに抱かれているのだ。
ふわりと薫る甘い香りが、脳髄を振るわせていく。
それは、死を覚悟した脳が見せた最期の楽園だったのかもしれない。
この甘い甘い果実を囓ることが出来たなら、私はこの楽園から追放されることも受け入れられるかもしれない。
失楽園。
ただただ私は、堕ちていく。
○
目が覚めた瞬間に感じたのは、柔らかな感触だった。
私の顔面にとても柔らかな何かが押しつけられていることに気が付くまで、夢心地にふわふわとした気持ちでその感触を味わっていた。
続いて沈んでいた自我が意識の水面に浮かび上がって来るにつれて、自分の置かれている状況への疑問が湧いてくる。
私はつい先ほどまで何処にいたのか、今は何処にいるのか、断絶された記憶と記憶を繋ぎ合わせて少しずつ自らの現状を思い出す。
学校終わり、私は確か有栖ちゃんと一緒に愛の逃避行をし、洋菓子店へ行った。
そこに待っていたのは今まで経験したことのない暗闇で、その中で慌てふためいている間に足下にぽっかりと開いた穴に落ちてきたのだった。
そして今私が見ているのは、また暗闇。
だがこの暗闇は先刻体験した恐怖を伴う慄然とした暗闇のようなものではなく、視界を何かが遮っているような暗闇だ。
意識の次は、身体の感覚が鮮明になってくる。
私が顔面に感じているとても柔らかい感触のこと、どうやら背中に腕が回されていて、ぎゅっと抱きしめられているようだということ、更に腰の辺りにはこれまた足がしがみついていてどうにも身動きが出来そうにないことが分かってくる。
そして鼻孔を擽る芳醇な甘くて良い香りが、普段からよく嗅ぐ大好きな女の子の匂いであることに気が付くと、なんとなく自分が今置かれている状況のことが理解出来る。
私は有栖ちゃんに、強く抱き締められているようだ。
そして言うまでもなく、私が顔面に感じているこの幸せな極上の柔らかさは、有栖ちゃんのおっぱいなのである。
私は良く有栖ちゃんに抱き付こうとするが、その度に彼女は暴力の限りを尽くして私を拒
絶するので、せいぜい彼女とは手を繋ぐくらいまでしか出来ない。
そりゃあ幾ら幼馴染みといったって、お互いの身体をべたべたと触ったりすることはどうかと思うし、過度なスキンシップは控えた方がいいということはよく分かっているけど、私はいつも有栖ちゃんのことをぎゅっと抱き締めたいと思っているし、出来ることならその大きなお胸をもみもみさせて欲しいなぁというリビドーを胸の中に秘めているのだ。
勿論それらの願望がこれまで叶えられたことはなく、冗談半分で有栖ちゃんのおっぱいを揉もうとした時にはあわや殺されてしまうのでは無いかと言うほどの反撃を喰らってしまったくらいで、彼女の身体に触れられる機会はほぼ無いといって差し支えない。
だけれど、あんなに均衡の取れた、ある種暴力的とも言えるほどに美しい身体がいつも目の前にあるのだ。
大きなおっぱいの柔らかさを想像したり、括れた腰の抱き心地を想像したり、大きなお尻の揉み心地を想像したり、その奥に秘められた花弁の色を想像したり、そんな邪な妄想を抱かない方が無理だというもの。
有栖ちゃんを押し倒して欲望の限りその身体を味わい尽くしたいと思っても、絶対にその願望は叶えられない。
それが分かっているからこそ、どんどん胸の裡で欲求不満のリビドーがむくむくと膨らみ、血管を浮かばせ、涎を垂らして、有栖ちゃんの身体への羨望に浅ましく屹立していくのだ。
それが今の私の状況はどうだろう。
有栖ちゃんに抱き付くどころか、彼女に抱き付かれ、あまつさえ、求めて止まなかったあの双丘が、何人たりとも立ち入ることの許されなかった霊峰が、彼女の誰にも触られたことのない無垢なる禁域が、この世界で一番綺麗な軌道を描く二つの柔肉が、私の顔面に押しつけられているのだ!
右のおっぱいと左のおっぱいが、私の顔面を挟み込むように捕らえて放さない。
本来、制服を着ていて抑えられているはずの胸の起伏。
ブラに包まれ、シャツに拒まれ、ボレロによって完全封鎖された筈のおっぱいは、それでもなおその圧倒的な質量により、私の頭を優しく包み込んでくれる。
その感触はこれまで私の経験したどんな柔らかなものよりも柔らかく、それなのに張りがあって形状を大きく歪ませることのない、この宇宙にこんなに素晴らしい物質が存在していたのかということに驚愕するほどの極上な質感を持っていた。
私の身体のどの部分を取っても、こんなに素晴らしい天上の感触を味わうことはできないだろう。
ひょっとしたらそもそもが私と有栖ちゃんは別の元素によって形作られたものかもしれないと疑うくらいには両者の間には大きな隔絶がある。
有栖ちゃんは実は天使で、彼女の胸の柔らかさは天国を形成するそれはそれはありがたい物質に由来するもので、人間が生きているうちに触れるどんなものよりも素晴らしい心地を味わわせてくれるものなのだよ、とでも言われた方がまだ納得出来る。
有栖ちゃんのおっぱいは、それ程に極上で、至上の柔らかさを持って、私にこれ以上ない幸せな気持ちをくれた。
だがしかし、どんなに最高の柔らかさを持っていたとしても、人間の鼻と口を同時に塞いでしまえばそれは凶器になり得るのだ。
むしろ柔らかいからこそ有栖ちゃんのおっぱいは私の顔の凹凸に綺麗にフィットして、空気を吸い込むかすかな隙間さえも埋めてしまう。
私は天上の感触と引き替えに、呼吸を失ってしまった。
有栖ちゃんの神のおっぱいにより私の呼吸器は塞がれ、その機能を完全に停止してしまった。
人間は酸素を断たれてしまっては、生命活動を続けることが極めて困難な状況に陥る。
数分呼吸が出来ないだけでも身体が激しく害され、数十分呼吸が出来ないとほぼ確実に死に至る。
だがしかし、私は今感じているこの感触を手放すくらいならば、死さえも怖れはしない。
有栖ちゃんのおっぱいを引き替えに死ねるのならば、それも本望であろう。
ただ一つ後悔があるのならば、有栖ちゃんの生乳の中で窒息したかった。
彼女の究極に美しいであろうふくらみを、双丘の頂をひと目拝んでから死にたかった。
いいや、それは野暮というものか。
人間には想像力があるのだ。
頭の中で有栖ちゃんの乳輪の色を想像しながら、この感触を味わえるだけで、私はきっと世界で一番幸せな女の子になれる。
有栖ちゃんは肌も白いし、色素薄めだからきっと、薄ピンクかなぁ。
たぶん大きいんだろうな、乳輪。
でも、あれだけおっぱいが大きいのに乳輪が小さかったら味気ないだろう。
ちょっぴり乳輪が大きい方がすけべでいいよね。
ぶつぶつはどれくらいあるんだろう?
私的には少なめな方が嬉しいけど、最近ちょっとぶつぶつのえっちさもわかってきたしまあ、少しくらいなら許せるかな。
もしも有栖ちゃんが真っ黒乳輪だったらどうしよう?
真っ黒は嫌だなぁ、だって使い込んでるみたいでなんか玄人感あるんだもん。
有栖ちゃんは正真正銘の処女なんだから乳首も純潔の薄ピンクがいいよ。
でも、もし真っ黒でも私、有栖ちゃんの乳首なら好きになれる気がするよ。
結局乳首の色なんて、大きさなんて、関係ないんだよね。
有栖ちゃんのおっぱいっていうだけで、私にとってそれは世界一大好きなおっぱいなんだもん。
私ようやく気付いたよ。
私は、有栖ちゃんのおっぱいが、この世界に存在するどんなものより好きなんだ。
よかった、最期に気付けて。
このまま逝くのも、悪くな…
「死ぬ死ぬ死ぬ!有栖ちゃん、苦しいよ!離して!窒息するうううううう!!!」
呼吸を止められた、あまりの苦しさに我慢出来ずに必死に身体を捩らせる。
未だ意識を失っている様子の有栖ちゃんの力は存外に強烈なもので、彼女の両腕は私を抱き締めたまま頑なに動かなかったけれど、身体を捩らせることによりとりあえず気道を確保することは出来た。
生きたいという衝動は、逝きたいという衝動よりもずっと強いものでした。
「んあぁ、詩葉ぁ?」
ようやく目覚めた有栖ちゃんは、私のことを抱き締めていることに気付いたのか、寝惚けたような声で呟く。
「よかった有栖ちゃん、気が付いたんだね?抱き締めてくれるのはとっても嬉しいし、私的にはほんとご馳走様ですって感じなんだけど、ちょっと苦しいから一回離れようか」
「どうしてぇ?離れるのいやぁ」
そう言うと有栖ちゃんはますます私のことを強く抱き締めてくる。
いつもの有栖ちゃんなら、気が付いた瞬間に慌てて離れてくれそうなものだけれど、どうしたことだろう。
彼女はまだ寝惚けているのだろうか。
それとも、先ほどまでに起こったこと全部、彼女の中では夢の中の出来事だったのだと処理され、今も彼女の自我は夢の中の心地でいるとでもいうのだろうか。
非現実の光景に現実逃避し、夢の中をたゆたっているとでもいうのか。
だがそれも無理のないことだ。
連続で訳の分からないことが起こって、今置かれている状況を現実だと認識することはとても難しい。
私だって正直、これが夢の中なのではないかと思っているのだ。
だがしかし、今感じているこの感覚は余りに鮮明で、夢の中だなんてことは決してあり得ないことなのだということがわかる。
いち早く有栖ちゃんにもこれが現実であることを気付かせねば、何が起こるかわからない。
自分たちの身を守るためにも、まずは有栖ちゃんに正気を取り戻して貰わなければいけない。
「有栖ちゃん、しっかりして。私たちここに落とされてきたんだよ。何が起こるか分からないから、まずは現状を把握しなきゃ」
「いやぁ、わからないぃ。そんなこという口はこうだぁ」
「ちょっと、有栖ちゃっ…!」
だだを捏ねるような様子で私の言葉を拒否する有栖ちゃん。
未だ夢心地の彼女は、信じられないことに、私の口を、彼女の口でもって、塞いだ。
「んっ…んんっ…」
はじめは何が起こっているのか理解出来なかった。
いつも真面目で、人と過度にスキンシップを取ることなんて絶対にない有栖ちゃんが、進んで私の唇を奪うなんて、想像出来るはずもない。
そもそもがいやらしい行為そのものに抵抗を持っている彼女はきっと、自らを慰めることもしたことがないであろうし、誰かとキスをした経験なんて絶対にない。
それは断言出来る。
だというのに彼女は、まるで淫蕩な娘のように夢見心地な瞳で私を睨めつけ、吐息を溢しながら唇を重ね、貪るように吸い付いてくる。
キスなんて生易しいものじゃない、これは、捕食だ。
私は今、有栖ちゃんに食べられている。
何度も何度も唇を蹂躙され、喘ぐように開かれた口に、ぬめりとした感触が這入ってくる。
彼女の熱い舌が、私の歯列をなぞり、口腔を陵辱し、舌に絡みつく。
それはまるで飢えた獣のような激しさで、私は為す術もなく、彼女に貪り食われるしかない。
「や…めっ…あり、すちゃ…んっ!」
彼女の勢いは止まることを知らず、私は逃れられぬまま、ただそれに身を任せている。
彼女の柔らかい唇が、くっついて、離れて、またくっついてを繰り返し、私の唇は徐々に蕩けていく。
驚愕が徐々に快感へと変換されていき、彼女の唇が触れる度に、甘い痺れが脳髄を駆け巡る。
キスとは、こんなにも気持ちの良いものなのか。
これまで誰とも唇を重ねたことのない私にとって、初めてのこの感覚は、あまりに強烈で、甘美で、いけないと分かっていてもただ快楽に思考が急停止していく。
激しい水音を立てながら彼女の舌が私の口内を這い回る度に、下腹部の奥の方からじんわりした快感が背筋を通って脳味噌まで駆け上がる。
びくん、びくんと、全身が軽く痙攣し、まるで唇や口内の感覚と全身の敏感な場所が繋がれてしまったかのように、気持ち良さがそこら中を跳ね回って増幅され、一つの快感の波紋がまた新しい快感の波紋を形作っていく。
どうして私は、有栖ちゃんに唇を犯されているのだっけ?
そんな疑問が一瞬脳裡を掠めるものの、押し寄せてくる圧倒的な快楽が脳味噌から全身を塗りつぶすのを止められない。
「んちゅっ…詩葉ぁ、あんんっ…詩葉ぁ…!」
これまでに聞いたことのないような有栖ちゃんの甘ったるい声が耳朶を振るわせ、鼓膜を強かに共鳴させる。
彼女に名前を呼ばれているというただそれだけの現実が、脳味噌をとろとろに蕩かすように、甘やかに私を包み込む。
大好きな有栖ちゃんに名前を呼んで貰えて、こんな風に唇を、口内をたっぷり可愛がって貰える。
こんなに気持ち良いことがあるなんて知らなかった。
自分で弄るのとは比べものにならないほどに満たされて、幸せで、私の総てが内側から溶かされて、有栖ちゃんと一つになっていく感覚がする。
ああ、こんなに素晴らしいことがあることを知っていたのなら、もっと早くに教えてくれれば良かったのに。
どうして有栖ちゃんはこれまで私を抱いてくれなかったのだろう。
愛してくれなかったのだろう。
もっと前にこうしていれば、もっともっと有栖ちゃんのことを好きになれたのに。
もっともっと有栖ちゃんと愛し合えたのに。
有栖ちゃん、好きだよ、大好きだよ。
もっとキスして。
もっと私の内側へ這入ってきて。
私を、滅茶苦茶にして。
私の気持ちに応えるかのように有栖ちゃんは、いやらしい舌遣いで何度も何度も私の中を出入りする。
口そのものが性器になってしまったかのように、内壁を撫でられるだけできゅんきゅんと締め付ける快感が私を執拗に弄ぶ。
有栖ちゃんの舌が与えてくれる快楽に、私は体中を振るわせ、破滅の予兆が近づいて来ていることを認識する。
「ちゅっ…あり…す、ちゃ…んんっ!来る、んっ…ちゅぱ…来ちゃう、んっ…よぉ…!」
「いいよぉ…んっ…くちゅ…うた、はぁ…もっと…んっ…んっ…気持ちよく…なってぇっ…!」
ああ、あろう事か私は、幼い時からこれまでずっと一緒に育ってきた、暮らしてきた、大好きで、大切な女の子に唇を奪われ、口腔を犯され、全身を快楽で蹂躙され、浅ましく果てようとしている。
最期の最期で理性が、自らの快楽を押し止める。
堕ちてしまいそうな自我を、すんでの所で引き留める。
このまま身を任せてしまえば私は、もう二度と彼女の顔をまともに見られなくなってしまう。
これまで築いてきた彼女との関係性が、大きく音を立てて壊れてしまう。
このまま果ててしまえばきっと、私の平穏無事な日常は、崩壊してしまう。
もう、戻れなくなってしまう。
私の中に押し止めていた、彼女を求める気持ちに、歯止めが効かなくなってしまう。
有栖ちゃんのことを、本当に、本当に…!
「んっ…だめっ…有栖…ちゃんっ…ちゅっ…だめ…だって…んんっ!…ばぁ!」
私は抗いがたく暴虐を尽くす快楽に流されまいと、強く、強く意識を保つ。
きっと有栖ちゃんは夢に囚われているのだ。
夢心地で、目の前にある快楽を貪っているだけなのだ。
本来の有栖ちゃんが、決してこんなことをする訳がない。
こんな風に衝動のまま、私に欲望を叩きつけるようなこと、する訳がない。
信じられない状況に意識が動転して、流されるままに、その場の快楽を求めているだけなのだ。
きっと彼女の内側にも、彼女自身が忌み嫌うような欲望が眠っていたのだろう。
それが非日常の中で心を乱した有栖ちゃんの意識に表出し、こんな彼女らしくない振る舞いをしてしまっている。
彼女もこんなこと望んでやっているはずがないのだ。
だから有栖ちゃんの目を、醒まさなければいけない。
有栖ちゃんに正気を取り戻させてあげなければいけない。
そう考えている間にも、快楽は恐ろしい速度で私の全身を蹂躙していく。
唇から脳味噌へ、脳味噌から口内へ、口内から脳味噌へ、脳味噌から首筋へ、首筋から脳味噌へ、脳味噌から胸へ、胸から脳味噌へ、脳味噌から背中へ、背中かから脳味噌へ、脳味噌からお腹の奥へ、お腹の奥から脳味噌へ。
暴力的な快感が脳味噌と身体を行き来することでどんどんその強さは増幅され、恐ろしく甘い痺れが全身を満たしていく。
唇の端から零れていく涎さえも貪り取られ、彼女の唾液と一緒にまた私の口腔内へと注ぎ込まれる。
その液体はまるで媚薬のように私そのものを発情させ、支配し、ただ思考を快楽そのものに変えていく。
気付けば私の太股は悦びの涙に濡れていて、その奥にある花弁は熱い蜜を垂れ流し続けている。
ぐっしょりと濡れた下着が張り付いて、私のはしたない貝殻は浅ましくその口を開ける。
もっと欲しい。
そっちの口だけじゃなくて、こっちの口にも彼女の舌が欲しい。
私の純潔を捧げたい。
そんな想いが下腹部をきゅんきゅんと締め付けていく。
このままじゃ本当に私は、彼女の与えてくれる快楽の虜になって、それ以上のことを考えられなくなってしまう。
目の前に差し出された餌に一目散に飛びつく、ただの愚鈍な快楽の奴隷になってしまう。
それじゃあ、だめだよ。
こんなのは絶対に間違っている。
総てを真っ白に染め上げる快楽を、撥ね除けねばならない。
私はこんなの、望んでいないんだ。
どんなに気持ちよくったってこんな形じゃ、絶対だめなんだよ。
ごめんね、有栖ちゃん。
心の中で必死に彼女に謝りながら私は、激しい快楽に抗うように、甘美な快感を突き放すように、口内へ這入ってくる彼女の舌を、強く、噛みつける。
「…っ!」
声にならない叫び声を上げて彼女は、身を弾ませる。
舌を噛む痛みは誰しもが経験したことのある痛みだ。
食事中など、意図しない時に舌を噛んでしまって悶絶するという経験は誰だってあるだろう。
傷は深くなくても、舌という繊細な部位は痛みを強く感じる。
それこそ、蕩けた夢心地の思考が現実に引き戻される程度の痛みは感じるはずだ。
口に手を当てて蹲る彼女の姿を見ていると酷く心が痛んだけれど、きっとこうでもしないと彼女は、あのまま私を犯し続けただろう。
私はきっと、後ほんの少しあの快楽を味わってしまえば、もう後戻りできなかった。
確かにあの快感は、とんでもなく蠱惑的で甘美なものだったが、私たちが味わってはいけない果実だったのだ。
私も、有栖ちゃんも、夢から醒めなければいけなかった。
「うた、は?」
いつも通りの理知的な瞳で、彼女は私を見つめる。
「うん、有栖ちゃん。目が覚めた?」
「私は、意識を失っていたの?」
そう言う有栖ちゃんはいつも通りそのもので、彼女が悪い夢から醒めたことを物語っていた。
「うん、そうみたいだね。私もさっき目覚めたばっかりなんだけど」
まさか、さっきまで私に熱烈なキスをしていたんだとは当然言える訳もなく、なんとなく誤魔化してなあなあにしてしまう。
私の為にも彼女のためにも、あれは無かったことにしてしまった方がいいだろう。
そうじゃなければ私は、大好きな幼馴染みととてもイケナイことをしてしまった罪悪感でどうにかなってしまいそうだ。
「そうよね。なんだか私夢を見ていたみたい。まあ、いつも通りの取るに足らない夢だったけどね」
いつも通りの取るに足らない夢?
有栖ちゃんはいつも、あんないやらしい夢を見ているというのだろうか?
私とキスをして、抱き合う夢を常日頃から見ている?
それって有栖ちゃんは普段から、えっちなことをたくさん考えているということにならないだろうか。
人間の夢とは、その日起きた出来事を整理するために脳味噌が浅い睡眠の中で情報をごちゃごちゃに組み合わせて見せる現象だという。
だというのなら有栖ちゃんは、私に対してえっちな感情を頻繁に抱いていて、その妄想に起因するえっちな夢を日常的に見ているのかもしれない。
そう考えてしまうと、きょとんとした顔で此方を見つめている彼女の顔を直視出来なくなる。
有栖ちゃんは私と、えっちなことをしたいと思ってくれているのだろうか?
さっきみたいに強引にするのは絶対に嫌だけども、きちんと手順を踏んで段階的に愛情を育んだ末にえっちするのだというのなら、それもいいかなっていう気持ちになってくる。
もとより大好きな有栖ちゃんだ、その大好きの気持ちを変換してそういう関係になるのも悪くはないのではないか。
何より、キスするだけであんなに気持ちよかったのだ、それ以上のことをしたらどれだけの快楽が私を待ち受けているのだろう。
有栖ちゃんに抱いて貰って、愛して貰って私は……いや、ダメだろう。
妄想とはいえ、私はなんてことを考えてしまったのだ。
そもそも有栖ちゃんがそんなにえっちな女の子じゃないことくらい私はよく分かっているじゃないか。
彼女はそういうことに関してはとても誠実で固い決意を持っている筈だし、おそらく二十歳を超えるまではキスもしてはいけないくらいのことを考えている旧来の箱入り娘的お嬢さま然としたド処女なのだ。
私なんかの浅ましい欲望を彼女に向けることは許されない。
確かに有栖ちゃんのおっぱいのことは常日頃から考えているけど、いやらしい気持ちもちょっとは向けているけど、私のおっぱい愛は性欲を凌駕した一種の大自然的神秘への憧憬なのだ。
彼女に抱いて貰うだとか、そんなこと考えていい訳がない。
私の有栖ちゃんへの愛情はもっと純粋で、一人間としての尊敬や、幼い頃から一緒に過ごして来たことへの家族的な親愛でしかないのだ。
性の対象として彼女を見るなんて、あっていい筈がない。
私は確かにちょっぴりえっちな女の子だし、いやらしいことも時々考えちゃうけど、その一線だけは絶対に超えてはいけない。
私と有栖ちゃんの関係性は、今のままが一番なのだ。
それ以上になることは許されない。
そうじゃなければ私たちは……。
 




