1 入栖有栖
動物園へ出掛けた日から数日が経った。
学校へ行って、お家へ帰っての繰り返し。
時々、小夜ちゃん家にお掃除に行ったり、コメットちゃんたちと改変の手がかりを探したり。
ただ平穏無事に流れていく私の日常。
特別何かが起こる訳でもなく、なだらかな日常がずっと続いていく。
それは望んだ幸せの形そのもので、私はこんな毎日にとても満足しているし、こんな日々がどこまでも続いていけばいいなと思う。
……その気持ちに嘘はない。
過ぎた楽しみも、悲しみもいらない。
そう思って生きてきたから、この日常がどんなに素晴らしいものなのか私は知ってる。
ただ、大好きな人たちと一緒に平和な時間を過ごせること。
それに変わる幸せなんてないと思ってるし、それ以上なんていらない。
求めすぎればいつか手痛いしっぺ返しが来るのだ。
自分の現状に満足して、足るを知ることが、幸せの第一歩なのである。
だけど私はそんな生活の中に、決して目を瞑ることの出来ない不安の萌芽を感じている。
それに気付かない振りをして、知らない振りをして、自分の心の平穏を偽ってみても、四六時中思考を苛んで、決して許してはくれないのだ。
あの日聞いた有栖ちゃんの、何処までも冷え切った声が、耳にこびり付いて離れない。
動物園から帰ってきた後の有栖ちゃんは、いつもと変わらないように振る舞っている。
毎朝一緒に学校に登校し、一緒にお家に帰る。
その中で何度も彼女と話しているけど、その様子はむしろ元気そのもので、心に何かを抱えているような様子をこれっぽっちも見せることだってない。
懸念していた小夜ちゃんとの関係性だって、お互い笑って話せるくらいにまで改善した。
元々有栖ちゃんが剣呑な態度を取っていただけで、小夜ちゃんが彼女を拒否する感じはなかったこともあるし、確かに有栖ちゃんが心持ちを改めれば簡単に良好な関係性を築けたのだろう。
実際、二人の様子はまだ若干堅さは残るものの、十分友人として成立しているように思える。
私はそれを見るのがとても嬉しいのだ。
大好きな人がお互いのことを認めて、寄り添おうとしてくれているという事実が、とても嬉しいのだ。
その事実を素直に受け入れて、私の思う幸せな日常というものを、何も気付かない振りをしてただだらだらと過ごしてしまいたい気持ちにもなる。
だけど私はそこに、違和感を感じてしまう。
ぎしぎしと音を立てて今にも壊れてしまいそうな、歪みが生じているような耳障りな音が聞こえてくるのだ。
私の大好きな入栖有栖という少女は、一見すれば明朗闊達で、その振る舞いに自信さえも滲み出たお手本のようによく出来た女の子だ。
実際彼女は頭が切れるし、運動も良く出来る。
多少自信家で気が強いところもあるけれど人当たりは頗る良く、学級委員長にも選ばれるほどに周囲からの人望も厚い。
学校での評判は最高。
生徒からも教師からも一目置かれる存在であり、時に彼女は羨望の眼差しを向けられることさえある。
名実ともに一年生徒の頂点に君臨する、生まれながらの天才として誉れ高い賞賛を得ている。
確かに多くの人にとっては、有栖ちゃんという女の子が所謂天才というものに見えるのだと思う。
天才という言葉に込められた意味は一体どんなものだろう。
才能を欲しいままにし、何をするにも大した努力などせず、何もかもてきぱきとこなしてしまう人。
常人には理解出来ない思考回路の持ち主で、ちょっと頭を回しただけで誰にも思いつかないアイデアを思いつける人。
なにもかも順風満帆で、人生の成功者、悩み事も無ければ立ち止まることもない、だって天才なんだもの。
果たしてその天才という言葉が、本当に有栖ちゃんに相応しい評価なのだろうか。
深く彼女のことを知らない人たちが、勝手にイメージの中で有栖ちゃんという個人に非凡の才を見出し、自分の理解出来ないなんだか凄い力を持っている人だと決めつけているだけなのではないか?
私は、幼い日の有栖ちゃんをよく知っている。
泣き虫で、意地っ張りで、そのくせ強がりで、上手くいかないことがあるとすぐに癇癪を起こして泣き喚くような子だった。
だから私は少し苦手…いや、信じられないことだけど、嫌いだったし、彼女のその姿は今とは比べものにならない普通の子供だったと思う。
だけど、ただ一つ彼女に非凡の才があったとするなら、自分の出来ないことへの悔しさをバネにして、何度でも挑戦する力を持っていた。
私に何度もテレビゲームの対戦で負かされては泣いて悔しがって、こちらがやめようといっても彼女が勝つまで続けようとする、そんな折れない意志を持つ子であった。
それは何事にも言えることで、有栖ちゃんは出来ないことがあると出来るようになるまで根気強く挑戦し続けた。
それが少しずつ実を結び、至って普通だった学校の成績がいつしかトップを突っ走るようになり、遅かった足も誰よりも力強く駆けるまでになり、いつしか彼女は、身の回りのこと殆どで他人に勝るようになっていた。
だけどその裏側で、血の滲むような努力をしていたことを私は知っている。
有栖ちゃんは決して世の言う天才のようなものではなかった。
平々凡々な女の子がたゆまぬ努力を続けた結果、人よりも秀でた能力を身につけた、彼女はどこまでも努力によって形作られた女の子なのだ。
有栖ちゃんは、人の見ていないところで無茶をする。
なんでも全部自分の胸の裡に抱え込んで、自分一人で何もかも解決しようとする。
それは、彼女が周囲の人のイメージに合わせて振る舞おうとしているからだ。
彼女は、天才と言われることに慣れている。
天才という自分を作り出すことに長けている。
人々に言われる天才そのものであろうと、本当は弱い心を隠しながら、意地を張って自分自身を偽っている。
語気が強いのも、つんつんした態度もそうだ。
本当は繊細で泣き虫な心の中を誰にも見せないように、そういった態度で自分自身を守っている。
彼女は堅牢な心の鎧を纏いながら、他者からのプレッシャーを受け続けてきた。
きっとこれからもそのプレッシャーを受け続ける。
だから彼女は、自分自身が辛い時でも、平然と笑うのだ。
何事も無かったように、けろりとした顔をして、有栖ちゃんは今日も笑うのだ。
その心の奥底に、どれだけの想いが渦巻いているというのだろうか。
常に他人からの視線や評価に晒され、たった一度のミスも許されない。
何故なら自分は天才なのだから。
天才は決して失敗しないのだ。
そう何度も何度も言い聞かせて、彼女の心の中では一体どれだけの葛藤が繰り返されているのだろう。
きっと私には想像も出来ないほど壮絶で、身も心も引き裂かれるような想いを常日頃から感じているに違いない。
けれどそれさえも人に悟らせぬまま、今日も彼女は頑張り続ける。
誰も見ていない彼女の本当の気持ちを気取らせぬまま、ただ天才として、あり続けるのだ。
私はそんな有栖ちゃんを心の底から尊敬している。
頑張り屋さん、なんて言葉じゃ足りないかも知れない、努力を続ける彼女の姿がとても輝いて見える。
私はそんな有栖ちゃんの事が大好きで、とても大切に思っている。
彼女の事をちょっとでも支えてあげたいと、私なんかが思うのはひょっとしたらおこがましいことなのかも知れないけれど、幼馴染みとしていつまでも隣に寄り添っていたいと思う。
だけど時々、とても哀しくなる。
有栖ちゃんは、私にだって、弱さを晒してはくれない。
私がどんなに彼女の事を想っていても、彼女は私の前では、私の前でこそ、どこまでも強くあろうと振る舞うのだ。
だから、なんてことない表情で今日も私に笑いかけてくれる有栖ちゃんが、どうしようもない歪な感情を心の中で育てているのじゃないかと、そんな風に訝しんでしまう。
本当はとても辛いのに、無理して小夜ちゃんと仲良くしようとしたり、私たちに気取られないように元気な姿を偽っているのではないかと考えてしまう。
それらの疑念が全て、杞憂であるならどれだけいいだろう。
何もかも私がただ勘違いしているだけで、有栖ちゃんは本当に今私たちと一緒にいることを楽しんでくれて、毎日を幸せに思ってくれているというのなら、どれだけ素敵なことだろう。
しかし私は、あの、肌を粟立てる、どこまでも冷え切った彼女の声を聞いたその時からずっと、考えてしまうのだ。
有栖ちゃんが今尚苦しんでいるのだと。
心の中で叫び声をあげ、涙を流しながら、誰にも助けを求められずにいるのだと。
本当は苦しくて哀しくて仕方ないというのに、偽りの仮面を被って、誰にもその心の中を見せまいと無理をしているのだと。
彼女がこうなってしまったことの原因の一端は、私にあるのかもしれない。
私のこれまでの振る舞いが彼女の心を傷つけ続け、やがて誰にもその本心を晒すことの出来ない歪んだ人格を作り上げてしまったのかもしれない。
私が彼女の気持ちに気付かない振りをして、これまでずっと幼馴染みとして過ごして来たからこそ、彼女は今、どうしようもないくらいに心乱されて壊れそうな感情を胸の裡にしまい込んでいるのかもしれない。
総ては私が、私の罪が引き起こしたことなのかもしれない。
ずっとずっと彼女の想いから逃げ続けてきたつけが、こうして彼女の痛みとなって現れているのだとしたら。
私は一体、どうすれば正しかったのだろう。
私は一体、どうすればいいのだろう。
○
いつもと同じ学校の放課後。
何事もなく始まって何事もなく終わっていく日常。
とんと日が長くなって、授業の終わったこの時間でもまだ太陽は空高く昇っている。
少し霞んだ、都会の青空。
その青はぼやけて、白い雲との境界線を曖昧模糊としている。
あの空模様はまるで今の私の心模様のようだ。
一見晴れて見えても、もやもやした感情を拭い去れず、ずっと頭の中でネガティヴな思考がぐるぐると回っている。
厭な考えが纏わり付いて離れない。
決して曇天ではないのに、そこにあるのは薄ぼやけた灰色がかった色彩で。
私は一人、この学校の昇降口で、みんなが来るのを待っている。
一緒に帰る約束をして、いつも通りの集合場所で佇んでいる。
たまたま用事が早く済んでしまった私は、珍しくもこの場所に誰よりもはやく辿り着き、ただぼおっと空を見上げているのだ。
次第に思考は自分の内側に没入し始める。
自然に浮かぶのは、良くない考えばかり。
五月病というものがある。
誰しもが耳にしたことのあるであろう言葉。
新しい環境に上手く適応出来ず、悩んで塞いでずっともやもやとした気持ちが心を支配する症状の出る病。
もちろんそれは正式名称ではなく、適応障害や鬱病などの精神疾患の総称であり、病態も人それぞれ重軽度も人それぞれの、いい加減な病だ。
私の感じているこれも、五月の空の下、変化していく自分自身や周囲の環境に適応し切れていないことが引き金となっているのだから、立派な五月病といって差し支えないものだと思う。
六月を目前とした現在ではあるが、この際五月なのか五月でないのかは些細な問題だろう。
五月病が十二月に起これば、それは十二月病なのか?
そうではないだろう。
五月病は五月病だ。
というかそれは、ただの精神疾患だ。
病、などというが、この鬱屈した精神のゆらぎは薬を飲めば良くなる性質のものなのだろうか?
様々な精神疾患は、心療内科などにかかる事により、薬を処方されることもある。
主治医の適切な判断により、適宜必要な薬が宛がわれる。
でも考えてみて欲しい。
精神疾患に罹患する多くの場合は、その人の持つ個性やこれまで培ってきた経験により堆積し鬱屈した不安や不満、ストレスなどが主な原因となってそれらの相互作用により症状が引き起こされるのではないか。
つまり、それらの病気と罹患者のパーソナリティというものは大きく関わっているものだと思う。
果たして、薬を飲むだけでその人のパーソナリティは変化するというのか?
確かに投薬により一時的に気分が楽になったり、不眠が改善されることはあるだろう。
しかし、根底にある様々な問題、例えばその人の考え方であったり、置かれている環境の歪みを解決するだけ力が薬にはあるだろうか?
もし朝昼晩と錠剤を飲むだけで私の抱える問題総てがたちまちに解決して、なんの悩みもない健全な精神でいられるようになるというのならば、私は喜んで服薬しよう。
しかし、そんな薬はないのだ。
大好きな幼馴染みの胸に秘めた気持ちを全部洗いざらい晒して、彼女の気持ちを晴れやかにしてくれるそんな魔法みたいな薬なんてこの世界には存在しない。
結局のところ、精神疾患を根治させるためには、薬なんかの力は無力なのだと思う。
それは一時のまやかしで、気休めに過ぎない。
誰しもが飲むだけで幸せになれるおクスリなんてものは、一つだって存在しないのだ。
どうにも私は、無力感というものに苛まれているようだ。
私じゃ有栖ちゃんの気持ちを聞いてあげられない。
私じゃ有栖ちゃんの痛みを分かち合ってあげられない。
私じゃ有栖ちゃんの心を癒やしてあげられない。
そんな諦観が思考を酷く沈ませ、本来正面切って向き合わなければいけない問題に相対することを尻込みしてしまう自分がいる。
楽天的で脳天気な、物事を深くは考えない楽観論者。
私は自分をそんな風に思っていた。
そんな風に自称していた。
そんな風に自嘲していた。
…そんな風に演じていた、と言った方が正しいのかもしれない。
何事もプラスに捉え、決して後ろ向きの考えを抱かないように、見えているはずの問題から目を逸らし続けた。
私はそんな自分を、楽観論者だと思い込むことにしていた。
本当は逃げているだけなのに、それに気付かない振りをして、楽天的な自分をロールプレイしていた。
だけどしかし、根っからの楽観論者なんて存在しないのだ。
哀しいけれど、どんな人間にだって悲観的な思考は存在する。
性善説だとか、性悪説だというものがある。
生まれついて善であるだとか、悪であるだとか、二極的に考えてしまう理論だ。
彼女は根っからの善であるから信用できる。
彼は生来の悪であるから信頼出来ない。
そんな風にばっさりと人の一面を見て何もかも決めつけてしまう偏った思想だと、私は感じている。
私は、完全な善も完全な悪もないのだと思う。
人間は善悪どちらの性質も持ち合わせている。
そのどちらかに傾きこそするものの、結局は環境因子により常に人間は変化していく。
置かれた状況により日々思考は変化し、思想は変質し、偏執していく。
ずっと変わらずにいられる訳もない。
この世界に変化せずにいられる人間がどれだけいるというのだろう。
どんな悪人も正義の心を知って善人になるチャンスがあるように、どんな善人も悲しみに打ちひしがれれば極悪非道の道に進むことだってあるのだ。
常に善悪の天秤は両者の間を彷徨い続け、どちらか一方にあり続けると言うことはない。
今の私は確かに、悲観的な感情に傾き続けている。
いつでも前向きで、辛いことなんかにめげたりせず、日々是好日の精神でありたいというのに、どうしたって後ろを向いてしまう忌むべき思考が私の足を絡め取ろうと企図しているのだ。
一人になると、こんな事ばかりを考えてしまう。
ああ、誰かの声が聞きたい。
大好きな人たちの私を呼ぶ声が聞きたい。
私のこの思考の負のループを止めて。
知らず知らず傾き続ける私の感情から目を逸らさせて。
「お待たせ、詩葉」
私を呼ぶ声がする。
大好きで仕方がない、聞き慣れた声。
聞きたくて仕方なかった声。
だけどちょっぴりその声を聞いただけで、また感情が下向きに傾いて行くのを感じる。
「珍しいわね、詩葉だけなの?」
「うん、そうだよ。みんなちょっと用事があるみたいで遅れてる」
「そう」
私の隣に彼女、有栖ちゃんは横並ぶと、いつも通りの柔らかな表情をこちらに向ける。
少しつり目だけど、眦に優しさを湛えた、私の大好きな表情。
だけどその表情が胸にチクリと刺さる。
今尚彼女は、無理をしてこの表情を浮かべているのではないか。
精巧に作られた仮面を被って、その下では悲痛な涙を流しているのではないか。
嫌なことばかりを考えてしまう。
「まだ誰も来てないっていうなら、さ。ねえ詩葉、先に二人で帰っちゃおうか」
最近しばらく二人で下校することもなかったのだしと、彼女は言う。
唐突に突きつけられたその提案に、私は少し戸惑う。
確かにここずっと、五人でいることが多くなっている。
その弊害で私たちへの呼称が『百合姉妹』から『詩葉ハーレム』にグレードアップしてしまったのだけど、それはまあ半分くらい事実なのだから受け入れるほかないのかなぁと諦めてしまっていたり。
以前は、有栖ちゃんと二人きりで帰宅すると言うことは儘あった。
基本的に私にべったりのお姉ちゃんが何らかの用事で学校に居残る時などは、有栖ちゃんと二人で先に帰ったりもしていた。
頻度こそそんなに多くはなかった筈だけれど、楽しかったからだろうか、お姉ちゃんも含めて三人でいる記憶よりもずっと、有栖ちゃんと二人きりでいたことがよく思い出される。
私は結構、有栖ちゃんと二人で過ごすことが好きだ。
みんなの前では私に対してつんつんな姿勢を取る有栖ちゃんも、二人きりの時にはちょっぴり言葉尻が穏やかになる。
私と一緒にいる時の有栖ちゃんが浮かべる幸せそうな表情が好きだ。
はにかんで笑う彼女の瞳が好きだ。
二人でいる時の有栖ちゃんは、いつもより少しだけ本当の自分に近付いているのではないかと思う。
ほんの少しでもその肩に背負った荷物を軽く出来るのではないかと思っている。
だから私は、二人きりでいることで彼女の負担が和らぐのなら、私はいつでも彼女に寄り添いたいと思う。
だけど今日は、みんなで帰る約束をしている。
コメットちゃんたっての希望で、街中に繰り出して改変の予兆がないかのパトロールをしようということになっている筈だ。
流石に約束を違えて私たちだけで先に帰るというのは気が引けてしまうのだけれど…。
でも実際、有栖ちゃんと二人きりの時間を取ることは、今の私たちにとって必要なことのような気もしてくる。
ずっと気を張り詰めているだろう彼女の心をほんの少し癒やしてあげられるかもしれない。
私と二人だけの時に浮かべる彼女の表情から、何か大切なことが窺えるかもしれない。
そう思えば確かに、二人で一緒に帰るという選択を取るべきにも思えてくる。
コメットちゃんとの約束、と言ったってここ最近ずっと改変や異変など例の彗星関連と思わしき出来事が起こっているわけでもない。
毎日は平和そのもので、世界が終わる危機がやって来ているかもしれないなんて到底思えない。
たった一日有栖ちゃんと過ごしたって、何か突然取り返しの付かないことが起きるなんてこともないだろう。
それならば今日は、有栖ちゃんと一緒の時間を共有するというのも、良いかもしれない。
「私と一緒は、嫌?」
沈黙に焦れたように、有栖ちゃんの瞳は不安そうに揺れる。
私はその瞳を見て、すぐさま選択を決めた。
いつもは見せないその瞳に宿る色彩が、私の選択を否が応にも決断付けた。
「ううん、嫌な訳ないよ。今日はみんなには悪いけど、二人だけで一緒に帰ろうか」
私は精一杯の笑顔でそう返答する。
有栖ちゃんと一緒にいることが嫌な訳がない。
だって私は、彼女のことが大好きなのだから。
今でもずっと、一日中ずっと、彼女のことを考えているのだから。
それは必ずしも良いことばかりじゃないけれど、こんなに悩んでいるのは、貴女がそれだけ大切だからなんだよ?
貴女が私にとってかけがえのない存在だからなんだよ。
「うん!」
その時の有栖ちゃんの表情は、まるで幼子のように嘘偽りない喜色を湛えた笑顔だった。
彼女のそんな表情が見られるのならば、二人で一緒に帰宅するということはこれ以上ないとても素晴らしいことのように思えた。
少なくともその時の私は、自分の取った選択が正しかったのだと、そう確信していた。
「新しく出来た洋菓子屋さん。こないだみか姉がチーズタルトを買ってきてくれたところだけど、あそこ、カフェにもなっていてその場でお菓子が食べられるんだって。せっかくだし、寄っていかない?」
有栖ちゃんが寄り道の打診をするのは珍しい。
心根が真面目な彼女は、下校中の寄り道買い食いは校則で禁止されてるからいけないわ…と言うほどではないにしても、道草を食うことをあまり良しとしない性格なのだ。
実際、学校帰りに大人数で何処かへ行こうと決まった時には有栖ちゃんが同行することもあるが、私と二人きりで下校時に遊びに出かけるなんてことは極めて少ない。
「二人だけでいられる時間もそう長くはないから、今日くらいお話しがたくさんしたいのよ。ダメかな?」
彼女らしからぬいじらしい振る舞いと、直接的かつ感情的な物言いが、やけに胸に刺さる。
そんな顔で懇願されたら、断れる訳がないじゃないか。
もとより、最初から断る気もないのだ。
行こうじゃないか、洋菓子屋さん。
「私も、有栖ちゃんとたくさんお話ししたい。甘いお菓子も食べたいしね。善は急げ、みんなにバレないうちに愛の逃避行だ~!」
有栖ちゃんの手を取り、一目散に駆け出す。
「ちょっと詩葉、突然走り出さないでよ!」
「青春は待ってくれないのだよ有栖ちゃん!」
「何を訳のわかんないこといってんのよ~!」
よかった。
この時ばかりは有栖ちゃんも素直に楽しそうな表情をしてくれている。
いつだって私が馬鹿なことをやって、それに呆れたように有栖ちゃんが微笑む。
この構図こそが私たちの正しいあり方なのだ。
鬱屈な心なんて、下向いた気持ちなんて、無理矢理にでも跳ね飛ばして楽しい事だけ考えていればいいのだ。
たとえそれが現実逃避だとしても、逃避した夢の中を真実だと思い込んでしまえば、それは現実にもなり得る。
夢見る少女でいればいいんだ。
私はそれだけで、幸せなのだから。
気ままに夢見る機には、夢と現実を入れ替える機能があったではないか。
私の元にドラえもんの秘密道具はないけれど、私の心意気次第で夢も現実になるのだ。
私は白銀の剣士なのだ。
それならば有栖ちゃんの配役は、一体何なのだろう。
彼女は私にとっての……。




