11 お出かけをしましょう
五月も後半に入ると、陽射しはまるで初夏のそれを思わせるほどに強烈なものになる。
一応お年頃の女の子としては肌なんて焼きたくないからきちんと日焼け止めを塗って長袖のカーディガンを羽織っているわけだけど、そろそろ熱さも我慢の限界が近づいているなぁと感じる。
私が小さな頃の五月の太陽はこんなに激しく私たちの立つ大地を照らしていただろうか?
私の生まれた頃には地球温暖化という言葉が囁かれ、一大エコブームなんてものがあったりもしたらしい。
ストップ地球温暖化!とかいう標語が掲げられ、使わない電気はなるべく節電、待機電力を切るために電源コンセントは抜いて、エアコンの温度も高く設定しよう!出来るだけ温暖化物質を出さないように気をつけましょう!とかいう、科学的っぽいけどほんとにそこに根拠があるのかいまいちわからない運動を行う機運が高まっていたとか。
今ではぱったりと聞くこともない地球温暖化という奴が、本当にこの地球で起きているのか、私には少し疑わしい。
それさえも国家の陰謀で裏では様々な思惑が錯綜しているのだ!とかいうつもりはないけど、本当に私たちの電気に頼った生活が地球温暖化なんてものを促進しているのかは根拠不十分だと思うのだ。
だけれど現実問題、こうして太陽の光というものがじりじりと肌を焼くのは変わりようのない事実なので、張り切って地上を照らしてくれてる太陽さんにはほんの少し落ち着いて貰いたいなぁなんて思ったり。
私としては文字通り身を焼かれた経験がある訳で、あの忌々しい太陽めっ…とか思わないこともない。
全く、こうしてお外にいるだけでじんわりと汗が出てくる。
本格的にお出かけする前からびっちゃり汗をかいて汗臭い女の子になっちゃったら大変だよ。
朝でこれなんだから、日中はもっと暑くなるのだろうな。
まぁ、梅雨入りが近い季節柄、晴れてくれただけで万々歳というところだろうか。
せっかくのお出かけが雨降りなんて嫌だもんね。
私、有栖ちゃん、お姉ちゃんにコメットちゃんの四人は、最寄り駅の改札前で本日のもう一人のメンバーである小夜ちゃんを待っている。
今日は待ちに待ったお出かけの日ということで、浮き足だった気持ちで集合時間の二十分前にこの集合場所へと着いてしまった。
休日の朝だというのに既に街中には多くの人が行き交い、それぞれの生活を始めている。
みんな元気なのは結構だけど、もう少しのんびりしてもいいと思うよ。
昨今、人々は生き急ぎすぎていると思うのだ。
もっと心に余裕を持って、のんびりいこうよ。
まぁ、行く先々で人混みに紛れるのが嫌なだけなんだけどね。
「いつもは遅刻魔の詩葉が珍しいこともあったものね。普段から早め早めの行動を心がければいいのよ」
私の隣で腕組みしてる有栖ちゃんは、少し上機嫌そうにしている。
彼女の言う通り、こういう集合の時にはほぼ必ずといって良いほど時間に遅れる私が珍しく時間よりも早く行動しているものだから気分がいいのだろう。
この場所までは自宅マンションから四人で一緒に来たわけだけども、私がみんなを待たせさえしなければ本来こんな風に余裕を持って行動が出来るんだなぁ。
いつも待たせてしまってる手前、有栖ちゃんが喜んでくれるのは嬉しいけど、きっと次はまたたくさん待たせることになってしまうだろうから複雑な気持ちだ。
正直なところ、私は昨晩寝られなかった。
有栖ちゃんの言葉が未だに胸の中でもやもやしているし、今日という一日がみんなにとって、特に有栖ちゃんと小夜ちゃんにとって楽しいものになるかどうか不安で仕方ないのだ。
有栖ちゃんは何事もなかったかのように、いつもみたいにけろりとしていて平気そうな顔をしているけれど、その胸の内側では色んな想いが渦巻いているのではないか、そんな風に邪推してしまうのは私の考えすぎだろうか。
寝不足の少しぼやけた脳味噌では、上手く考えが纏まらない。
こんな状態で何を考えたところできっと良い答えは思い浮かばないだろう。
だからこの際何もかも忘れて、ただ楽天的に一日を楽しむことにしよう。
私は臆病者だけど、脳天気さにかけたらそこらへんの人には負けないのだ。
寝不足や不安な気持ちに負けていたら勿体ない。
みんなと一緒に、精一杯今日という一日を満喫しよう。
「あら、小夜ちゃん来たみたいよ」
お姉ちゃん(登山用ともいえるほど大きなバッグを背負っている)の指さす先、人混みでごった返す駅のロータリーに、力なさげに揺れる日傘がある。
それはゆったりとした足取りで、まるで酩酊したおじさんのように頼りげのない歩調だったのでそのまま倒れて寝始めないかちょっと不安に思ったけど、一歩一歩ゆっくりとだが確かにこちらへ向かってきているようだ。
「お…お待たせ…」
私たちの目の前に現れた小夜ちゃんは、既に死屍累々の様相を呈していて、今にもひっくり返らんという具合にぐったりとしていた。
「人混み…苦手で…ここまで来るの大変…だった」
いつもの辿々しいしゃべり方に拍車がかかって、聞き取るのも困難なほどにぜいぜいとした喘いだ息づかいをしている。
「大丈夫、小夜ちゃん?これから電車だけど、行ける?」
「酔い止めは…飲んできた…から。大丈夫…」
ずっとお屋敷に引き籠もって生きていた小夜ちゃん。
自分の家から学校に通うのだってしんどそうにしているのだ、彼女にとっては一人で街中を集合場所まで歩いてくるだけでも困難を極めたようだ。
きっと体力的なもの以上に、人の群れの中を歩くという精神的負担からくる疲れも大きいのだろう。
そのあたりきちんと考えてあげれば良かったと今さらながら少し後悔の念が湧いてくるが時既に遅し。
ところで電車に乗るのに酔い止めを飲むというのは余り聞いたことがないけど、それほどに小夜ちゃんは乗り物酔いが酷いのだろうか。
「こんな調子になっちゃうんじゃ、私たちがお屋敷まで向かえに行ってあげればよかったね。とりあえず落ち着くまで、ゆっくりしようか」
「う…うん…」
小夜ちゃんに肩を貸して近くのベンチまで移動する。
小夜ちゃんが集合時刻から十分前にここへ来てくれたこともあり電車の時間まではまだ余裕があるし、ここで彼女が落ち着くまで少しの時間座って休んでおこう。
電車に乗ったら座れないかもしれないしね。
「小夜ちゃん、大丈夫かしら?取りあえず飲み物でも飲む?」
お姉ちゃんは大きな鞄の中からこれまた二リットル以上入りそうな水筒を取りだし、カップにお茶を注いで小夜ちゃんに渡してあげる。
一人で飲むには大きすぎる水筒は私たちの分を考えてくれてのことだろう。
この辺り用意周到なのは流石お姉ちゃんというところだ。
「美歌子さま…ありがとう…んっ、美味しい…」
手渡されたお茶をこくこくと飲み干すと、小夜ちゃんの顔色が少し良くなってくる。
もう少し経てば普通に動けるようになりそうで取りあえず一安心だ。
「ごめんね…始めから…迷惑かけて…」
小夜ちゃんは申し訳なさそうに沈んだ表情をしている。
彼女自身お出かけすることを楽しみにしてくれていたみたいだし、こうやって私たちに気を遣わせてしまったことに少し罪悪感を感じているのだろう。
彼女の身体がもともと強くないのは周知の事実なのだし、私たちはみんな迷惑に思ったりなんてしない。
けれど小夜ちゃんは、自分のそんな体質をかなり気にしている節がある。
人に迷惑をかけないようにびくびくしているのも、そのせいなのかも知れない。
「坂上先輩がそんな顔してたら楽しめないですよ。別に私たち、これくらいのこと気にしたりしないので、そんな顔しないで下さい。今日はせっかくのお出かけなんですから、良い日にしましょう?」
そう言って有栖ちゃんは笑いかける。
私は一瞬、自分の目と耳を疑ってしまったけれど、確かに私の目の前の有栖ちゃんは、小夜ちゃんに笑いかけているのだ。
「有栖さん……うん、そうだね…私…良い日にしたい…」
有栖ちゃんの言葉に小夜ちゃんはとても驚いたように、だけど嬉しさを滲ませた表情で微笑み返した。
有栖ちゃんがこんな風に小夜ちゃんに声をかけてくれるとは思っていなかっただけに、私自身も内心とても驚いている。
向けられたその表情が、これまで見た有栖ちゃんの小夜ちゃんへ取っていたどの態度よりも柔らかかったことが、信じられなくもあり、だけどそれ以上に嬉しくもある。
昨晩の私の問いかけに思うところがあったのだろうか。
だから有栖ちゃんは、小夜ちゃんに歩み寄ろうとしてくれているのだろうか。
私が思っているよりもずっと、有栖ちゃんは小夜ちゃんとのことを気に掛けていたのかもしれない。
有栖ちゃんも今日という一日を、小夜ちゃんと良好な関係を築くための第一歩だと考えてくれていたのだと、そんな風に考えてしまうのは、楽天的に過ぎるだろうか。
私は昨晩有栖ちゃんの気持ちから逃げ出したというのに、それを喜ぶのは虫が良すぎるのかもしれない。
だけど私は、大好きな有栖ちゃんのことを信じたいと願う。
彼女はきっと、とても優しい女の子だから、どんな事情があったって小夜ちゃんとも仲良くしたいと思ってくれたのだ。
そう思ってしまうことは間違っているだろうか?
「何だか良い雰囲気なのです」
「ふふふ、そうね、コメットちゃん」
隣で見ていたお姉ちゃんとコメットちゃんもどこか嬉しそうに言葉を交わしていた。
二人も有栖ちゃんと小夜ちゃんの関係を心配してくれていたのだ。
五月の太陽の下、私たちの今日という一日が始まる。
どこまでも高く透き通った空が、清々しくどこまでも続いている。
何だか素晴らしい一日になるような、そんな予感に私の眠気もどこかへ飛んで行ってしまった。
○
電車に揺られることしばらく、私たちがやって来たのは、都内の一大動物園だ。
園内にモノレールがあることも有名な、国内屈指の動物園で、年間入園者数は日本一位であるらしい。
科学技術館や美術館や博物館などの文化施設もある広大な恩賜公園の中に立地したその動物園は、入園者数トップの名は伊達じゃないというように、入園する前からすでにたくさんの人がいることを予感させるだけの人通りがあった。
一番近い駅の改札口から向かう道程には、お菓子や清涼飲料水だったり、インスタントカメラの販売を行うような露店が並んでいる。
わいわいがやがやとした雰囲気の中を、ゆっくりとぞろ歩いているだけでも期待感が高まるというものだ。
「初めての動物園、とっても楽しみなのです」
キラキラとした瞳でコメットちゃんはきょろきょろと辺りを見渡している。
改変の兆しを探しにだったり、食料品の買い出しだったりでコメットちゃんと街中を一緒に歩くことは多くなったけれど、それでも彼女にとってはこの人間の世界で経験することの殆どが初めてだらけだ。
それらを好意的に受け取ってなんでも楽しく感じる様子はまさに天真爛漫な美幼女という感じで、見ているだけで私の中のロリコンの部分がきゅんきゅんするのを感じる。
「コメットちゃんは動物さんの名前には詳しいかしら?お姉ちゃんは結構その辺り詳しいから頼ってくれていいのよ?」
「知識では知っているので何となくはわかると思うのです。ですが、知識にあるのと実際に見るのは全くの別ものなので、その辺りサポート頼むのですよ、美歌子」
コメットちゃんとお姉ちゃんはとても楽しそうに会話をしている。
お料理を食べる作るの関係性があるからか、最近二人はとっても仲が良い。
もともとお姉ちゃんがお世話好きなのもあって、意外とズボラなコメットちゃんの手助けをしているのをよく見る。
まるで姉妹みたいでちょっぴり妬けちゃう気もするけど、お姉ちゃんが私以外の子にも愛情を向けてくれれば私への偏執的な愛情も少しは軽くなるんじゃないかと温かく見守っている。
みんな仲良しなのはとっても良いことだしね。
大好きなお姉ちゃんが可愛いコメットちゃんに現を抜かしているのにちょっとだけ嫉妬しているのはここだけの話。
「小夜ちゃん、大丈夫?」
私はというと、電車で見事に乗り物酔いをしてしまった小夜ちゃんと手を繋いで歩いている。
小夜ちゃんは片手に私の手、もう片方に日傘という風にしてよろよろと歩いている。
もともと肌が真っ白な女の子だから、きっと陽射しには弱いんだろうなぁ。
学校に登校する時はあまり日傘を持ち歩かないみたいだけど、これから暑くなったら確かに重宝しそうだなぁという気はする。
私もちょっと差してみたいけど、小夜ちゃんみたいに絵にならない気がするのでやめておこう。
「うん…なんとか…動物たちが待ってると思ったら…頑張れる…」
小夜ちゃんも結構、動物のことは好きらしい。
動物園へ行こうという話を最初に彼女にした時、とても嬉しそうな表情をしていたことを良く覚えている。
昔はご両親と時々遊びに来ていたのだと言う彼女の表情は、懐かしい想い出に胸を温かくしているような色彩を帯びていた。
「コウモリとか…吸血鬼みたいでちょっと格好良いし、よくみたら可愛い顔してて…いいよね」
「そう?私ちょっとコウモリには怖いイメージあるけど…」
「コウモリ…可愛くない…?私ってやっぱり、変かな…?」
「ううん、そんなことない、可愛い可愛い~!」
コウモリに対してはあんまり良いイメージはなかったけど、小夜ちゃんが可愛いと言ってるのだからきっと可愛いのだろう。
うん、そういうことにしておこう。
小夜ちゃんの場合、下手に発言を否定するとマジ凹みしちゃったりするので注意が必要だ。
対人スキルの低さが窺えるけど、そんなところも可愛くて私は好き。
それにしても、小夜ちゃんは吸血鬼が好きなんだなぁ。
吸血鬼になりたいって思うくらいなんだから、そりゃそうだよね。
口数の余り多くない彼女が発する言葉の中でも、吸血鬼という単語は使用頻度が高いような気がする。
吸血鬼という存在は、これまでそれくらいに彼女の心を支えていたのだろう。
これからは私たちの名前をたくさん彼女の口から聞けるようになると嬉しい。
「有栖ちゃんは、今日、身長高いねぇ」
私の左隣に並んで歩く有栖ちゃんは、いつもよりちょっぴりおめかしをしている。
今朝は私が起きる前に一度自宅に帰って準備をしていたみたいだし、髪はさらさら、お肌はつるつるでうっすらお化粧をしているのもとっても可愛い。
足下にヒール高めのパンプスを履いているから、もともと少し身長高めの分を合わせてかなり背が大きく見える。
ヒール効果で長い足がさらに長く見えてすらりと綺麗だ。
胸は大きく腰は括れているそのスタイルの良さも相まって、モデルさんが歩いているかのようなオーラを放っている。
「詩葉が縮んだんじゃないの?」
気合い入れてお洒落しているのを気取られて少し恥ずかしいのか、赤面してぶっきらぼうに言う有栖ちゃん。
「今日の有栖ちゃん、とっても可愛いよ。ね、小夜ちゃん」
「うん…有栖さん…素敵だよ…」
「ううっ、二人して、うるさいっ!」
ぷりぷりと頬を膨らませて起こる有栖ちゃんが愛おしくて堪らない。
はぁ、可愛いなぁ、可愛いよぉ。
そんなことを話しながら私たちは動物園の入り口へとやって来た。
チケット売り場にはたくさんの人が集まっていて、入園するまで少し時間がかかったけれど、休日のお出かけに人混みは付きものだし、並んで待っている間も楽しくお話しが出来るのだと思えば何の苦もない。
「うわ~い!やって来ました動物園!」
少々の時間を経て、私たちはようやく目的の動物園に入園することが出来た。
その喜びを全身で表現しようと、私は有栖ちゃんと小夜ちゃんの手を取ってわーい、といった風に両手を掲げる。
「ちょっと詩葉、馬鹿な女子高生みたいで恥ずかしいんだけど!」
「いいじゃない有栖ちゃん、馬鹿になれるのも才能だよ!」
「詩葉さんが嬉しそうで…私も…嬉しい」
「ほら、小夜ちゃんもこう言ってることだし、楽しもうよ~!」
「う~、全くもう…」
赤面する有栖ちゃんをよそに、私は彼女たちの手を握ったまま二度三度と万歳三唱。
仕方なさげに付き合ってくれる有栖ちゃんも、楽しそうに乗ってくれる小夜ちゃんも巻き込んで、周囲の人など気にせずわいわいと騒ぎ続ける。
ただ動物園に入園しただけでこんなに喜んでいる人なんて当然周りにいるわけもなく目立つことこの上無かったけど、こういうお茶目が許されるのも若い女の子の特権だよねということでどうか一つ、大目に見てつかあさい。
「ほらほらうたちゃん、置いて行っちゃうわよ。おほほのほ~」
動物が好きなお姉ちゃんと、初めての動物園への期待に胸が高鳴って仕方ない様子のコメットちゃんの二人は既に園内マップを片手に意気揚々と先に進んでいる。
「美歌子、あの三人は置いていってしまいましょう。私の知的好奇心がこれでもない程刺激されて早く動物さんたちを見たいと唸りを上げているのです」
「ちょ、ちょっと待ってよ~今行く、今行くから~」
私たちを置いて先に行ってしまおうという二人に追いつくため、小走りで駆け寄る。
勿論私の両手は有栖ちゃんと小夜ちゃんと繋いだままなので、女の子三人ぶんの横幅で園内を駆けることになる。
周りの親子連れとかに迷惑にならないようにぐねぐね蛇行したルートを走ったもんだから結構くたくただ。
有栖ちゃんも小夜ちゃんも私に引っ張り回されて少し三半規管がぐらぐらと来ているらしくゆらゆらと目を回している。
「こちら側の門からだと最初に見られるのはパンダさんだけれど……うわぁ、結構並んでるわねぇ。先に他を回ってからにしましょうか」
入園してすぐ右手に見えたパンダ舎のあたりは、随分とたくさんの人たちが並んでいた。
近頃赤ちゃんが生まれたこともあって大盛況、既にパンダを観覧するために長蛇の列が出来ていた。
並ぶとかなり時間が掛かってしまいそうだ。
「うん、そうだね。パンダはあとにしてまずは別のところから回っていこうか。まずはマップの右手側から攻めていこう」
赤ちゃんパンダとのご対面は後での楽しみにして、まずはマップの右手側、園で言うところの東園から回っていくことにする。
はじめに見えてきたのは、梟や鷹、鷲などの猛禽類の集まるエリアだ。
特に少し奥まったところある高さ十メートル近くはあろうかという巨大な檻の中を悠々と飛翔する大翼の鳥たちが実に格好良い。
「アンデスコンドルさん、とってもクールなのです。ブルース・ウィリス的な侠気溢れた渋さがあるのです」
コメットちゃんは飛び回るコンドルを、キラキラとした瞳で追っている。
彼女の好みも結構渋めだけど、翼を広げると二メートルは軽く超えているであろうその姿は確かに格好良い。
「私は…梟さんがいいな…シロフクロウ…ヘドウィグ…」
魔法使いのペット的な意味でか、シロフクロウはどうやら小夜ちゃんの興味を惹いたようだ。
吸血鬼が好きな彼女の事だ、似たような(と言ったら少し語弊があるかもしれないけど)魔法使いとか魔女とかも結構好きなのかも知れない。
シロフクロウが出てくるあのシリーズもきっと読んでいるんだろうなぁ。
そういえばお屋敷の書斎で見たような気がする。
猛禽のゲージが並んだ区画を抜けると、目の前にライオンが現れてくる。
「百獣の王なんていっても、寝てる姿は大きい猫ちゃんよねぇ。お姉ちゃん、一回で良いからあのたてがみに顔を突っ込んでもふもふしてみたいのよねぇ」
いつも私に向けるような変態チックな瞳でライオンを見つめて、お姉ちゃんはわきわきと手を動かしている。
「お願いだから本当に飛び込んだりしないでね、きっと食べられちゃうから」
流石に厳重に整備されているであろう檻に来園客が簡単に忍び込める筈も無いんだけど、お姉ちゃんのことだからその偏執的な愛でもって万に一つの確率でやりかねないので一応釘を刺しておく。
「大丈夫よ、お姉ちゃんもそこまでじゃないわ。でもやっぱり、死ぬ前に一度くらい」
わりと真剣に考えているみたいでちょっと心配だ。
ごろごろとしていたライオンとは対象的に、その奥にいるトラは展示場の中を行ったり来たりして来場客を湧かせていた。
近付いてくる度に歓声があがり、スマホを手に写真を取る様子が見受けられる。
最前列で見ている子供に興味を持ったのか、前足で硝子をバンバンと叩いてるけど、もしそこに硝子がなかったら大変なことになってるよね。
「そういえば私の好きな漫画でトラとお付き合いする女子高生の話があったわね」
トラの動向を目で追いながら、有栖ちゃんは真面目そうに呟いている。
「有栖ちゃん、結構そういう漫画好きだよね」
「わ、悪い?別にこれは動物たちとお話しできたら様々な知見に触れて価値観を広げられそうだなっていう学術的好奇心なんだから」
「あ、それわかるよ。私もそんな風に動物とお話し出来たらなって思ってる」
「詩葉のはただのメルヘンでしょーが。それにあの漫画はSS形式に短編作品をいくつも掲載しているんだけどシャム双生児の恋愛について考察している哲学的な一面もあって私はそれを実際の双子や幼馴染みといった関係性にも当て嵌めることが出来るのではないかと考察していてうんぬんかんぬん…」
最後の方はちんぷんかんぷんだったけど有栖ちゃんが楽しそうにお話し出来たなら私も嬉しいよ、うんうん。
好きな事を語る有栖ちゃんは可愛いねぇ。
お次はゴリラ。
うほうほうっほうほ。
「日本にいるゴリラの大半はニシローランドゴリラといって、この動物園のハオコくんというゴリラや、他の動物園で飼育されてる弟のシャバーニくんが有名ね。シャバーニくんはイケメンゴリラとして有名になって写真集すら発売しているのよ、世を席巻したゴリラ旋風がこれからもっと吹き荒れないかと私は期待しているの」
「あのゴリラさん、背中が銀色なのが渋いのです。燻し銀なのです」
「流石コメットちゃん、お目が高いわね!成熟した雄ゴリラは背中の毛が銀色になるのよ。所謂シルバーバックってやつね。なんだか背中で語る漢って感じがして渋いわよねぇ」
普段は私にべったりというか変態行為を働くお姉ちゃんだけど、ゴリラとはいえ男の魅力を語るお姉ちゃんを見ているとちょっぴり寂しい気持ちになってくる。
「美歌子さまは…ああいう毛深い人が…タイプなの…?」
「そうねぇ。あの毛並みにはやっぱり惹かれるものがあるわねぇ。もふもふは正義よ!」
ゴリラをもふもふと表現するのを初めて聞いた気がするけど。
「お姉ちゃんは私より、ああいう男の人がいいんだね。よよよ」
冗談めかしてお姉ちゃんにちょっぴりイタズラを仕掛けてみる。
「ち、違うわようたちゃん!お姉ちゃんの一番はうたちゃんだから!うたちゃんマイラブ!うたちゃんマイエンジェル!お姉ちゃんはいつもうたちゃんを見てる!私の中で燦然と輝く一番星はうたちゃん!うたちゃんこそが至高であり至上であり、それ以外の生命は決してうたちゃんの魅力に追いつくことはできない!」
焦った表情で取り繕うお姉ちゃんを見てるとちょっと楽しい。
いつも困らされてるから時々はこうやって反撃しないとね、うひひ。
ゴリラ舎の横手には、アオメキバタンがいる。
白い羽に黄色い冠羽のとっても可愛いやつだ。
鳥の展示ゲージであるというのに、屋根の部分が開放されているのがとても不思議。
逃げたりしないのだろうか。
よくインコを飼っている人なんかが風切り羽を切って飛べないようにしているのを見るが、そういうことだろうか。
空を飛ぶ鳥からその空を奪うということは果たして人間のエゴではないのか。
いや、衣食住を提供して安全に飼育されているのだから野生よりもずっと幸せなのではないか。
そもそも動物園自体が人間の傲慢なのではないか。
様々な思考が駆け巡るが、結局のところそんな疑問たちに明確な答えはないだろう。
どんな状況にいたって命の重みは等量だ。
私は近くにいる動物たちを大切に扱えばいい、ただそれだけだろう。
およそ動物園を楽しむにはほど遠い思考を挟んでしまってちょっぴり反省。
「はわわ、黄色の冠羽がとてもきゅーとなのです!どうにかしてお迎えしたいのです!」
アオメキバタンを前にして、コメットちゃんは大興奮。
本気でお家に連れて帰りたいというような瞳で見つめている。
コメットちゃん、改変能力を悪用して本当に連れて帰ったりしないだろうか。
「確か白色オウムの類いは朝鳴きが凄いって聞いたことがあるわ。賃貸じゃまず飼えないっていう話だけど…」
有栖ちゃんの発言にがっくりと肩を落とすコメットちゃん。
しかしすぐさま立ち直り、
「そうだ、私には改変の力があるのです!マンションの部屋をちょちょいと改変して完全防音にすれば或いは…」
「コメットちゃん、別に飼うのはいいけど、入手ルートは正規のものにしてね」
「ちっ…わかってるのですよ」
今コメットちゃん、舌打ちした?
改変して動物園の動物を連れ帰るなんて、流石にまず過ぎる。
バレなきゃいいとかじゃなくて倫理的にね。
次にやって来たのは、私の大好きな動物の場所。
「ホッキョクグマだ~可愛い~!」
白い毛皮のもふもふ動物、顔つきがちょっとおまぬけな感じがしてとっても可愛いホッキョクグマさんである。
「真っ白で、大きくて、最高に可愛いね~。あの毛皮に飛び込んでもふもふしたいよ~」
ライオンを前にした時のお姉ちゃんのようだが、私のは現実的に無理だとわかっているからまたちょっと違うのだ。
人間は、想像という名の翼で自由に飛び回る事が出来る。
想像の中でならどれだけもふっても危険はゼロ。
実際に体験したことはなくても、あの毛並みの素晴らしさは見ただけでわかる。
本当はあの毛は油まみれでごわごわしてるんだとかいう有栖ちゃんの意見は断固としてン拒否するぅん。
「私が吸血鬼のままだったら…詩葉さんのために…あれを眷属に…してあげられたのに」
マジトーンで悔しがってる小夜ちゃんは可愛いけど、それはちょっとどうなのだろう。
「吸血鬼のホッキョクグマって、それもう鬼に金棒じゃない?あの恵まれたフィジカルからの不老不死って、何人たりとも勝てる気がしないよ」
「そうかしら?北極ってだだっ広くて陽射しを遮るものもあんまりなさそうだし、気を抜いてたら日光に焼かれてお陀仏かもしれないわよ?」
確かに有栖ちゃんのいう通り、日光という点についてはすごく弱そうだ。
私も日光に焼かれる恐怖というものを知っているからこそ、他人事のように思えなくて寒気がする。
ホッキョクだけにね!




