表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
うぃしゃぽなすた!  作者: 上野ハオコ 
第二部 夢世界旅行記 前編
24/47

8 ゆめのはなし

人間の意志なんてものは移ろい行くもので、確固たる決意を持ってしても簡単に横道に逸れてしまうようなものなのだ。

それは流れる川のようで、昇っては沈む太陽のようで、満ちては引く海のよう。

この自然界に常に同じ状態でいられるものなどいない。

万物は流転する。

流れる以上時もまた然り。

全ては流れて変化していく運命のもとにあるのだ。


であるからして、今さっき担任教師の話を聞いてちょっぴり奮い立たされた心だって、お昼後の眠気を前にすれば簡単に睡魔に支配されるというもの。

些か意志薄弱が過ぎるのではないかと自分自身思うけれど、どうしたって午後イチの授業は眠くなるし、うっかり船を漕いでしまうのは仕方の無いことだと思うの。


それが、退屈な日本史の授業であるというのなら尚更。

教壇の上に立つ老齢の教師が発する声は、子守歌となって教室中に響き渡る。

窓際の一番後ろ、私の席から観察するに、既に大半の生徒が夢の世界へと誘われているようだ。

私の隣の席に座るコメットちゃんはとても真面目に授業を受けているけど。

えらいなぁ。


果たして、一週間の時間割というものを制作したであろう教師は、お昼休み後に日本史の授業を組み込むことに疑問を持たなかったのだろうか。

ご飯を食べてちょうど眠気がやってくる時間に、冗長で実りの少ない日本史などという授業を当て嵌めることを少しも躊躇しなかったのだろうか。

それとも、どうせ生徒が眠くなって集中力が持続しないお昼頃なのだしもういっそのこと寝かせてしまえという具合に日本史を配置したのだろうか。

日本史は犠牲になったのだ…?


先ほどから私は日本史というものを痛烈にディスってはいるが、別に歴史が嫌いという訳でもない。

過去に起こった出来事や、人の犯した過ちを学ぶことによって得られるものはたくさんあると思うし、忌むべき行為を繰り返さないためにも、故きを温めて新しきを知るためにも、歴史というのは大切なものなのだと思う。

だけど大前提として、神代から続いているとかいうこの日本の始まりを、天孫降臨だとか、その辺りの史実を、まるごと事実として受け止めることは酷く難しく感じるのだ。

そんな欺瞞から始まる物語を、虚構で語られた日本史とかいう夢物語を、素直に信じろという方が難しいと思うのだ。

果たして物語というものにはモチーフになった出来事もあるのだろう。

確かにそこには真実も秘められているのかもしれない。

ひょっとしたら現実より小説の中の方にずっと真理というものは存在するのかもしれない。

だがしかし、それらの出来事の数々をさも当然のように教科書などという媒体に記し上げ、全国津々浦々の少年少女に流布するという、一種の洗脳行為に対しては恐怖すら感じる。

そも、教育というもの自体が、洗脳行為ではないのか?

価値観なんてものは人それぞれあってしかるべきなのに、学校という狭い牢獄の中では、右向け右、左向け左、逆らったものは縛り上げて血祭りにしろと、そんな閉鎖的かつ後進的な文化紛いの遺物が今尚まかり通っている。

学校なんてものは、社会という集団幻想を幼い頃から脳味噌に焼き付け、自由志向を奪い国家の歯車になることを強制する、いわば奴隷製造機関に過ぎないのだ。

メーデーメーデー!

労働からの解放を!

自由を我が手に!

ベーシックインカムにより我らを労働から解放せよ!


……過激思考が混じってしまったような気もするけど、だから私は、日本史というものを受け入れることを良しと出来ない。

今日もこうして机に突っ伏して、暴力的に襲ってくる眠気というやつに身を任せるほかないのだ。

はぁ、世の中世知辛いのです。


夢の世界というものは、いつだって私に勇気をくれる。

現実世界ではパっとしない私だって、白銀の剣士ウタハニヤンとして夢幻三剣士となって妖霊大帝オドロームを倒す旅に出るのだ。

熊さんを助けたり、龍の出し汁に浸かったり、時には身体を塵にされてみたり。

そして最後にはお姫様と結婚して幸せになる寸前、高笑いする二十二世紀デパートの職員に夢見る機を持ち去られてうやむやになるところまでが様式美なのだ。

みんな違うからあいこでしょ、という具合に物語は終わっていく。


私の元にもコメットちゃんというある意味ドラえもん的存在がいるわけだし、あんな風に夢の中みたいな素敵な出来事が起こればいいのにな。

コメットちゃん、気ままに夢見る機出してくれないかな。

彼女なら結構真剣に改変とかして秘密道具の数々を作れちゃう気がするから面白いよね。


あれ、ドラえもん映画の話をしていたのだっけ?

いいだろう。

ドラえもん映画の話なら夜通しできる自信があるよ。

まず、ドラえもん映画のいいところは、テーマが壮大でそれぞれ物語に沿った科学的考察g…うん?

違う?

そうそう、夢の話をしていたのだった。


夢の世界とはこれまた面白いもので、たかだか授業中にほんの少しうたた寝をする間にも、信じられないくらいに壮大な物語を見せてくれることがある。

詩葉がうたた寝……。

夢の中の体感時間というのは、現実世界の体感時間とは全く異なったもので、たかだか十分程度の短い時間が十時間ほどまでに引き延ばされるということだってある。

人間が信じている時間という感覚は、天体の周期に由来するものであり、ある意味とても宇宙的な感覚であるといえよう。

宇宙は未だ解明されていない暗黒物質や暗黒エネルギーで満たされている。

つまりは時間というものだって、そういった超常的な性質を持っていても決しておかしくはないと思うのだ。


私はこうして昼下がりの気怠げな授業の最中、机に突っ伏して浅い眠りに落ち夢を見ることによって、宇宙とコンタクトすることを試みている。

夢の中にこそ世界の真理が隠されており、そこに満ちた平行世界の残滓を辿ることにより、コメットちゃんの調査を手助けしようと思っているのだ。

…というのは全くの嘘なんだけどもね。


ぐうすかぷぅ。



どこか遠い世界。


水平線に巨大な月が沈む幻想的な海。

浅瀬で波音を聞きながら、私はただ何をするでもなく佇んでいる。


足首まで、生温かな海水の中に浸りながら、広大な紫色の空を見上げている。


何をするでもなく、というのは間違っていたかもしれない。


潮騒の中に、少女が啜り泣く声が聞こえる。

私はそれを聞いているのだ。


少女の姿を明確に視認することは叶わない。

その姿は曖昧模糊として、ここにあるのかそれともあちらにあるのか。


だけど、彼女が泣いているという事実だけはわかる。

直感的に頭が理解する。


不思議な情景の世界で、私は少女に問いかける。

或いは、少女が私に……。


「どうして泣いているの?」


そう尋ねてみても、答えは返ってこない。

押し寄せては引いていく波の音に押し殺した泣き声が溶けていくだけだ。


「悲しいの?」


そう尋ねてみても、答えは返ってこない。

押し寄せては引いていく波の音に押し殺した泣き声が溶けていくだけだ。


「辛いの?」


そう尋ねてみても、答えは返ってこない。

押し寄せては引いていく波の音に押し殺した泣き声が溶けていくだけだ。


「痛いの?」


…うん、とっても心が痛いの。


ようやく返ってきた答えに私はどうしようもないくらい、心乱される。


どこか懐かしい声。

私はその声をよく知っているような気がした。


「どうして、心が痛いの?」


そう尋ねてみても、答えは返ってこない。

押し寄せては引いていく波の音に押し殺した泣き声が溶けていくだけだ。


「どうして、ここにいるの?」


そう尋ねてみても、答えは返ってこない。

押し寄せては引いていく波の音に押し殺した泣き声が溶けていくだけだ。


「ここはどこ?」


そう尋ねてみても、答えは返ってこない。

押し寄せては引いていく波の音に押し殺した泣き声が溶けていくだけだ。


「あなたは誰?」


私は、

私の名前は、


「   」


聞こえている筈の答えが、わからない。


何と言っているのか聞こえていても、頭がそれを理解出来ない。


それは人間が発することの出来ない音なのか、だから聞こえていても、それを表現する能力が私にはないのだ。


つまり彼女は、ただ一人この世界で泣いている少女は。


ああ、そんなに悲しそうな声で泣かないで。


私が貴方のその涙を拭ってあげるから。


ねぇ、   一人じゃないよ。


   、私が貴方を守るから。


だからこの気持ちは、   に。


それは誰の思考?

私のもの?

少女のもの?


頭の中に流れ込んでくる思考。

なだれ込んでくる悲しみの数々。


ああ、私は知っている。


確かにこの場面を知っている。


あの遠い世界。

シーンとした仄暗い病室で。


あそこから全てが、始まったんだね。



落下しそうになる感覚。

身体がビクンと痙攣し、唐突に意識が現実に戻される。


寝ぼけ眼で見渡せば、そこは窓際の一番後ろの席。

私の特等席、いつもの教室のいつもの景色だ。


つい先ほどまでほんの少し居眠りをしてしまったようで、机に突っ伏すようにしていたせいで下敷きになっていた右腕がちょっぴり痺れている。


未だ教壇に立つ老齢の教師は日本史の授業を続けているし、私の隣の席に座っているコメットちゃんは真面目にノートを取っている。

えらいなぁ、ほんと。


何か夢を見ていた。

それだけは覚えているけど、その内容も、どんな夢だったのかも、何一つ思い出すことは出来ない。

ただ覚えているのは、漠然とした悲しみの感情。

どうやら私は、悲しい夢を見ていたようだ。


自分の見ていた夢の内容を、明晰に、子細に思い出すことというのは、案外難しいことのように感じる。

どんなに良い夢を見ていたって、悪い夢を見ていたって、目覚めてみれば元通り、自らの目の前に横たわっているのはただただ無情な現実だ。


夢の中でどれだけ勇敢なヒーローになろうとも、大金持ちになろうとも、素敵な人と恋に落ちようとも、醒めてしまえばそこに在るのは紛うことなき自分自身だ。


でも果たして、夢を見る前の自分と、夢を見た後の自分というのは連続性のある確固たる自己で、どちらも全く同じ人間であると言い切ることが出来るだろうか。


私たちは、眠る度に擬似的な死を体験している。

そんな話をなんとなく聞いたような覚えがある。

単純な思考実験の話だったような気がするけど、まあ大体私のこういう知識の出所は有栖ちゃんだしきっとこれもそうだろう。


私たちは眠りにつく度に死と誕生を繰り返しているのだ。

それはつまり、日毎私たちは別の自分に生まれ変わっているということ。

それが本当であれ、ただの妄想であれ、そういう気分でいれば人生頑張れるよね~みたいな感じみたいな。


例えば、死を繰り返す度に見る夢の中の自分というのは、別の世界の自分の可能性で、平行世界のあり得たかもしれない自分自身、もしくは転生後にありえる自分の新しい人生を仮体験していると、そんな風に考えるとどうだろう。

夢の中で、自らの姿を明確に意識することは出来るだろうか?

ひょっとしたら自分が気付いていないだけで、普段の自分とは全く違う姿形を取っているかもしれない。

それが証明できれば、夢というものが、別の自分を体験するための舞台装置であるということさえも確証できるのではないか……。

それらの経験を経た自分自身、夢から醒めた自分自身というものは、本当にこれまでの自分と全く同じ人間と言えるだろうか?

ひょっとしたら、夢の中で何らかの天啓を得ているかもしれない。

私こそがキリストであり、ブッダになり得るのかもしれない。

私こそが神の生まれ変わりであり、これより世界を作り直し、新世界の幕を開けよう。

ふはははは、ふはははは!

まずは有栖ちゃんのおっぱいを私のものとする。

好きな時に私は有栖ちゃんの大きなおっぱいを揉む権利を得る。

朝昼晩、おっぱいを揉む。

晴れの日も雨の日も風の日も嵐の日も雪の日も吹雪の日もラグナロクが起ころうともドゥームズデイもおっぱいを揉む。

有栖ちゃんが嫌だといってもおっぱいを揉む。

ひたすらに気の済むまで、気が済んでもいつまでもおっぱいを揉む。

私に揉まれ続けることにより、次第に有栖ちゃんのおっぱいはその大きさをさらに増していく。

ついには天に届かんというほどの大きさと成り、有栖ちゃんのおっぱいは地球の自転軸を傾かせることにより、磁場とか色々なものが作用することによって世界中の女の子のおっぱいが大きくなる。

だけど私が揉むのはあくまで有栖ちゃんのおっぱいだけ。

だって他の人のおっぱいを揉んだらそれは浮気というものだろう。

浮気はいけない。

私は有栖ちゃんのおっぱい一筋なのだ。

その後も私は有栖ちゃんのおっぱいを揉み続け、有栖ちゃんのおっぱいは太陽系を突破し、やがては全宇宙をおっぱいで満たしていく。

宇宙規模のおっぱいを生み出したことにより、三千世界はおっぱいの為だけに存在し、私と有栖ちゃんがおっぱいをおっぱいする為だけに廻っていく。

おっぱいのおっぱいによるおっぱいのためのおっぱい。

おっぱい天国だ、ありがとうおっぱいの神様。

いいや、おっぱいの神様は私だ。

私が神様なのだから。

ありがとう私。

全宇宙とおっぱいの創世主たる私に感謝。


……この思考も夢かもしれない。


私が生きている現実も夢かもしれない。


ひょっとしたら貴方が感じている現実も夢かもしれない。


全部全部、水槽の脳が見ている仮想現実に過ぎないのだ。


ああ、世界が揺らいでいく。


有栖ちゃんのおっぱいだけは現実であり真理。


ぐうすかぷぅ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ