7 担任教師から呼び出しを食らうなんてことあるはずがないじゃないか(震え声)
私は有栖ちゃんやお姉ちゃんのように成績優秀な訳でもないし、授業態度だって決して良い方ではないけど(よくお昼寝とかしてるし)、誓って教師に呼び出されるような悪行を働いているような生徒ではない…筈だ。
そりゃまぁ、ちょっと前まで真夜中に街中を出歩いたりしていたけれど、それは夜遊びだとか不純異性交遊とかをしていた訳でもなくただ夜の街を眺めてぼおっとしていただけなのでそれについても特別問題があるとは言えないと思うのだ。
時々サボったりもしているし、遅刻ギリギリで登校するなんてこともザラだけど、概ね生活態度は良好だと思うし、結局のところ私は「職員室に呼び出し」なんていうイベントからはほど遠いところにいる存在だと言えよう。
……だけれど、今日の昼休み。
お姉ちゃんとコメットちゃん、それに小夜ちゃんと一緒に教室でわいわいとお昼ご飯を食べる私の元に、担任の教師がやって来た。
「詩葉、飯を食べ終わったら職員室に来てくれ」
いつも通り気怠そうに頭を搔きながらすぐさま踵を返し去って行く担任教師の後ろ姿を見ながら、私は全くの想定外の出来事に言葉を発することも出来ずに、呼び出されるに足る理由を必死に考えていた。
けれど当然、呼び出しを食らう理由なんて思いつくはずもない。
私は気が気じゃない中、いつもは美味しいお姉ちゃんのお弁当の味を感じられないでいた。
「うたちゃんが呼び出されるなんて、珍しいわねぇ」
お弁当を食べる私を幸せそうな表情で見つめているお姉ちゃんは、頬杖をつきながら、
「何か悪いことでもしたのかしら…でもお姉ちゃん、何があってもうたちゃんの味方だからね」
「私、悪いことなんてした覚え、これっぽちもないよ~。というかお姉ちゃん、私が悪いことなんて出来るような子じゃないこと知ってるじゃない。もっと私を信じて…」
「お姉ちゃんはいつだってうたちゃんのこと信じてるけど、端から見ると結構うたちゃんって際どい感じだと思うわよ。欠席とか真夜中のお散歩とか。素行不良の非行少女に捉えられてもしょうがないと思うけど…」
お姉ちゃんの正論にちょっぴり傷つく。
欠席してるのはお姉ちゃんも一緒だけど、そう言われてしまうと強く反論も出来ないので黙る他無い。
「詩葉は色々とダメダメなので一回きちんと叱られるといいのです」
「私、そんなにダメダメかな?」
「ダメダメなのです」
「がーん」
ついこないだ転校してきたばかりのコメットちゃん。
彼女は結構優秀でかつ授業態度も良いことから、教師たちの評判はすこぶる良い。
人間社会に上手く溶け込んでいて、そこら辺は本当に上手くやってるなぁと感心するほどだ。
そんな彼女からしてみたら確かに私はダメダメに見えるかもしれない。
ちょっと反省なのです。
「きっと、悪いことじゃないと…思う。詩葉さんは…優しいから、何か良いことしたこと…褒められるんじゃ、ないかな…」
小夜ちゃんだけは私のことを素直に褒めて励ましてくれる。
彼女は全く、渇いた心に水をくれるオアシスのような存在だ。
「ありがと~、私のこと信じてくれるのは小夜ちゃんだけだよ~。お姉ちゃんやコメットちゃんのことは知らないもん」
私の言葉にお姉ちゃんはあわあわ、コメットちゃんは気にせずご飯を口に運んでいた。
二人の性格が如実に表れていて見ていてちょっと面白い。
「最悪、うたちゃんが退学になって、もしその後なし崩し的にニートになっても、お姉ちゃんがずっと養ってあげるからね。むしろそうなったらうたちゃんはお姉ちゃんだけのものになる…それってとっても素敵なことだわ!」
「全然素敵じゃないよ!というか流石に突然退学になるようなことは絶対してないから!」
「いいのようたちゃん、いっそのこと自主退学して身の回りのこと全部お姉ちゃんに任せて!私が全部やってあげるから!そしてうたちゃんは私がいなければ生きていけない身体になるのよ~!」
本格的にヒートアップしてきちゃったお姉ちゃんのことは放って置くしかあるまい。
教室中がこちらを見てざわざわしていたけど、私はもう気にすることをやめた。
お姉ちゃんが変態シスコン狂なのは仕方ないもんね。
今さらどうこうして治るものじゃないし。
周りの生徒たちに百合姉妹とかあることないこと言われるのだって、受け入れるしかないのだ…。
○
たとえ理由は何であれ、担任に呼び出されたことは事実だ。
私はそそくさとお弁当を食べ終えると、早速職員室へと向かった。
見送るお姉ちゃんたちがなんとなく戦場へ赴く兵を見るような悲しげな表情をしていたので私の不安感はどんどん増していったし、職員室まで辿り着くまでの道程はやけに長いように感じた。
そもそも、職員室という場所に訪れることなど日常的な学校生活において殆どないと言っていい。
それ自体が少し緊張を伴うことであるのに、職員室の扉というものは大抵固く閉ざされており、来る者を拒むように佇んでいるからそれに直面するだけで否が応にも心臓が高鳴る。
ちょっぴり冷や汗が出てくるような気もするし、手の平はじわっと湿って来る。
ああ、嫌だなぁ、どうしてこんなところに入らなきゃいけないんだろう。
そんな思考がぐるぐると頭を回ることにより、扉を開くまで少々の時間がかかる。
漸く心の準備が出来た頃に、一呼吸してから意を決して重たい扉を引く。
「二年A組の峯崎です。失礼しま~す」
そおっと身を竦ませながら職員室に入るも、多くの教師は我関せずという風にこちらを見向きもしない。
こういったある種閉鎖的な雰囲気がどうにも落ち着かない理由の一つだろう。
仮にも貴方たちの学校の一生徒が訪れているのだぞ。
「お茶の一つでもどう?」…くらいのことにはならないのか?
「お煎餅でも一枚食べる?」…これくらいあってもいいだろう。
「それじゃあ今度のテスト、加点しておくからね」…これくらいだと最高だ。
なんて下らないことを考えながら担任のデスクを探す。
「おお、来たか。こっちだこっち」
部屋の端っこ、やけに日当たりのいい席に座っている担任教師が私を見つけて手招きをしていた。
「あ、あの」
自分の席に座って寛いでいる様子の担任を前に、私は恐る恐る口を開く。
「何か私、悪いことしましたか?」
至極真面目に私はそう尋ねたのだけど、それを聞いた担任は吹き出して、豪快に笑って見せた。
「違うよ、詩葉。だからお前そんなに緊張してたのか?」
腹を抱えて笑う教師の姿はあまりにこの場には不釣り合いで、私が呼び出された理由がますますわからなくなってくる。
混乱はしているが、彼女の雰囲気からとにかく悪いことではなさそうな感じはする。
「今日呼び出したのはさ、坂上小夜のことなんだ」
一通り笑い終えた担任はいつもの気怠げな顔に戻ると、
「最近、坂上が学校に来てくれるようになっただろ?」
真面目そうな声色でそう呟く。
「あれ、きっとお前のおかげなんだろ?」
小夜ちゃんはついこの間までしばらくの間学校に通えずにいた。
それは体調不良だったり、彼女の抱える問題であったりと理由は様々だったが、とにかく教師たちが問題視する程度には休んでいた。
「ありがとうな。坂上の問題は、どうしたって私たち大人には難しいものだったからさ」
気怠そうだった彼女の瞳が一転、真剣な色を湛える。
「坂上自身、人に対して自分から壁を作っているようなところがあるだろ。多分それは詩葉も感じていると思うし、大人に対してそれが顕著になるのもわかるよな。あれさ、実際私みたいな大人からすると結構堪えるのな。こっちがどうにかして説得しようと思っても、なかなかこっちのことを信頼しようともしてくれなかった。目も合わせてくれなかったよ。それは勿論、私の力不足に依るところが大きかったんだとは思う」
まるで懺悔をするように、訥々と彼女は言葉を紡ぐ。
「だけどさこの間、坂上に挨拶した時、ほんの少しだけどこちらを見てくれたんだよ。これまで一度だって目を合わせてくれなかった坂上がさ。ほんの一瞬だったけど。私はなんというかそれがさ、嬉しかった。凄く嬉しかったんだ」
目の前の教師が自分の心情を吐露していることに私はただ耳を傾けていた。
彼女の言葉はどこまでも真剣で、そこに一つも嘘のない純粋な感情が込められている気がしたから。
「最近、坂上がどうにかして変わろうと努力し始めている。何とかして自分自身を変えようと藻掻き始めている。そのきっかけを作ってくれたのはさ、きっと詩葉、お前だ。ありがとう。心から感謝するよ。お前たち最近ずっと一緒にいるもんな。何があったのか深くは聞かないが、何となく、色々あったんだろうなっていうのはわかる」
私に対して頭さえ下げながら、担任は感謝の言葉を発した。
その姿はいつもの気怠げな様子からはかけ離れた真摯さで、私は目の前で起こっていることが信じられない。
「そ、そんな。別に私がしたことなんて大したことじゃないですし、今だって小夜ちゃんの力になってあげたいと思ってるだけで何かが出来てる訳じゃなくて、私にはただ一緒にいるくらいしか…」
私自身、小夜ちゃんに何かをしてあげられているなんていう自信はないし、彼女の傍にいることくらいが私の出来る精一杯なことだ。
担任にこうして頭を下げられるまでのことをしたなんて到底思えない。
「それでいいんだよ。ただ一緒にいてやるだけのことが、坂上にとって一番必要なことなんだと思う。坂上のことはさ、本当は私たち大人がきちんと見てやって導いてやらなきゃいけない事なんだ。それが教師ってもんだし、どうにかしてやりたいっていう気持ちはある。だけどさ、その最初の第一歩をどうしたって私には踏み出せなかった。どんなに想っていても、坂上に気持ちを伝えてやることが出来なかった。それをさ、詩葉がやってくれたんだよ。坂上が人に対して心を開くきっかけを作ってくれたんだよ。本当に、ありがとう」
「いいんですかね、これで…」
小夜ちゃんに魅入られ、吸血鬼になって。
彼女の過去を知って、思いを知って、傍にいてあげたいと思った。
私がやったことなんて、ただ一つだって特別なことじゃない。
こんな風に感謝されるようなことじゃ決してないのだ。
だけど、どうしてだろう。
担任がここまで言ってくれることに少し、救われたような気持ちになる。
私のやって来たことは正しかったのかもしれないと、少しだけ自分を信じてあげてもいいかなという風に思える。
私は不安だったのかもしれない。
ただ小夜ちゃんと一緒にいて、一緒にお屋敷を綺麗にしたりすることが、私が一方的に感情を押しつけているだけなのではないかと、胸の奥でずっと考えていた。
それを認めてくれる大人がこうしているだけで、心がすっと軽くなるような気がしてくる。
「これからもさ、どうか坂上のことを見てやってくれないか?特別なことなんて何もしなくていいから、ただ話して、一緒にいるだけでいい。きっと坂上のことを変えてやれるのはさ、詩葉みたいに同年代の友達の存在だと思うんだよ。勿論、何かあったら私が全力でサポートするからさ。どうかこれからも、坂上のことをよろしく頼む」
「どうして先生は、小夜ちゃんのことをそんなに思ってくれるんですか?」
一教師である彼女が、小夜ちゃんのことを気に掛けているのは当然なことなのかもしれない。
しかし彼女の言葉に込められた感情には、それ以上の何かが秘められているような気がしてならない。
どうして彼女は、そこまでの感情を小夜ちゃんに向けているのだろうか。
「坂上の母親にはちょっとな、昔お世話になったことがあるんだよ」
何処か遠くを見るような目で、担任は優しく呟く。
「勿論、公私混同するような気はないぞ。ただ私は教師として、一人の人間のとして、生徒を見守る義務がある。それだけだよ」
そう言って微笑む担任の瞳は、少し儚げに揺れていて、私はそれがとても綺麗だと思った。
普段は気怠げで、生徒のことなんて気にしてなさそうに放任主義を貫いているように見える私たちの担任教師。
彼女にこんな風に生徒のことを強く思ってくれる一面があったことに正直とても驚いている。
ひょっとしたら彼女は、実は小夜ちゃんの事だけじゃなくて他の生徒のこともきちんと見てくれているのかもしれない。
それはきっと私のことも例外ではないのだ。
そうじゃなければ私と小夜ちゃんの間にあった出来事のことなんて気付けないだろう。
勿論、私たちが吸血鬼化していたなんて話、彼女が信じられるわけもないだろうし、そこまで見抜いてるとは思わないけれど、きっと彼女は私の思っていたよりもずっと生徒のことを考えてくれてる教師なのだろう。
彼女がいつも気怠そうにしているのも、そういった彼女の本質を生徒に気取らせないように努めているからなのかもしれない。
そう考えると、これまで見てきた彼女の挙動の端々に思いやりのようなものが溢れていたことに気付いて、少し可笑しくなってくる。
「なに笑ってるんだ?」
「いえ、大人って見た目じゃ判断できないんだなって思って」
「ふふ、何だそれ。まぁ、そういうものかもしれないな」
担任教師は少し呆れたように、だけどとても優しく微笑んで見せた。
どこか無邪気な笑顔が、何だか眩しかった。
「大人ってのはさ、なろうと思ってなるもんじゃないんだよ。気付いたら子供じゃいられなくなって、仕方ないから大人のフリをするしかなくなる。みんな意地を張ってるんだな。だから、自分の感情ってものを素直に表現出来なくなる。それはちょっぴり悲しいことだけど、案外悪いもんじゃないぞ」
「大人って、大変なんですね」
「大人も子供も、大変じゃない人なんていないよ。人それぞれ大なり小なり問題は抱えているし、辛いことはたくさんある。大人になると抱えるもんが少しばかり増えるけどな、大人と子供の違いなんてそんなもんだ」
彼女の言うとおり、確かに大変じゃない人なんていないのかもしれない。
大人だから、子供だから、そんな風に分けて考えてしまいがちだけど、ひょっとしたら本質は変わらないものなのだろうか。
「私、今がとても楽しくって、大人になるのが少し怖いんです。今一緒にいられる人たちと離ればなれになるかもしれないのが怖い」
私は自然と、そんなことを口に出していた。
彼女なら私のこの気持ちに何か答えをくれる気がして、この胸のもやもやをどうにかしてくれる気がして。
「不安は常に尽きない。それは生きている以上仕方ないことだ。だけど、詩葉のように今を楽しめているならきっと、大丈夫だよ。未来っていうのは今の連続でしかない。今日の楽しみを重ねることが、明日をより良くするんだよ。大人と子供の境界線なんて曖昧で、不確かなものだ。誰しも知らないうちに大人になってる。ただそれだけで、失うものなんてなにもないんだよ。だから今を精一杯笑え。日々是好日。毎日面白可笑しく過ごせよ乙女」
そう言って力強く私の肩を叩く彼女の言葉にとても勇気付けられる。
教師として、人生の先達として、真正面から言葉をくれたことがとても嬉しい。
私は身近にこんな大人がいてくれることを心強く思った。
これからはもう少し、彼女の授業はちゃんと聞かなきゃいけないね。




