6 おはようからヘヴィな私のお姉ちゃん
「おはよう、マイエンジェルうたちゃん。今日も素晴らしい一日の始まりがやってきたわ」
一日の始まり、私が最初に聞くのはいつもこの声だ。
「うたちゃんの寝顔ったらどうしてこんなに可愛いのかしら?はぁ、全くうたちゃんってば罪作りな女の子ね。今すぐにキスしたくなる、抱きしめたくなる、○○○したくなる!」
朝から放送禁止用語を口に出す姉のヘヴィな愛に少々辟易しながらも、朧気な意識が徐々に覚醒を始める。
水底からゆっくりと浮かんでくるかのように、自分のものではないかのように重たい身体が制御を取り戻し、その感覚に現実味を帯びてくる。
「ほっぺにチュ♡くらいだったら全然セーフよね。家族の挨拶として至って普通なものだもの。うたちゃんの同意がなくたってそれくらいなら許される筈だわ。そうだわ、しちゃおう。キスしちゃいましょう」
うっすらと開いた瞼の奥に、口をすぼめてこちらに向かってくるお姉ちゃんの顔を視認する。
ぎゅっと目を瞑って恐る恐る近付いてくる様子はちょっぴり可愛かったけれど、ほっぺたとはいえ私のファーストキスを奪われるわけにはいかないのだ。
外国では、女の子のファーストキスは、生まれて直後に父親の目一杯な愛によって奪われるというのがある種当たり前のようらしいが、ここは日本、過剰なスキンシップが良しとされない文化であるからして、私の身体は基本的に誰にも触れられていない純粋な乙女そのものである。(首筋と耳はノーカウント)
「やめて~お姉ちゃん。起きるから。いますぐ起きるから~」
私は気怠い身体をベッドから精一杯に起こしながら、お姉ちゃんの目論見を阻止することに成功する。
変わらない日常の風景。
今朝もお姉ちゃんの変態行為を目にしながら一日が始まる。
「あぁ…もう少しだったのに…うたちゃんのファーストキスはいつになったら貰えるのかしら…」
「私のファーストキスがお姉ちゃんのものって前提なんだね…」
「勿論、うたちゃんのファーストキスどころか、ファーストえっちまでおねえちゃんのものだということはこの宇宙が始まった時からの摂理であり逃れられない運命なのよ!」
「そんな摂理はないし運命もないよ~!ほんとにお姉ちゃんは頭の中いつだって十八禁なんだから」
「ふふふ、そんなに褒めないで。照れちゃうじゃない」
「褒めてないよ!」
私たちがそんな風に下らない会話を繰り広げる中、リビングの方から声が聞こえてくる。
「美歌子、そろそろお腹が空いたのです。朝ご飯はまだなのですか~!」
それはコメットちゃんからの催促の声だった。
「あらあらまあまあ、コメットちゃんが呼んでるわ。今朝のうたちゃんとのいちゃいちゃタイムはこれでお終いね」
お姉ちゃんは少し残念そうにしながらも、コメットちゃんに朝食を作れることが嬉しいのか、幸せそうにエプロンの裾をはためかせている。
元来、家事炊事が好きというお嫁さんスキル極フリのお姉ちゃんにとって、自分の作ったご飯を求められるということは非常に好ましいことであるらしい。
コメットちゃんがお姉ちゃんの料理をひどく気に入っていることも、内心かなり嬉しいのだと彼女は言っていた。
朝食は日毎豪華になっており、今ではコメットちゃんの前には満干全席と形容出来るほどの豪華な料理の数々が並べられるのが通例になっている。
「それじゃあ、うたちゃん。着替えてリビングにいらっしゃいね。今日はなんだか寝癖がとってもキュートだから、あとでお姉ちゃんが真心込めてブラッシングしてあげるからね」
「うん、行ってらっしゃい」
私は戦場へ向かう歴戦の兵士を見送る気分になりながら(厨房は戦場なのだ。フライパンを振るうお姉ちゃんはさながらソルジャー)、寝間着から学校の制服へと着替える。
姿見を見れば、確かにお姉ちゃんのいうとおり、私の短い髪の毛はあちらこちらへ自由奔放に跳ねている。
自分のことながらどんな寝相をしていたのか心配になってくる。
「おはようなのです」
目をこすりながらリビングへ向かうと、既に朝食を平らげた様子のコメットちゃんがまんまるぽんぽんを撫でながら朝のニュース番組を見ている。
「うん、おはよー。今日もコメットちゃんはたくさん食べたみたいだね」
「ええ、美歌子の料理は今日も最高だったのです」
青い瞳を細くしながら微笑むコメットちゃんの表情はとても満足げで幸せそうで、見ているこっちまで何だか幸せになってくる。
「お姉ちゃんとうたちゃんの間に子供が出来たらこんな気持ちなのかしらねぇ?」
それを見ていたお姉ちゃんは微笑を湛えて頬に手を当てていたが、その様子は見ていて少し寒気のするものだった。
「あの、お姉ちゃん?女の子同士で子供は出来ないからね?」
「確かに女の子同士でえっちしても子供は出来ないわ。だけれど、うたちゃんの卵子を使って私が人工授精することによって擬似的にだけど私はうたちゃんの子供を妊娠出産出来る!」
「お姉ちゃん、朝から発言する内容がヘヴィ過ぎるよ。お願いだから時と場所は考えてね…?」
お姉ちゃんの私への愛情が日に日に重たくなっていくのは気のせいだろうか。
決して気のせいではないような気がして、私は自分の未来というものが心配になってくる。
このままお姉ちゃんの偏執的な愛情によって洗脳調教されて、私は身も心も彼女のものになってしまうのではないかとさえ考えてしまう。
勿論こういう風に考えているうちは平気だろうし、実際のところお姉ちゃんのあまりに重たい愛情もちょっぴり心地良いと思ってしまっている自分がいるのだけれど。
「人工授精とか面倒くさいことしなくても、改変すればちゃちゃっと二人の子供くらい作れるのですよ」
コメットちゃんは至極真面目そうな顔でそう言っているが、それって生命の神秘とかを冒涜する感じのサイコな技術なのではないだろうか。
「あらあらコメットちゃん?それは本当なの?私、うたちゃんの子を孕めるならなんだってするわ!自分のお腹のなかですくすくうたちゃんの遺伝子が育まれていくことを感じながら幸せに浸りたいの。そして生まれてきた子には精一杯の愛情を注いでとびきり幸せな人生にしてあげるのよ。男の子でも女の子でもうたちゃんに似た可愛い子に育つでしょうね。今から反抗期は少し怖いけどこの愛情があればなんだって乗り越えられる気がするわ!きっといつかその子にも好きな人が出来て、結婚するのでしょうね…それはとっても寂しいことだけど、これ以上ないくらいに幸せなことだと思うわ!そして私は子供や孫たちに囲まれながら安らかに天寿を全うしたい!きっとみんな酷く悲しんで涙を流すでしょう。でも私はいつまでも天国からみんなのことを見守ってるからね」
あり得ざる未来のことを語りながらうっすら目に涙さえ浮かべて身を捩らせてるお姉ちゃんを横目に無視しながら、私は彼女の用意してくれた朝食を摂る。
勿論、コメットちゃんの食べたもの凄い量とは比べるべくもない、至って普通の朝食だ。
「有栖ちゃんと小夜ちゃんのこと、お姉ちゃんはどう思う?」
一通り妄想に耽って落ち着いた様子のお姉ちゃんに尋ねる。
最近ずっと一緒に過ごしているからこそ、お姉ちゃんは彼女らのことをどう考えているのか気になる。
小夜ちゃんはお姉ちゃんのことを随分気に入っている様子だし、出来ればお姉ちゃんにも二人の仲を取り持つ協力をして欲しいのだ。
「そうねぇ」
暫く思案げに、彼女は考えを巡らせる。
その間に私はそそくさと朝食を口に運んでいくが、やっぱりお姉ちゃんの料理は最高に美味しい。
「二人は今、どうにも難しい状態よね。お互いの事を本当の意味で嫌い合っている訳では決してないだろうけど、なんとも言い難い雰囲気なのは確かだわ」
食卓の食べ終わったお皿を重ねながらお姉ちゃんは、
「どうにかして二人の関係をより良くしてあげたいのは山々だわ。でもね、彼女たちが抱えている問題って、本質的にはないと思うのよ」
「問題がない?でも実際、二人は今いい関係って訳じゃないよね」
有栖ちゃんと小夜ちゃんの間に漂う雰囲気は誰が見ても良好なものとは言えないだろう。
そこに問題がないとは一体どういうことなのか。
お姉ちゃんは二人がこのままの状態を続けてもいいと思っているのだろうか?
まさかそんなことは無いとは思いたいけど……。
「有栖ちゃんと小夜ちゃんが今こうして毎日のように顔を合わせているのはお互いにうたちゃんと一緒にいたいから、よね?そして、有栖ちゃんが小夜ちゃんと仲良く出来ない理由も、うたちゃんにあるわね?」
かみ砕くようにゆっくりと、お姉ちゃんは語る。
「結局のところ、二人はお互いのことを理由にして会っているわけでもなければ、お互いのことを理由に険悪な雰囲気になっているわけではないのよ。どちらの理由も外的な要因に依るものだわ。言い方は悪いけど、本来二人は出会うべくして出会ったわけでもないし、そこにうたちゃんという外的要因がなければ今後二人が関係を築くこともないのかもしれない」
それはつまり、お互いがお互いのことに興味がないということではないのか。
無関心という感情は果たして、好きに変換されることなどあり得るのか。
「嫌な言い方をしてしまってごめんなさい。でも、これだけは言えるけど有栖ちゃんはうたちゃんがいなければ小夜ちゃんとはきっと交わることはなかったのだと思う」
私が好きな人が、私の好きな人のことを好きになるなんて限らない。
それは当然わかっていた問題の筈だ。
だけど私は、自然とその問題から目を逸らし、有栖ちゃんと小夜ちゃんが仲良くなることばかりを考えていた。
果たしてそれは私のエゴでしかなかったとでも言うのだろうか?
お姉ちゃんという、揺らぐことなく私を愛してくれる存在の言葉だからこそ、その言葉はあまりに重くのし掛かった。
「お姉ちゃんは、これから二人が関わるべきじゃないって言いたいの?」
二人が傍にいる事がお互いの為になり得ないのであれば、お互いに関わるべきではないと、お姉ちゃんは言いたいのだろうか。
関わるべきではない人間はいると、出会うべきではない出会いもあると、だから友情を育もうと努力することさえも無駄だと、そう言いたいのだろうか。
「そんなわけないじゃない。お姉ちゃんだって二人のこと大好きだもん」
どこまでも優しい微笑みで、お姉ちゃんは私を見つめながら。
「今のままじゃ二人の関係性はいつまでも変わらないわ。むしろ酷くなっていく一方かもしれない。だけどそれを黙って見ていることなんて出来ないわよね?勿論うたちゃんだってそうでしょ?」
「うん。どうにかして二人には仲良くなって欲しいよ」
「人間、一人で考え事してるとね、どんどん視野が狭くなって自分の価値観に固執してしまうものだわ。今の有栖ちゃんがそう」
有栖ちゃんは、小夜ちゃんのことを好ましく思っていない感情を気付かないうちに自分の中でどんどん膨らませて肥大化させてしまっているのだろう。
彼女が私やお姉ちゃんたちに小夜ちゃんへの気持ちを語ることはないし、私たちが直接有栖ちゃんの考えを聞いている訳でもない。
発散されない思いは、胸の中でどんどん醜く歪んでいく。
「だからね、有栖ちゃんの気持ちをきちんと聞いてあげましょ。まずはそこからだと思うわ」
ひょっとしたら私は有栖ちゃんと小夜ちゃんに仲良くなって欲しいと思うばかりで、彼女たち二人の感情を蔑ろにしていたのかもしれない。
自分の感情を押しつけるだけで、当人たちがどう思っているのか、本当のところを聞かずに何もかも決めつけていた。
私だけの考えだったら、きっと二人の関係はこれから悪化の一途を辿ることだっただろう。
「有栖ちゃんはとっても優しい子よね。それはうたちゃんもよく知ってることでしょ?小夜ちゃんだって、不器用だけどなんとか前に進もうと一生懸命藻掻いてる。だから私たちは彼女たちのことが大好きなんだし、きっとそれは有栖ちゃんと小夜ちゃんがもっとお互いに知るべきことなんだと思う。だから私たちはその手助けをしてあげましょう」
「うん、そうだね。お姉ちゃんに話して良かった」
やっぱりお姉ちゃんは、私の大好きなお姉ちゃんなのだ。
私よりもずっと二人のことを見てくれていたのだろうし、きちんと彼女たちのことを考えてくれていた。
私一人きりだったら、このまま状況が悪くなっていくのを指を咥えて見ているだけだったかもしれない。
私にはどうしたって、お姉ちゃんが必要なんだと思わせられる。
それを本人に伝えたらきっとまた変なことを言い出すだろうから、言わないけどね。
「まあ、一番の問題なのは…ううん、それを言うのは無粋よね」




