5 ラジオから鳴る宇宙の始まりの音は私の罪を洗い流してくれるだろうか
古びたラジオの電源を付ける。
ガチャリという音、少しの静寂のあと、ザーザーというノイズがスピーカーから発せられる。
不思議と心地の良い、砂嵐の音。
一定の周期でもって、ジジっという別種のノイズが表出する。
それは混沌としていて、だからこそ調和しているともいえる。
音階のない旋律。
変拍子の唸り。
お母さんのお腹の中にいた頃、こんな音を聞いていたような気がする。
勿論そんな記憶なんて残っているはずもないのだけれど、何故だかそんな気分にさせられる、心を優しく落ち着けてくれる微睡みの揺り籠。
遠い昔に思いを馳せる、郷愁の音声。
百三十七億年の宇宙。
その始まりからやってくる音がある。
宇宙の晴れ上がり。
この世界の産声。
宇宙マイクロ波背景投射。
初めて説明を聞いた時、何が何だかよくわからなかった気がする。
それは、確か有栖ちゃんが話してくれたのだっけ。
「ラジオやテレビに時々走るノイズは、原初の宇宙からやって来た赤方偏移した波長なんだって!」少し興奮して嬉しげに語る彼女の表情を今でも克明に思い出せる。
今だって何が何だか正直よくわからないけど、ラジオのノイズには、ビッグバンの名残を感じられるのだということだけは理解できた。
百億年以上前に起きた宇宙的現象を、どうしてそんな風に観測出来るのか、私には全くわからない。
相対性理論とかが関係しているのだろうか?
特殊?一般?それって一体何なの?
特殊の方が何となく凄いような気がするけど、一般の方が後に発表されたの?
少し考えただけでも頭が痛くなる。
時間の流れは一定ではなく宇宙の途方もないスケールの前ではきっと些細なことなのだろう。
とにかく重要なのは、すぐ身近に宇宙を感じられることなのだ。
難しい理論なんてきっとたくさん勉強したってほんの少しも理解出来ないだろうし、大切なのは物事の本質を見極めること。
…きっとね。(現実逃避)
私が真夜中の散歩に出かけなくなって、二週間ほどの時間が経った。
小夜ちゃんとの出会い…吸血鬼との邂逅。
あの一件以来、どうにも憚られて真夜中の街へ散歩に出られなくなった。
コメットちゃんから何が起こるかわからないからなるべく一人で夜中に出歩かないで欲しいと言われているのもある。
有栖ちゃんやお姉ちゃんに再三再四咎められていたのだって理由の一つだ。
だけれど結局のところ、私はとても怖くなってしまったのだ。
あの不気味な赤い月が昇っていた夜の根源的恐怖を、途方もなく慄然とした生理的嫌悪感を知ってしまったこと。
またあんな感覚を覚える夜があるかもしれない可能性を、どうしても考えてしまう。
小夜ちゃんに魅入られ、吸血鬼になったということ。
心の中ではすでに折り合いがついているし、小夜ちゃんを恨む気持ちなんてこれっぽっちもない。
全てが元通りに戻っているのだし、何か失ったものがあるわけでもない。
だけれど、あの時感じた恐怖を、心に芽生えた暗澹たる感情の揺らぎを忘れることだけはまだ出来ない。
自分が自分でなくなるという感覚。
得体の知れない怪異に平穏無事な日常を完膚なきまでに壊されること。
深淵からやってくる身震いのする恐怖感を簡単に拭い去る事なんて出来るはずもない。
恐怖とは全ての感情の原点であり、遠い過去から連綿と受け継がれてきた本能でもある。
どんな感情よりも鋭く、過激で、一度それを味わってしまえば死ぬまで忘れ去ることが出来ないことだってあり得よう。
私の心に深く刻まれた恐怖は、今だってじくじくと痛み、拍動を続けている。
だから私は、真夜中の散歩をしなくなった。
いや、出来なくなった。
大好きだった趣味の一つを、或いは永遠に失ってしまったのかもしれない。
その代わりに私は、暗い部屋で一人きりベッドで横になって、ラジオを聞くようになった。
誰にも邪魔されることなくただ流れてくる音に身を任せる事が出来る、心と体を休めるための大切な時間だ。
既に深夜を迎えようという時間。
スピーカーから流れてくる音はメロウに心身の疲れを癒やしてくれる。
甘やかに蕩けるような感覚。
身体と心が少しずつ溶けていって、シーツに全てを預けてしまうように。
暗闇の中、自分の内側に徐々に没入していく。
思考は透明さをいや増し、自らに向き合うための準備が始まる。
幽かに窓から差し込む月明かりさえも眩しく感じられ、そっと目を瞑る。
そこに現れたのは、完全な暗闇。
これ以上ない安寧を約束された、優しい子守歌の寝床。
全ての鎖から解き放たれた自由の庭で、私は今夜も赤い果実を囓る。
熱い吐息が静寂に漏れ出す。
頭を痺れさせる、鈍く鮮烈で甘やかな感覚。
罪とは、何だろうか。
それは背負った後悔の数?
失ってしまった遠い日の残響。
今尚消えない、魂に纏わり付く茨。
それならば私の感じているこれは、罪悪感なのかもしれない。
私は自らを罰している。
ただ繰り返し、懺悔しながら、快楽に打ち震えている。
いとも簡単にやって来る破滅の予兆に全身が打ち震え、背徳の波が強かに打ち付ける。
それは満ちては引き、また満ちては引いてを繰り返していく。
何度でも、暴力的に、暴虐の限りを、繰り返し、繰り返し。
やがて零れ出る涙は、熱い奔流となって、私の罪を洗い流してくれる。
一夜の秘めごとは、そのように始まり、終わりを迎える。
何故人は、この罪から逃れられないのだろう。
宇宙の始まりの音を聞きながら、自らを慰めるという、冒涜的な行為。
彼女を感じられるから、だろうか。
私は、嗚呼……。
火照った身体から、徐々に熱が引いていくのを感じる。
荒い息が整ってきた頃には、私はすっかりその罪を忘れてしまったかのように、日々の出来事に思いを馳せる。
まるでやましいことなんて何もないかのように、平然と、大切な人たちのことを考え始めるのだ。
丘の上の屋敷での一幕。
激昂する有栖ちゃんと、それに身を竦める小夜ちゃんの姿が思い出される。
日に日に有栖ちゃんの態度は険悪なものになっているし、それを感じている小夜ちゃんもずっと萎縮している。
どうにも折り合いの悪い二人の関係性を何とかして改善していくことは出来ないだろうか?
好きの反対は嫌い、なのか。
相反する二つの言葉は確かに対を為すように思える。
好きの反対は無関心、なのか。
これもまた、真理を突いているような気がする。
そもそも、人を「好き」と一言にいってもそれには様々な感情がある。
恋人としての好き、友人としての好き、家族としての好き、幼馴染みとしての好き。
どれが本物で、どれが偽物だなんてことはない、全て違って、全て正しい。
嫌いの反対は好き、なのか。
相反する二つの言葉は確かに対を為すように思える。
無関心の反対は好き、なのか。
必ずしもそうはならないような気がする。
それならば、嫌いは好きになり得るのか。
私は、その答えを知っている。
身をもって知っている。
思い返せば私は、彼女の事を、最初から好きだった訳では無い筈だ。
傲岸不遜で、自信家。
年下の癖に何だか偉そう。
だけどその割に甘えん坊で、面倒見の良い私のお姉ちゃんを独り占めするずるい子。
今では信じられないけれど、そう。
私は遠い昔、有栖ちゃんの事を、嫌い、だったのだ。
お互いあまりにも幼かったから、今のように分別がついている訳も当然なく、私は家が近いだけで幼馴染みとして宛がわれいつでも一緒にいなければいけなかった女の子のことを疎ましく思っていた。
本当は私がお姉ちゃんのことを独り占めしたいのに、私の方が年上だから、いつも彼女に譲らなければいけなかった。
その隣にいるのは私の筈なのに、どうして、どうして。
そんなことをいつも考えさせられていたような気がする。
何処へ行くにも、私たちの後ろを着いてきた。
それが鬱陶しくて堪らなかった。
私はお姉ちゃんと二人でいいのに、どうしてこの子がいるのだろう。
彼女の事を受け入れることはその頃の私にとっては難しかった。
本当に、今では信じられないけれど。
まるで自分が別の人間であったかのようにさえ感じさせられるけれど。
私は確かに、有栖ちゃんのことが嫌いだった。
幼いころの揺れ動きやすい感情は、流動的な不定形の名状しがたい感情となって、彼女のことをただ拒絶していた。
意地になって、意固地になって、嫌いだという感情を反復させ、自分に言い聞かせ、感情を焼き増し、物事の本質から目を背け続けた。
きっかけは何だっただろう?
思い返せばとても些細なことであったに違いない。
本当にちょっとしたことがきっかけで、私はそれまで有栖ちゃんに感じていた嫌いという感情を手放すことが出来た。
何かを起点にして、驚くほど簡単に、私の中の彼女への負の感情は消え去った。
そして、嫌いという感情が占領していた場所に、それと同じだけ好きという感情を得ることが出来たのだ。
月日が経ち、今では有栖ちゃんは私にとって、かけがえのない大切な存在になっている。
彼女は私という人間を構成する重大な要素であり、私の一部であると言っても過言ではない存在だ。
あの日得た好きの感情は美しく育ち、彼女無しではいられないという程の親愛を、私は心に咲かせている。
結局のところ、嫌いは好きになり得るのだ。
案外簡単に、人は嫌いなものを好きになれる。
昨日までの価値観に固執することさえなければ、人間は容易に変わることが出来る。
きっと、今の有栖ちゃんは、小夜ちゃんのことが嫌いだ。
故意的に嫌おうとしている訳じゃなくても、最悪の出会いをしてしまったことが、自ずとそうさせてしまうのだろう。
悲しいことだけど、人を嫌いになるのはとても簡単だ。
問題の大小に関わらず、人は人を嫌悪し憎悪する。
だけれど、有栖ちゃんの様子を見るに、彼女自身、今のままではいけないと思っているのを感じる。
どうにかして小夜ちゃんのことを受け入れようと必死に努力しているような雰囲気を確かに漂わせてはいるのだ。
私はどうにかして、有栖ちゃんが小夜ちゃんのことを好きになるような手助けがしたい。
きっとほんの些細なことで、嫌いは好きに変わると思うのだ。
私が有栖ちゃんのことを好きになったように。
そういえば、今度の週末にでも、みんなで何処かへ出掛けようかという話をしていた。
普段は行かないような場所で一日ゆっくりと遊んで過ごしたいねと言っていたことが思い出される。
それならば、その場を活用して、有栖ちゃんと小夜ちゃんの仲を取り持つというのはどうだろう。
何処か落ち着く場所で、ゆったりと心穏やかに一緒に過ごせば、お互いの事を理解し合うことが出来るのではないか。
場所は何処がいいだろう。
みんなで一緒に楽しめるところがいい。
日常から切り離された、心癒やされる場所……。
なんとなくだけど、頭の中で想像が形になっていく。
有栖ちゃん、小夜ちゃんそしてお姉ちゃんとコメットちゃんに私。
近頃いつも一緒に過ごしている私たちの仲が、今以上により良いものになればどれだけ素晴らしいことだろう。
今はぎこちない有栖ちゃんと小夜ちゃんの関係が円滑になることで、きっと私たちを取り巻く雰囲気はもっと明るく朗らかなものになっていく筈だ。
常に笑い声が溢れる、悲しみからはほど遠い場所。
楽園のような光景を想像せずにはいられない。
高校生活というものはきっと瞬く間に過ぎていくものなのだろう。
日々をただ漫然と過ごしているだけで、あっという間に終わってしまう、一夜の夢幻のようなものに違いない。
高校二年生という今の時期。
何者にも縛られずに、ただ自由を謳歌できる日々。
もしかしたらこんな風にみんなと毎日一緒に居られるのは、今だけのことなのかもしれない。
もう一年もすれば私たちは将来のことを本格的に考え始めなければいけなくなるし、学校を卒業すれば各々がそれぞれ違う道に進むことになる。
五年後十年後、今日の事を思い出してあの頃は良かったねと感傷に浸るような日が訪れるのかもしれない。
私は、当たり前の幸せが永遠ではないことを知っている。
この世界に絶対なんてないということを痛いくらいに知っている。
壊れ物の幸せは、胸の中に大切に抱いていなければ簡単に砕け散ってしまうのだ。
私は、毎日をもっと素敵なものにしたい。
大切な人たちといられる日々を、これ以上ないくらい綺麗に彩りたい。
もっともっと、みんなのことを好きになりたい。
もっともっと、みんなと一緒にいたい。
どうか、大好きな人たちと、目一杯幸せな時間が過ごせることを。
……一日の終わりに考えるのは、大体こんなことだ。
痛烈な思いを胸に抱きながら、私は微睡みに溶けていく。
意識を手放すその瞬間まで、私はずっと、大切な人たちの笑顔を思い出していた。
私はみんなのことが大好きなのだ。
私はみんなのことが大切なのだ。
私はみんなのことが大事なのだ。
私はみんなのことが必要なのだ。
私が好きなのはみんなのことなのだ。
私は好き。
私は大好き。
私はこれ以上ないくらいに幸せで満たされていて何の不満もないのだ。
私は決して可哀想な子ではない。
私は一人じゃないのだから。
私は、私は、私。
ねぇ、私は、間違っていないよね?




