2 タケル(2ヶ月前)
週に一度、学校帰りに病院に寄るのが恒例だった。
二つ年下の従姉妹は、生まれつき体が弱く、叔父の家で生活するよりも入院していることが常だった。兄弟もなく、学校にも通えず、病院には叔父夫婦の他に頻繁に通うものもない。叔母に頼まれたこともあるが、行けば歓迎してくれる従姉妹にタケルも悪い気はしなかった。
夕闇を一人、線路脇の道を進む。虫の声と時折すれ違う人たち。線路を越えた先に家はある。
高架を渡れば、家までさほど時間はかからない。
高架に近付くと、話し声が耳につく。高架の上に二人の人影があった。声からして若い男女、その頭髪は反射して見えて、金髪のように見えた。
厄介事は避けたい。彼らが立ち去るのを高架の影で待つ。
線路を渡るには、隣の高架まで歩かなければならない。往復三十分はかかるので、出来ればさけたい。
それに近頃、通り魔や破壊行動などの物騒な事件が巷を賑わせている。あまり危機感もないが、絶対とは言いきれない。
命、か。
従姉妹は、若いながらも死と隣り合わせだ。この国で、死と隣り合わせに生きる若者がいったいどれほどいるのか。
一部の他の国では当たり前な、死という存在。タケルは幸運にも健康と呼べる範疇にいる。正直なところ、考えても考えても納得して落ち着ける着地点を見つけられない。
声に耳を傾けると、どうやら女が男を責めているように感じた。
日本語ではない、英語?
それならば髪色も本物かもしれない。
話は長引きそうだ。
本当のところはよくわからないが、隅で突っ立っているよりも、歩いた方が気分的には良さそうだ。
諦めて隣の高架まで歩こうと、数歩進んだ時だった。
上方から金属のきしむ音が聞こえた。反射的に顔を上げると、男と思われる影がフェンスに手を掛け、跳躍した。男の身長を優に越える高さを、軽い動きで飛び越える。
驚く間もなく、タケルが立つ位置から程近い線路と道路を区切るフェンスに足をかけ、目の前に下り立った。
あまりにも無理のない動き。
タケルは瞬きを忘れる。
おそらく、ずっとタケルの存在に気付いていたのだろう。
細身の肢体、コートのフードの下から覗く彫りの深い顔立ち、タケルとそう変わらない年に見えた。
目があった。
「レヴィ!」
その時頭上で女の叫ぶ声が響く。
咄嗟に顔を上げると、おそらく言いつのっていた女が階段の上に見えた。泣きそうな、切迫した雰囲気。街路灯が照らす、おそらく金色の髪。フェンスのない階段の手すりから女が必死に男に手を伸ばす。高さなど目についていないようだった。
危ないと思ったその時、舌打ちが聞こえた。
女が落ちる。
タケルは動くことが出来なかった。体が硬直して、危険は察しても、何も。
落ちてきた女を男が受け止めた。その衝撃を気にする様子はない。
力をなくした女ををかかえ、タケルを見た。心臓が高鳴る。自分とは違う生き物に見えた。
男がタケルに向かってきた。タケルはやはり動くことが出来なかった。
冷や汗が吹き出す。目の前まできて、男はタケルに女を押し付けた。その重さに思わず座り込んでしまう。それでも女を落とさなかっただけ誉めてほしいと思った。
女は意識を失っていた。
きれいな異国の、男やタケルと同年代の。もしかしたら少し年上かもしれない。
思わず顔を赤らめた。
そこで思いだし、顔を上げるが、すでに男の姿はなく、そこにいた痕跡すら見当たらない、
「えっ、ちょっ」
気付いても遅い。
「…どうすんだよ」
誰に向けた言葉か、自分でもわからなかった。