1.ユイ
初投稿。
よろしくお願いします♪
瞼をあけると、藍色に覆われた世界が広がっていた。
頬には、フローリングの感触。
最低限の物しか置かれていない殺風景な部屋。
宵闇に侵された場所。
一瞬、ここがどこなのか認識できず、心臓が大きく鳴った。
大きな窓から見える満月。
明かりのない部屋を照らすほどの光。
横になる自分。
そして、思い出す。
この場所は、
ここしばらく自分に与えられている部屋だ、と。
いつの間にか眠っていたようだ。
浅い眠りと靄がかった覚醒を繰り返したまま幾日が過ぎたのか、ユイは知らない。
閉じ込める、と呼ぶには、束縛のない、清潔な、
だけど、好きなようにと呼ぶには、縛られた場所。
どこかのマンションの一室のようだった。
部屋を出るのは自由だ。
だけど玄関は閉じられている。
それでも、彼(もしくは彼女?)が一緒であれば、外に出ても良いと彼女(もしくは彼?)には言われた。
護衛だ、と。
なぜそんなものが必要なのか、ユイは知らない。
ユイは、生来、身体の内部に疾患を持っていた。
生まれてから、ほとんどの時を病室で過ごした。
外に出るときは、数えるほどしか訪れたことのない『自分の家』に行くときや病院の中庭に散歩に行くときは、誰かと(主に家族か医療関係者)共にあった。
だから彼(もしくは彼女?)と一緒にという言葉は、ユイにとって抵抗もない、ありふれたものでしかない。
そもそもこの場所にいることに興味もなく、不満もなかった。
外に出たいという欲求もない。
今はただ消えてしまいたかった。
それだけだった。
ずっと、ずっと病院で変わらない日々を過ごしていた。
そこに変化があったのは、つい先日のことだ。
新薬だと言われた。
ユイには、よくわからない。
ただ、父が必死なのはわかった。
力の入らない重い身体、日々多少の良い悪いはあっても、それはずっと、ずっと長い間変わらなかった。。だから、身体が自由に動くようになると説得されても、よくわからなかったし、父が新薬を試したいのであれば、それでいいと思った。
ただひとつ、ふと、もしかしたら、と。
本当にもしかしたら、
従兄弟ともっと一緒にいられるかもしれないと、
ただ少しだけ、そのことだけ思った。
新薬と呼ばれたそれは、すぐに身体に馴染んだ。
後で教えてもらったのだが、ヒトによっては合わないこともよくあるそうだ。
ユイは、その薬のことをよく知らない。
ただそれは、すぐに効果が現れた。
身体が好きなように動くということを、はじめて知った。
ずっと、周りの何気なく歩いている人たちのことが、不思議だった。
軽く力をこめるだけで、起き上がれる。
呼吸が軽い。
驚くことがたくさんあった。
従兄弟と約束をした。
退院したら、一緒に海に行く。
そんな、ある日の夜だった。
消灯時間が過ぎ、だけど目が冴えてユイは眠れずにいた。
窓のブラインドを開けてみると、大きな満月が目に入る。
空と月の色。
吸い寄せられる。
窓を開け、眼を反らさず、ただ求めた。
そこから身を乗り出す。
部屋の扉を叩く音が響いた。
記憶の底にいたユイの意識が戻ってくる。
昔のことを思い出したのは、あの時と同じ月を目にしたからだろうか。
それとも。
ユイの部屋に入ってきたのは、男の子(もしくは女の子?)だった。
ユイより、少し年上。従兄弟と同じくらいの年の。
銀白のさらりとしたショートヘア。白い肌。
ユイはただ横になったまま、なんの反応も示さなかった。
それは、いつものことで、彼(きれいな顔をしていて、彼女でもおかしくはなくて、ユイにはよくわからなかった)も気にも止めない。
彼(もしくは彼女?)は持っていたトレイを床に置くと、ユイの頬にかかった髪に触れ、耳の後ろに流す。
ユイが、ふときまぐれに視線を向けた。
ユイがこの場所にはじめて連れて来られたとき、ユイがただひとつ欲しかったものが手に入らず、世界に意味をなくしていた。
それ以外に欲しいものはなくて、手に入らないと知ったそれからの時間がただ重く感じられた。
あれからどれほどの時間が流れたのか。
ユイの中にある、暗く重い閉ざされた空間から出る気なんてなかった。永遠に出ることなく、闇に沈み、癒えることのない傷に浸っているはずだった。
ユイの心が外にいるのは、月のせいか、それとも。
ユイは彼(彼女?)を見た。
月の光の似合う細身の姿。
彼(彼女)は、表情を変えない。
「名は?」
おそらく男の子の声。
その声音になぜだか少しがっかりして、きれいな声ではあるのだけど、なんとなくがっかりしてしまって、なんとなく答える気もないのに答えてしまった。
「・・・ユイ」
彼が目を伏せる。
それ以上尋ねることもせず、ユイの前に食事を載せたトレイを置いた。
彼は食事を催促することもなく、部屋を後にする。
ユイは、ここに来てからというもの彼女(もしくは彼?)に催促され、それでさえ少し食事を口にするだけだった。
これまでユイは、何かを要求されることが多かった。
家族にしろ医療関係者にしろ、食事や睡眠、薬やそれ以外でも、摂取することを求められてきた。
彼の反応に、ユイの消えかけた心に少しだけだとしても興味を持たせた。