5.贈物
男は毎夜かかさず香梅に会いに来る。
とは言っても、香梅はこれっぽっちも男を歓迎していない。男がやってくるのを、仕方のない顔で出迎えるばかりである。一度、支度が整っていないと放置してみた。すると男は文句も言わずに一階で待っているのである。
気まぐれに声をかけてみれば、その瞬間、辛気臭い顔の口元が緩まるのを見た。その顔を見て、なるほど嬉しいのだなとわかるくらいには、男との距離が縮まっている。絆されてきているのかもしれない。
そうなってくれば、男の話も自然と耳に入ってくるようになった。曰く、ならず者を一太刀で切り捨てただとか。擦り寄る女たちを一喝しただとか。王城の古狸たちを返り討ちにしただとか。本当にこの男のことを話しているのだろうかと、女は首をひねる。男に聞いてみたところで、事の真偽はわからない。自分の噂に頓着しない辺りは、兄弟揃ってよく似ている。
男は飽きもせず、毎夜、東国からの品を持ってくる。宰相という身分にも関わらず、何と自分の手でだ。そして窓辺に座る女の足元でその荷を解き、恭しく捧げてみせるのだ。
一日目の貢物は、度の強い東国の酒だった。封を開けずとも漏れ出る白酒の独特な匂いに、思わず香梅が顔をしかめるのを見て、男は謝罪を口にする。いくら東国出身とはいえ、西国育ちの女にこの香りは馴染まない。
さらに同じ荷物の中からは、干し海鼠に干し鮑、冬虫夏草などが出てきた。確かにどれも高級品だ。しかし、妓女がこんなものをもらってどうするというのか。じろりと男を睨みつければ、男は黙って頷き、それらをすべて調理場の人間に渡してきた。すっかり部屋が生臭くなり、女はお冠である。
「女性には好まれないと何度も申し上げたのだが……」
どうやら男の一番上の兄は、人の話を聞かぬ人間らしい。女心の無理解さは兄譲りだろう。それでも男にとって、兄というものは特別な存在のようだ。意外にも話し上手な男が教えてくれる男の兄は、武侠物語の主人公のように破天荒で、ついつい香梅も聞き惚れてしまう。その日男は、ひとしきり兄の話をすると、そのまま帰って行った。
次の日男が持ってきたのは、兄の妻、つまり義姉からの荷物であった。その瞬間昨夜の乾物を思い出し、女は顔をしかめる。まだ部屋が臭うような気がするのだ。腰が引けたまま見てみれば、何と包みの中身は品の良い反物と珍しい茶葉である。こんなまともな細君がいて、あれほど好き勝手な贈物を選んだのか。女は思わず目眩がした。
女が横目で見遣れば、心得たように男は茶の準備を始める。部屋に漂う柔らかな香り。不器用だという割に、こういう時、男は何でもやってみせる。出来の良すぎる弟がいると、謙遜ばかりが上手くなるのかもしれない。
兄の妻は、大層気が強い女性らしい。あの奔放そうな兄とやらが、こてんぱんにやられるのを聞いていると、つい笑い出しそうになる。けれど男の兄は、妻の尻に敷かれてやっているのだと思うところもあって、こんな夫婦の話を聞くのも悪くないと思った。そうして昨夜と同じように、男は帰って行く。
三日目、男は一際大きな荷物を抱えてやってきた。これには思わず香梅も目を丸くする。
中を開けば、細々としたものが溢れていた。珍しいとはいえ、さほど高価ではないものがほとんどだ。砂漠に生える干し棗、草原の民が羽織る山羊の毛織物、東国の干し芒果、小さな薄桃色の花の押し花。
そのひとつひとつに、びっしりと細かい文字の詰まった手紙がつけられている。かつて愛した男の文字によく似た、けれどもっとずっと柔らかな東国文字は、きっと男の妻によるものだ。
もともと西国の王をしていたのだから、東国語の読み書きも不自由なくできたのだろう。それでも気持ちを伝える時には、母国語である西国語の方がずっと楽なはずだ。それでも東国語を綴ってくれたのは、香梅のことを思うがゆえだろうか。
「翡翠様は、大層感謝しておられました。今の生活があるのはひとえに貴女のおかげだと」
西国の王は、翡翠と名を変えたのか。恋敵であったはずの女の書く文は、どれも優しい。初めて見る景色への感動や、出会った人との思い出、そしてすべての手紙の結びには女への感謝が綴られている。家族に、或いは長年の友にあてるような手紙を読んでいると、なぜだか視界が滲むような気がして、女は男に一言だけ言うのだ。
「雨仔、言葉遣い」
「すまない」
そういつも通り返してくれる男は、黙ってこちらを見ている。その日、男はかつての西国の王の話はほとんどしなかった。女は黙りこくった男の隣で、手紙を何度も読み直すばかりである。
四日目、男が持ってきたのは男の弟からの品であった。昨日までとは違い、男はそのまま女にそれを差し出す。男も中身を知らないと言う。何故だろう、女は包みを開く気になれなくて、それを無造作に鏡台の上に押しやった。それをどう受け取ったのか、男は僅かに顔をしかめ、そしてすぐに帰っていった。
五日目、男はまた別の荷を抱えてやってきた。どうやら東国からは呆れるほど大量の荷物を持ってきたらしい。
男は会うたびに家族の話をする。香梅の気持ちに寄り添うかのように、こちらの様子を伺いながらあの男と妻の話も出してくれる。その繰り返しの中で、香梅は自分の中に新しい気持ちが生まれていることに気がついていた。
かつて愛した男は、遠い国で幸せに暮らしている。だからもう良いのだ。今は目の前にいる男自身のことが聞きたい。それなのに、あなたのことが知りたいと、ただその一言が今日も言えない。名前さえ聞きたくないと突き放したのはこちらの方なのだ。毎夜空が白む頃、男の後ろ姿を黙って見送るばかりである。
やはりこの男、自分に興味がないのだろうか。女は疑心にかられる。何しろ家族からの荷物をあれだけ持ってくるというのに、男は香梅に簪一つよこさない。時たま気まぐれのように白い薔薇の花を一輪持ってくるだけだ。
宰相という地位にあるのならば、もう少し豪勢な花束くらい持って来れば良いものを。女は気が利かない男に小さく舌打ちする。思わず店の主人に愚痴をこぼせば、主人はふわりと微笑みを浮かべた。
「おや小梅、知らないのかね。東国の王都では雨上がりの夕方に必ず、好いた女に白い薔薇を一輪贈るのだよ」
女は何を言われたのか一瞬わからず、ぽかんとしてしまう。そんな話、聞いたこともない。女は必死で記憶を手繰り寄せてみる。男が薔薇をくれた日は、本当に雨上がりの夕方だっただろうか。けれど雨が続くこの時期に、一体いつ薔薇の花を貰ったものやら、とんと思い出せないのだ。憮然とする女の頬を、兄代わりは楽しそうにひと撫でする。
「東国街があるから、余計に東国の風習がここにすべて伝わっていると思いがちだ。乾燥した東国と違って、西国は雨が多い。雨があがるごとに花を買っていては、この国の男どもはみな破産してしまうだろうね。都合が悪い風習は根付かなかったのだろうよ」
男はなぜ言わなかったのだろうか。伝わっていると信じていたのか、伝わらなくても良いと思っていたのか。あの男はあまりにも言葉が足りない。一体どんな気持ちで、この薔薇を女に寄越していたのだろう。
男が持って来た白い薔薇は、もちろん何も言わない。ただ一輪、花器の中でどこか誇らしげにその花弁を輝かせている。