第三話『残酷な憂鬱の始まり。地獄の火曜日・後編』
- Rai Septer -
「センパーイッ!」
危機を察知した僕の眉間に稲妻が走る。
――右?いや、正面か!
気がついた時には既に遅い。声が聞こえてからすぐ。
避ける間もなく、僕の目の前に彼女の顔。慌てて一歩後ろに下がると、ビュッ!と、風を切り裂く音と共に彼女の手が伸ばされ、僕の手首を掴む。
「オハヨーゴザイマスセンパイ!一緒に学校まで行きましょう!
恋!人!らしく!!」
勘弁してくれ。っていうか、僕は承諾した覚えはない。
助けを求めるようにケンジまで視線を向けると、あいつは
「お幸せにな!」と軽快な足取りでさっさと先に行ってしまった。
「……」
「……」
若干の沈黙。
「……はぁ」
実に憂鬱だ。
今日からの学校生活を考えると、背中に薄ら寒いものが走る。
別に、築嶋亜子という後輩が嫌いなわけじゃない。
成績こそ中の下だが、運動神経は一年生の中ではトップクラス。どことなく猫科の動物を思わせる顔立ちで、大きなアーモンド型の目が特徴的な――少なくとも、一学期の間に五、六人の男からの告白をお断りできる権利がある程度の容貌をしている。
わかりやすく言えば、可愛い。底抜けに明るい性格も魅力の一つなのだろう。
だけど、それは僕にとっては眩しすぎる。 正直な話をすれば、ちょっとした秘密を抱えていることさえ除けば僕はごく平凡な男子生徒だ。
たしかに女の子が悲鳴を上げて逃げ出すようなひどい顔じゃあないけれど、かといって黄色い声を上げた女の子たちに寄ってこられるようないい男でもない。ちょっとばかり痩せぎすで、よく「弱そう」とか言われる類の奴だ。自分で説明していて憂鬱になってくる。
成績は中の上。運動神経は、まぁ、その、お世辞にもよいとはいえない。
おまけにネクラだ。ご想像の通り、恋人ができたためしなんかない。
だからこそ、僕のような人間とは対照的なところにいる彼女と顔を合わせるだとか、あまつさえ男女としての交際をしろだとか。
そんなことは僕にとっては気詰まりを通り越して憂鬱で、どういった手段をとって断るのが最上なのか考えるための時間で丸々一夜費やすことになってしまう程だった。
「築嶋さん」
「えっ、な、なんですかセンパイ!」
頬を朱に染めた彼女が瞳を潤ませながら僕を見る。はにかんだ様子で、何か期待しているような顔で。
ちくりと心を突き刺す罪悪感。
だけど仕方がないことだ。向こうにいくら好かれたところで、僕が耐えられないのだから。
深呼吸ひとつして、覚悟を決める。
「……悪いけど、他をあたってくれないかな。
僕じゃあ、君には合わないよ。もっと君にピッタリな人がいるだろうし――」
静かに言い聞かせる。
少々の言い訳を交えた、意気地なしのやる『なるべく傷つけないように』とか形容する偽善的な言い方だ。自分で言ってることに嫌悪感をもよおしてきたので、いい加減に口を閉じる。
「……」
「……」
気まずい沈黙が流れる。
大きく息を吸い込む音が、彼女の方から聞こえた。
「……わかりました!センパイはシャイなんですね!」
いかん、会話が成立してない。
「そうですね、あたしも話が急すぎました!
まずはちゃんとお友達からですね!!」
「いや、あの、ちょっと?築嶋さん?」
予想の遥か斜め上をいく反応に戸惑うばかりの手を掴んで、彼女は目をきらきらとやたらに輝かせて僕を真正面から見つめた。
「まずはお互いを深く知り合うためにデートしましょう。今日の放課後、センパイ呼びに行きますね!!」
僕の表情筋がひきつった笑みをうかべたのと、自分の顔から血の気が一斉に引いていくのがわかる。
はにかんだ様子で
「それじゃあまたあとでね」と駆けてゆく背中をぼんやりと見送る。
授業開始五分前のベルが鳴る直前まで、僕は死刑宣告を受けたような気分で立ち尽くしていた。
- Rai Septer -
「計画は順調なようだな」
殺戮将軍ジェノサイラスが地上の様子を映し出すモニターを見上げ、満足に頷いた。
「いいえ、まだまだよ。この程度ではないのでしょう?アビシュタイン」
形のよい唇に薄く笑みを浮かべて、死神大公デスフェレスが奈落博士アビシュタインに問うた。
「ククク、もちろんじゃわい。明日より作戦を第二段階へと移行させる。
ラヴァシスタンを地上に出し、より多くのニンゲンどもにアビスパワーを照射させるのだ」
「びゅうう!らびゅびゅうう!!」
醜悪な怪物――ラヴァシスタンが胸の悪くなるような奇怪な声で鳴き、身体の中央に据えられた仮面の瞳を光らせた。
「そうすれば地上は更なる混乱に包まれるというわけだな!」
「ふふふ……待っていなさい。ライセプター……」
「フフフ……」
「ハーッハッハッハッハァ!」
「クククククク……!クヒヒヒヒ!」
――今夜も、地底邪悪帝国は悪の笑いで満たされる。




