『弟不在』のメタい姉と『テンプレ妹』
見慣れた六畳一間から物語ははじまる。
「あれ? 弟くん、鍵閉め忘れたのかぁ。もうっ、不用心だなー」
ガチャリとドアを開く音とともに、部屋に響く女性の声。
アタシは参考書に落としていた目を上げ、声の主へと視線を合わせる。
声の主はアタシの存在に気付いて、可愛らしい瞳をまん丸にして口を開いた。
「い、妹ちゃん……!?」
「……ども。お邪魔してるわ」
ベッドに寝転び、参考書を読んでいたアタシは短く答える。
……別に、無愛想なんかじゃないし。
「どうして妹ちゃんが? 弟くんは?」
「なに? アタシが居たらダメなわけ?」
「そ、そうじゃないけど……」
彼女――お姉ちゃんはそう言いながら、アタシの寝転がるベッドの淵へと腰を下ろす。
座ってそわそわする仕草は、明らかにアタシの様子を窺っていた。
横目で見ながら、アタシはため息一つ。
「……クソ兄貴ならいないわよ。なんで居ないかは、アタシも知らない。アタシも今来たところだから」
そもそもクソ兄貴のことなんて、これっぽっちも興味ないしね。
そう続けると、お姉ちゃんは「そ、そっか……」と苦笑いして言葉を返す。
そして、またそわそわ。
髪をいじってみたり、ちらちらとこちらを何度も窺ってみたり。
……そんなに気になるなら、話しかけてこればいいのに。
アタシは手元の参考書に目を落としながら考える。
目で文字を追っていても、内容が全く頭に入ってこない。
そうしてアタシたちは無言のまま、時間だけが過ぎていく。
――……あぁ、もう! なんでこういうときにいないのよ、クソ兄貴!
いつもは部屋でぐだぐだしてるくせに。
こういうときに限っていない。そばに居てほしいときに限っていない。
アイツはそういう奴だ。
……クソ兄貴が居たら、お姉ちゃんともちゃんと話せるのに。
形だけの勉強を続ける。ぺらぺらとやたら規則的にページを捲るのを、変に思われていないだろうか。
さきほどからちらちらと刺さる視線に、後ろ髪引かれているのを気づかれていないだろうか。
時間だけが過ぎていく。
見慣れた六畳一間が、いつもより息苦しく感じる。
そんなはずないのに。
頼りにならない兄の存在が、ことさら恋しく思えた。
口では素直になれないけれど、アタシはやっぱり兄貴のことを――。
「――あ、あのっ、妹ちゃん! お、おお、お腹空いてない?」
「――は?」
――考え事をしていたせいか、思わず声が漏れた。
あっ、やっちゃった……。
思った時には遅かった。響いたアタシの声は、短く鋭い。
「そうだよね……。もう2時だし、お昼食べたばっかだよね……。あ、あはは……お姉ちゃん、ドジだなぁ……!」
慌てて振り返ると、ベッドに腰掛けて力なく笑うお姉ちゃんの姿が見えた。
なにしてるの、アタシ! 早く『違う!』って言わなきゃ!
そう思っているのに、喉から言葉が出てこない。
あのね、違うの!
否定する言葉は頭の中で巡るのに。
アタシもお姉ちゃんの手料理、一度食べて見たいと思ってた!
今すぐ言えば、間に合うのに。
「……ちょっとは考えてから喋った方がいいんじゃない」
口から出た言葉は、そんなことだった。
お姉ちゃんの姿が、しぼんだ風船みたいに縮こまる。
本当は、こんなこと言いたいわけじゃないのに。
居たたまれなくなって、再び参考書に目を落とす。
手元の参考書がぼやけて見えた。
文字もかすんで、全然読めない。
……何よ、この本。不良品じゃない。
視界が滲む。必死に堪えても、止まらなかった。
不良品は、アタシだ。
「……い、妹ちゃん、どうしたの!?」
お姉ちゃんが心配そうに覗き込んでくる。
アタシは振り返りもせずに答えた。
「べ、別になんでもないわよっ!」
惨めだった。
声が震えている。なんでもなくなんか、なかった。
それでも口から出たのは否定の言葉。
もう自分でもどうしていいかわからなかった。
いや、わかっていた。
簡単なことなのに。
――一言、ごめんなさいって言えばいいだけじゃない!
そんな簡単なことすら、アタシには出来ずに居た。
ただおろおろと戸惑う気配を背後に感じながら、アタシは黙って読めもしない参考書を目で追っていた。
もう今にも瞳から涙が零れ落ちそうだ。
それでも、ぐっと堪えた。
零れたらそのまま泣き叫んでしまいそうだったから。
余計、困らせてしまいそうだから。
ただ、じっと参考書に目線を凝らして、その文字を追っていた。
そんなときだ――。
「――……お前、何泣いてんの? 俺がいない間に何があったんだよ?」
――いつの間にか、目の前に兄貴が立っていた。
「うわっ、まさか姉さんが泣かせたのか!? ひどいなぁー……いくら設定あるのが羨ましいからって、そりゃないぞ……」
「ち、違――」
呆れたように言う兄貴に、私は思わず顔を上げる。
目が合った。
そして、兄貴は口を開いた。
「――まぁ、違うわな。姉さん、優しいから。あとお前はテンプレすぎ。どーせ勝手に『素直になれないアタシ!』とか思ってんだろ」
やれやれと苦笑一つ、兄貴はベッドの脇を通り過ぎパソコンデスクに腰掛ける。
「お前はこの物語を何もわかっちゃいない。いいか? 三流アマチュア物書きが書いた物語なんだぞ? いつまでもテンプレで居られると思うなよ?」
だから、と続けて。
「お前は今日からでも別人になれる。お前のなりたいようになれる。いつでも変われる。――……そう、この物語ならね?」
兄貴は最後に冗談めかして笑って、指さす。
指の先には、お姉ちゃんの姿。
そわそわと不安げに揺れる表情が見てとれた。
兄貴が「やってみろ」と促す。
まだ怖い。きっかけが出来ても、はっきり物を言えない。
だけどアタシは――。
「――お、お腹空いてる、から……。な、何か作りなさいよっ!」
――震える声で、それだけ絞り出した。
やっぱり素直にはなれない。
それでも、なんとか絞り出した言葉。
お姉ちゃんは、その言葉ににっこり微笑み――。
「……うん! よーし、お姉ちゃん頑張っちゃうよー!」
――力強く、そして明るく声を上げたのだった。
それから俺たちはどうなったか。
って、このパターンも何回目だ? まぁ、いいや。
なーんか素直になれない妹だけど、ぶっちゃけ姉さん以外にはバレバレだ。
たださぁ……――――。
「――……毎日来ることねぇんじゃないか?」
「な、何言ってるのよ! 別に、アタシはお姉ちゃんの手料理を食べに来てるだけなんだからねっ!」
「ふふーん! どう? 弟くん? 羨ましいでしょ!? これだけ妹ちゃんに好かれるの、羨ましいでしょ!?」
ベッドに寝転がって参考書を読む妹と、台所から顔を出して自慢げな表情の姉さん。
いや、別に仲がいいのはいいよ? 俺だってギクシャクされるのは御免だ。
でもさぁ……限度ってものがあるでしょう?
つーか、俺の部屋じゃなくてもいいじゃん?
「……食費が助かってるから何も言えねぇけどさ」
なんか、これからも妹がちょくちょく通いそうな予感。
三流アマチュア小説書きの主人公になった俺と、同じく登場人物にされた姉の物語は、続く。
作者が飽きるくらいまでは、続く。




