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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

そして秋桜が散った

作者: 黒谷 狼芙

 七月二十四日、両親が死んだ。―――私の十四歳の誕生日だった。



 リコが目覚めると、見慣れない真っ白な天井が視界に入ってきた。

 病院特有の薬の臭い。そのおかげでここが病院であることは容易く分かった。だが、なぜ自分がここにいるのか。起きたばかりのリコには皆目見当もつかなかった。

 辺りを見渡そうと、首を動かそうとした。途端、激痛が体を駆け巡った。皮膚がさけるような、焼けるような、鋭い痛みにリコは悶え、それにまた激しい痛みが自身を襲った。そして、はっとした。自分がなぜここにいるのか、その理由が思い出せた。出来れば思い出したくなかった、悲しく辛い記憶。その時の風景が、頭の中で明確に再現されていく。―――両親が死んだ、瞬間が。

「あ…、あぁ…」

 鮮明に浮かぶ記憶に目は限界まで見開かれ、そのまま閉じることも出来ず涙がぽろぽろと溢れた。上手く酸素が吸えない。はっ、はっ、と浅い呼吸を繰り返した。

 鮮やかに思い出される両親の笑顔。そして赤色と苦痛に歪む両親の顔。

 不慮の事故だった。車線を越えて、前からトラックが突っ込んできたのだ。両親は大切な娘を庇った。気が付いたときには車は原型をとどめておらず、赤い水たまりにぽつんと一人いた。周りには人が、両親がいたのに、何も聞こえなかった。そばにいた両親に何度呼び掛けても、触っても、二人が動くことはなかった。二度と、応えてはくれなかった。そして気づいた。独りなのは身体ではなく、ココロなのだと…。

 リコにはその後の記憶がなかった。きっとショックのあまり気を失ってしまったのだろう。そして、唯一生き残った自分が、病院に連れていかれたのだ。

 涙で濡れた顔が苦痛に歪んだ。身体と、心が痛かった。

「お、かあさん…。おとうさん…っ」

 視界が霞むなか、痛む身体にむち打ち、必死に手を天井に伸ばした。

 そうすれば、父が手を握ってくれる気がした。母が微笑んでくれる気がした。二人が生きて笑ってくれる気がした。―――だが、その手を掴むものはなく、手は重力に逆らえずにベッドの上に落ちた。

 ただ、悲しかった。大好きな両親が死んでしまったことが。自分を庇って死んでしまったことが。もう、会えないことが―――。


 コンコン。


 ふいに、扉を叩く音が聞こえた。リコは涙でぐちゃぐちゃの顔を痛まぬよう、ゆっくりと扉の方へと向ける。扉が視界に入った途端、スライドされて扉が開いた。

「リコちゃん。良かった、目が覚めたのね」

 そこにいたのは淡いピンク色のナース服を着た、若い女の人だった。看護師は中に入って扉を閉めると、一瞬辛そうに顔を歪めたが、すぐに笑顔になり歩み寄ってきた。その手には白いユリが生けられた花瓶を持っている。リコの視線に気付いたのか、看護師は笑みを深くした。

「綺麗でしょう?リコちゃんのお友達が持ってきてくれたのよ。サキちゃん、だったかしら?」

 ことりと音を立てて花瓶を棚に置くと、看護師はベッドの横に付いているボタンを押した。それはベッドの角度を変えるもので、リコは上半身が持ち上げられ、座るような体制になった。そして、看護師はドクターを呼ぶ、と部屋を出て行った。

(サキ…)

 リコは口の中でそっと呟いた。

 サキとは、リコの親友であり、家族ぐるみで仲が良い女の子だ。

 会いたいと思った。サキに会うことで、現実味のない今が変わるかもしれない。今までのは全て夢で、まだ両親は生きているかもしれない。そうでなくても、今までのは全て自分の思い込みで、一命をとりとめたのかもしれない。

 ―――望みの薄い淡い期待に、リコはぎゅっと目を瞑った。分かっているのだ。こんな願いが、叶うはずはないと。サキに会ったところで、何も変わらないと。だが、願わずにはいられないのだ。大好きな両親が、生きていてほしいと。そうしたら、どんなに嬉しいか―――。

 そこへ、扉を叩く音が聞こえた。

 扉を開けて入ってきたのは、白衣を着た若い男だった。

「おはよう、リコちゃん」

 先ほどの看護師に連れられてきた男は、綺麗な笑みを浮かべリコへと近づいた。

「二日間、ずっと眠っていたんだよ」

「二日も…」

 ベッドのそばにあった椅子に座りながら言う男に、リコは目を見開き驚きの声をあげる。まさか、あれから二日もたっていたなどと思ってもいなかったのだ。

「僕は紺野。君の担当医だ。よろしく」

「紺野先生…?」

「うん」

 一般的に美形ととれる整った顔をした紺野は優しく微笑んだ。

「大きな怪我だから痛むと思うけど、頑張って治していこう」

 リコは小さくはい、と答えた。そして、今度は少し大きな声を出して紺野を呼んだ。

「先生…」

「うん?」

 リコはまっすぐ紺野を見つめた。

「サキに会いたい」

 一言、それだけ告げるとリコは口を閉ざした。リコはじっとして紺野の返事を待つ。

「ごめんね。友達に会いたいのは分かるけど、君は今面会謝絶なんだ。怪我が酷すぎて、あまり外の物に近づくのは良くなくてね」

「……そう、ですか」

 すまなそうに謝る紺野に、リコは目を伏せた。

 そして紺野は包帯の巻かれたリコの頭をそっと撫でると、また来るね。と出て行った。

「リコちゃん。はい、これ飲んで」

 看護師は紺野を目で見送ってから、水の入ったコップと1粒の薬を渡した。

「痛み止めよ。リコちゃんの怪我は大きいから少しの間使いましょう」

 リコは痛む腕をゆっくりと持ち上げ、コップと薬を受け取った。そして、ゆっくりと口に含み飲み込んだ。すぐに効果があるわけでもなく、今の少しの動きだけでもズキリと身体が痛む。

 それが分かったのだろう。看護師はコップを受け取りながら言った。

「ちょっとの間我慢していてね。すぐ効いてくると思うから」

「はい…」

 暗い声で返事をするリコの頭を看護師は紺野同様優しくなでた。そしてボタンを押してベッドの角度を百八十度に平たくした。

「もう少し寝ていたら?起きていても痛いだけでしょう」

 リコはこくりと頷いて瞼を閉じた。看護師は微笑むと、病室を後にした。

「痛い…」

 リコは目を開けた。看護師が完全に離れたことを耳で確認し、ゆっくりと首を動かす。先ほどは見ることが出来なかった部屋の全体像が見えた。真っ白で簡素な造りの一人部屋。一つだけある窓からは、気持ちのいい日差しが入り込んでいる。緑の葉がさわさわと風に揺れ、音を立てている。小鳥が鳴き、まさに気持ちのいい夏の日だった。

 そんな日に、自分は動くことが出来ず、ただただ外を眺めるばかり。優しそうな先生に安心していた心はどんどん沈んでいく。

 そうこう考えていると、リコの思考は途切れてきた。うとうとし始め、そして深い眠りに落ちた。




「リコ、リコ。起きなさい、リコ」

「ん…」

 優しい呼びかけに目を覚ます。すると、入って来たのは朝の眩しい光と優しい微笑みだった。

「お、母さん…?」

「どうしたの?寝ぼけて。今日は誕生日だから、海の近くの別荘に行きたいって言ったのはリコでしょう」

 全く、と微笑んでリコの頭を撫でる母に、リコは顔を綻ばせた。そして、早く下りてきなさいね、と言って部屋を出て行った母に、はーい、と間延びした返事をした。リコは、んー、と伸びをしてばっとベッドから飛び下りた。上機嫌で服を着替え、パタパタと下に下りる。リビングの扉を開けると、朝食のいい香りが鼻孔をくすぐった。

「おはよう、リコ」

「お父さんおはよう。お母さんもおはよう」

「おはよう。ほら、早くご飯食べちゃいなさい」

「はーい」

 喜々と椅子に座り、朝食を食べ始める。

「やっぱりお母さんの料理はおいしい!」

「ふふ、ありがとう」

 リビングには穏やかな空気が流れていた。いつもの日常、当り前の家族。そして三人は別荘へ向かうべく車に乗り込んだ。

「それでね、サキったらさぁ」

「ふふ、本当にリコはサキちゃんが好きねぇ」

「もちろん!それに親友だしね!」

 胸を張って言うリコに両親は笑った。そして―――。


 キキーーッ

 ドンッ


 道を外れたトラックが、真正面から突っ込んできた。


「いやあああああああああああっ!」

 はっ、と目を開けると、そこは白い天井。病院だった。リコの身体は汗でぐっしょり濡れていた。それに併せて激しい動悸。―――夢だったのだ。両親が死んだ日の、自分の誕生日の、嫌な出来事。あの日、別荘に行きたいと言わなければ起きなかった事件。

「ふ…うぅっ」

 瞳から溢れる涙を止められず、嗚咽を繰り返す。すると、突然部屋の扉が開いた。入って来たのは紺野だった。

「リコちゃん、大丈夫?」

 慌てて来たのだろう、少し息を切らしていた。リコはきょとん、とした顔で紺野を見つめた。

 紺野はリコの近くに寄る。

「廊下を歩いていたら叫び声が聞こえたから来たんだけど……、泣いてるね」

「……」

「怖い夢でも見た?」

 そっとリコの頬に触れ、涙を優しく拭う。温かい体温に、リコは安心を覚えた。

「嫌な夢を見ました」

「どんな夢?」

「両親が死んだ夢」

「っ…」

 淡々と言うリコに、紺野の胸はずきりと痛んだ。紺野の顔は苦痛に歪む。自分の誕生日に両親が死んだのだ。辛くないはずがない。もう、彼女はひとりきりなのだ。

 紺野は頬にあった手を頭へと移動させ、優しく撫でた。

「大丈夫。これからは僕が家族だから」

「…ありがとう、ございます」

 紺野は優しく微笑んだ。




 翌日のことだった。

 薬のおかげで痛みも引き、一人トイレへと向かっていた。気分を変えるため、少し病院内を見ながら歩く。ふと聞こえた自分の名前に顔を上げれば、そこは看護師が集まる受付だった。

「リコちゃん」

「一週間前に入った子?」

「そう」

 どきりとした。日付が違う。リコは身体を震わせた。別の子だろうか。

「誕生日に両親を亡くしたらしいわよ」

「可哀想に」

「でもね、その子の両親、病院に運ばれて来たときはまだ息があったんですって」

「じゃあ、助かったかもしれないの?」

「無理よ。とうに手遅れだったらしいから」

「それでも、ねぇ」

「紺野先生が担当したらしいんだけど、相当ひどい状態だったみたいよ」

「可哀想に」

 ナースコールが鳴ると、看護師たちは話をやめ、自身の仕事へと戻っていった。

 リコはガタガタと震えていた。足に力が入らず、そのままペタリと座り込む。震えた手で頭を抱え、ぐしゃりと髪を掴んだ。

「う…そだ。そんな…お父さんとお母さんは生きていた?紺野先生が…」

 爪を立て、指に力を入れて瞬きも出来ないほど目を見開く。

「あ、あ……、―――――――――っ!」

 声にならない声を上げ、リコはガクン、と落ちた。壁に頭を預け、焦点の合わない視線は宙を向いている。そんなリコに気付いた看護師たちはリコへと必死に声をかけるが、ぴくりとも動かなかった。誰か紺野先生を。バタバタと慌てる看護師たち。しばらくして、リコはむくりと起き上がった。だが、その瞳には光がなく、まるで人形のように表情もなくなっていた。


 ソシテ リコ ハ タイセツ ナ モノ ヲ ナクシタ―――




 リコは紺野や看護師たちが何を言っても耳を貸さなくなった。

 リコの状態が危ないと感じた医師たちは、精神科医の田所を呼び、カウンセリングを行った。だが、それは全く効果をなさなかった。

「はじめまして、リコちゃん。私は田所モモよ。よろしくね」

 優しい微笑を浮かべて話しかける田所。だが、リコはちらりとも顔を見ようとしない。それに田所は困ったような笑みを浮かべた。

「うーん、リコちゃんはどんな食べ物が好き?私は桃が好きよ。名前のせいかしらね?子供のころからずっと好きなの」

 ころころと可愛らしく笑う。田所は始終笑顔でリコに話しかけていた。反応しないリコに対して、一生懸命になって話題を作る。

「ねぇリコちゃん。仲の良いお友達がいるんでしょう?ほら、そこにかざってあるお花。いつもその子が持ってきてくれるのよね?いいわねぇ、そういう子は大切にしないとね!ふふ」

 田所は毎日毎日通い詰めた。だが、リコは反応など全くしなかった。

 リコの耳には皆の声は届いていた。だが、聞こえない振りをした。皆の言葉が、全て嘘に聞こえた。誰も信じられなかった。信じたかった紺野でさえも裏切ったのだ。いや、一番信じられない人だ。両親に止めを刺したのだから。

 両親を殺した紺野も、それを見ていた看護師も、全てが憎かった。早くこんな所から出たかった。憎しみの対象とずっと一緒にいるなんて耐えられなかった。辛い。苦しい。嫌だ。―――こんな白い箱に拘束され続けるなんてもう我慢できなかった。

「リコちゃん。心を開いて、なんて言わないわ。ただ、私の話を聞いて」

 ―――あぁ、また来た。

 心優しく穏やかな田所は、精神科医としてはかなり優秀な医者だった。だが、リコには関係ない。両親は医者に殺されたのだ。その医者を信じられるはずがないのだ。

 ―――何をそんなに頑張るの?私なんてほっといて。

 それでも田所はひたすら頑張っていた。だが、リコには関係ない。

「リコちゃん、僕は何をしてあげられるのかな。反応、してくれよ」

 ―――偽善者。

 紺野も毎日のようにリコのもとへ通った。だが、リコにとっては憎しみの対象でしかない。

「気味悪い」

「あんな子、早く退院してくれたらいいのに」

 ―――私だって退院したい。

 看護師たちの会話。反応など全くしないリコに、畏怖の念を抱いていた。リコは無機質な冷たい視線を送る。だが、彼女たちは気づかず話し続ける。

「ねぇ、リコ。あたしだよ、サキだよぉ!答えてよ、リコぉ」

 ―――サキ…。両親のいるあなたが憎い。

 リコに縋り、泣き崩れるサキ。友達に会えば治るかも、という医師たちの期待は崩れ去った。今のリコにとって、サキも憎むべき対象だった。

 皆の言葉は、行動は、リコには届かなかった。届くはずがなかった。心を閉ざした人間に、誰の言葉も響きはしないのだ…。




 ある日の夜だった。

 傷も大分癒え、リコはそろそろ退院だろう、とベッドに座っていた。

「……?」

 声が聞こえた。

 低い、男の声だった。

「―――いか?」

「……なに?」

 近いけど遠く、ぼやけたような声。よく聞こえず、聞き返す。

「憎いか?」

 今度ははっきりと聞こえた。自分の真後ろから聞こえる声に、感情のない声で冷静に答えた。

「憎い。殺してやりたい」

 誰が、とは言わなかった。だが、はっきりと分かった。なぜか、分かったのだ。だから返した。殺してやりたいと。

「じゃあ、殺せばいい」

「…っ」

 耳元で囁くように言う男の声。迷いのない肯定の言葉に目を見開く。

「憎いのだろう?なら殺せばいいさ。お前の両親も殺されたんだ」

「ころす…」

「そうだ。殺すんだ」

 甘い誘いだった。何度、同じ事を思っただろうか。だが、いつも理性がそれを否定する。その理性が、音を立てて崩れてゆく。崩されてゆく―――。

「お前の両親の仇を討て」

「かたき…」

「制裁を与えるんだ」

「せいさい…」

 男の言葉を繰り返す。自分を納得させるかのように。

 そして、光のなかった瞳に光が灯った。狂気という光が。復讐に燃える炎が灯った。

「そう、罰を与えなければ。犯罪者にはそれなりの罰を…」

 リコはふらりと立ち上がった。まるで魂のないモノのような動きだった。そして、ゆっくりとした足取りで病室を出て行った。―――リコのベッドの後ろは、ただの壁だった。


 そして、病院にあった(ともしび)は消えた。

 リコは闇を歩く。トラックの運転手を求めて彷徨う。この手で、罰を与えるために。





 ニュースが流れた。とある病院にいた医者も看護師も患者も、全て一夜のうちに惨殺されていたと。警察が病院を調べると、医者でも禁止されている薬が大量に発見されたと。





 秋桜が散った。

 男の声が、嗤った気がした―――。






 


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